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チャンスを活かさない・自分を活かさない

成人先天性心疾患ネットワークのQ&Aを利用
2001年、悩んでいた私は、成人先天性心疾患ネットワークに以下のようなメールを書きました。

私はあと数日で30才になります。 2才と10才で、左右のブレロックシャント手術をうけました。 2才の時は、北海道大学病院で、左鎖骨下動脈を使って、 10才の時は、東京女子医大の心臓外科(心研ではなく)で、人工の血管を使って、 それぞれ手術しました。 その後は、薬も飲まず、比較的安定した状態で、中学〜大学、そして 一人暮らしでの大学院を経て、実家で現在過ごしています。 1年に1度程度、地元江別市の市立病院で定期検診を受けてきました。

20代半ばから爪の色などチアノーゼが以前より重くなっているように感じ、 一昨年の秋に札幌の私立の病院でカテーテル検査をしました。 結果は、シャントをした血管の内部酸素飽和度(?)で84%と言われました。 オリジナルの血管(左)も、人工の血管も今のところは詰まる様子もなく うまく機能しているようでしたが、血管のつなぎ目が若干細くくびれていました。 肺動脈は、弁の形がうっすらと残る状態で、全く閉鎖していました。(元々だと 思います)

その病院で根治手術を勧められましたが、年令も30才で根治を受けた人は 私の周りでほとんどおらず、根治手術を受けることが果たして良い結果を生むの かどうか非常に迷っています。迷って迷って、1年が過ぎてしまいました。 また、手術を受けることを決めたとしても、その病院では、小児のフォンタン手 術などは横浜から医師が来てその指示の元、術例を増やしてはいるものの、 私のような年令の患者の術例はないようでこの病院ではどうだろうかと疑問に 感じています。 横浜からくる医師にも直接会いに行きましたが、結局は札幌でやるような「感じ」 なので、それでよいのか心配です。

もう、北大病院も、女子医大も全く受診していません。 できれば、北海道内でなくても、大人になったファローの 微妙な手術を多く手がけている病院などを受診してみたいと思います。 そうしたとき、どうやって、こういった実績のある病院を探せばよいのか? また、あちこちの病院を受診するというのもカルテや検査結果を持ち出して できるものかどうか? お医者さんやその病院との信頼関係が作れないのではな いか? 等々 躊躇して行動に移そうにもなにから始めればよいか分かりません。

長くなりましたが、年長の先天性心疾患者の根治(修復)手術の最新の動向と 何を基準に、手術を受けるかどうかを決めればよいかなど、教えていただければ と思います。 HPの趣旨に合わなければ、大変失礼な質問ですが、 大人になってから大きな手術を受けざるを得ない時代の先天性心疾患者が まだいるという点において、手術の意義や、手術をしない場合のありかた等、 なにかアドバイス頂ければ幸いです。

そして、Web上で頂いた、答えはさすがにドクター(^-^;、しっかり要点をまとめてくださり、以下のようにわかりやすいものでした。

お答え

1,チアノーゼ型先天性心疾患の成人での手術は、こどもと比べ安全か
2,どの病院で手術を受けるかをどのように決めるか
3,いわゆるセカンドオピニオンを聞くことは出来るか。どのように、どの病院で受けるか
4,成人先天性心疾患の手術を受けるかどうかは何を基準に決めるか
5,成人期に先天性心疾患の手術を受ける場合の意義
6,手術をしない場合、どうなるか
というご質問だと思います。

多くの範囲の重要なことを含むので、医者同士でもやや意見の分かれる点があります 。また実際の患者さん、心臓に関するdata を見ていないので、無責任にならない範囲で、また、答えられる範囲での回答となります。従 って、この回答もセカンドオピニオンの一つと考えられます。

さて、 1,一般的に言えば、成人期特有の冠動脈疾患、成人病などの合併がなければ、成人期先天性心疾患の手術成績はこ どもの場合と同程度と報告されています。チアノーゼ型先天性心疾患成人期の手術は、出血が多いこと、全身臓器の 合併症(腎機能、肺機能、心機能など)をともないやすいことなどで、手術適応がやや厳しくなりますが、これらの 問題が無い場合は、手術成績、手術後長期成績ともに良好です。成人まで生存してきている方は、こどもと比べ、心 臓の状態が重度でない場合が多く(この場合は小児期に死亡します)、このことが手術成績に反映していると考えら れています。基本的に、手術適応が十分である場合は、成人だからといって手術成績がこどもよりはるかに悪いなど ということはありません。

2,3,基本的には、手術を受ける病院の手術成績により決定されるべきものです。自分の場合の手術成功率につい て医師に尋ねることが大切です。日本では今のところ、成人期の先天性心疾患はどの病院でも比較的経験が少ないの が実状です。しかし、小児の手術を多く手がけて成績の良い外科医、小児科医のチームであれば、成人の経験が少な いということは大きな問題では無いと考えられます。もちろん理想的には、成人期の先天性心疾患に精通した医師が いればさらに良いですが。

