ほんなら・・・ ほんでも・・・ 25回目 『樹村みのり』さん。・・・]W ・・・・・2005年 1月22日・・・・・ |
昨年の十一月末に前回を流してからだから、二ヶ月近くぶりって事になります。 「まだ続けるの?」 「はぁ〜、ここまで来たら、続けるんですわ」 |
『母親の娘たち』 樹村みのり 著 河出書房新社 1990年3月25日 初版発行 |
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『母親の娘たち』 (1984年 ボニータ・イブ 1・2・5・6・7・8月号連載) のっけから「あとがき」を転記するのも芸がないのですが。 男性の父子関係・母子関係は広く認知されているのは、男性を中心として考えられているからであり、母と娘の関係はこれまで見逃されてきた。 この点、女性が発言し出せばこの関係も言及されるようになる。 『「母親の娘たち」・・・これは”母親となった女の子たち”ではなく”母親の子供である女の子たち”という意味でつけたタイトルです。・・・は、そのような考えを持って描き始めたまんがで、わたしなりにわたしの見聞きした母娘関係を解明したいと思ったのです。』 一章 『上野舞子』 実の両親と同居。 幼稚園児の毬と、まだ幼い洋一の一女一男。 義母に甲斐性無しと思われているけれど、結構思った事を言う旦那。 お祖母さんは、この家を牛耳っている存在。 株で小遣いを稼ぎ、口は悪いが社交性たっぷりの世話焼き、常から和服を着ていて、一寸した仕草に色香が・・・。 お爺さんは、存在感皆無。 はた目には何の不満もない暮らし。 元気な両親健在。 親が建てたとは言え、陽当り良好、広い庭も有る一戸建ての家。 可愛い子供に、優しい旦那。 しかし、舞子は何か充たされていない思いがしていた。 物分りの良い旦那に言うと「寂しいから話し相手が欲しいのだろう。友人にでも会って来たら。来年は子供も手が離れるので、習い事でもすれば良い」 街で(何故か、交差点角に”富士銀行”なんて書いてある建物の絵)高校時代の友人に会ったものの、友人の話は”家”の話ばかりで、聞きたい話ではない。 『なんだろう・・・なんだったっけ わたしの 話しあいたい話って・・・』 別れしな友人が「あなたと結構仲良かった水島さんが、イラストレーターをやっている」と言った。 卒業名簿から電話をかけてみると、母親が出て「引越して、独り暮らしをしている」との事。 自分とは違いすぎる人生をおくる水島を思うと、電話するのを躊躇った。 一夜明け、一息ついた時、家族団らんの一刻を思い浮かべ自問した。 『幸せ? あなたは幸せなの?』 水野麻子に電話した。 二章 『水野麻子』 中学時代の水野は、波風が立たないように動いていた自分とは違い、他者を尺度とせず自己のおもむくまま行動する女性で、羨ましく思っていた。 その内に一緒に行動するようになったが、ほどなくして水野に振り回されている自分自身に気付き、彼女から遠ざかっていった。 高校生になり、そこそこ落ち着いてつき合える友達と交友したものの『時おり思い出しては何かひどく大切なものに土をかけて葬ってしまったような気になったが あのまま二人の友情が続くことは考えられないことだった』 彼女は難易度の低い美大に入学したと耳にし、自分は受験勉強に専念したおかげで志望校に入学した。 以来、二度と彼女のような同性の友人に出会う事はなかった。 電話で再開する所を決める際、彼女と自分との生活圏の違いを知った。 「会って何を話すの?何の為に会いたいの?・・・・友情の復活。そう言う再開でも良いのでは?」 水野は苗字が変わっていないのを問うた。 「旦那は養子になったの」 独身で仕事を持っているのは大変だろうと聞くと、「主婦業も大変でしょう?変わらないわよ」 水野のこの言葉に喜んだ。 「そう思う男がいないから知りたい」と、水野は結婚するきっかけや、どのような時にそう思ったのか聞いてきた。 「母親は男は人前で泣かないものだと考えていた。その考えを受け継いでいた自分は、学園封鎖で機動隊が導入された時、旦那の泣く姿を見て心を打たれた。そして、もともと女はいずれ結婚するものと思ってもいたから学生結婚した」 水野は「いずれ結婚するものと言う考え方は面白い」と笑ったが、私には理解できなかった。 「好きな人はいないのか」と聞くと、嬉しそうな顔で「男ではないが、いる」 驚いた私は「そういう関係に理解あるつもりだ」と言ったが「そういう関係とは違うのだけれど・・・」と水野は当惑した。 