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「”言葉”が彩る新しい世界へ」取材こぼれ話10選・2
単語
SAOL(Svenska Akademiens Ordlista)
発音
サオル/エスアーオーエル(スヴェンスカ・アカデミーンス・オルドリスタ)
意味
スウェーデン・アカデミーの単語リスト
文法
Svenska Akademiens Ordlistaの頭文字をとったもの。ordlistaは「言葉」ordと「リスト」listaの合成語。
解説
【2018年9月6日追記】スウェーデン・アカデミーには2017年11月以降、大きな動きがあり、2018年4月に新たに4つの「空席」が生じました。2018年度のノーベル文学賞の発表延期を含むこの動きについて、当記事後半に掲載しました。

 言葉は時々刻々と変化します。その言葉が使われている社会のあり方に合わせて、新しい言葉が生まれたり、既存の言葉が違う意味で使われるようになったり、かつては誤用とされていた言い回しが正解になったり。それでは、ある言葉やその用法が「正しい」か否かは、どうやって決まるのでしょうか?
 たとえば日本語の場合、『広辞苑』の改訂版が刊行されると、新しく収録された言葉が話題になります。日本語の場合は、『広辞苑』への掲載が、その単語が「日本語」として認知された一つの指標となるわけですね。ちなみに、2018年1月に刊行される第7版では、こちらに挙げられた語を中心に、一万語が追加されるようです。ドイツ語の場合は、DUDENという独独事典がドイツ・オーストリア・スイスの議会によって正書法(正しいつづり方、文法)の基準を決める辞書に指定されています。
 スウェーデン語において、その機能はSAOLが担っています。『広辞苑』やDUDENとの違いは、企業ではなく、スウェーデン・アカデミー(Svenska Akademien)という国立の組織が作成していることです。スウェーデン・アカデミーは、ノーベル文学賞を選考する団体として知られますが、実は、スウェーデンの言語と文学のカノンを決める組織として、SAOLのほか辞書や作家全集の刊行を行っています。


▲ストックホルム・ガムラスタンにあるスウェーデン・アカデミーの建物。ノーベル賞博物館を併設。


▲スウェーデン・アカデミー会員(2018年9月現在)。赤字は女性会員。

 スウェーデン・アカデミーは、1786年にスウェーデン王グスタフ3世が創立しました。16世紀・17世紀のスウェーデンは、バルト海沿岸や北海につながる広大な領土を持ち、「バルト帝国」と呼ばれていました。その凋落を受け、グスタフ3世は1771年にクーデターで王権を奪取、対ロシアの軍事力拡張と並び、フランスをモデルとした絶対王政の確立を目指します。ブルボン王朝への接近や、フランスのアカデミー・フランセーズに倣ったスウェーデン・アカデミーの創設はその政策の一環でした。


▲左は1561年(緑)から1658年のスウェーデンの領土。1629年に黄色、45年に黄土色、48年に橙色、58年に赤を獲得。右は18世紀後半の領土。


▲左が即位したころのグスタフ3世。『ベルサイユのばら』にマリー・アントワネットの恋人として登場する貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンをフランス宮廷に送ったのもグスタフ3世です。右は、漫画の中でグスタフ3世の名前が出てくる箇所。フェルゼンが「スウェーデン近衛隊をひきいてしばらく故郷へ帰」り、「ロシアと戦わねばならない」のは、ロシアへの軍事的拡張をグスタフ3世が目指していたからです。

 こうして創設されたスウェーデン・アカデミーは、歴史の中で機能を拡大し、現在では、ウェブサイトも使ってスウェーデン語と文学のカノンを発信しています。主な仕事は、
・スウェーデン語辞書SAOB(Svenska Akademiens Ordbok)の編纂
・SAOLの編纂
・ノーベル賞を含む各賞の選考
・ノーベル賞の選考を補佐するノーベル図書館の運営
です。

