PEACE TOPICS

『平和新聞ながさき版』不定期掲載

【2005年2月15日】

米原潜サンフランシスコ 事故の衝撃

 乗員137人中、1人死亡、98人重軽傷!

 1月8日、「核攻撃能力の認証」を与えられている米原潜サンフランシスコ(母港グアム:乗員137人)がグアム島の南560kmで座礁事故を起こしました。日を追うごとに真相が少しずつ明らかになり、かつてない大惨事だったことがわかってきました。


▲ニューヨーク・タイムズに掲載された写真(1月27日に米海軍が公表したもの)

だんだん増える重軽傷者数

 米海軍は当初、乗員137人のうち、死亡1人、負傷者23人と発表していました。しかし太平洋潜水艦隊司令や乗組員の電子メールを入手したニューヨーク・タイムズは、実は23人というのは重傷者で、軽傷を含めると負傷者は乗員の半数近い60人であることを暴露しました。そして2月12日の米第7艦隊ニュースは負傷者が98人であったと報道したのです。

あってはならない事故原因

 サンフランシスコはオーストラリアに向かって航行中で、潜水状態での訓練中に海底の山に時速55kmで衝突したといいます。原因は使用していた海図が、古い観測データを基に作成されており、障害物の情報が記されていなかったということ。衛星写真のデータからその海山の存在は確認されていたが、海図の更新はなされていないというお粗末ぶり。いかに安全を軽視しているかを如実に表しています。

果たして原子炉は無事か?

 米海軍は原子炉の損傷はなく放射線漏れもないと主張しています。めちゃめちゃになった艦首はその事故のすさまじさを物語っており、ソナードームは粉々です。このソナー部に続いてトマホーク巡航ミサイルや魚雷、機雷を含む武器庫があります。その後方に原子炉、機械室と続きますが、死亡した技術者は機械室中で6mも飛ばされて金属ポンプに頭を打ち付けて意識不明となったのです。艦首との間の原子炉に損傷がなかったのか疑問です。

  サンフランシスコは最近、2億ドル(約210億円)をかけて分解修理がなされています。現在、損傷の程度を調査していますが、修理をするかどうかは決定されておらず、コストの見積もりもさえできない程のひどさというべきでしょう。

あわや沈没寸前

 また衝突によって裂けた艦首から海水が入り、船体を沈めたり浮かせたりする4つのタンクが浸水しました。そのため乗組員はタンクに圧縮空気を送り続けて水位が上昇しないようにしてかろうじてグアムまでたどり着きました。そのまま沈没してしまう危険性もあったわけです。

真相の公表を直ちに

 サンフランシスコなどグアムに配備されている原潜は、佐世保が中心となるエセックス遠征攻撃群の一翼を担うものであり、一刻も早い真相究明が求められます。しかし、04年7月に佐世保寄港中の原潜ラ・ホーヤのケーブル火災でさえ、事故原因は究明されないままです。 これだけの大惨事にもかかわらず、その真相は闇に葬られてしまうのでしょうか。ラ・ホーヤもサンフランシスコも「核攻撃能力の認証」を与えられ、核トマホークを搭載している可能性が高いとみられるだけに。


【2004年7月25日】

海の日

国民の祝日に関する法律第2条
 海の日 7月の第三月曜日 (2002年までは7月20日)
 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。

「海の日」は一番新しい祝日です。そしてやはり天皇がらみでした。

「海の記念日」制定

 1941年6月5日、村田省蔵逓信大臣(当時)の提唱により7月20日を「海の記念日」とすることが決められました
 「7月20日」は明治天皇が1876年(明治9年)東北巡幸の帰途、それまでの軍艦ではなく灯台視察船「明治丸」で、青森から函館を経て横浜に着いた日。ただそれだけのことで、当時として何の意味があったのか、不明です。しかし、以来、戦後も通し回数で続きました。

