サンティアゴ巡礼路(Camino de Santiago)の概要


 1.はじめに

私がサンチャゴ巡礼路に興味を持ったのは、NHKのドキュメンタリーでした。各国からの巡礼者がそれぞれの目的で1ヶ月以上の巡礼路を歩く姿に私にも出来るかと、ガイドブックやインターネットのサイトを見て調べておりましたが2008年9、10月に念願のCamino Francés(フランス人の道)をフランスのルルド(Loudes)からフィステラ岬(Fisterra)までを歩くことが出来ました。

その後、日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会のお手伝いをしていましたが多くの方の情熱に自分自身もモチベーションを維持すると共に別なルートを歩いてみたい思いが強くなり、その後の8年間に下記の道を歩いています。
  

2011年4,5月: Via de la Plata(銀の道)Sevilla(セビージャ)からサンティアゴへ 

2013年5,6月: Camino del Norte(北の道)ビアリッツ(Biaritz)からサンティアゴへ 

2014年5,6月: Chmin d'Arles(アルルの道)オーシュ(Auch)からソンポルト峠へ

   Camino Aragonés(アラゴンの道)ソンポルト峠からプエンテ・ラ・レイナ(Puente la Reina)へ
   Camino Primitivo(プリミティボの道)ビジャビシオーサ(Villaviciosa)からサンティアゴへ

2015年9,10月; Camino Catalán(カタルーニャの道)マンレサ(Manresa)からサングエッサ(Sanguesa)へ
     Camino Inglés(イギリス人の道)フェロール(Ferrol)からサンティアゴへ

2016年9,10月; Camino Vasco del interior(バスクの道) イルン(Irun)からブルゴス(Burgos)へ
       Camino de Madrid(マドリードの道)マドリード(Madrid)からサアグン(Sahagún)へ

2017年10月: Camino Portugués(ポルトガルの道)コインブラ(Coimbra)からサンティアゴへ

2018年10月: Camino Mozarábe(モサラベの道)グラナダ(Granada)からメリダ(Merída)へ

2019年10月: Camino Ignaciano(イグナシオ・ロヨラの道)マンレサ(Manresa)から ロヨラ(Loyola)へ


Caperra 1

 サンティアゴ巡礼路を歩く巡礼者は年々増加しており、2019年は年間で34万人を超えました、日本人の巡礼者も年々増加しており我々退職者年代は基より若い方も多くなっています。 また、歩く動機(Motivo)も宗教(Rergion)より文化(Curtula)や個人(Personal)的な動機とする方が増加し、スタート地点も歩き方も様々な形態になっています。 

 私も最初は定年と言う人生の節目に何かしたいと考えて歩きましたが、スペインの自然とCaminoの鮮烈な印象を忘れることが出来ず、すっかりこの魅力に入り込んでしまい毎年の様に歩き続けて総歩行距離は6,000Kmを超えました。    

 Camino Francesは歩いた経験者も多く、情報も豊富ですが、北の道(Camino del Norte)や銀の道(Via dela Plata)等、フランス人の道から離れると全く状況が異なり一日の行程も長く道標やアルベルゲも少ない等、厳しい環境となりますが反面静かな巡礼路を歩くことが出来ます。
     

このホームページはガイドブックではありません。  

私の歩いた時の状況と感想ですので季節やその後の巡礼路の状況変化で変わっている事もご了解ください。フランス人の道を歩かれた方が次にどこを歩こうかと考える際に、この記録が参考になれば幸いです。

  2020年2月1日 (Rev.7.0)                         貝


  

  2.Camino de Santiago (サンティアゴ巡礼路とは)

El Camino de Santiago (サンティアゴ巡礼路)は、スペインのGalicia地方に位置するSantiago de Compostela (サンティアゴ・デ・コンポステーラ)に向かう巡礼路であり、エルサレム・ローマに並ぶキリスト教の3大巡礼路として中世から多くの巡礼者が歩いてきました。 Santiago de Compostelaのカテドラル(大聖堂)にはキリストの弟子である聖ヤコブの遺骸が埋葬されており、この遺骸に礼拝するための聖地巡礼の旅がサンチャゴ巡礼です。

聖ヤコブの遺骸は9世紀初頭に発見されましたが、当時この地域がイスラム軍の侵攻をを受けており政治的に不安定な辺境のガリシア地域を当時のキリスト教国であったアストウーリアス王国を民衆信仰でつなぎ止める目的もあったと言われています。発見当時はガリシア地方に限定されていたサンチャゴ巡礼は11世紀から13世紀に最盛期を迎えて巡礼者は年間20~50万であったとされています。