 SAOBとSAOLの違いについては、SAOB公式サイトに 「SAOBはSAOLではない」(SAOB ar inte SAOL)という項目が設けてあります。ここでの説明によると、
SAOBは1521年から現在までの広範囲で歴史的な辞書で、項目数は約490000語
SAOLは単語数や意味の説明を限定的にした1巻に収まる辞書で、項目数は約126000語
なんだそうです。


▲スウェーデン・アカデミーが選考する各賞のリスト。国際的な賞=ノーベル賞の選考はむしろ例外的で、多くの賞はスウェーデンの言語と文学を対象としています。
 
 スウェーデン語は、母語話者が900万人程度、外国語として学ぶ人も少ない「マイナー言語」です。スウェーデン・アカデミーは、その保全と発展に大きな役割を果たしてきました。その一方、スウェーデン・アカデミーの存在がスウェーデン語や文学の保守化を招いている、という批判も根強くあります。
 
【2018年9月6日追記】
 スウェーデン・アカデミーには、2017年11月に大きな動きがありました。この動きは「スウェーデン・アカデミーの危機」と呼ばれ、現在も完全には解決していません。以下にその経緯をわたしが知っている範囲で書きます。なお、当事者の固有名詞はスウェーデン・アカデミーの公式ホームページでは明らかにされていませんが、スウェーデンの各紙報道では公開されているため、この記事でも公開します。
 
 「スウェーデン・アカデミーの危機」について書く前に、スウェーデン・アカデミーの体制的な問題を明らかにした二つの象徴的な出来事について書きます。
 一つ目は1989年の「サルマン・ラシュディ事件」。これは、イギリス領インド出身の作家サルマン・ラシュディ(1947-/現在はイギリス・アメリカ国籍)の『悪魔の詩』がムスリムを侮辱したとして、イランのホメイニが死刑宣告(ファトワ)を出したことに端を発します。これを受け、日本語訳者の五十嵐一の暗殺をはじめ、各国で翻訳者が襲撃され、ラシュディも命を狙われることとなりました。スウェーデン・アカデミーでは、ラシュディの保護宣言を出すか否かの議論が行われましたが、保護宣言を出さない決定が下されました。これを受け、二名の会員がスウェーデン・アカデミーでの「活動を停止」しました。なぜ「辞任」ではなく「活動停止」かというと、スウェーデン・アカデミーは終身会員制という制度上、辞任できないからです。名前を残したまま会議に参加しないことはできますが、その会員が存命中はその席に新たな会員を就任させることができません。ラシュディ事件で活動停止を表明した二名のうち、ラーシュ・イレンステンは2006年に死去し、「椅子番号14」に、クリスティーナ・ルグンが就任しました。活動を停止したもう一人シャシュティン・エクマンは存命で、現在に至るまで、(リンドグレーンが受賞できなかった理由を50年経過する前に明らかにするなど)折に触れてスウェーデン・アカデミーを批判しています。この事件を通じ、スウェーデン・アカデミーの政治姿勢や「保守性」のほか、「終身会員制」の問題点が浮き彫りになりました。
 二つ目は2012年のノーベル文学賞受賞者への便宜供与疑惑です。この年にノーベル文学賞を受賞した中国の作家莫言の書籍をスウェーデン語訳したのは、スウェーデン・アカデミー会員でこの年のノーベル賞委員も務めていた中国学者のイェラン・マルムクヴィストでした。ノーベル文学賞を受賞すると、その著者の書籍はよく売れます。2000年にノーベル文学賞を受賞した高行健(中国出身、フランス国籍)の作品も、受賞発表後数週間でマルムクヴィストによるスウェーデン語訳が出版された経緯があり、国営放送『スヴェリイェス・テレヴィジョン』は、ノーベル賞委員と利害関係にある莫言の受賞を不正と指摘しました。これに対し、当時の事務局長ペーター・エングルンドは「便宜供与にあたらない」と回答しました。この事件は、巨額が動く中で公平性を担保する難しさとともに、「スウェーデン・アカデミーで中国(アジア)に通じた会員はマルムクヴィストのみで、中国語の作家を選考するに当たっては翻訳家でもあるマルムクヴィストの意見は外せない」という人材の偏りや業界の狭さを明らかにしました。
 
