ほんなら・・・
  ほんでも・・・


     20回目 
    『樹村みのり』さん。
・・・\
      ・・・・・2004年 10月 17日・・・・・


 嫁はんがあまりにも「駄文!ずれてる!だらだら文の典型!悪文!」等々と言う。

 先日の朝日新聞に「書きたい一行と、書きたい一行の間にどうでも良い事を書いて、書きたい一行を判らなくするのが名文」だと橋本治さんが書いていると誰かが書いていた
(こんな文意だったと思う)
 で、「今回は名文です」

 橋本治さんは1948年生まれだから、樹村みのりさんと一つしか違わない。
 1968年の駒場祭ポスター「
とめてくれるなおっ母さん、背中でいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」を週刊誌『朝日ジャーナル』で見た時、彼の感性に驚いたのを覚えています。



マウスを置いてください
あざみの花

樹村みのり 著

潮出版

1982年6月20日 
初版発行


サッコ、ヴァンゼッティ事件・・
アメリカ民主主義の本質


守川正道 著

三一書房

1977年1月31日
初版発行

あざみの花

  (1981年 コミック・トム 8・12月号 1982年 2月号 掲載)



 物語は”サッコ&ヴァンゼッティ事件”を土台にしています。
 ”サッコ&ヴァンゼッティ事件”をだらだら書くのはやめまして、簡単に書けば、冤罪事件です。

 もっとも、遅きにの感は免れませんが、死刑執行から五十年後の
1977年7月20日、州知事が「無実だった」と公式に発表してはいます。

 とは言うものの死後に名誉が回復しても、処刑された本人さん達が生き返る事がありませんので、今更それがどないしたって言う気になりますが、一応、単純に米国の懐の深さの一面と見る事もできます。

 ただ、ヴァンゼッティさんは別にして、サッコさんが所持していた拳銃の弾痕(線条痕)は死刑判決後、数回の再鑑定で
(これは1977年以後にも行われた)いずれも「サッコの拳銃から発射された」との結果が出ていますので、冤罪事件につきものの真相は藪の面も有るようですね。

 冤罪だったのかどうかは別にしまして、公正な裁判ではなかったようです。

 当時の米国情勢は、戦後の冷戦下からくる共産主義への恐怖と敵対心によるところから、1915年には第二次KKK運動が盛んになりだし、禁酒法は1919年に施行され、1920年に”赤狩り”が行われ、1924年には新移民法が成立し偏見や差別意識による反移民運動が力を得、1925年には高校教師が進化論を教えて起訴されたスコープス裁判で有罪となった時代で、不寛容の時代あった。
(ここら辺りは『わん声・・・』の「紐育のバセット・カフェ」の猿谷要さん中屋健一さんの著書と新書本を参考に書きました)

 しかも裁判における色付き眼鏡の判事・陪審員の面々
 加えて、サッコさんとヴァンゼッティさんはアナキストであると認め、メキシコに一時的に
徴兵逃れの為、出国していた事実等もあり、心証は甚だ悪かった。
 1960年の安保時、岸首相さんが「
今も後楽園球場は人でいっぱいだ。国会前に来ているのはわずかだ。多くの声なき声は、実は我々を支持している」と言った。
 この岸首相発言は、声なき声=関心のない、もしくは乏しい国民が正しいのでしょうが、”サッコ&ヴァンゼッティ事件”では、大多数の時の米国国民の心証は判決を支持したようですね。




 
若い娘ジョーンは都会の中で自分を試してみたい、可能性を信じたいと言う思いから田舎を出た。
 辣腕婦人雑誌記者サンドバーグの助手にもぐり込めたジョーンは、サンドバーグが追い続ける
サッコ&ヴァンゼッティ事件に興味を持ち、取材を続けるうちに社会派記者としての自覚を得、更にこの道を進む。
 これが要約
(?)です。




おねえさんの結婚1971年に”クロポトキン”が出て来ますが、この頃樹村みのりさんは二十二歳ぐらい。
 アナキストの文献を結構私は持っていますが、眺めた限りでは直接的にサッコ&ヴァンゼッティ事件を載せているの見当たらなかったと思います。
 でも、映画『死刑台のメロディー』は1971年ですから、樹村みのりさんは観たように思えます。
(70年半ばに池袋の名画座で観た時、ジョーンバエズさんの歌声には・・
(意味はわからんが)・・シビレました)
 『カッコーの娘たち
(1979年)に出てきた”べン・シャーン”さんは、リトアニアから移民してきたユダヤ人で、その点からサッコ&ヴァンゼッティ事件やドレフュス事件等を題材とした作品を発表しています。

