チャンスを活かさない・自分を活かさない成人先天性心疾患ネットワークのQ&Aを利用2001年、悩んでいた私は、成人先天性心疾患ネットワークに以下のようなメールを書きました。
唐突に、思考停止それから、私は自分が納得いくまで考えるといっても、もういっぱいいっぱいでダメだ、苦しい〜と思い、思考するのを止めてしまいました。今答えが出せないというのはそういう時期なのだろう。放って置こう。どうせ年とともに体調は悪くなっていくんだから、と思い、唐突に、手術のことはまた考えたくなったら考えよう・・・という結論に至ってしまいました。仕事体験・勉強体験 まだ、思考停止になる前、大学時代の恩師から、バイトの話しが入り、私はバイトすることになりました。 最初は土曜日だけの週1回。母校の大学のカウンセリングを行う機関の事務。 それが、機関の確立、この機関を実践の場として利用する臨床心理の大学院の設置など新しくできていく組織、システムのあわただしい中で、結局週4日の勤務になり、事務といっても病院の受付のような仕事もあったり、大学の先生や大学院の助手のような仕事もあったりと、かなり盛りだくさんの仕事をするようになりました。 仕事を通して、多くの人と知り合い、心臓の病気についても周りの人に説明済みで理解ある環境だったので、かなり勤務に関して融通が利き、楽しく仕事をしていました。 そもそもがカウンセリングという、個人に焦点を当て、一人一人が個性があり、悩みを抱えているという前提で、人に接するわけですから、その人に合ったやりかたで仕事も進められ、私も自分のできる可能性をここで少し伸ばすことができたのではないかと思います。 ちょっとした勉強もさせてもらい小論文も書かせていただきました。自分の手術のことを省みながら、自分より若い先天性心疾患の人たちにインタビューしたり、それを文章にまとめ、学術学会で発表したりという面白い(=興味深い)体験もできました。 あるとき、私がホームページで紹介していた本を翻訳された、北陸にお住まいの先生(内科医で臨床心理士で大学教官の方)からメールが届きました。ビックリ。その先生が、このページを読んでくださったとのこと。メールのやりとりを何度かさせていただき、患者の気持ち、躊躇や不安を、今は無理やり決断しなくても、脇へおいて置くことも可能であればよいのかなと、改めて思いました。 およそ3年半、働きました。最初のうちは、バスで通勤していましたが、週4日になってからは、朝バスで行き、帰りは家族に車で迎えにきてもらったり、職場で知り合った方々に車で送ってもらったりするようになり、最後1年ほどは、行きも家族の車で送ってもらうようなかたちになりました。それだけ、だんだんと体力も落ちてきているということでしょう。 このアルバイトのほか、ホームページを作るアルバイトを自宅でやっていました。月に何日かで体力的には全く問題ないものでした。 究極の諦念 だんだんと、体力が落ちてきていることとは逆に、みょうに一人暮らしをしたいとも思ったりしていました。手術について考えることはなく、一人暮らしはますます難しくなってきているのに、です。 また、それと同時に、どうせ体調は悪くなっていくのだから、そんなに長く暮らすことはできない。今働けるうちに働き、ダメになったらあとは細々と入院生活をするしかないかな?というような諦めの気持ちも出て来ていました。長生きして辛い思いをする必要もあんまりないしね。それも、それでいいか・・・。 そういえば、子どもの頃、自分は30歳まで生きたら十分だと漠然と思っていました。だから、30歳になった時、あとは私にとっては余生なのだと、思うようにしていました。これ以上何を期待するか? 今楽しければそれでいい。 「生きてるだけで丸儲け」というこのページのサブタイトルのネガティブな面が出てきて、究極の諦め感をいだきつつ、何もせずただ悪くなっていくことに甘んじるのが楽なのです。 これが、SNOWの2001年冬の出来事。
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