ほんなら・・・
  ほんでも・・・


     22回目 
    『樹村みのり』さん。
・・・]T
      ・・・・・2004年 11月 7日・・・・・


青年心理・・青年の恋愛(1978年1月号・金子書房発行)・・・下の『ジョーン・Bの夏』にマウスをどうぞ・・・の中で副田義也さんが『少女マンガに見る現代女子青年の恋愛』を書いていて、これによると、少女達の恋愛感情と人間関係の動きを主題にしているが『その恋愛も淡い心理的なものではなく、未熟ではあるが、それだけにいっそう性急な感情と行動をむきつけに示す態のもの』で、”少年狂”と言うオーストリアの精神科医A・アドラーさんの言葉を思い浮かべると。(少年狂=少女達のうち「性関係に頭を使い過ぎた」連中を呼んだ)
 
成人漫画に舞台を移した作家達の恋愛作品の場合『60年代前半の少年漫画のスター作家のほとんどは成人コミック』に転じているが、少女漫画作家は『例外的にしか起らなかった』と。

 少女漫画期の樹村みのりさんは”少年狂”ではなかった。
成人漫画期に至っても、里中満智子さんの『パンドラ・シリーズ』
(数作品、眼にしています)のように
『自我の相克・葛藤』を描く事はあっても『大人の女性の愛欲』を描く事はなかった。


ジョーン・Bの夏

樹村みのり 著

東京三世社

1983年2月10日 
初版発行

ジョーン・Bの夏
           (1980年 プチフラワー 夏の号 掲載)



 幼い頃、病気がちの母親からは虐めに遭い、両親が亡くなり叔父に引き取られる十一歳までに得た結論は、他人様に嫌われる事の辛さから自分は他人様を嫌うまい、他人様に好かれる人になろう、嫌われない人になろうと思う高校生のジョーン・B。

 従順素直盲目忠実柔順忠義な彼女は近くに住む詩人エレインの行動が例え意に反するものであれ、好意的に解釈するほどに素晴らしい人だと思うが、ジョーン・Bの中の自我と言えるバーバラがエレインの実体を暴き、ジョーン・B自身が自我
(エゴ)を受け入れ自己と他者との突き放した関係を構築する事が出来るようになる。

 ジョーン・バーバラ・アンダーソンはここにおいて
それまでのように 何かわけのわからない満たされないあこがれに 悩まされることはなくなったのだった』




『ジョーン・Bの夏』は、親ではなく詩人エレインを盲目的に受け入れる対象としているし、過去の寂しさから「嫌われたくない」行動を取るようになったと描かれているが、”自我同一性”(アイデンティティ)を巧く描いた作品だと思う。

 母親の産道からポンと生まれ出た時を”第一の誕生”と言うなら、思春期以降の著しい身体的発達・性的発達を青年期にもたらす時期を”第二の誕生”と言う。
 この時期は自己の内的世界を模索し自我の確立を構築して行くもので、青年期におけるこの”自我の目覚め”はもっとも大きな自己への課題
(=乗り越えなくてはならない問題)となる。
 それは、よく耳にし目にする”自我同一性”
(米国の心理学者エリクソンさんの説)の事で、親の保護下からの独立を目指し、自問自答(「私って誰?」「おいらは何処に行こうと思ってるのんかいな?」)する事により自我を確立すべく、これまでの押付けられて来た価値観を否定し、自己の目的意識を持つ人格を形成する。
 この”自我同一性”
(アイデンティティ)”個”を拠り所とした自我実現で、その為には、主体として観察する側の自我と、客体としての観察される側の自我の統一性が必要となる。
青年分析・・人間形成の青年心理』西平直喜 著 大日本図書 1965年11月30日発行 『現代青年の意識と行動』@「拒絶と社会参加」西平直喜 著 A「生活感情の展開」斉藤耕二 著 B「生きがいの創造」藤原喜悦 著 大日本図書 1970年7月10日発行 『青年心理』津留宏編 双書 有斐閣 1970年9月30日発行


 ところで”第二の誕生”って仏蘭西国のジャン・ジャック・ルソーさんが教育論『エミール』に書いていた言葉。
 この文学・教育・哲学・社会思想
(と音楽家)に関しての大思想家ルソーのおっさんは、それぞれの分野でごもっともな事を書いてるんだろうけれど、でもね『告白』の中で「五人子供が出来たけどさ、生まれる度に次々棄てたもんね」とも書いている。
 懺悔って言えば懺悔なんだろうけれど、私からすれば「開き直ってっこのおっさん・・・ボケ!カス!!」だわさ。
 まったく持って、ご立派な教育論の内容がいくら良くても「まず、あんさんの教育が必要でんがな。違ゃいまっか?」

 と言う事で、ルソーさんは「餓鬼を次から次と孤児院の前に棄てたお人」と書かれた『ルソー(桑原武夫 著 岩波新書 1962年刊)を読んでいたので『孤独な散歩者の夢想(新潮文庫以外ほとんど手を出していない。


                    06・05・14追記  
             あざみのエピタフ をどうぞ。


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夜の少年
           (1981年 プチフラワー 秋の号 掲載)