 2017年から18年にかけての「スウェーデン・アカデミーの危機」は、フランス出身の舞台演出家ジャン=クロード・アルノーの性犯罪疑惑に端を発します。アルノーは、1965年ごろからスウェーデンで活動、1989年にスウェーデン人作家カタリーナ・フロステンソンと結婚し、同年、フロステンソンと共同名義でストックホルムの演劇施設「フォールム」を設立。フロステンソンは1992年にスウェーデン・アカデミー会員となりました。2010年以降、「フォールム」は、スウェーデン・アカデミーから毎年126000クローナ(2018年9月6日のレートで155万円)の資金援助を受けていました。


▲2017年11月時点でのスウェーデン・アカデミー会員

 2017年11月、#metoo運動を受け、スウェーデンの新聞『ダーゲンス・ニューヘーター』誌上で、18人の女性が、アルノーに性的関係を迫られたり、暴行されたりしたと告発しました。この報道を受け、アルノーの過去のセクハラも改めて注目されました。1997年には新聞『エクスプレッセン』が、「若い女性が、アルノーのセクハラについて当時のスウェーデン・アカデミー事務局長ストゥーレ・アレン に手紙を送った。複数の女性がハラスメント被害を訴えたが、アカデミーは対応しなかった」と報じています。また、マヤ・ルンドグレーンの小説『蚊と虎』(Maja Lundgren:Myggor och tigrar, 2007)には、アルノーをモデルにした「ジャン=クロード・ウタノード」(Jean-Claude utan Nad/優美さを欠いたジャン=クロード)という人物が登場します。さらに、アルノーがノーベル文学賞受賞予定者の名前を発表前に漏洩した疑惑も浮上しました。ノーベル文学賞の受賞者予想は毎年オッズの対象となるため受賞者が事前にわかると多額のお金が動きます。また、アルノーが受賞予定者を事前に知っていたならば、その情報は妻のフロステンソンが伝えた可能性が高くなりますが、発表までは守秘義務があるため、その場合はフロステンソンも罪に問われます。これらのすべての疑惑をアルノーは否定しました(現在も否定中)。
 一連の報道を受け、スウェーデン・アカデミーの事務局長サラ・ダニウスは積極的な対応を行いました。ダニウスは2013年にスウェーデン・アカデミーの「椅子番号7」に就任、2015年に事務局長に就任しました。「椅子番号7」が女性で初めて会員となったラーゲルレーヴの席であること、女性の事務局長就任が初めてであったことから、ダニウスはスウェーデン・アカデミーにおける女性活躍の象徴的な存在でした。ダニウスは、弁護士事務所ハンマーショルド・カンパニーに調査を依頼し、以下の報告を受け取りました。
  • 18人の女性の告発は真実
  • スウェーデン・アカデミーの奨学金、賞、財政援助の決定にアルノーは直接的・間接的な影響を与えていない
  • 「フォールム」への資金援助決定は、アルノーとフロステンソンの婚姻関係を明らかにしたうえで行われたため、違反である
  • アルノーはノーベル文学賞受賞者7名の名前を漏洩した(1996年のシンボルスカ、2004年のイェリネク、2005年のピンター、2008年のル=クレジオ、2014年のモディアーノ、2015年のアレクシエヴィチ、2016年のディラン)
この調査報告を受け、スウェーデン・アカデミーは刑事告訴を協議しましたが、会員の過半数の同意を得られませんでした。