祝日「海の日」の制定運動

 1959年の第19回「海の記念日」を契機に海事関係団体の提唱で祝日化運動が始まります(第1次:59年~66年、第2次:71年~73年)。
 1991年の第51回「海の記念日」に、第3次の祝日化運動始まります。海事関係団体が発起人となり、「制定推進国民会議」が発足して多方面への働きかけを強めます。評議員会と事務局をおく組織的な祝日化運動となりました。
 94年には祝日化の署名1000万人達成セレモニー出陣式を開催。全国の47の全都道府県を含む2281の地方自治体(全地方自治体の7割)の議会で祝日化の意見書を採択。

「海の日」が祝日に

 95年衆参両院で「海の日」を祝日とする「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案」が可決成立し、96年より実施されることになりました。
 96年7月20日、制定後はじめての国民の祝日「海の日」に皇太子夫妻が出席して「海の日」制定記念式典が開催されました。その前日には「海の日記念」の郵便切手2種類が発行されています。
 その後、法律改正で2003年からは7月の第3月曜日に変更されました。現在、「海の日」にちなむ諸行事は、財団法人日本海事広報協会に事務局を置く、「国民の祝日「海の日」海事関係団体連絡会」が担っています。

海上自衛隊のイベント

 海上自衛隊の艦船広報もこれに連動して「海の日」から7月末に集中しています(「海の旬間」)。佐世保地方隊以外の4つの自衛隊基地の「海の日」の行事は次のようになっています。夏休みに入る子どもたちを大きなターゲットとしていることは明らかでしょう。

●大湊地方隊 7月18日 於:大湊基地
 名称:ちびっ子・ヤング大会
 内容:体験航海と艦艇公開
  ※大湊海軍まつりが同時開催
●横須賀地方隊 7月17日 於:横須賀基地
 名称:ヨコスカ・サマーフェスタ(ちびっ子・ヤング大会)
 内容:体験航海と艦艇公開 ヘリ・水中処分隊による訓練展示
●舞鶴地方隊 7月18~19日
  於:富山港、七尾港(石川)
 名称:舞鶴地方隊展示訓練
 内容:体験航海と艦艇公開
訓練展示 方向転換、潜水艦浮上航行、空砲発射、LCAC高速航行、高速ミサイル艇航行、航空機飛行
●呉地方隊 7月17日~19日
  於:小松島新港(徳島)
 名称:小松島港まつり協賛行事
 内容:体験航海と艦艇公開


【2004年5月25日】

「Yナンバー」

 5月31日は自動車税の納入期限です。
 米軍の車両にかかる税金を知っていますか?

軍用車には税金がかからない

 日米地位協定第13条は合衆国軍隊の財産について課税しないとしています。「U.S. NAVY」のプレートのついた軍用車両には税金はかからないのです。日本の車検を受ける義務もないので自動車重量税もなし。

Yナンバー

 ただし、同条3項では「私有車両」については免除しないとなっています。米軍人と軍に雇用された民間人及びその家族の持つ私有車両のプレートには、ひらがなではなく「Y」が記され、通称「Yナンバー」と呼ばれています。戦後、米軍が駐留していた時代に米軍の車の管理を横浜でしていたことからといわれています。ちなみに軽自動車には「A」が記され、「Aナンバー」というそうです。これはAmericaから?

私有車両は大幅減免

 ところが日米両政府は、私有車両については定められた金額を納付すればよいと決めてしまいました(1954年の日米合同委員会)。金額等は何度か改訂され、現在は表のように、日本国民に比べて最大5分の1と大幅に優遇されています。そのため沖縄県では本来入るべき税収が年間約8億円欠損となる結果になっています。

車庫証明まで免除?

 車を持つには車庫が確保できているという「車庫証明」が必要で、証明証発行に2750円の手数料がかかります。
 地位協定第10条では「Yナンバー」については「日本国民に適用される条件と同一の条件」で登録することになっています。ところが実際には「車庫証明」なしに登録されているのです。
 政府は1998年、車庫証明なしの登録を車庫法違反と認め、米軍の準備が整い次第、車庫証明登録を義務付ける通達を出しました。しかし米軍との調整がつかず、今日まで6年間も放置されたままになっています。