 前回の『夢の枝えだ
1980年そしてこの『あざみの花』と、樹村みのりさんが、サッコ&ヴァンゼッティ事件にからめて・・・
(これからの?)・・・自分の生きざま(?)を描くまでには十年ほどかかったと言う事になるのかも知れません。



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かけ足東ヨーロッパ
           (1979年 プチコミック 11月号 掲載)



 二週間ほど、東欧への団体旅行に参加した樹村みのりさんの見聞記。

 
『十三歳の時から強制収容所のことしか考えたことがありません』と書く樹村みのりさんは、東ベルリンから鉄道で一時間ほどの所に在るザクセンハウゼン強制収容所に一人で行き、収容所経験者らしき小父さんが観光客(?)に一生懸命説明をしているのを見た。
 
『彼の歴史 彼の収容所における歴史 わたしの収容所の”歴史”・・・・?』と考えてしまい『わたしには ただ 強制収容所に不思議なほど惹かれ続けたという”歴史”があるにすぎません』と書く。
 そして
『惹かれ続けてきたものの実際を見てみたかったのです』と続け、更に『そして同時に”新しいことを”知りたかったのでした 長い年月本で読んだり恐怖の中で空想していた以外のことを知りたかったのでした』と。



雨の中の叫び
(1965年)で確かに強制収容所を舞台にした作品を描いているけれど、十三歳からず〜とってのは長い。
 何故に強制収容所なのか知らないけれど”強制収容所”を切り口として感性を磨き、知識を深め、思考し続けた女の子って、ちょっとそこらにはいないだろうね。
 素直に感服します。





 ポーランドは憧れの国だそうで、並べた有名人の中に、ザメンホフ
さん(エスペラント語の創設者)を入れ、剣と盾を持つ人魚のセレーナ像(べっぴんさんの少女であらわれて、見た者は短命らしい)女性が剣をふりかざしているなんて いかにも”果敢”っていう感じでたくましい』と思い、復元されたものの第二次世界大戦で街の九割以上崩壊したワルシャワの街を観て『でもきっと そんなところにポーランドという国が好きな理由があるのよね』とすら思う。



 エスペラト語については、日本エスペラント学会をどうぞ。
 英会話学校は日本文化への侵略行為だとする『イデオロギーとしての英会話
(ダグラス・ラミス著 晶文社刊)や、言語と国家や文化との関係については鈴木孝夫さんや田中克彦さんの著書(新書版でも多く出ています)が参考になり、これらを流し読みしたところでは、どう見ても”エスペラント語”が世界共通言語”国際語”になるとは思えませんが・・・。

堕落論(坂口安吾著 筑摩文庫)の読み方からは外れているのだろうけれど、崩壊された後の再建に意味を視て「好きになる理由がある」と言うのは分かる。

 剣をふりかざす女性を果敢に感じるのは軍服姿に身を固めた女性兵士
(すべての兵士)にラブコールを贈るようで・・・・。
 かって三里塚の、糞尿袋を携えて木柱に身を括りつけた小母ちゃん達や、松下竜一著『風成の女たち
(社会思想社 文庫版)に出てくる漁村の女性達の方が勇猛果敢に思える。

 武器を持つ者に賛美・好意の意識を持つ。
ましてやポーランドの地において見たのだから、解らなくはないけれど。 でもねぇ〜樹村さん・・・セレーナ像って、偶像ですよ。





 好奇心旺盛の子供達に
まつわりつかれて十二分に楽しい思いをしたものの、同時に起きた複雑な気持ちを『ポーランドは社会主義国から初めてローマ法皇を出した国でもあるので 無信仰者のわたしも神様の名まえをみだりにとなえることをちょっとのあいだ見逃してもらうことにしました』と、それは『神様・神様 生きる知恵を見いだせますように そのためなら 一度くらい瓦礫と化してもかまいません』と書く。



犬・けん・ケン物語 第一話(1978年で「神様はいない」とコペルニクス的転回を(そう言えば、有名人の中にコペルニクスさんも書いている)した樹村みのりさんは『無信仰者のわたし』と自己を規定したものの、マックス・スチルネルさんの”唯一者”(『唯一者とその所有』現代思潮新社・岩波文庫)、原本を二重翻訳した辻潤さんの”自我教”(『自我教』。『辻潤著作集』オリオン出版・『辻潤全集』五月書房に収録)にまではいたっていない。

