●寛永9年(1632) 紫衣勅許に関する沢庵の抗議文を咎め、幕府は沢庵和尚を出羽・上ノ山に流罪とする。(紫衣事件) 生野銀山に南蛮吹が伝えられる。 ●寛永11年(1634) 沢庵和尚、出石に戻り投渕軒(とうえんけん)の山居に入る。 ●寛永12年(1635) この年、全国でキリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。
●寛永11年(1634) 沢庵和尚、出石に戻り投渕軒(とうえんけん)の山居に入る。
●寛永12年(1635) この年、全国でキリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。