ほんなら・・・ ほんでも・・・ 14回目 『樹村みのり』さん。・・・V ・・・・・2004年 9月 5日・・・・・ |
前回の『病気の日』に書きました『ポケッ季節の中の季節 1』から抜けている 『跳べない とび箱』を載せました。 これはまぁはっきり言ってよろしくない方法で手に入れたものですから、業界の川下に位置する所で糊口をしのいでいる者としては、「樹村みのりはん、版元はん 後生やさかい許しておくんなはれや 頼んまっせ」と祈り続けながら流します。 今回も、だら〜りだらだら物になりました。 嫁はんは「途中で、疲れたので 読むのは止めた!!」 と言う事は「面白ない」と言う事だろうと思い「面目ない」と平謝り。 |
『跳べない とび箱』 (『ポケットの中の季節』 1 より) 樹村みのり 著 小学館 |
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『跳べない とび箱』(1971年) 舜一と祐二の兄弟は、朝、学校へ行く時、お父さんから「今日は早く帰ってくるように」と言われていたのだが、舜一は友人の井上君家で宿題をしていたので帰宅は夕方になってしまった。 家に入ると、お父さんと見知らぬ女の人とおばさん(多分、仲人さん?)と、祐二がくつろいでいた。 見知らぬ女の人は新しいお母さんだった。 お父さんが「挨拶をしなさい」と言ったのだが、遅れて帰宅した負い目と祐二がすでにお母さんと仲良くしているのを見て躊躇ってしまった。 お父さんは挨拶をしないので舜一を叱りつけ、彼は部屋から出て自分の部屋に入り扉を閉めた。 彼は「新しいお母さんはステキだった」と思ったのだったが・・・。 今日から体育の時間はとび箱だった。 体育が得意ではない舜一は高くて怖いと思い跳べなかった。 「また家で宿題をしょうよ」と井上君に誘われたが「新しいステキなお母さんが来たから、今日は帰る」と答えた。 嬉しくて勇んで帰るのだが、家が近づくと足が重くなる。 お母さんは優しく話しかけてくれ、祐二は何の障害もなく素直にお母さんと話しているのだが、舜一は頭の中がひっちゃかめっちゃかしてしまい上手く話せない。 試験で良い点を取れたので、お母さんにほめてもらおうと喜んで帰宅したところ、部屋の向こうからお母さんとお父さんの会話が聞こえてくる。 「感受性が強く内気な上、前の母親を覚えているので忘れられないのだろう」「・・・慕ってもらえないのが、残念ですけど・・・」 彼は「ちがう」と心で叫んだ。 祐二も手伝って、お母さんが作ったクッキーをみんなで食べようと祐二が言いに来た時、祐二を突き飛ばしてしまい、泣きそうになった。 とび箱まで駆けて行くのだが、どこまで駆けてもとび箱に着かないと思った。 ジャンプ台の前に来ると力が抜け、とび箱は手の届かない高さになってしまう。 とび箱を跳ぶ事が出来ない。 井上君が「放課後に練習しょうよ。教えてあげるよ」とさそってくれた。 練習しても跳ぶ事が出来ない祐二に井上君が言う。 『とび箱は飛ぶんじゃなくて跳び越すんだよ 跳び越えるんだよ』 でも跳び越せなかった。 「言った事を理解していないじゃないか」と言われた祐二は戸惑いながらも思わず「君の言った事が理解できないと思うのか?」と返してしまうが、すぐに謝った。 練習でケガをしたのを見て心配しているお母さんへの態度の悪さから、お父さんは怒り、祐二を殴った。 祐二は、もう全てがどうでもよいと思った。 朝、学校に行く時、まだ「お母さん」と言った事がない事に気がついた。 そして、お母さんはそう呼ばれるのを強く望んでいる事もよく分かった。 体育のある日だった事を思い出した。学校へは行かず、お母さんからもらった学級費も使い込み、町を彷徨った。 もう戻れないと思うと悲しくなった。 公園でおまわりさんに補導され、家に戻された。 お母さんは優しかったが、何もかも終わりだと思った。 もう、どうなってもいい事だと思った。 とび箱の時間、井上君から思わぬ話を聞いた。 