 もっとも、これまでの作品からすれば、樹村みのりさんがそこにまで行くとは考えられないし、現に、社会主義体制のもとでは宗教は存在しなかったなんてのは大嘘ですから、何も
『社会主義国から初めてローマ法皇を出した国でもあるので』『神様の名まえをみだりにとなえることをちょっとのあいだ見逃してもらうことにしました』なんて書く必要もない弁明を書き、神様にお願いしているぐらいだから、八百萬神(やおろずのかみ)の国に生まれ育っただけの事はあり、都合よく”神様”を用いるのは愛嬌か。




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マルタとリーザ
     (1979年 マンガ少年 12月号 1980年 1・2月号 掲載)


 恒文社のHPによると、『東ヨーロッパの文学』シリーズは日本翻訳出版文化賞を受賞し、『パサジェルカ』
(ゾフィア・ポスムイシ 著1966年11月刊 本体2,330円で現在も販売されているようです。

 内容は
戦後16年、一人の女にすれ違ったため、アウシュヴィッツ時代の苦悩に引き裂かれる外交官夫人。驚異の映画「パサジェルカ」の原作
 他にアンジェイェフスキ「聖週間」など2編収録
との事。

 樹村みのりさんはこの本を原案にして描いた作品だそうで、となると『パサジェルカ』を読んで『マルタとリーザ』とを較べて見るのが面白いのですが、あざみの花』を購入した1982年8月頃はもうほとんど小説を読まなくなった頃でしたし、そこまでする気もなかった。

 映画はムンク監督が事故で亡くなった為に未完作品だけれど。
結末は暗示的に締めくくられている。
 大戦中、ナチス親衛隊将校として強制収容所にいたリザは戦後結婚して、豪華客船での新婚旅行に出るが、船中で囚人だったマルタと再会。
 そして、当時を回想する。彼女にはたぶんに同情的であったつもりのリザだった(同性愛的傾向をほのめかす)が、マルタの受け止め方は全く違った。
 彼女の態度は毅然としてリザに対し糾弾的ですらあり、仲間たちの精神的支柱でもあった。
 映画はこの二人がお互いかつての主従関係にあった同士と認め、いよいよ、現在の時点からその過去と対決していこうと向かい合う緊張したムードの中終わる』
らしい。  (”allcinema ONLINE”を写しました)

 で、15回あした輝く星(1967年
で、
『原作を自分の意志からではなく、描くことになってしまったわたしは、「汚れてしまった」と思い、ひどく傷つきました。』と書いた樹村みのりさんですが、『マルタとリーザ』では『この作品の原案となった「パサジェルカ(女船客)」はポーランド』・・・(・略す)・・・『1961年』・・・(略す)・・・『映画となり公開されました 小説のテーマは複雑多岐にわたっていますが 映画ではその中のいくつかの場面が印象的に画面化されていました』と書いています。

 樹村みのりさんは、原作を読み映画も観た後に、この作品を描いたと思うのですが、
『映画はこの二人がお互いかつての主従関係にあった同士と認め、いよいよ、現在の時点からその過去と対決していこうと向かい合う緊張したムードの中終わる』を抜かして描いています。
 船中で「あんた!リーザでっしやろ?」「いゃぁ〜マルタさんでっか」と認識し合っていたのかどうか知りませんが、とにかく抜かしています。

 もともとアウシュヴィッツにはさほど興味がないので、『強制収容所における人間行動エリ・A・コーエン著 岩波書店刊夜と霧(ヴィクトル・E・フランクル著 みすず書房刊)アウシュヴィッツ収容所(ルドルフ・ヘス著 講談社学術文庫)ぐらいしか眺めていない私としては、強制収容所においての、マルタとリーザの心理的な動きを主に描き、そこに原作に有ったのかどうか知りませんが、リーザの許婚者を強制収容所内での地下組織のリーダーとしてからませた読み物としては面白く思うのですが、樹村みのりさんが前作に
『十三歳の時から強制収容所のことしか考えたことがありません』と言うほどアウシュヴィッツそのものへの問題意識を作品から感じる事はほとんど出来ませんでした。

 畢竟、原案が有ると知ると、樹村みのりさんが何処を拾い上げ、どのように料理したのかを知りたくなり、原作本と映画を視ないと何も書けそうにないですわ。


ホンダ1300・クーペ9(後ろ)
21回目も、 
『樹村みのり』さん
・・・] 
です。


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