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●寛永11年(1634)
●寛永12年(1635)
●寛永17年(1640)
●寛永18年(1641)
11月7日−伊賀上野城下で元岡山藩士渡辺数馬が弟の仇河合又五郎を討ち、仇討ちを助けた荒木又衛門が津藩の預かりとなる。
藤堂高次は伊賀焼振興のため京都より陶工の孫兵衛、伝蔵を招き、新しい焼成法を学ばせる。
この年、全国でキリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。
10月3日−牛疫が流行し、6,511頭が死ぬ。
前年からの凶作のため自殺者が続出する。津藩では自殺者を出した村の庄屋を
死罪にすると通達する。