 2018年春以降、アルノーとフロステンソンへの対応をめぐる内部対立が深刻化・表面化しました。
 2018年3月に、スウェーデン・アカデミーは「フォールム」との協力関係解消と資金援助打ち切りを決定。4月5日にはフロステンソンの除名をめぐって投票が行われました。会員のうち6名が除名に賛成し、8名が反対したため、除名は見送られました。この決定を受け、スウェーデン・アカデミー会員のシェル・エスプマルク、クラース・エスターグレーン、ペーター・エングルンドは、『ダーゲンス・ニューヘーター』に対し、ダニウスへの支持を表明するとともに、アカデミーの除名見送りおよび一連の「弱腰対応」に抗議し、「活動停止」を宣言しました。また、ペール・ヴェストベルイは新聞『スヴェンスカ・ダーグブラーデット』に対し、「除名賛成」に投票したこととアカデミーに残ることを表明しました。4月8日、ダニウスが国王に面会し、9日には国王が「悲しいことだが、我々がそれを解決できるよう願っている」というコメントを出しました。
 一方、「除名反対」に投票した会員も各メディアに対し意見を表明しました。ジェイン・スヴェヌングソンは、国営放送『スヴェリイェス・テレヴィジョン』に、「法的観点からは不確かな根拠での除名には反対」と説明。4月8日には除名反対派の会員8名(リアド、ルグン、アレン、エングダール、スヴェヌングソン、ラルフ、オルソン、マルムクヴィスト)が『スヴェンスカ・ダーグブラーデット』に公開書簡を出し、弁護士事務所が、匿名を条件に調査を行ったことを批判しました。会員8名はアルノーの性犯罪は認めたうえで、それはフロステンソンの除名に充分な法的根拠ではないと表明しました。そして、スウェーデン・アカデミーの歴史の中で除名は一度(1794年、グスタフ・マウリッツ・アルムフェルト)のみであり、今回の発議を「暴力的」と批判しました。続けてマルムクヴィストは、メディア『TT』の取材に対し、「匿名で証言をするのは根拠が希薄だからだ」と発言しました。
 4月12日にスウェーデン・アカデミーの定例会が開かれ、ダニウスの事務局長辞任とアカデミー会員としての活動停止が決定しました。定例会後の会見で、ダニウスは「わたしが事務局長を辞任し、アカデミーを去るのはアカデミーの意思です。わたしは続けることを選びたかったのですが、この人生にはほかにもやることがあります。」と発言しています。この会見の席で、サラ・ストリッズベルイはダニウスへの賛意を表明しました(4月27日に「辞任」を表明)。この定例会では同時に、アルノーの妻フロステンソンの活動停止も決定しました。
 サラ・ダニウスの事務局長辞任と活動停止を受け、インスタグラムでは#knytblusforsara(サラのためのリボンブラウス)という運動が開始されました。ダニウスが首元にリボンのついたブラウスを好んで着用することにちなみ、政治家や市民がリボンを巻いてダニウスを支持し、アカデミーを批判するという運動で、現在も続けられています。

▲左:2017年10月5日、ノーベル文学賞の発表に臨むダニウス。出典:https://www.570news.com/2018/04/30/will-there-be-a-nobel-literature-prize-this-year-stay-tuned/
中上:2018年4月12日、事務局長辞任・会員活動停止会見に臨むダニウス。右はストリッズベルイ。出典: https://www.svt.se/kultur/bok/stridsberg-jag-har-stridit-for-danius
中下:ツイッターでダニウス支持を表明する人たち。出典:https://twitter.com/mikaeldamberg/status/984695784431112192
右:インスタグラムでダニウス支持を表明する文化・民主主義担当相アリス・バー・キューンケ。出典:https://www.instagram.com/p/BhfylTnhVde/?hl=de&taken-by=alicebahkuhnke

 ラシュディ事件で活動を停止したエクマン、2015年から活動を停止していたロータス(活動停止の公表は2017年)に加え、エスプマルク、エスターグレーン、エングルンド、ダニウス、ストリッズベルイ、フロステンソンが活動を停止したことで、活動するスウェーデン・アカデミー会員は10名となりました。各種決定には「会員数の過半数(10名以上)」「会員数の2/3(12名)」などの賛成が必要であるため、8名が活動を停止し、後任が補充できない状態では、スウェーデン・アカデミーが機能しなくなってしまいます。