唯一の例外、佐世保

 ところが佐世保市だけは例外(?)で、全国で唯一、「Yナンバー」に対して車庫証明発行を義務付けているそうです(佐世保市の米軍私有車両の登録台数は2395台(2003年3月末))。
 基地内にある「Yナンバー」に関しては米軍管理権があるため、基地側が出す基地内での車庫確保を証明する書類を確認した上で、車庫証明を発行し、基地外の民間アパートなどに住む場合は、民間と同じ手続きで車庫証明を義務付け、どちらも手数料を徴収しているといいます。
 屈辱的な地位協定。それさえも守らない米軍。それを放置する日本政府。地位協定とその実態、学習してもっと怒りましょう。

種別 車両 排気量(cc) 国民の税金 米軍の私有
車の税金
米軍の私有
車保有台数
免税総額
市町村税 軽自動車 50超550以下 7,200 3,000 1,038 約499万円
都道府県税 小型乗用車 1000以下 29,500 7,500 52,250 約16億
1623万円
1000超~1500以下 34,500
1500超~2000以下 39,500
中型乗用車 2000超~2500以下 45,000 19,000
2500超~3000以下 51,000
3000超~3500以下 58,000
3500超~4000以下 66,500
4000超~4500以下 76,500
4500超~5000以下 88,000 22,000
5000以上 111,000

税金の単位は円。米軍の保有台数は1999年4月1日現在。免税額は1999年度分。トラック等は省略。


【2004年4月25日】

「昭和の日」法案

国民の祝日に関する法律(昭和二十三年法律第百七十八号)の一部を次のように改正する。
第二条 みどりの日の項を次のように改める。
昭和の日 四月二十九日 激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。
第二条 憲法記念日の項の次に次のように加える。
みどりの日 五月四日 自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。

 「昭和の日」法案を知っていますか。正式には「国民の祝日に関する法律(以下、祝日法という)の一部を改正する法律案」、自民・公明両党の議員提案で今国会に提出されています。
 言うまでもなく昭和天皇の誕生日を復活させようとするものです。

すでに衆参で一度ずつ可決

 「昭和の日法案」は2000年に参議院で先行審議され可決、森首相の「神の国」発言で頓挫し、衆議院解散によって廃案に。2003年には民主党も賛成にまわり、衆議院で可決、その後の衆議院解散によって再び廃案になったものです。今回は3度目の提出となります。

推進団体は侵略戦争を無反省

 推進団体である「『昭和の日』推進国民ネットワーク」のホームページでは、「昭和の日」の趣旨として「昭和天皇を偲ぶとともに、昭和の苦難とともに、昭和の苦難と復興をかへりみ、国の将来に思いをいたす」とあからさまに述べています。そして「64年という歴史の一時期に暗い時代があったが、苦難から復興へ、未曾有の敗戦から奇跡の発展」をし、「昭和は日本民族の生命力を実証した時代である」としています。日本国民とアジアの人々に地獄の苦しみをあじわせた侵略戦争に対する反省はみじんもなく、天皇の戦争責任を回避するものです。

有事法制制定の動きと軌を一つに

 1998年には「昭和の日」推進議員連盟が設立されました(現在、衆参あわせて334名という)。翌99年は、戦争法=周辺事態法、盗聴法、国旗国歌法、地方分権一括法、「改正」住民基本台帳法、憲法調査会設置法などの成立が強行され、一挙に戦争国家への動きが加速されました。この動きと軌を一にして「昭和の日」法案の提出が始まったのです。これも廃案に追い込みましょう。
 そもそも戦後の日本国憲法制定時に天皇誕生日の祝日扱いを止めるべきでした。それは最大の戦争犯罪人である昭和天皇の誕生を祝うことが「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する」という祝日法の趣旨にそぐわないからです。

ちょっと一息 9月の国民の休日

 まもなくゴールデン・ウィーク。5月4日が国民の休日となったのは1985年の祝日法改正。

第三条3項
その前日及び翌日が「国民の祝日」である日(日曜日にあたる日及び前項に規定する休日にあたる日を除く。)は、休日とする。

 これによって「憲法記念日」と「こどもの日」にはさまれる『5月4日』が国民の休日となっています。(厳密にはこの日が火曜から土曜の場合;月曜なら憲法記念日の振替、日曜は日曜)

 ところが2001年の祝日法改正(2003年施行)によって9月にも国民の休日が生まれる場合があります。この改正は「海の日」を7月第3月曜に、「敬老の日」を9月第3月曜にするものでした。したがって「秋分の日」が第3水曜日になるときは、間の火曜日が休日となるはずです。(日曜も入れてなんと4連休。土曜休の人は!!!!!)

