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第1部 || その名もファロー四徴症 || 疾患の経過と現在 || 児童・生徒・学生として || 社会人に成り損ね ||
第2部 || ドレガ◆ワタシノ◆エレブミチ? || 迷い道く〜ねくね〜 || Road to "Last Chance"?! || 活かさない ||
よりみち || その1昭和48年退院時の生活マニュアル || その2マジ本気マジカルテ ||

迷い道く〜ねくね〜


関東へ乗り込もう
 クリスマス近づく、99年の12月、急遽、母を伴って関東入り。
運良く親戚の家のすぐそばに、目的とする病院があったので、その親戚宅に泊めていただきました。とはいえ、このお家、私が1〜2年に1度は遊びに行っているお家なので、周辺の交通事情も遊び場も勝手知ったる・・・という感じです。
しかしさすがに、今回は、重要なことを決めるわけですからすこし緊張していて、胃が痛い感じもして。
とにかく、関東に着いた翌日、病院へ行き、カテをした病院の先生書いていただいたお手紙を受け付けに出して、待つことになりました。午前中10時頃には病院に着いていたのですが、待てど暮らせど順番はこない。
初診は予約ができないので、待つのは仕方ないですが、これが、昔、手術した頃の子どもだった私なら、もう待っていられなかっただろう。なんとか耐えられるのはやっぱり大人になったせいだとあらためて実感したりして。
このときは、母と車で送ってくれた叔母が一緒に待っていてくれました。その間、落ち着かない私に、母が心臓病の子どもを守る会で発行している「心臓病児者の幸せのために」というバイブルを開いて、自分の病気について手術についてきちんと読んでいなさいと言ったので、ずっと何度も何度も読んでいました。 あらためてファロー四徴症がどのような症状なのか、どんな治療があるのかを読みました。
午後2時過ぎ、ようやく最後に私が呼ばれ、診察室に入ると、貫禄のある穏やかそうなドクターがいて、私はぼちぼちしゃべりはじめました。
手紙を渡して、カテの結果を見てもらい(事前に、この先生が札幌にいらした時、カテを受けた病院で詳しい検査結果を見ていただいていた)、手術のリスクは少ないこと、カテを担当した先生は手術をしたらメリットがあるといってくれたこと、でも、決心がつかないことなどを話しました。
この先生なら、なにかしらのアドバイスをいただけるのではと思っていたのですが、やはり、最後は自分で決めるしかないとのことでした。40代のファローの根治をした人はとても元気になったという明るい話もして下さいました。しかし「もっと悪ければ、すぐにでも手術を勧められるのですが」とも話され、個人の生き方、考え方に結論は委ねられるようでした。
ここで気になったのは、私のような症状だったら、10才の時に、根治手術ができていたのではないかということ。また、10才の手術の後、早いうちに根治をしたら良かったかもしれないということです。
今となっては、「もし・・・」の話であって、それが本当に良い結果を生んだのかどうかは分かりませんが。
このことについては、裏を返せば、根治をする必要性を感じないほど、元気だったと言えます。

 一応、手術をするとしたら、どのような手術になるかという具体的なお話も伺いました。
私の場合は、肺動脈が「狭窄」ではなく完全に「閉鎖」しているとのこと。そして、わずかに閉鎖しているところに弁のようなものが見えています。しかしこれは手術をするときにはさほど必要でも不要でもなく、根治といえども弁の不全はそのまま残るだろうとのことでした。
また、肺動脈を構築するわけですが、閉鎖しているといってもかなり形として血管がハッキリとあって、全面的に人工血管にしなくても良いだろう、人工のモノを使うとしたら、今残っている血管の端切れを開いて延ばして、片側に人工膜のようなものを継ぎ足し、心臓の中を通して構築する事になるのではという話でした。
肺動脈のことで言えば、手術向きの良い形で残っているようです。
それから、肺の中の副束血管もあまり心配ないとのことでした。ここまで説明していただくと、なんだか良い状態ならこのままでもいいんじゃないかとふと、思いました。先生も「そう、これだけ良い状態だからねぇ〜、絶対に手術した方が良いとはねぇ・・・」と苦笑い。
なんだか良いことづくめのようですが、結局心筋そのものにメスを入れ、心臓の中に血管を通してつなげるという危険の伴う手術であることは確かです。
母が、「簡単に言うと、どの程度の難しさの手術ですか?」と聞いたところ(この質問は笑えるほど単純にして明快でイイですね)、「中の上くらいの難度ですね」と、これまた分かりやすいような答えをしてくれました。