宗教改革期の16世紀以降には聖人崇拝や巡礼が禁止されたこともあり巡礼者数は大きく減少する事となり、サンティアゴ教会がイギリス海軍の略奪を恐れて聖ヤコブの遺骸を隠匿し、隠し場所が不明確になり聖地巡礼が大きな転換期となりました。1879年に聖ヤコブの遺骸がサンチャゴ教会によって再発見されましたが、ヨーロッパやスペインの政治情勢もあり本格的にサンチャゴ巡礼が復活・活性化してきたのは1980年代以降となっています。 中世以降に多くの人が巡礼をする理由として第一にキリスト教への信仰心であり、巡礼路の教会へ立ち寄り精神を浄化させ聖ヤコブの遺骸に触れて罪の許しと天国へ行ける様に願っていました。また病気治癒の奇跡を求めて巡礼を行う人も多く当時は各地に施療院(Hospital)が存在しました。

第二には自分の地位確保、または立身出世のため各地の王や領主、騎士がサンチャゴ教会に加護を求めて巡礼を行っています。 第三には観光と娯楽の目的もあったと言われています。 現代では信仰目的の人も多いのですが自分の健康と体験のため、また人生の区切りとして歩く人が多いと思われます。 サンティアゴ巡礼路は1993年にUNESCOの世界遺産に登録され、年々巡礼者の数も増加しています。 また、聖ヤコブの日(7月25日)が日曜日となる聖年にはサンティアゴ大聖堂の栄光の門が開かれる為、前回の聖ヤコブ年の2010年には年間で28万人の記録的な巡礼者で賑わいました。しかしながらその後も巡礼者は増加し2018年は年間で327,000人となっています。(次回の聖年は2021年です。)


                           参考資料 「スペイン巡礼史」(関哲行) 他

   さまざまな巡礼路

 7Map 3

   (クリックすると拡大出来ます。)   
    Camino de Santiago Map : http://www.gronze.com/camino-de-santiago より


 3. GR653 Chemin d'Arles(アルルの道)から
                 Camino Aragonés(アラゴンの道)

フランス国内からの4つのルートの中で最も素朴な巡礼路と言われ、フランス南西部の古都アルル(Arles)を出発点としてモンペリエ(Montpellier)、ツールーズ(Toulouse)を経由してソンポルト峠(Col du Somport)までの道です。ソンポルト峠(Col du Somport)からスペイン国内へ入り、フランス人の道(Camino Frances)のプエンテ・ラ・レイナ(Puente la Reina)に合流する区間はアラゴンの道(Camino Aragonés)と呼ばれています。フランス国内ではこのルートをGR653の長距離ハイキングルートとして整備されています。フランス国内はもとよりピレネー山脈を越えるこのルートは山間区間が多くアップダウンもある事からそれだけに歩く人は少なく宿泊施設も比較的少ない状況ですが、歴史的な遺跡や建造物も多く静かな素朴な巡礼路を楽しむ事が出来ます。 私はアルルの道(Chmin d'Arles)はオーシュ(Auch)からソンポルト峠を越え、プエンテ・ラ・レイナ(Puente la Reina)までを歩きましたが、歩いた記録は下記を参照下さい。

     「GR653 アルルの道(Chmin d'Arles)からアラゴンの道(Camino Aragonés)」:
          オーシュ(Auch)からソンポルト峠/ソンポルト峠からプエンテ・ラ・レイナ

      

 4.Camino Frances (フランス人の道)     

12世紀にスペイン北部がイスラム勢力から奪還された後に主要な巡礼路として定着してきたもので、フランス人の巡礼者が多く歩いたことから”フランス人の道”と言われています。 当時の「サンティゴ巡礼案内」によると主要な巡礼路は4本で、いずれもフランスの主要都市であるパリ(又はトウール)、ヴェズレー、ル・ピュイ及びサン・ジル(現在のアルル)を起点として、これらの巡礼路がPuente la Reinaにおいて一本となります。現在でも、このCamino Francesが主要なルートで最も歩く人が多い(約85%:2010年)フランス国境となるSt.Jean Pied de Portをスタート地点としてピレネー越えをしてスペイン国内へ入ります。