「前のお母さんもステキだったけれど、今のお母さんも大好きで仲良しだ」と。 祐二が聞く。 「お母さんが大好きなんだ!君のようにするにはどうすればよいのか教えてよ!」 井上君が問う。 「どうして、そんな風におかしくなっちゃったの?」 お母さんに会った時、挨拶が出来なかった、それが事の発端だった。 井上君は祐二に明るく『そんなことはなんでもないことじぁないか わかるかい? そんなことはなんでもないことなんだよ』と言った。 祐二は抜け出せた。 目の前にあるとび箱を跳び越せた。 井上君との帰り道、お母さんが見えた。 いっぱい話したい事があるのだけれど、『ただ”お母さん”ってよぶだけですむことのように思えた』 どえらく長くなったわい。 これじゃ、漫画を読むより時間がかかると思う。 漫画の方が情報量が多いし、作者の意図も直接伝わるし、こんなちゃらんぽらんなあらすじでは悪い気が多々する。 ”とび箱”は単なる、物語上での比喩としての置き換え物で、新しいステキなお母さんが来た時に”あいさつ”が出来なかった内気な少年は、こだわり、落ち込み、あげくは我を忘れ、彷徨い、自己嫌悪にまでいたるが、友人のちょいとした、しかし、温かくも素朴な一言で、自分で縛りをかけていた妄想・障害に気がつき、自己開放され「お母さん」と呼べるようになる。 う〜ん、これで必要にして充分なあらすじ? 子供じゃなくても大人でも、こんな自分で勝手に作り上げてしまった拘泥により、ニッチもサッチも行かない事が結構ある。(大人の方が多いか?) 大人になると、そこに至ったのは極々簡単な事由だと気がつく割合が多いように思うが、気がつくものの「エイヤァ〜」と踏ん切りがつかない。 祐二君の場合は、樹村みのりさんの信条からか「迷える仔羊は助かりますねんわ」とばかりに井上君のバッチリ問答を掲示する事で救済されたけれど、迷える阿呆坊中年羊には「こっちゃ、来い!!」と誰も言ってくれそうにない。 言ってくれたところで阿呆坊は聞かない。 迷える仔羊には程遠い、のんしゃらりんの禿げた胴長短足男なので下手に道を教えてもらって苦労するよりも、事はすべて棚上げしておくに限るとばかり、惰眠して時を待つ。 したがって、その度ごとに、身近にいる大切な他人様から「素直じゃない!!」とお叱りを受ける。 でも、”お叱り”は心地良い響きに聴こえる。 「心地良く聴こえる!!」なぁ〜んて自分に素直なんだろう。 |
『カッコーの娘たち』 樹村みのり 著 講談社 1979年3月15日 初版発行 |
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『カッコーの娘たち』(1978年 月刊ミミ 掲載) ニューヨークで暮らすジョーン(十四歳)ビリー(十一歳)ベッキー(八歳)の三姉妹は父親の死後、事業継続経営の心労の為に母親が発病し入院したおかげで、それぞれ別々の親戚に預けられ育てられる事になった。 ジョーンはニューヨークで、ビリーは判らんが多分東海岸の内陸部みたいですわ、ベッキーはロサンゼルスで新しい暮らしが始まる。 ジョーンは高校から、ボストンの大学に進学。 ビリーが暮らした親戚は嫌々引き受けたところだったが、家族にリック少年がいてビリーの良き話し相手にはなった。 高校卒業した後、姉が居るボストンの大学に進学せず、一人ニューヨークに行き、シンガーソングライターとして暮らし始める。 ベッキーの行った先は暖かい家庭で、ベッキーを自分の子と分け隔てなく育ててくれた。 大きくなるまで母親の入院理由を知らなかったのはビリーのみだったが、元家政婦さんから入院先の州立精神病院を聞き、行く。 母親に会わずその足で姉のジョーンが住む部屋に行き、母親の話を聞く。 ニューヨークに戻って唄う。 『愛されない子どもは いつまでも さびしい小さな子どもを 心にもつことになる おとなになっても 小さな飢えた子どもを 心にだきしめている』 ベッキーからジョーンに電話が入り、かけおち同然で結婚したと伝える。 