●天明2年(1782) 夏−津藩、風雨、洪水での減収が14・5万石にのぼる。 ●天明6年(1786) 秋−津藩、大風雨、水害などで領内大打撃を受け、米価暴騰、農民の窮状は悲惨を極める。 ●寛政5年(1793) このころ、柘植(現・阿山郡伊賀町柘植)に心学講舎の麗澤(れいたく)舎ができたと伝えられる。
●天明6年(1786) 秋−津藩、大風雨、水害などで領内大打撃を受け、米価暴騰、農民の窮状は悲惨を極める。
●寛政5年(1793) このころ、柘植(現・阿山郡伊賀町柘植)に心学講舎の麗澤(れいたく)舎ができたと伝えられる。