一方ピレネー山脈をソンボートSomport)峠を越えてPuente la Reinaへ至る道は「アラゴンの道」と呼ばれているが標高差も大きいことから、St.Jean Pied de Portから歩く方が一般的となっています。 フランス人の道はパンプローナ、ブルゴス及びレオン等の主要都市を巡り世界遺産となっているカテドラルも有ることから見所の多い巡礼路でありアルベルゲと呼ばれる巡礼宿も多く初めての方も安心して歩けます。 多くの巡礼者はサンティアゴから地の果てと言われるフィステラ岬まで行きますが、バスの便も有るため歩く人は少ない状況です。 St.Jean Pied de Portからサンティアゴまでは約756km(33Etapa:行程)、サンティアゴからフィステーラ岬まで約90kmの距離があります。私が歩いたフランス・ルルドからの「ピエモンの道」「フランス人の道」及び「フィニステーラの道」の記録は下記を参照下さい。  

   「ピエモンの道」:フランス・ルルドからサン・ジャン・デ・ピエドポー(St.Jean Pied de Port)
   「フランス人の道」:サン・ジャン・デ・ピエドポーからサンティアゴ・デ・コンポステーラ
   「フィニステーラの道」:サンティアゴ・デ・コンポステーラからフィニステラ岬

 

 5. Via de la Plata  (銀の道)  

 ローマ時代からスペイン北部の銀を南部のメリダ(Merida)、セビージャ(Sevilla)へ運んだ事から銀の道と言われているが、13世紀以降に南部のセビージャがキリスト教徒の支配に戻ると途中の安全が確保された事からモサラベの道(Camino Mazarabe)とも言われます。Via de la Plataは南部のカディス(Cadiz)からセビージャ(Sevilla)、メリダ(Merida)、サラマンカ(Salamanca)を通過し、アストルガ(Astorga)でフランス人の道と合流します。 途中のサモラ(Zamora)の北から西へ向けてサンチャゴへ向かう道をCamino Sanabresと呼びオウレンセ(Orense)を通る道として現在でも主要な巡礼路のになっています。

Via de la PlataはCamino Francesに比べ距離も長くアルベルゲも少ない事から歩く人は少なく約5%(2010年)で、それだけに豊かな自然と素朴な巡礼路を体験することが出来ます。 特にサカマンカからのVia de la Plataの中心部とCamino Sanabresのオーレンセ近くの山岳部は、このルートの最も素晴らしい巡礼路の区間と言えると思います。 セビージャからアストルガまでは約722kmであり、Camino Sanabresを経由してサンティアゴまでは約1,000kmがあります。 私が歩いたセビージャからの「銀の道」及び「サナブレスの道(Camino de Sanabres)」の記録は下記を参照下さい。

    「Via de la Plata(銀の道)」 セビジャからサンティアゴ・デ・コンポステーラ

 6. Camino Primitivo(プリミティボの道)、Camino del Norte (北の道)

サンティアゴ巡礼はキリストの12使徒の一人である聖ヤコブ(サンティアゴ)が殉教し、その遺体を弟子二人が石の船に乗せ海を果てしなくさまよった末にスペイン北西部のサンティアゴ付近に辿り着き、埋葬したのが紀元1世紀半のことであった。その後墓の場所が不明となりこの墓が再発見されたのは814年と言われています。この為、サンティアゴに聖堂が建てられ当時のアルフォンソ2世が訪れたことからサンティアゴ巡礼が始まったが、その巡礼路が最初の巡礼路でCamino Primitivo(プリミティボの道)と言われています。北の道(Camino del Norte)はフランス北部からの巡礼者がイスラムの影響の少ない比較的安全な北部の海岸沿いを歩いたことから人気がありました。現在はフランスとの国境の町イルン(Irun)を出発点としてバスク自治州のサン・セバスティアン(Donastia San Sebastián)、ビルバオ(Bilbao)等の町を通り、カンタブリア州のサンタンデール(Santander)、アストゥリア州のヒホン(Gijon)を経てリバデオ(Ribadeo)から内陸へ入ってガリシア州のアルスーア(Arzua)でフランス人の道に合流します。

イルン(Irun)からサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Saniago de Compostela)までは、819Kmで32~35日程度を必要です。プリミティボの道(Camino Primitivo)とはヒホン(Gijon)手前で分岐して、オビエド(Obviedo)からメリデ(Meride)経由でフランス人の道に合流するが、巡礼路は山道のアップダウンの多いコースで厳しいが静かな景観の美しい道で、この区間を単独で歩く巡礼者も多くいます。北部の海岸地域を歩くことから終始海を見ながら歩くことが出来て、多くの観光地もあり風光明媚であることから素晴らしい巡礼路歩きを楽しむことが出来てフランス人の道に次ぐ人気のコースでです。しかし、海岸付近はリアス式海岸の為、アップダウンも多くアルベルゲの数も少ないためフランス人の道よりも厳しい巡礼路歩きとなります。

