●慶応2年(1866) 京都心学の指導者であった柴田鳩翁・遊翁がこの年、上野・有誠舎での講義を終える。 ●慶応4年(1868・明治元年) 1月−鳥羽・伏見の戦いで、津藩の藩論は分裂していたが、京都・山崎で津藩の指揮をとっていた 藤堂采女は勅使の命により官軍側につく。
●慶応4年(1868・明治元年) 1月−鳥羽・伏見の戦いで、津藩の藩論は分裂していたが、京都・山崎で津藩の指揮をとっていた 藤堂采女は勅使の命により官軍側につく。