ジョーンからビリーに手紙が届き、そこには赤ん坊をはさんだベッキーと旦那の写真が同封されていた。 ビリーはロサンゼルスでレコーディングする事になり、ベッキーと会うが、彼女の家は自称ミュージシャン達のたまり場で、旦那は別の女に夢中だった。 ベッキーは母親が健在の時、いつも一人で遊んでいなければならなかった経験から、暖かい家庭に向かい入れられる事により、『早く結婚してたくさん子どもをほしかった』と考えていたと言う。 そして子どもの寝顔をみながら『自分が母親になってわかったわ ママもけっきょく わたしたちを愛したんだろう・・・って それがどんなに力がおよばず まずい形であったとしてもね わたし こいつのためになら なんでもできるわ』 ジョーンとビリーは病院に行き、ビリーは母親を抱きしめる。 作品の1コマの中に『From Ben Shahn』 と記された絵が有り、、ベン・シャーンさんが描いた絵のもじりなのか、似た絵を描いたのか、そのどちらなのか判らないが、無表情でありながら虚ろとまでは言えない三態の人物線画のそれぞれに英語で「傷つけなければならなかった良心に対して」「死人の傍で」「子供時代の病気」と書かれている。 更に絵の横には、カッコー(郭公)は『自分で巣をつくらずに卵を産み その鳥にヒナを育てさせる』 『子供たちが 母親から 愛されていないと考え さらには母親を 愛することができなくとも 母親は 子どものために死ぬことのできる 唯一の人間である』と書いている。 ”托卵”って習性は、自分とは異なる種の鳥の巣に有った卵を一個、親鳥のカッコーが取り去り、代わりに自分の卵を産みつけて育てさせ、巣の持ち主のヒナより早く孵化するので早く生まれ、ヒナは孵化していない卵を巣の外に放り出して、仮親の本能の中でも典型的な抱卵と給餌という行動により、このヒナを自分のヒナとして育てる。 これからすれば、作品の母親はよんどころなく発病したのでカッコー=(托卵)=母親にはならない。 娘さん達とて、カッコーの娘と言うほどの本能的な行動による悪(わる)ではない。 単に、作品名にちゃちを入れているだけなのだけれど・・・・ね。 この作品を描いた頃、樹村みのりさんが母親だったのかどうか知らないし、男の私が書くのも変ですが、私が女なら『母親は 子どものために死ぬことのできる 唯一の人間である』と言うのが本能に基づくものとしたところで「こりゃ、かなわん」と思うし、学習により詰め込まされそうになっても、その重圧に「かなわん、かなわんわぁ〜」となりそうだ。 後に載せる予定の『わたしの宇宙人』(1977年)で『「”男”らしくということを ぼくは母親から一度もいわれませんでしたよ」 「あら ほんと?わたしも”女らしく”なんて父親から一度も聞かなかったわ」』と書いている。 と言う事は、学習でのものだと言いたいのかも知れない。 どうでも良い事なのだけれど、ビリーのみが長髪の黒髪で、しかも額を隠した髪型で、目の下にある毛の書き方にしてもだし、ニューヨークで『つぎは 自作の歌です 「かもめの歌」』となると、淺川マキさんを想像させてしまう。 この時代、シンガーソングライターと言われた女性の歌い手さんの殆どの髪形はまっすぐな長髪で、真中分けか、額を隠すか、左右のどちらかで分けるかが多かったから、ステレオタイプ(紋きり・型どおり)として描きやすいか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『40−0(フォーティ ラブ)』(1977年 月刊 ミミ 掲載) ウィスコンシンの小さな大学町で一年間学ぶ事に決めたアーサー君は、ひょんな事から女子サークルのテニスを教える事になった。 ところがテニスコートは空き地を利用したもので、地元の餓鬼達の遊び場だった。 ここの使用権は、フェンと言う名の餓鬼大将の女の子とサークルの一人とがテニスの勝負をして決めると、アーサー君の前任者が決めていた。 