次の再開を約束して別れた。 水野の「主婦業も大変でしょう?変わらないわよ」で、ご機嫌な自分。 帰宅して私のご機嫌に気付いた旦那。 義姉がやっている店に水野は好きな人を連れてきた。 五歳ほど年上の女は世慣れた風情でしたたかな女に見えたが、彼女の前で水野は少女のように恥じらい従順だった。 次に会った時、苛立っていた私は相思相愛ではない点を指摘すると「そうだけれど、ステキな人でしょう?」と水野は言った。 「何処が良いのか判らない。どう見てもあなたは立派な女なのに不自然だと思う」 「不自然かもしれないが、男だから女だからと言う考え方を私はした事がない。何故か解らないが自分には年上の女に好かれる事が必要なの」 帰宅して思う。 自活する水野に会って自分自身を確かめたかった。 水野の考え方は人生を放り投げた感じがするが、今、自分自身その視方に自信がなくなった。 『自分の本当の心を いつの間にか正視しないようにして生きてきたのではないだろうか?』 三章 『グレート・マザー(太母)』 私は必死に闇の中から引きずり出したモノを木にぶら下げる。 モノは母親だ! 縛り首された母親は見て、私は焦りながらもざまぁ見ろと言う形相で笑う。 大学に入った頃よく見た夢を久しぶりに視た。 母親は過剰とも言えるほど、子供の頃から私に”愛情”を注いだ。 しかし母親は私にだけではなく、家に居た下宿人達にも注いだように誰彼となく愛情を持ち接した。 再開した時、にこやかな顔で「男ではないが好きな人はいる」と言った水野には何でも話せる気がした。 彼女に会いたいと思った。 水野に話す。 「娘を自分が思うところに嫁にやりたかった母親は、勝手に旦那を見つけて来たので大反対した。 仕方なく彼の下宿で同棲暮らしを始め、ほどなくして子供が出来た。 そうこうするうちに母親が来て家に入る事になったが、旦那が卒業するまでの期間のつもりだった。 だが、母親は家を建て直し、この家を継がせるつもりだ。それはお前の為だよと言い、自分たちの力の無さから、結局、母親の思う通りに事は進んだ。 母親は幼い頃から学校の先生にも付け届けをしたりしていた。 いつだって私の為を思ってだった」 水野は素直に「そこまで母親に愛されていると思えるのは凄い」と言い「真面目な貴女に、何故、そこまでする必要が?」と聞いた。 意を決して「不倫の子だったからだと思う」と言った。 別に驚きもせず水野は「貴女は幸せだ。自分もそこまで愛された確信を持ちたかった」 目から鱗の思いがし「そうね 幸せよ」 一番好きな処だと言われて連れられたのは、子宮のように思える竹林の中。 ここが落ち着く処だ言う水野に、自分とは違う遠い存在だと思った。 帰路、雑踏の中でこれまでの母親とのかかわりを思い出す。 私の為にと動く母親の愛情が鬱陶しかったのだ。 だから夢で殺しさえした。 呪縛から逃れる為に旦那と一緒になったはずだ。 しかし、この母の家では・・・”母親の娘”のままでいてしまう。 四章 『母なるものを求めて』 出来上がった作品を出版社に郵送し終わり、一息ついた水野は、年上の彼女の声を聴きたくなり能瀬に電話した。 翻訳家の彼女との出会いは編集者の紹介で、二年前の出版社の忘年会でだった。 その後、組んで仕事をしたりし親しくなった。 彼女が見せる・・・細心・疎い、大胆・細心、優しさ・厳しさ・・・色々な面を好きに思えた。 上野が「好きとは友人としてなのか、恋人としてなのか」と問うた時『だれかを好きになると その人にむかって心が流れてゆくような気がするでしょ』『感じているものってそういうことだけ』と、うまく答えられなかった。 野瀬の部屋で他愛ない会話を楽しむ二人。 雨の中、学校からの帰り道、一人、傘を持たずに濡れながら走る子供の頃を思い出す。 「相手の抵抗を感じる時は拒絶されはね返されるが、野瀬と会っていると私の心は抵抗もなく野瀬に流れ込んでいく気がする」 そう言う水野に「相手も好意を持っていると言う事だから幸せだろうけれど、でも満足なの?」と投げかける上野。 「相手が”好き”なら誰でも良い事になる」 「好きになる事だから、同じ事よ」 「好きな男なら寝たいと思うはず。野瀬にはそう思わないのか」 「考えた事もないけれど、野瀬は襲わないでねとかよく言う」と笑いながら水野が言うと「あんたは、まだ、子供 なんやねぇ」 少し狼狽した水野に『お腹に子どもがいてもおかしくない年なのに どうして女のお腹にもぐりこみたがるかしら?』