 結果は、やはり、自分で決めるということで、この診察を終えました。40分から1時間近く話を聞いてもらい、説明を受けることが出来ました。
やっぱり手術した方がいいかなぁ〜と思いながら、この先生なら私のような世代の先天性の心疾患者を多く診てきているから信頼できそうだという感触を得て関東入りは、まぁまぁの満足度でした。
関東にいる間には、同じ心臓病のお仲間がたとも電話でお話ししたり、オフ会でお話ししたり、じっくり考えるのにとても良い場所だったように思います。
冬眠の季節。迷いの虫と虫歯の行方
 意気揚々とまではいきませんが、まぁなんとなく、行って良かったかなぁと思いながら、関東から帰ってきた私は、歯の激痛で、歯医者通いをはじめました。
関東の病院に行った後、主催しているメーリングリストのオフ会などを楽しんで、母や親戚と初めて伊豆に行ったりして、観光気分満喫だったはずなのに、歯が痛くて痛くて帰ってきました。

私のように、いわゆる汚い血ときれいな血が混ざって全身を流れているような心臓病の場合、心臓以外のちょっとした治療にも気を使わなければなりません。歯の治療では、出血があったりするとそこからばい菌が入り、心臓にまで達して炎症をおこすこともあるので、注意が必要です。
なので、そういう特別な患者用の歯医者に行かなければならず、札幌にある大学付属の歯学部に通うことになりました。
どうせ、手術をするかもしれないのだから、悪いところを全部治してもらおうと意気込んで行きました。でも、歯はガンガンに痛く、涙がでそうなくらい・・・。歯医者では、治療の前に、心電図やらレントゲンやら、心臓エコーまでやり、「痛いのは心臓じゃなくて、歯なんですけど〜」と言いたくなりそうな程でした。
そしてたった1本の虫歯を治すのに半年ほどかかり、毎回、血圧計とサーチュレーション(酸素飽和度を測る)をつけた状態での歯の治療でした。札幌に通うだけでもなかなか体力がいる感じ。

おっと、虫歯の治療に専念していた間、私は心臓の手術のことをすっかり心から閉め出しているような状態です。
要するに「考えたくない」という、最悪の状況。
考えてもらちがあかないような、怖がっている、怖がっていても仕方がない、の堂々巡りです。
冬を越え、春が近づいてきて、堂々巡り、逡巡もいやになりほったらかしのままです。虫歯だけは着々と治っていきます。

手術や治療が嫌で無理矢理とか泣く泣くやっている時は、きっとその結果や効果にも少なからず影響するんじゃないかと思います。
「自分は今よりずっと元気になるぞ!」「どんな困難もきっと乗り越えて、やりたいことをやるぞ!」という意志があれば自ずと結果も良くなっていくような気がするのです。
それは、『病は気から』ということわざの逆を示すようなものでしょうか。