私が歩いた、フランスのビアリッツ(Biarritz)から「北の道(Camino del Norte Coast)」及び「プリミティボの道(Camino Primitivo)」の記録は下記をご覧ください。

    「Camino del Norte(北の道): ビアリッツからサンティアゴ・デ・コンポステーラ)」
    「Camino Primitivo(プリミティボの道):
          ヴィジャビシオーサからサンティアゴ・デ・コンポステーラ」


 7. Camino Inglés(イギリス人の道)

イギリスやヨーロッパの北欧の国々の巡礼者は船でスペイン北部の港へ到着してサンティアゴへの巡礼を行いました。ガリシア州のア・コルーニャ(A Coruña)やフェロール(Ferrol)の港はイギリスからサンティアゴへ向かうには距離も近いために多くの巡礼者が利用した様です。巡礼路は半島の沿岸からサンティアゴへの内陸へ向かいますが標高差は大きくありませんが以外にアップダウンのある道で静から巡礼路です。ア・コルーニャ(A Coruña)からサンティアゴまでは約74Kmでフェロール(Ferrol)から112Kmですが巡礼証明書は100Km以上歩く事が必要なため、現在では多くの巡礼者はフェロール(Ferrol)を出発点として歩いています。フェロール(Ferrol)からは5日又は6日でサンティアゴへ歩けます。フランス人の道の様にBar(バル)やアルベルゲも少ないですが現在では歩く巡礼者も少ない(2014年 約4000人)ので静かな巡礼路歩きが楽しめることから最近人気のルートになっています。私がフェロール(Ferrol)から歩いたイギリス人の道(Camino Inglés)の記録は下記を参照下さい。

    「Camino Inglés(イギリス人の道);フェロール(Ferrol)からサンティアゴ・デ・コンポステーラ」 
 
 

 8. Camino Catalán(カタルーニャの道)

イタリア・南フランスからはアルルの道(Chemin d'Arles)やピエモンの道(Chemin du Piémonte)を歩いてスペイン国内へ入る巡礼者が多かったのですが、中世の巡礼者はスペインの著名な修道院を訪れながらサンティアゴへ向かっていたことから当時からバルセロナ近郊のモンセラット修道院へ立ち寄る巡礼者も多くいました。この為にジローナ(Girona)、バルセロナ(Barcelona)を経由してモンセラット修道院へ立ち寄っていました。モンセラット修道院からはサラゴサ(Zaragosa)経由でフランス人の道(Camino Frances)のログローニョ(Logroño)へ至るか、途中からさらにウエスカ(Huesca)を経てサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院へ向かいアラゴンの道(Camino Aragonés)経由でフランス人の道 (Camino Frances)へ向かいました。

これらの道はカタルーニャ国(現在の州)を歩く事からカタルーニャの道(Camino Catalán)と言われ前者をサラゴサ(Zaragoza)経由(Camino Catalán por Zaragoza)、後者をサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ経由(Camino Catalán por San Juan de la Peña)となっています。モンセラット修道院は現在でもスペインで有数な観光名所になっていますが、この修道院を起点として現在でも巡礼路が整備されています。サラゴサ(Zaragoza)経由の道はメセタ台地の平原を歩きますがサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院へ向かうとウエスカ(Huesca)からアラゴンの山へ向かい洞窟に建設されたサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院へのルートは魅力ある巡礼路になっています。モンセラット修道院からサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院経由でサンティアゴまでは約1,126Kmであり、現在この道を歩く巡礼者は少ないのですが途中の標識やアルベルゲも整備されています。

私はモンセラット修道院の手前のモンレサ(Monresa)から歩き始めサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院経由でサングエッサ(Sanguessa)近郊の聖フランシスコザビエルの生誕地であるハビエル城(Castillo de Javiel)まで歩きました。歩いた記録は下記に記載しています。

   「カタルーニャの道・サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院経由(Camino Catalán por San Juan de la Peña);マンレサ(Manresa)からサングエッサ(ハビエル城)」