と追い討ちをかける上野。 苛立ったまま帰宅した上野は「家を出たい。親子四人で暮らしたい」と旦那に切り出した。 「何が不満なのか?僕になのか?」 「ここでの何不自由ない暮らしは過保護の子供のままの私でしかない」 理解出来るわけがない旦那に、それを言っちゃお終いだよの文句は吐いた。 『じゃあ こう言ったらどうかしら もしかするとわたし あなたと結婚したのは あなたを本当に愛していたからではなく 母親から脱け出したいために あなたとの結婚を利用したのかもしれない・・・・つて』 手を上げて張り倒すかと思った旦那は上野を抱きながら「悪かった。このところ忙しかったから」と言ったもんだで上野は愕然とした。 「この おっさん 何ぁ〜んも聞いてへんやんけ!!」 寝床の中で、水野ほどにも人を好きになった事がなかった自分を思う上野。 窓の外、降る雨を見ながら、濡れながら人気のない家に帰った子供の頃を思い出し、自分の中に歳だけ喰ったどうしようもない子供を視、結婚し餓鬼がいる上野は現実を生きていると思う水野。 『だれかに愛されなくては大人になれないのだろうか?』 五章 『新たな展開』 多忙で厳格だった母親は、子供にとっての喜びや悲しみの受け皿となるはずの役目をまったく果たせずにいた。 誰でも良い、自分をありのまま受け入れてくれる人がいればその人を愛し愛されるよう努力する。 誰でも良い、一人で良いからと思う水野からすれば、旦那がいて愛情を降り注ぐ母親がいる上野が分からない。 「それ以上の何を望むのか?『それとも他に誰かが必要なの?』」 思いもしなかった水野の問いに、上野は充たされないものを求め考える。 野瀬の部屋。 遅くなり「泊まって行きなさい」と言う野瀬に、「それじゃぁ」と甘える水野。 「いつも私の所では色気がないわね」「好きな男が出来れば強引に行きますよ」 野瀬は水野をからかい気分で「好きな女でも良いのでは?寝てあげるわよ」と球を投げた。 まともに受け取った水野は次の言葉が出てこない。 硬い表情の水野を見て「どうしたの?」と聞く野瀬に「さっきの言葉は変ですよ」 返ってきた言葉は「冗談よ」だったので、ほっとした水野。 上野からの電話で義姉の店で会う事になった。 上野は年配の医者を同伴してきた。 義姉が笑いながら「よくここで、先生と会っているわよ」 楽しそうに語り合う二人を見つめる水野。 水野には判ってもらえるだろうと、明るく話す上野。 「単なる浮気に見えるのだろうけれど、旦那は子供の父で話も通じる大事な人。でも幼い頃に夢みていた”旦那像”が彼」 ためらいながら水野は「父親が欲しいのではないのかしらと思った」と言ったが、上野は一瞬とまどったが開き直り「不倫の子だから。そう思ったの?」 返答をためらう水野に「後ろめたく思っていないし、それじゃ私は子供扱いみたいね」 「一緒にいると落ち着くし素直になれ、精神的な充足感と言う事では”父親”なのかも知れないが、”恋”であり精神的なモノだけでは満ち足りなく思う大人の肉体を持った男と女」 上野と別れた後、野瀬の「寝てあげるわよ」を思い出し、何を自分は望んでいるのか自問する。 野瀬と約束していた映画を観た後、彼女の部屋で一刻を過ごし眠っていた水野に野瀬は頬に唇をつけた。 目醒めた水野に「したかったんやろ?」 沢山話したい事が有るので上野宅に連絡するが「今、家にはいない。伝言しておくから、いずれ連絡がそちらにも有ると思う」と答えるお爺さん。 六章 『パンドラの箱』 度々手紙を書き送っていた水野の元に、上野から手紙が届いた。 「離日して一年。暮らしには慣れたものの、気持ちの整理がつかない。『後悔も反省もたくさんありますが、今はただ、自分にはこうしたことが必要だったのだと思っています』」 米国ハワイからの手紙が続けて届く。 『わたしの中で今まで長いこと眠っていたものがだんだん元気を回復していっています』 離日前、上野から電話が入り、部屋で会う事になった。 「今は兄の所に居るが、ハワイに知り合いがいるのでそこに行く事になると思う。 あの医者は奥さんと別居したが、その前から良くない関係だったらしく私の所為ではないと言ってくれるが責任を感じる。 旦那とは離婚する事になった。 旦那に合わせて行く事が嫌になった。 