来た道をもう一度たどっていくように
 春になると、母校の大学の先生からアルバイトの話が舞い込んできました。週1日、カウンセリングを受けたい人の申し込みを受け付けたり、事務をする仕事です。
場所が母校なので通いやすく、慣れ親しんでいるし、週1日というのも、ダラダラ過ごしている私にはリハビリのようで好都合と思い、引き受けました。
大学の先生も臨床心理士の資格を持つ人が多く、学生時代から知っているので、人間環境も大変居心地がよいバイトです。
ふと、職場の先生に、今最大の悩みについて、それからそういう医療の中の患者が治療過程とは別に、心のケアをしてくれる、悩みを聞いてくれるようなカウンセリングがあればいいのにという話をしました。
思い起こせば、この大学に入学したとき、何も分からなかったのですが、とにかく心臓病があったことで普通の健康な人とは少し異なった人生というか、生き方、感じ方をしているのではないかと思い、自分も含めた心臓病の子どもの人生について勉強したい、サポートしたいと漠然と思っていました。
自分を知ること、心臓病の人の身体や病気以外でサポートをすること、そんなことができるのはなんだろうかと思いながら、「ピア・カウンセリング」という言葉に出会いました。これは、仲間同士のカウンセリング、同じ病気とか同じ状況、例えばアルコール依存症だった人がおなじ症状の人を理解してカウンセリング的サポートをするとか、虐待を受けた人がその経験を生かして同じ状況の人をサポートするといったカウンセリングです。
大学で、その言葉に出会い、自分はカウンセラーには向かないけれど、きっとこのピア・カウンセリングという考え方が答えに近づけるだろうと思っていました。
それにしても、たしか大学生の時は「悩みの無いのが唯一の悩み」と言っていました。まるで小学生のような答えです。身体の発育も不良だったけれど、心の成長も遅かったのだろうか・・・、たぶんそうでしょう(^-^;

 自分が決められない、どうにもこうにも出来ない感じの今、あらためて、こういうサポートがあればなぁと思いました。大きな病院には気軽にこうした悩みを聞いてくれる相談室のような所があればいいのにと心から思います。小児科や小児外科ならなおさらです。心理的サポートは子どものほうが必要度が高いと思います。
そんなことを考えるにつけ、相談室のバイトをしていることが不思議でもあり周り回ってきた場所なのかなとも思います。
 自分の悩みというのは結局とことん自分で悩み、熟成させればよいかなぁとおもってみたり・・・。


そして今は。
 4月からバイトを初めて、6月には大学院時代の友達の家に遊びに行き、その友達がこれまたとてもカウンセリング・マインドを持っている人で、いろいろ話を聞いてもらったりしました。
帰ってきて7月には、同じく大学院時代の知人が、先天性心臓疾患の成人にインタビューをしたいとのことで、久々にやってきて、ここでもまた悩みやこれまでの生い立ちを話す機会を得ました。
さらには、大学院の先生と会う機会も得て、話を聞いてもらい、この『これが私の生きる道・第2部』を読んで心配して下さった恩師が電話をくれたりと、とにかく、考える間もなく思いの丈をいろいろとぶちまけるような数ヶ月が過ぎました。
この中の友人が、「そりゃ、心臓の手術というのは命がかかるスゴイ選択だけれど、人はそれぞれ大なり小なりそんな悩みを持っているもので、しかも分かってもらえないと思っている。自分の知っている範囲の世界から一歩踏み出るのは誰しも大きな不安があるよ。」と言ってくれました。それで少し、気が楽になりました。
じゅくじゅくと心に膿をもっているような感じが、少し和らぐ気がします。

 バイトは夏から週4となりました。私がやりやすいようにと周りの方々が心を砕いて下さったおかげで、身体にダメージが出ない程度、リラックスしながら働いています。
そして、今の時点で、手術のことは、「働けるうちに自分を試しながら働いてみたい」という考えに変わってきています。
これが本当に良い選択なのかは、未来が決めてくれるでしょう。
しばらく、迷い道にハマって、ドレガワタシノエラブミチ・・・・という独り言が続きます。こうして独り言を綴りながら、日々はそれなりに愉快に過ぎて行くところが、結局、面倒臭がりで楽しい方向に流れてしまう根っからのお気楽モノですね。
道産子的に締めくくるとすれば、「なんも、いいっしょ〜。なんとかなるっしょ〜。」
いつまでも、ぐちゃぐちゃ、そうやってれぇ〜、自分。


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