女の子は負けちゃったんで、アーサー君は「僕ともう1セットしよう」と言った。 フェンはひねた口調で「あんた かわいい顔してると思ったら あんがいずるいんだね」と言いつつ勝負を受けた。 基本が出来ていない上、体力も技術もないフェンが負けるのは自明だった。 アーサー君からの「一緒にしないか?」の誘いに、はじめは罵声をはいて断っていたフェンだったが、意地を張るのをやめ、サークルの女子に負けたくないので教えて欲しい、と変わった。 12〜3歳の何でも吸収するのが早いフェンの上達は目を見張るようだった。 フェンが練習を休むようになったのは、いかがわしい場所(まぁ、赤線みたいな所ですね。きっと)に住むおばさんの反対からだった。 おばさんは「お嬢様と違い、もうりっぱな大人だから、そろそろ家の為に働いてもらわないと」と会いに行ったアーサー君に言った。 フェンはテニスの練習後の夜、学生に強姦され、その後も学生が呼びに来ると出かけるとおばさんは言う。 おばさんにお説教したアーサー君に対して「ご立派な身分でよろしいなぁ」「あんたも、私と同じだけ苦しんだらいい」と言った後、アーサー君は「あんたの言う事は多分正しいんやろけど、フェンはあんたの不幸に与えられた債権やおまへん」と言い切った。 後は、フェンはお金が欲しかったのはテニスボールが買えるからとアーサー君に言ったとか、アーサー君は自棄酒飲んだとかした後に、東部の大学に戻り、ほどなくしてフェンは高校卒業後に同じ大学に入学し・・・。 で、ご結婚したと言うお話。 テニスのルールを知らないので”40−0(フォーティ ラブ)”が何を意味するのか判らなかった。 ものの本によると”0”を”ラブ”と読むのは色々な説があるらしい。巷に流れる説は、”0”が卵に似ているところから仏蘭西語でl'oeuf(レフ)と読むようになり、英語のLove(ラブ)と聞き間違えて広がっていった説。 でも、この説では樹村みのりさんが意図する内容にはなりそうでならない。 別の珍説(?)に、for Love(愛のために:損得のない)から来ていると言うものもあるらしい。 これなら、一応納得。 前記の『カッコー・・』もだが、この作品は樹村みのりさんの憧れ米国志向が垣間見えし、あまりにも読み手におもね過ぎた作品に思える。 それは何処となくスノッブ(俗物。気取り屋+見下す人)にも見え、プチブル(経済的にはプロレタリア階級に属しながら、ブルジョワに近い意識で生活する中産階級の人達の蔑称。小市民。・・・『新明解国語辞典』三省堂刊)にも見える。 もっとも、掲載誌の想定読者層からすればこの設定は仕方がないかも知れないが・・・・。 別な言い方をすればこの作品辺りから、樹村みのりさんの作品が良くも悪くも”職人の仕事”になってきた気がする。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『海の宝石』(1977年 月刊ミミ 掲載) 早朝、海岸を散歩していると娘さんが泳いでいた。 声をかけると、私の主人が住む所を捜していると言う。 「私の家ですが、何故?」「彼を殺しに来た」「?」 夫は「シアトルの医師会に行っているので一週間しないと帰宅しない」と言うと「待ちます。お腹がペコペコなのでよければ、お宅で何かを喰わしてくれ」 家に着くと、旦那が戻るまで此処に居らせて欲しいと言う。 どう見ても悪い娘さんではない。 殺される理由ぐらい聞いておくのも悪くはないと言う事で、ロージーと言う名の娘さんは家に居る事になった。 「何故、夫を殺すの?」と聞くと「誰かをとっても悩ませ苦しめたなら、当然その報いを受けなければならない」からと答えた。 私と息子のティームとロージーの三人で海に行った。 ロージーがはしゃぎながら「石が水中で光っている。でも、手ですくい取ると乾いてただの石になってしまう」と言いつつ、海の中で光っておいでと海に戻す。 雷雨の夜、停電した部屋でお酒に酔ったロージーが話だした。 