 9. Camino Vasco del Interior(バスクの道)

フランスの北部からの巡礼者がフランス人の道へ向かう際にバスク自治州(Pais Vasco)を経由して利用するルートです。一般的にはイルン(Irun)からフランス人の道のサンドラ・デミンゴ・デ・カルサーダ(Sant Domingo Carzada)までが歩かれていますが、かつてはイベリア半島北部からブルゴス(Brugos)への交易路として歩かれていたことから、フランスのバイヨンヌ(Bayone)からブルゴス(Brugos)までをバイヨンヌの道(Via Bayone)と呼ばれています。巡礼路は北部の海岸からオリア河(Oria Ibala)沿いに進み、Gipzkoa(ジプスコア)県,最奥の村セガマ(Zegama)からアラバ(Alava)県との県境に岩壁を刳り貫いたサン・アドリアン・トンネル(Túnel de San Adrián)を通ります。

バスク自治州(Pais Vasco)の首都で欧州グリーン首都に認定された緑多い美しいビトリア・ガステイス(Vitoria/Gasteis)の街をおとずれブルゴス(Burgos)の手前では古代ローマ時代のイタリアの道(Via Itaria)を歩くことが出来る変化の多い美しい道です。イルン(Irun)からブルゴス(Burgos)まで12Etapa、約253Kmです。この区間を単独で歩くも面白いですがフランスのパリの道(El Camino de Tours y Paris)からフランス人の道へ抜ける巡礼者が多く利用しています。歩いた記録は下記に記載しています。

     「Camino Vasco del Interior(バスクの道)」イルン(Irun)からブルゴス(Burgos)へ


 10. Camino de Madrid(マドリードの道)

首都マドリード(Madrid)からカスティージャ(Castilla)の都市間での交易路として歩かれた道が巡礼路として多くの巡礼者に歩かれフランス人の道のサアグン(Sahagún)までがマドリードの道(Camino de Madrid)として整備されました。巡礼路はグアダラーマ山脈(Sierra de Guadarrama)のフエンフリア峠(Puerto de Fuenfria: 1.796 m)を越えてセゴビア(Segovia)へ至り、スペイン中央部を横断するドウロ河(Rio Duoro)を渡り、カスティージャ台地のTierra de Camposを歩きます。この地域はイスラムの侵攻と攻防があったことから現在でも城(Castillo de Coca、Castillo de Granja del Campos等)、要塞等も多く残されており、またセゴビア(Segovia)はもとよりシマンカス(Simancas)やメディナ・デ・リオセコ(Medina de Rioseco)等の歴史的な街が多くあります。 

しかしながら途中のカスティージャ台地(Tierra de Castilla)は木々の無い平原で夏は遮るものが無く暑さが厳しい事と冬はフエンフリア峠(Puerto de Fuenfria)の積雪と平原が乾燥して気温が低いことなどから歩くシーズンが限定される欠点もあります。この巡礼路はマドリード友の会、バヤドリード友の会等が道標等を整備して2004年頃から現在の巡礼者が歩ける様になった事からまだ歩く巡礼者が少なく静かな巡礼路歩きを楽しめます。マドリード(Madrid)からサアグン(Sahagún)まで13Etapa、約321Kmです。歩いた記録は下記を参考にして下さい。

     「Camino de Madrid(マドリードの道)」マドリード(Madrid)からサアグン(Sahagún)へ 

 11. Camino Portugués(ポルトガルの道) 

ポルトガルの道(Camino Portugués)はイベリア半島西南のポルトガルの首都リスボン(Lisboa)を起点としてスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)まで南北に約615Kmを結ぶ巡礼路です。ポルトガルは長くイスラムの支配下でしたがレコンキスタにより1143年にアルフォンソ・エンリケスがコインブラ(Coimbra)に首都を建設しポルトガル王国が建国されました。14世紀になってイサベル王女がサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Sntiago de Compostela)への巡礼を行った事が記録されています。巡礼路はルシタニアの古代ローマ道が歩かれていました。 

ポルトガルの道(Camino Portugués)は多くのサンティアゴ巡礼路の中でフランス人の道(Camino Frances)の道に次ぎ2番目に歩く巡礼者の多い人気の道です。ポルトガルの道(Camino Portugués)のポルトガル国内の区間(特にリスボン(Lisboa)からポルト( O Porto)まで)にはスペインの様な公共(Municipal)のアルベルゲが無い事や一般の道路を歩く事が多い為、多くの巡礼者はポルトガルの道(Camino Portugués)のリスボン(Lisboa)に次ぐポルトガル第二の都市であるポルト(O Porto)を出発点としています。しかしながら年々アルベルゲも増加して道も整備されています。リスボン(Risboa)はポルトガルの首都で多くの観光客が訪れていますが、途中のトマール(Tomar)のテンプル騎士団の修道院や大学都市のコインブラ(Coimbra)やポルト(O Porto)のドン・ルイス一世(Don Luis Ⅰ)橋等の魅力的な世界遺産の都市があり、途中のブドウ畑や美しいタイルジョ)に飾られた教会や住宅など見所もある巡礼路が人気の理由かと思います。歩いた記録は下記を参考にして下さい。

