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●寛延4年(1751)
●宝暦元年(1751)
●宝暦2年(1752)
●宝暦4年(1754)
●宝暦5年(1755)
●寛延2年(1749)
12月4日−久留米藩が捨て子禁止令に養育料給付の条項を加える。
久留米藩領内生葉郡、竹野郡、山本郡、御原郡、御井郡、八女郡などで大一揆。藩は要求を受入れる。
柳川藩で四ヶ所通久が奉行に抜擢され宝暦の改革始まる。
6月−緒方元斎が「筑後誌略」を著す。
3月19日−久留米藩領で人別銀の廃止などを求めて一揆がおこり、約10万人が参集、一円に広がる(久留米騒動)。
7月8日−幕府が,追放者や欠落者が長崎に入って悪事を働くとして,彼らの長崎立入禁止を
九州などの諸大名に命じる。