母親は小さい頃に亡くなったので知らないが、母親を知る人は誰も好んでいなかった。今に母親のようになるよと言われ続けた。この私の手は自分の手とは思えない、他人みたいだ・・・・。 翌日、ロージーは「会わないで帰る」と言う。 「殺すのはやめたの?」と聞くと「彼をひどい人だと思っていたが、貴女に愛されるのなら良い人だったと思う」そう答えた。 ロージーの父親は、私の夫だと知る。 花火大会があるので一日帰るのを遅らした夜、夫が一日早く帰宅した。 夫がロージーを見た時、夫は前の別れた妻の名を呼んだ。 夫が別れた妻クリスティーンの話をする。 ロージーは夫の話を聞き礼を言う。 翌朝、ロージーは知らない間に家を出て行った。 『Dear マダム & パパ もうすこし 大人になってから 会いに来ます。』 のメモを残して。 とぼけた風情の二人の出だしに引かれて読み進めるうちに、すぐにロージーは夫の子供だと解る。 そして、夫が前妻の話をし、ロージーが光を得る様も読める。 この頃、樹村みのりさんはけっこうな量の作品を掲載していてようで、まさに”職人の仕事”の典型的な作品。 つまり、職人はお金になるだけのお仕事を必ずする。 もう素人ではないので絶対的な失敗はしないが、天才ではないので断トツの出来栄えもない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『ニィおじちゃんの優雅な「苦笑」』(1979年 月刊ミミ 掲載) 副題が『自然であれという おじちゃんに感じた小さな疑問?』 お父さんの二番目の弟だから、ニィおじちゃんって呼ぶ。 小学校五年生のあぐり姉ちゃんと三年生の拓君が神奈川に住むニィおじちゃん宅に行った。 おじちゃんって言っても、まだ若くてどう見ても四十代後半にしか見えないけれど、趣味は骨董品(古道具?)の蒐集。 『いわば味わいを目で食い胃で飲みこむのです』と売りに来た古物商言い切る。 おばさんはもとよりあぐりちゃん、拓ちゃんにも小難しい顔をして口やかましく命令形でモノを言う。 でも、おばさんは子供のような夫を楽しんでいるみたい。 骨董品の説明を二人にしている時は、まるで別人のようで、明るく楽しそうに・・・・・言う。 おじちゃんは良い事を言う。 『応に住する所無くしてこの心を生むべし ようするに執着するところがあってはいかんということだ かたよった知識や もうけようとする欲目や 人に称賛されたいという意識なく素直にそのもの自体にふれ 見 感ずれば おのずとものの真実の姿がとらえられるということだ 人間を見るのも同じことだな』とのたまう。 でも、そう言うおじちゃんは出入りの古物商がお茶碗を過って割った時、子供の如くに怒った。 その時、拓ちゃんが言った。 『これじゃ おじちゃん お茶碗のドレイじゃないか』 二人が帰って数日後、おじちゃんは庭先で蒐集品を割り出し、奥さんが止めて、みんなにあげたり、売り払った。 その後、おじちゃんは趣味が無くなり、腑抜けのようになっちゃった。 次におじちゃん宅に行った時、骨董品からレコード蒐集に鞍替えしたおじちゃんがいた。 前と同じおじちゃんがそこに居たわけだ。 おばさんと二人を前にして、例の如く講釈をたれたおじちゃんは「にんまり」笑った。 子供の素朴な疑問に大人は勝てない。 子供って遠慮なしにモノを言う。 傍から見る分には良いけれど、言われた者はグサッと来てドッと落ち込む。 その場で反発するには大人気ない。 同意するにはためらいがある。 いったい どないせぃ〜言うねんな!! ニィおじちゃんが得た回答は、我が身と奥さんとを総合的に判断して、もう一度、趣味としての道具を変えて子供になれるモノに入り込む事だった。 でも、拓ちゃん達が現れた時の冷汗は隠せない。 それに、奥さんの手のひらからは抜け出せない。 (抜け出すつもりはないわなぁ) 小説で言えば、直木賞作家のユーモア短編小説。