『一人で何もかも引き受けている自分がイヤになっていたの わたしだって だれかわたしを支えてくれる人がほしくなった』 旦那は、何が不満なんやねんな。今まで上手い事やってきたやんかって言うけれど、自分が上手くやろうと思ってやってきたからで本心じゃない。それが旦那には分からなかった。 旦那は怒り、離婚せえへん!って言うけれど、戻る気はない。 離婚話を進める上で、私も医者もお互い不利になる。だから医者の所に行く事は出来ない」 「子供は?」と聞く水野に「母親達に預けるわ。旦那も家に居られなくなるので、出て行くようだ。ほんまにもう・・・ひっちゃかめっちゃかめちゃくちゃ・・・ね」と自分で言う上野に目線を合わす事が出来ない水野。 上野の話しが終わり水野がおもむろに「能勢と寝た」と話し出すが、上野は「誘われていたので、そうなると思っていた」と答えたら「えっ、そう言う事だったの?」「鈍いわねぇ〜」 だが、水野は能勢が事後に「好意を持っている事は知らなかった。もう会いたくない」と言った意味が分からなかった。 軽い遊びのつもりだったはずなのに、本気だった水野に驚き、「今は恥じているだろうから、能勢が好きで彼女の事を思うのなら会わない事」と助言する上野に「今は、まだ好きかどうかわからない」 三年後。 帰国して半年、手紙が届き二人は都心の喫茶店で会う(挿絵にはここでも”富士銀行”の文字が。何でやねん!?) 上野は、単に現実逃避からの「火遊びに過ぎなかった医者とは終わり、旦那とはこの前、正式離婚した。旦那には我がままをしてしまったと思うので良かった」 水野は「能勢とは会っていない。一番の憎しみの対象になった時期もあったが、『好意って一方的にはあまり成立しない感情のように思』うので能勢を好きだったのは何がしか能勢も自分を好きに思っていたからだと思う。また好きな人が出来た。」 今でも能勢を好きか?と問われ「恋愛だった。あれほど自分よりも人を愛する事は二度とないだろう」 「仕事をやってみて家庭が必要な人間だと分かった。今、好きな人がいる。母親は欠点だらけだったが良い面も一杯有った。今度作る家庭はその点を見習いたいと思う」上野は続けて「心は子供のままだった何不自由ない人妻だったし、あなたは子供っぽい気の良い女の子だった。」『あのままでも幸せだったかもしれないのに わたし達パンドラの箱を開けるように自分の夢を開けてしまったのね 少し寂しいけれど今のほうがずっと自由よ それに確か箱の底には”希望”が残っていたんじゃなかった?』 人ごみの中で別れる二人。 不倫で出来ちゃった子に、元々の性格からも有るけれど、やたらとこの子の為と世話を焼き介入した母親を持つ娘が、学生結婚した母親の好みでない旦那と可愛い二人の子供と自分の両親との同居生活の単調な暮らしに嫌気が差し、訳の分からない不満を覚えた。 気分転換にと級友と会ったものの望んでいる話にはならず、その時、自活している他の級友の事を耳にした。 連絡し、会って話していると、彼女の考え方に新鮮な驚きを覚えた。 次に会った時、彼女には好きな年上の女がいると言う。 その後、その女と会った時、女の前で素直な恥じらいの表情を見せる彼女に驚いた。 お互いが思いあっていない上に同性愛は不自然だと言うと、自分には年上の女に好まれるのが必要なんだと言われ、普遍的には自分は正しいと思うものの自分の心を正視してきたのか疑問に思った。 幼い頃からの母親の憎いぐらいの介入が気にさわると思うが、彼女はそれだけ愛情を注がれている確信を持てるのは羨ましいと言った。 しかし、家を出ようと思った娘。 彼女は年上の女のすべてを好んだが、娘から見れば子供に思えた。 旦那に家を出ようと言ったが、旦那はその出たい事由が理解できなかった。 愛情に餓鬼の頃から飢えていた女は、年上の女に寝てあげると言われ、現実の世界に躊躇った。 娘は、餓鬼の頃の理想男性と思える男と浮気を始めた。 彼女は、年上の女の誘いに乗り寝た。 家を出た娘と彼女が会った。 家庭をぶっ壊し、娘は日本を離れた。 彼女は年上の女とは疎遠になった。 帰国して二人は会った。 それぞれ好きな人がいると言い、パンドラの箱の底には希望が残っている 多分、これまで女性作家が(男性作家もでしょうね)作品として描き出していなかった主題。 娘における母親の重さ(愛情)を、一人は過剰に、もう一人は飢餓と感じた二人を描く事により、母と娘の関係はこれまで見逃されてきたと言う樹村みのりさんの意図するものを描いている・・・とは思う。 