 「もう あんたとは会えへんし、言うとくけど、こっちゃから会うてんかなんて言うた事も思た事もあれへんから・・・」
 男前で
、会うと楽しかった嬉しかった心地良かったのに・・・。

 振られた女は「傷心を癒す為に行っといで」と言う女友達のお言葉に従い、欧州旅行に出かけた。

 伊太利亜国はそれを忘れさせてくれた最高の国だったけれど、次に行った独逸国で戦争の悲惨さを残す為の廃墟と化した建物を見た時、憑かれた思いがし以後の旅行予定を変更し滞在した。

 戦災孤児の薄汚れた少年がやって来て「ついておいで」と言うので行くとそこは戦争が残した廃墟だった。
『あぁ そうだわ 今のわたしは まるでこの建物みたいなんだわ』

 聞くところでは少年は”幽霊”で通称ハインリッヒと呼ばれている。

 男前に気に入られる為に「遊びだよ〜ん」と言われても「かましまへん」と自分を偽り、自分自身は傷つかないと思い込んでいた、だからハインリッヒが現れてきた・・・・。

 夜の帳が下りた廃墟で
『わたしも自分の本当の気持ちを知りたいのよ』とハインリッヒを呼ぶ。
 彼には瓦礫の下に埋まっている家族の「助けて」と叫ぶ声が聞こえている。
 少年と瓦礫を堀出しながら、男前の事を思い出していた女は、初めから自分の事を好きではなかった男前だったのに、嫌いになれなくて恨んだと判った時、気がついた。
『最初から わたしを愛していない人を 恨むにはあたらないんだわ』

 泣き笑いの女を見て少年も「もう誰も生きてはいない」と気がついた。
 みんなを守るように父から頼まれていたのに何も出来なかった贖罪意識から瓦礫の下に眠る家族を捜し続けていた少年に女は「もう眠りなさい」と抱きしめながら言った。
『これから しっかり生きなくてはならないのは わたしのほうなのよ』
 女から少年は消え去った。




 自己保全の強さからから自己を意識的に偽る事は、まぁ結構ある事だけれど、”恋”の悪魔に取り憑かれた時は、男版の夜目遠目傘の内ってなもんだから、偽りに対しても寛大になりがちで・・・おかげで結果が悪ければどん底だぁ〜。

「何処でどうしてこうなったの?」と自問すれども、自己保全が強い分、
ほじくり返して元の自己へとなんかなかなか出来やしない。
だって、これってとってもしんどくて辛いもんね。
 でも、何かのきっかけさえ有れば更に強くなり一回り大きくなった自分になれる。

 で、第20回のかけ足東ヨーロッパ(1979年での「復元されたものの第二次世界大戦で街の九割以上崩壊したワルシャワの街を観て
でもきっと そんなところにポーランドという国が好きな理由があるのよね』とすら思う。」樹村みのりさんからすれば、ここは廃墟を使わにゃとばかりに、上手く入れたものです。
 でも、廃墟に憑かれ、廃墟を自分だと思える事が出来た女には、もうハインリッヒ君は必要ないと思うのだけれど・・・・。
 まぁ、立ち直った証左として、ハインリッヒ君を開放した場面が必要だったのかも知れないけれど。




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水子の祭り
          (1982年 プチフラワー 秋の号 掲載)



 青年期、伸子が恋愛関係に陥ったものの、相手の男はほどなくして離れていった。

 義姉の勧めで気分転換を兼ねて、山の中にある病院に絵を描く事にした伸子はそこに勤める女医から彼女の”愛情”についての疑問点を指摘される。

 伸子は子供の頃、自分の我が儘を父親が通した事によって、それが”愛情”だと思っていた。
『あなたはそれを他人の大人同士の関係に求めたのではなくて?
あなたが自分を愛さなかった相手を憎悪していまうのは そのためよ』


 その夜、夢に水子の伸子が出て来た。
水子の伸子が言う。
『伸ちゃん 自分のことしか考えなかった』
 その横にいた、今の伸子の分身が言う。
「打算で彼は付き合いだしたが、その内に彼は好意を持った。
”恋”ではなかったが
『それがあなたの恋の本当の望みだったんじゃない?』

 目覚めた朝、完成した絵を前にして伸子は女医に
『父は わがままで自我の強い子供であるわたしを 自分が抑えつけられたようにには抑えつけたくはなかったんでしょう それは彼の愛情だったと思います』と言い、さわやかな顔で病院を後にした。




 一言で”愛情”と言うけれど、その表現は千差万別で、私なんか鈍いので個々の出来事それぞれに「これはあの人の”愛情”から出たもの。これはそうではないもの」と見分けなんて出来そうにない。
 言い方を変えると、どれもが「愛情からのモノ」と言切る事も出来るし、どれもがそうではないと言う事も出来る。
 まったく持ってやっかいなコトバ”愛情”です。
 その上、自己への愛
(情)ならどう取り繕っても、痛みを感じるのも喜びを感じるのも自己内だから、どうって事ないけれど、他者との関係での”愛情”行為はそうはいかない。
 下手打てば修羅場が待っとる。
それはお互い避けたい。