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『わたしの宇宙人』(1977年 ビックコミック・オリジナル 掲載) 友人の結婚式の帰り、二次会三次会とあいなり飲みすぎて前後不覚になった女が翌朝眼が覚めると、連れ込み旅館のベットに裸でいた。 花婿側の友人の男も泥酔いで何も覚えていない。 「こないなった以上、責任とって結婚しまっさ」と言いよった。 強引に家にやって来た彼を両親、兄、弟はそれぞれの思惑で喜んだ。 まぁ酔っ払っていたとは言え、女は意気投合したぐらいだから、大嫌いって言うほどの男ではなかったって事だ。 「お仕事してるさかいに、家事一般もお互い半分んこよ」「かましまへん」 料理は女の手抜きモノより、男の方が上手だった。 女は就業時間後に友人に会って帰宅が遅くなり、出来合いの物を出した言い訳をすると、もぐもぐ喰っていた男は「へぇ いつもすんまへん」 こうして過ごす内に、する事はしていたので、ご懐妊した。 男は喜び、さらに優しく気遣った。 芽出度くご出産とあいなった。 赤子を連れてお散歩しながら二人は話す。 女は「自分の子供をう〜んと抱きしめたい。両親が見守っていてくれていたようにしたい。ある程度大きくなるまではそうしたい」と。 男は「勉強したいのなら、協力するから子育ての間に出来る事をすれば良い」と。 続けて、『「”男”らしくということを ぼくは母親から一度もいわれませんでしたよ」 「あら ほんと?わたしも”女らしく”なんて父親から一度も聞かなかったわ」』と。 部屋で女が言う。 「うち、あんたの事 好きやでぇ〜 知らへんかったやろ?」 男は照れながら答える。 「まぁ〜あの〜その〜 うすうす気ぃついてましたんやけど・・」 かなり読者年齢層に幅があり、男のみならず女もけっこう読んでいる漫画雑誌に、樹村みのりさんが考える(実践している?)夫婦の関係をある種の啓蒙の意味をこめて描いた・・・とすれば上手くまとめてあり、笑いながら「そうだよね。そのとおりだよね」って気になる作品。 でも、どうしても引っかかる所が二点。 『とにかく世の中 男と女しかいないといっても 敵も人間 したがって人間だからこそ 歴史的事実と社会的現実に がんじがらめの柔らかい心を持った生きもの それも かなり訂正の余地の有る・・・』 赤子を連れてお散歩しながら二人が話しているコマの余白に、樹村みのりさんが書いている文です。 まったくの正論なんだけれど、どう読んでもこの作品での”敵”は人間の中でも”男”を指す。 何故、男を”敵”と表現しているのか解せない。 ”敵”と読むと、私が思い出すのは埴谷雄高さんの「やつは敵である 敵を殺せ」(『埴谷雄高評論選集1埴谷雄高政治論集』第一部・政治と革命の本質「政治の中の死」より。講談社刊)の”敵”だから、どうして樹村みのりさんが”敵”関係ととらえるのか理解に苦しむ。 自衛隊員は”敵”ではないと、在日米軍兵士は”敵”ではないと小田実さんが代表するベ平連が言っていた。 この意味での”敵”ならばまだ判る。 「敵も」を抜くか、「お互い」と置き換えると文章のトーンはおちるけれど、まだ読み手の男の一人としては肩を組みながら一緒に歩んで行こうという気になる。 もう一つは、赤子を連れてお散歩しながら二人が話す『こいつが ある程度大きくなる期間までは』の”こいつ”。 男の発言か女の発言かこの絵からは分かりかねるが、いずれにしても乳母車の我が赤子を”こいつ”と言う親は少ないだろう。 いや、別にいてもかまわないのだが、少なくとも子供達の思いを描いてきた樹村みのりさんが作品の中で”こいつ”と呼ばすのは不思議だ。 愛情が基底にある以上「〇〇ちゃん」「この子」と言わず「こいつ」と言う事はある種、親の特権だと・・・なのか? この延長線上に有るのは子を私物化する親やおまへんか? これって、樹村みのりさんが嫌いやのん違ゃいまっか? |
15回目は、 『樹村みのり』さん・・・W です。 |
この車に乗って往き、 ”本”の事でも、 ”わんこ”の事でも、 何でも書いて(掲示板)おくんなはれ。 |