その点では、娘であれ、娘がいる母親であれ、作品に共感を覚えた女性もいるだろう。 しかし、作品発表当時、”ファザーコンプレックス””マザーコンプレックス”は”男”のみをその対象としていず、確かに”男”ほどではないにしても、何も『男性(男の子・父親)をコンパスの中心軸として考えるから、<女性>対<女性>の関係である母娘関係が見えず、明らかにされていないのだ』と強く言うほどのものではなかったと思う。 (この頃には心理学関係本を乱読し終わっていた) 作品の意図とは別にしてだが、読後感は「なんじゃぁ〜この上野は!!」 水野のような生き方・価値観は肯定するが、上野はいただけない。 水野を肯定する理由は簡単な事で、彼女は”独り”だから。 つまり、何をしても号泣する他者はいない。 上野には自己が折々に選択し決定したと言う自覚は皆無なのだろうか。 学生結婚しかり、餓鬼が出来たしかり(水野に『大学時代に うちのと話していて 人間は人間である前に男と女だっていうことで意見が一致したことがあるのよね』なんてほざいているんだぜ)、実家で暮らすしかり・・・・ それらを選択したのは他でもない自分自身ではないのだろうか。 これらも総て”母親”の影響下に有った上での選択だったと、樹村みのりさんは言うのかも知れないが、それでは何処に自己が有るのだろう? ”母親”からの離脱を思い、考え、行動する。 確かに、ここには上野自身のみが有る。 しかし、上野はそれまでに関係を持つ人々が・・・(それも、自己の選択で関係を作り出したものだ)・・・多い。 多すぎる。 上野自身”希望”が残る行動で有ったとすれども、餓鬼の娘は、貴女と同じくして『”母親の子供である女の子たち”』。 逃れる事が出来ないが為に、歪な『”母親の子供である女の子たち”』なる可能性が大きいだろう。 罪作りな母親を、貴女は貴女の母親から学び、再び繰り返す? エーリッヒ・ケストナーの作品を読んだ事はないが、彼の言葉『世間には、両親が別れたために不幸な子どもがたくさんいる。しかし、両親が別れなかったために不幸な子どもも、同じだけいるのだ・・・』を『優しさごっこ』(今江祥智著・理論社・1977年発行)の扉に書いた作品の父と娘のように暮らす事を樹村みのりさんは設定しなかった。 ・・・(余談だけれど、ここでも樹村みのりさんの父親像を視てしまう)・・・ 私が上野の娘なら、ぐれちゃいますよ。 家庭が必要だと、好きな男がいると、再び家庭を作る時には”母親”の良い点を見習いたいと言うが、家を出たい理由を旦那が理解出来ないからと言って、気軽に(見える)転換し、浮気したのは他でもない貴女ですぜ。 その力を、何故、旦那に向けなかったのか。 母親のしがらみから抜け出したくて学生結婚した旦那だからと言うのでは・・・旦那なんて惨めなもんだ。 私が旦那なら、これはもう世捨て人になりますよ。 貴女が望んだ精一杯の幸せが、多くの人々を不幸にした。 これらも総て”母親”の影響下に有った上での上野の選択に巻き込まれた人々の不幸だったと、それ程にも『”母親の子供である女の子たち”』は影響が大きいのだ!と樹村みのりさんは言うのかも知れないが・・・・。 ”希望”が残されたパンドラの箱を携えて、今後に訪れる折々の選択の結果、再び、上野が「ここまでも、母親がつきまとう」と感じ、母親からの脱出を試みたとすれば・・・彼女はカミュの『シ−シュポスの神話』(新潮文庫)もどきになっちゃう。 となると、確実な重みの石を運んでは転がり落ちる”不条理な世界”にいる上野は『自分の本当の心を いつの間にか正視しないようにして生きてきたのではないだろうか?』と問い続け『”母親の子供である女の子たち”』のままで居続ける事が”希望”と言う言葉だけの幸せよりも、実感としての幸せを感じる事の出来るものとなる。 愚直な上野は、死ぬまで『”母親の子供である女の子たち”』を繰り返すしか自由獲得の実感を得れない。 死ぬまで逃れられないちゅう事かいな。 後味が悪く、救いようのない物語だ。 |
26回目も、 『樹村みのり』さん・・・]X です。 |
この車に乗って往き、 ”本”の事でも、 ”わんこ”の事でも、 何でも書いて(掲示板)おくんなはれ。 |
「お手紙は、この”HONDA1300クーペ9”で運びます」 |
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