 おでこに「現在、行っている私の〇〇は愛情から出ています」とでも書いた紙を貼っていてくれるのなら「そうやったんかいなぁ〜、やっぱぁ あんたは良ぇ人やなぁ、ほな、ありがたく受けさせてもらいますわ」てな具合に一応ギクシャクせずに相互の疎通が出来そうだけれど・・・・。

 閑話休題。

愛と憎しみ・・その心理と病理
(宮城音弥著 岩波新書 1963年発行)によると、まず”共生の欲求”があり、そこから”頼り、頼られる愛情””性的の愛情””友愛的の愛情(遺伝的・本能的な共生の欲求)”と別けられるようで、恋愛には”奪う愛””捧げる愛”・・・・云々
 早い話が
『愛には、さまざまな形態と種類があると考えたいし、相手と共に生活したいという共生欲求があるかぎり、愛情とみなしたい』(『愛と憎しみ・・その心理と病理』より抜)

 恋愛は、段階的に”驚嘆”
(立派!美しい!)”接近願望”(傍に居たい)”希望の出現(相手の研究)””恋の発生(共生欲求の出現)””結晶作用(想像と解釈により相手を理想的になものに)”此処まで来るとなまじっか相手が眼の前にいないほうが”恋”を育てる・・・つまり現実の人を愛するのではなくて自己が創りあげた人を・・・となる。
 伸子はこのように進んだようだ。

 更に区分けすれば”友情恋愛””習慣的恋愛””頭脳的恋愛”さらに”感性的恋愛””支配恋愛””虚栄恋愛””奴隷恋愛””敬愛恋愛”等々、 ただこれらには
・・(プラトニック・ラブもあるけれども)・・”性欲(種への精神)”が根底にある。
 伸子は”感性的恋愛”か”支配恋愛”か?

 振り子の反動と同じで、目一杯右に行った振り子は反転し左に行くと言うわけではないにしても、硬貨の裏表の関係のように”愛”と”憎悪”はある。
 つまり、愛は”正の共生”で憎悪は”負の共生”。
 伸子は、彼女の貸借対照表で「決算は赤字」になった。
赤字の原因を「顧客が悪いからや!」と決め付けてしまい、旧態以前の営業形態を取っているのが主因だと思わなかったけれど、女医さん(名カウンセラー?)が導師となって「私の会社、時代に合わせて立て直します」とあいなった。


 拙い私の読み方では樹村みのりさんは設定していなかったように思えるのだけれど、伸子は娘なので、フロイトさんの説”エディプス・コンプレックス”の「女の子は成長した後に父親に似た男を選ぶ」のだとすれば
『父は わがままで自我の強い子供であるわたしを 自分が抑えつけられたようには抑えつけたくはなかったんでしょう それは彼の愛情だったと思います』は読みようによれば後難を残しそうだ。
 でも、母親は後姿のみを描かれていて顔を描いていない。
これで”エディプス・コンプレックス”だったと示しているのかなぁ〜?

 親父さんの職業は時計屋さん。
やっぱり、家業なのかなぁ?




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ひとりと一匹の日々・・ネコと真理子さんの同居物語
              (
1982年 グレープフルーツ 掲載)


 気楽な独身生活をおくる真理子さんはいつものように自宅での仕事を終えて、のんびりしようかと思い冷蔵庫を開けて見ればビールが無い!!
 お風呂にお湯を張りながら、ビールを買いに部屋を出てみると猫の親子がいてこちらを見ていた。
 ビールを買って戻って来ても、まだいた。
子猫がなれなれしくスリスリするので部屋に入れてあげたが、親はついて来なかった。
 めしなんぞをたらふく喰わせてあげて「ほな、さいなら」と部屋の外に出したけれど、そこには親猫はいなかった。
 それから、真理子さんと乃己子と名づけられた尻尾の先が黒い猫との同居生活が始まった。
 仕事で二日間留守する事になった。
 打ち上げパーティーの場で守護霊が見える女から「その猫、前世はおかっぱの女の子だった」と言われて気になった。
 部屋に帰ると、乃己子は寂しさからミャアミャア叫びながら走って真理子に・・・・。
 その日を境に「うちの子」「うちの、のきちゃん」と言うようになった。
 自分の子供がいてもおかしくない歳の真理子だった。
 乃己子に五匹の女の子が生まれた。
みんな尻尾の先が黒かった。
 おかっぱのみんなを座らせて
『ネコとしての心得・その一』を教えているところを想像する真理子。



 犬・けん・ケン物語(1978年
も、この作品が描かれた1982年なら主題はそのままでも別な描き方になったと思う。


 社会性を含んだ主題から、個人の領域に戻る作品になって来たようで、もともと樹村みのりさんは出発点からして、社会性を出しつつも個人を描く事に主眼を置いた作品が多いので、”個”と”関係”を描く事により深みを増したと思う。
 それは一歩間違えれば”四畳半フォーク”になりかねないのだけれど、そうはならない樹村みのりさんです。


ホンダ1300・クーペ9(後ろ)
23回目も、 
『樹村みのり』さん
・・・]U 
です。


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