 2009年に9月これがやってきそうです。21日(月):敬老の日、22日(火):国民の休日、23日(水):秋分の日。その後は2015年,2026年,2032年・・・。そんなに待たずに国民が主人公の日本をつくろう!


【2004年3月15日】

米軍佐世保基地立ち入り問題


▲重油汚染疑惑の土砂が山積みされている赤崎貯油所

 重油汚染土壌疑惑の取りざたされている米軍佐世保基地内へ2人の市議が立ち入りを求めた件で、米軍は最終的に立ち入りを認め、3月9日に実質20分だけの立ち入り調査が行われました。

発端は内部告発

 1996年、「思いやり予算」による赤崎貯油所のタンク建て替え工事の際に、漏れ出した重油で大量の土壌が汚染され、それが基地内に放置されているという情報が、米軍監視団体リムピースに寄せられていました。さらにこの土砂が米軍専用の新岸壁建設工事の埋立てに使われる計画が浮上しました。この問題を重視した橋本純子(リムピース)、山下千秋(佐世保原水協理事長)両市議は昨年12月に佐世保市に対して立ち入り調査などを行なって事実関係を明らかにするよう要望書を出しました。

 しかし、市側は「調査する必要がない」と返答したために、1月20日、日米合同委員会の96年合意事項に基づく立入申請を佐世保基地司令官宛に行いました。合意文書では、基地内への立入許可手続は「地方議会の議員は、施設を管理する米国の軍人に対して直接行なう」となっています。

二転三転する米軍の態度

 立入り調査は2月10日を希望していましたが、米軍側からは希望日を過ぎても連絡はなく、ようやく2月19日になって許可がおりました。そして日程調整の結果、2月24日に立ち入ることが決まりました。

 ところが許可は1日にして取り消されました。佐世保基地司令部から、「在日米軍司令部から、環境に関する基地立入申請は、外務省を通じて中央レベルで行なうように指示が来た。正式な手続きをもう一度踏んほしい」と言ってきたのです。合意事項に反することが行われたこと対する米軍からの回答はありません。

 しかし山下千秋さんらがおこなった一連の手続きについては、外務省も正当なものと認めているのです(2月23日、日本共産党小泉親司参議員が確認)。そこで当初立ち入りが予定されていた24日に「公開質問状」を手渡す旨を佐世保基地に伝えましたが、基地側はこれを拒否しました。そこで同日急きょ記者会見を開き、これまでの経過をマスコミに明らかにするとともに、地位協定の「運用の改善」さえ無視する米軍の横暴さを批判しました。

 するとマスコミが一斉に報道した翌25日の午後、佐世保基地からマスコミへ「現在、上級機関と立入申請を検討中」という異例の「緊急発表」が出されたのです。そして最終的には形式的に外務省へ書類をファックスで送るということでようやく許可がおりました。

成果と課題

 地方議員が環境調査という目的でも、96年合意にそって立ち入ることができたのは大きな成果です。それは汚染の有無、被害状況などをつかむ調査能力と責務を持つ自治体が、その意思さえあれば立ち入ることが可能であることを、実際に示すことができた点で大きな意義があります。

 しかし課題もあります。「マスコミの同行」「写真撮影」「土壌サンプル持ち出し」は認めないという条件がつきました。さらに96年合意にない、「形式的に外務省へ申請書を出せ」という条件もつきました。これが今後ほかの基地にも波及し、なし崩し的に96年合意の内容を後退させないよう運動を強める必要があります。また合意を破った米軍に対して黙認している外務省の姿勢も厳しく問われなければなりません。