   

「Camino Portugués(ポルトガルの道)」コインブラ(Coimbra)からサンティアゴ(Santiago de Compostela)へ 

 12. Camino Mozarábe(モサラベの道) 

モサラベの道(Camino Mozárabe)はイベリア半島南東部のアンダルシア州の地中海に面したアルメリア(Almeria)を起点としてエストレマドゥーラ州(Extremadura)のメリダ(Mérida)までを南北に結ぶ約620Km(23 Etapa)の巡礼路です。メリダ(Mérida)でVia de la Plata(銀の道)へ合流してサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)へ向かいます。同じくはマラガ(Málaga)とハエン(Jaén)の街からも歩き始める事が出来ます。この巡礼路はイベリア半島がイスラムに征服されていた時代に最後までイスラム支配が残っていたこともあり、グラナダ(Granada)、コルドバ(Cordoba)や各村々にも多くのイスラムの遺跡が残っています。またコルドバ(Cordoba)までの巡礼路は果てしなくオリーブ畑が広がり素晴らしい景観を楽しめます。メリダ(Mérida)はローマ時代の遺跡が世界遺産に指定されており歴史の道とも言えます。 

巡礼路途中の村はまだアルベルゲ(Albergue)が少ない事が欠点でもありますが、道標などは整備されておりこれから多くの方が歩かれると思います。私はグラナダ(Granada)からメリダ(Mérida)までを歩きました。歩いた記録は下記を参考にしてください。 

「Camino Mozarábe(モサラベの道」グラナダ(Granada)からメリダ(Mérida)へ 

13. Camino Ignaciano(イグナシオ・ロヨラの道) 

イグナシオ・ロヨラの道(Camino Ignaciano)はサンティアゴ巡礼路ではなく、カトリック教会のイエズス会を創設した聖人が故郷のバスクからモンセラット修道院を訪れた道が巡礼路となっています。
イグナシオ・ロヨラ(Ignacio López de Loyola)は1491年にバスクのアスペティア(Azpeitia)で貴族の家庭に生まれました。成人になって軍務につきましたが1521年5月20日に行われたパンプローナの戦いで負傷し療養しましたが、その期間中に読んだ本に影響され健康が回復するとカタルーニャのモンセラット修道院へ訪れ、マンレサ(Manresa)の洞窟の中にこもって黙想の時を過ごしました。その後パリ大学へ留学もしてイエズス会を創設しましたがモンセラット修道院へも何度か訪れています。彼の死後の17世紀にはアスペティアに聖堂が建設されました。
このイグナシオ・ロヨラの歩いたロヨラ(Loyola)からマンレサ(Manresa)迄の約670Km(27 Etapa)がイグナシオ・ロヨラの道です。この道のロヨラ(Loyora)からログローニョ(Logroño)間はハイキングコースのGR120等でログローニョ(Logroño)からモンセラット(Montserrat)感はカタルーニャの道(Camino Catalán por Zaragoza)又はエブロの道(Camino del Ebro)として従来から整備されていましたが、これを2015年頃から全コースをイグナシオ・ロヨラの道(Camino Ignaciano)として道標等を整備しました。
またこの道のクレデンシャルや巡礼証明書も発行する事になりました。
ロヨラ(Loyora)からログローニョ(Logroño)間はバスクの山を越えるルートですがログローニョ(Logroño)からサラゴサ(Zaragoza)を経てレリダ(Lieida)間はアラゴン州のモネグロスと呼ばれる荒野を歩きます。サンティアゴ巡礼路としてカタルーニャの道(Camino Catalán por Zaragoza)をあるく人が少ないためアルベルゲ等の整備がされていませんが,イグナシオ・ロヨラが初めてこの道を歩いた1521年から500年となる2022年を聖年として祝う予定でこれからこの道を歩く巡礼者が増加すると思います。
私は2019年10月にマンレサ(Manresa)からロヨラ(Loyora)へ逆ルートで歩きました。歩いた記録は下記を参照してください。

「イグナシオ・ロヨラの道(Camino Ignaciano)」マンレサ(Manresa)からロヨラ(Royola)へ
  

                                           

                                               以上


                                              貝2
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