だんだん、いわゆるセカンドオピニオンを聞くことに躊躇しない医師が多くなっています 。セカンドオピニオンを他の病院で聞くので、data を貸してほしいと主治医に尋ねてみてください。日本では、躊躇される患者さんが多いのですが 、欧米では、自分の命の問題ですから、これは常識です。セカンドオピニオンを聞く病院は、この分野に比較的精通 した医師、或いは多くの手術を手がけている病院ということになります。このホームページの性格上、どの病院とい うことを具体的には申し上げられません。

4,手術を受けるかどうかは、手術成績、術後の長期経過後の生活の改善程度によります。さらに、重要なことは、 手術をした場合としない場合で、生命予後(いつまで生きられるか)、生活の質がどのくらい違うかということと、 手術危険率との比較です。この分野は、多くの患者さんのdata がまだ、集積していないので、絶対的にどちらが良いとは言い切れませんが、今の手術の技術などか ら推定は可能です。1954年に初めてファロー4徴症の手術に成功しておりますので、術後40年くらいの死亡率、再 手術率、術後生じる問題などが分かってきています。長期的には、生命予後、など日本と欧米で差はありません。

5,やはり、生活の程度、質が向上し、より長く生きることが出来るという点につきます。例えば、ファローの成人 期の手術後の長期生存率を見ますと、一般の人と比べ、多少劣る程度という報告もあります。

6,手術を受けない場合は、手術がうまくいった場合と比べ、生命の予後が悪い、心内膜炎、脳膿瘍などにかかりや すい、運動能力が低いままなどという点が上げられます。 肺動脈閉鎖の場合は、手術後の状態が、術前とあまり変わらない場合もあります。

いずれにせよ、手術は非常に大き な問題ですし、精神的にも苦痛が多いので、良く考え、医師に相談して納得して受けられることをおすすめします。



唐突に、思考停止

それから、私は自分が納得いくまで考えるといっても、もういっぱいいっぱいでダメだ、苦しい〜と思い、思考するのを止めてしまいました。今答えが出せないというのはそういう時期なのだろう。放って置こう。どうせ年とともに体調は悪くなっていくんだから、と思い、唐突に、手術のことはまた考えたくなったら考えよう・・・という結論に至ってしまいました。

仕事体験・勉強体験
まだ、思考停止になる前、大学時代の恩師から、バイトの話しが入り、私はバイトすることになりました。
最初は土曜日だけの週1回。母校の大学のカウンセリングを行う機関の事務。
それが、機関の確立、この機関を実践の場として利用する臨床心理の大学院の設置など新しくできていく組織、システムのあわただしい中で、結局週4日の勤務になり、事務といっても病院の受付のような仕事もあったり、大学の先生や大学院の助手のような仕事もあったりと、かなり盛りだくさんの仕事をするようになりました。
仕事を通して、多くの人と知り合い、心臓の病気についても周りの人に説明済みで理解ある環境だったので、かなり勤務に関して融通が利き、楽しく仕事をしていました。
そもそもがカウンセリングという、個人に焦点を当て、一人一人が個性があり、悩みを抱えているという前提で、人に接するわけですから、その人に合ったやりかたで仕事も進められ、私も自分のできる可能性をここで少し伸ばすことができたのではないかと思います。

ちょっとした勉強もさせてもらい小論文も書かせていただきました。自分の手術のことを省みながら、自分より若い先天性心疾患の人たちにインタビューしたり、それを文章にまとめ、学術学会で発表したりという面白い(=興味深い)体験もできました。

あるとき、私がホームページで紹介していた本を翻訳された、北陸にお住まいの先生(内科医で臨床心理士で大学教官の方)からメールが届きました。ビックリ。その先生が、このページを読んでくださったとのこと。メールのやりとりを何度かさせていただき、患者の気持ち、躊躇や不安を、今は無理やり決断しなくても、脇へおいて置くことも可能であればよいのかなと、改めて思いました。

およそ3年半、働きました。最初のうちは、バスで通勤していましたが、週4日になってからは、朝バスで行き、帰りは家族に車で迎えにきてもらったり、職場で知り合った方々に車で送ってもらったりするようになり、最後1年ほどは、行きも家族の車で送ってもらうようなかたちになりました。それだけ、だんだんと体力も落ちてきているということでしょう。
このアルバイトのほか、ホームページを作るアルバイトを自宅でやっていました。月に何日かで体力的には全く問題ないものでした。

究極の諦念
だんだんと、体力が落ちてきていることとは逆に、みょうに一人暮らしをしたいとも思ったりしていました。手術について考えることはなく、一人暮らしはますます難しくなってきているのに、です。
また、それと同時に、どうせ体調は悪くなっていくのだから、そんなに長く暮らすことはできない。今働けるうちに働き、ダメになったらあとは細々と入院生活をするしかないかな?というような諦めの気持ちも出て来ていました。長生きして辛い思いをする必要もあんまりないしね。それも、それでいいか・・・。
そういえば、子どもの頃、自分は30歳まで生きたら十分だと漠然と思っていました。だから、30歳になった時、あとは私にとっては余生なのだと、思うようにしていました。これ以上何を期待するか? 今楽しければそれでいい。
「生きてるだけで丸儲け」というこのページのサブタイトルのネガティブな面が出てきて、究極の諦め感をいだきつつ、何もせずただ悪くなっていくことに甘んじるのが楽なのです。

これが、SNOWの2001年冬の出来事。


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