Road to ラスト・チャンス??お正月にやられる 新たな世紀が近づいてもなお、手術のことなど頭の片隅にむりやり押しやって、バイトに励んでいました。自分の時間で動けるという点で私にはこれ以上良い職場はないんじゃないかと思う日々です。 超夜型の私は朝、起きれないので、ギリギリに起きては、母に車でバイトまで送ってもらうのが日課になっています。朝から体力は使わないように1日の体力の配分を決めなくてはならないからね。 で忙しくしているにもかかわらず、風邪一つ引かないのはおかしな話。それが、お正月明け、やっぱり大きくなってしっぺ返しをくらうのです。 2001年1月2日、昼、起きようと思ったら、今まで経験したことがないめまい。ベッドをぐるぐる回されているような感じで一瞬何がおきたかわからずベッドから落ちるのかと思いベッドにびったりはりついてしまいました。数秒経って、それがめまいだと分かったんだけれど、疲れているんだなと思ってもうしばらく寝ることに。 寝ておきて、お腹がすいたのでお餅を1こ食べて、またゴロゴロしていたらめまいが。そして吐き気が。これは今流行の吐く風邪かな? なんて思っていて、結局 微熱も出てきたし寝ることにしました。寝ていても時々ひどいめまい。そしてお腹の中に何も入っていないのに何度も吐く。夜までガマンして、夜間の病院へ行くことにしました。そこは私の長年行っている病院だったので。 めまいが主訴ですから、耳鼻科系のことかということで、めまい止めの点滴を打って3日の朝になりました。耳鼻科の専門の先生は4日からしか出てこないというので、一端帰るかそれとも帰らず入院して待つかと聞かれ、即座に「入院させて下さい」と言った私。 なぜなら、やっぱり自宅よりは病院の方が何かと便利だし、暖かいし、具合が悪いところで寒い中またやってくるのは嫌だしというわけ。 3日も点滴をして、ご飯も食べる気にならず、4日。お医者さんがきて、耳の検査、めまいの検査、耳のレントゲンなどをとってくれたけれど結局悪いところは見つからず、「年末忙しくなかったですか?」とか「何かお家や仕事場で大変なことありませんか?」と聞かれました。心因性、あるいは過労によるものと判断されたようです。 なので、治療法はあまりなく毎日めまいを止める点滴をしているくらい。 それで、4日頃にはあの転げ落ちそうな激しいめまいはなくなったのですが、頭がぐわ〜んとして、時々ゆっくり回っている感じ。5日〜8日と午前中の回診では「頭はあいかわらずぼ〜っとしたかんじ。歩くとフラフラする」と言い続けていたのですが、点滴以外為すすべもなく、「歩く練習もしてみては」と言われて、結構病院の中をいったりきたりしていました。 で、結局、退院は本人次第ということになり、9日に退院することになりました。ただ、耳鼻科よりも心臓から来る脳の異変の方が、私は心配で、退院する前に、小児科を受診させて欲しいとお願いし、退院日、小児科を受診しました。 新しい主治医 2000年の4月に、長年診て下さっていた心臓専門の小児科のお医者さんが退職されたのは私ももちろん知ってはいたのですが、2000年の春から今回のめまいまで、幸いなことに一度も病院に行かずに済んだ(これが幸いではないかも知れないことが後でわかる)ので、今回の小児科受診で、新しい心臓専門の小児科のお医者さんと会うこととなりました。 私の分厚いカルテを読んでくれていたようでした。 今回のめまいも「膿瘍=脳に細菌などが入って炎症を起こす」などが原因だったら困ると言うことで、挨拶もそこそこにCTスキャンの予約をとるよう言われました。また、インフルエンザも怖いのだから、すぐにワクチンを打ちなさいと言われ、翌日インフルエンザワクチンを打つ予約もしました。 そして、最後に多血症で脳や、ブレロックシャントで繋いで細くなっている部分の血管が詰まったりしないよう、そろそろ薬を飲んだほうが良いと判断してくれて、即日、バファリン(抗血しょう剤)を毎日飲むことに決まりました。 一気に、私も緊張し、「ついに来るべき時がきたか」と思いました。 これまでが幸運であったがために、根治手術もせず、薬も飲まずここまでやってきてしまった。つっぱしってきたのだ(ゆっくりとね)と思い知らされました。 また、手術についても、99年のカテーテルから今日までのいきさつを話し、迷っていることも伝えました。新しいドクターは、迷うのは分かるけれど、手術をするとしたら年齢的にラストチャンス。手術をしないなら早めに薬などで内科的予防を始めなければならない。とハッキリ言われました。 これは、ずっと迷って面倒臭がっていた私には、最高の刺激になったと思います。 結局は「手術をするもしないも本人次第」ということに変わりはないのですが、もうグチャグチャと考えている余裕はない、決着をつけなければならないと宣告されたようなものです。 ハッキリ言ってくれて、感謝、ですね。 春をどう迎えるか ドクターは、「春頃までに、手術のことも決めましょう」と。もう数ヶ月しかありません。 数日後のCTスキャンの時にはドクター自ら造影剤の点滴をしてくれて、結果は膿瘍などの心配はいまのところないとのこと。 インフルエンザワクチンも打ち、少し気分も落ち着いて、またバイトに復帰しました。 これから春までに、私がやらなければならないことは、もちろん手術をするかどうか決めること。 ドクターには、「私は北海道で手術することにはこだわっていません。私のようにだいぶ年をとってからファローの修復手術をしている実績のある信頼できる病院でやりたいのです」と言いました。するとドクターもその点は理解してくれましたがなにぶん、そういう外科のデータを自分は持っていない。だから、もう一度カテーテルをやった病院の外科医たちとよく相談してみるようにとアドバイスされました。 「ふり出しにもどる」私は、このコーナーの前のページで、そう書いたのですが、やはりふりだしに戻って自分がどうしたいかハッキリ伝えなければならないのだろうと思います。 雪解けの季節までに私は何から初めて、どのようにすればよいのか、それすらまだおぼろげなのです。 遅すぎた選択と自分で悔しい気持ちにならないように、春までには納得のいく方法で選択したいと、それだけはようやく心に決めることができました。 そこで、成人の先天性疾患に関する研究を目的としているドクターのホームページへ、その辺りの迷いや、私のような症例に強い病院をどうやって探せばよいかなどアドバイスを乞うべく、メールを書いてみました。まずそこからが1歩です。まだ返事は来ませんが。 そしてなるべく多くの医者や同年代の患者に意見を聴きたいと思っています。なおさら悩みの種になるかもしれないけれど、とにかく自分一人ではギュウギュウになってしまうような気分なのですから、カテーテル検査をした病院へ話をしにいくまでに、できるところから気持ちを解いて、「これが私の言いたいこと」という確信を持って行けるようにしたいと思います。 みんなに助けて欲しい、そんな気持ちを込めて、今回は書いてみました。春をどう迎えるか、どんな花が咲くでしょうか。
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