 4月20日、スウェーデン・アカデミーは公式サイトで以下の発表をしました。
<弁護士事務所ハマーショルド・カンパニーの調査結果の報告とそれに対する見解>
  • アルノーに対する18人の女性の告発を認める(ただし、スウェーデン・アカデミー会員は関知していなかった)
  • 1997年にセクハラへの訴えを放置したことへの遺憾
  • セクハラ・性暴力に距離を置く宣言
  • スウェーデン・アカデミーの奨学金、賞、財政援助の決定に、アルノーは直接的・間接的な影響を与えていない(ただし、「フォールム」への資金援助決定は、アルノーとフロステンソンの婚姻関係を明らかにしたうえで行われたため、違反である)
  • ノーベル文学賞受賞者名の漏洩があった
  • 調査結果は法務局に引き渡す
    ※上では時系列で書きましたが、公開されたのはこの時です

<今後について>
  • 暫定的な事務局長はアンデシュ・オルソン
  • 国王カール16世グスタフは、スウェーデン・アカデミー脱退規定を定めることを決定(後任の選出が可能になる)
  • 今後は、内部および対外部のコミュニケーションのあり方を変更(スウェーデン・アカデミーの法的能力の強化、規則の変更)
  • ノーベル文学賞選考は例年通り行う

5月2日、スウェーデン・アカデミーの退会規定(2年以上活動停止等、退会条件を定める)が制定され、活動を停止した会員の除名と後任の選出が可能になりました。これを受け、7日にエクマン、ロータス、ストリッズベルイ、エスターグレーンの「辞任」が受理されました。2018年9月6日現在、ダニウス、エングルンド、エスプマルク、フロステンソンは「活動停止」状態です。また、5月4日には2018年のノーベル文学賞は、選考は例年通り行うが、発表は2019年にその年の発表と同時に行うことが決定しました。


▲現在の会員。「危機」を受けて立場に変化のあった個所を黄色くマーク。

 「スウェーデン・アカデミーの危機」を通じて、わたしは二点が明らかになったと考えています。
 一点目は、スウェーデン・アカデミーにおける女性の地位の低さです。長年にわたるセクハラがまかり通ってきたこともですが、今回このことを調べて驚いたのは、「女性の進出が意外と遅い」ことでした。ラーゲルレーヴは1914年に女性初の会員になり、「危機」以前は18名中7名が女性会員でした。しかし、エクマンは1978年に史上3番目の女性会員として選出。1914年から78年までの60年間に女性会員は一人(1944年のエリン・ヴェグナー)しか選ばれなかったことになります。ダニウスは2015年に初の女性事務局長に就任。ストリッズベルイは2016年にグンネル・ヴァルクヴィストの後任として会員になりますが、女性から女性に「椅子番号」が引き継がれたのはこの時が初めてでした。ここで見られる「進出の遅さ」からも、今回「辞任」「活動停止した」のがほかならぬその女性会員たちであった事実からも、「スウェーデン・アカデミーの危機」の背景にアカデミーにおける女性の進出の遅さや地位の低さがあると言わざるを得ません。
 ただし、注意しておきたいのは、アカデミーの内部対立の直接の原因はアルノーではなくフロステンソンの対応をめぐるものであったことと、今回の件に限っては「男性会員対女性会員」という対立構造は必ずしも成立しなかったことです。
 フロステンソンの除名に反対した8名の反対理由は、夫の性犯罪を理由に妻を罰することはできないというものです。フロステンソンは守秘義務のある受賞者名をアルノーに明かしたという点でアカデミーの規定に違反していますが、それは除名に値するほどの罪ではないし、匿名調査ではフロステンソンが守秘義務違反を犯したことを確定できないという慎重論です。スウェーデン・アカデミーの「保守性」は、今回は悪い面ばかり露呈しましたが、他の権力や世論に干渉されない文学の場があることはデメリットばかりではないはずです。また、フロステンソンの除名投票の時点で、女性会員のロータスとエクマンは活動を停止しています。フロステンソンは当事者、ダニウスは議長であったことを考慮すると(※フロステンソンとダニウスが投票に参加したか否か、ストリッズベルイと男性会員のスヴェンブローが投票に参加したか否かは調べた範囲ではわかりませんでした)、投票した14名のうち、女性会員は3名(フロステンソンもしくはダニウスが参加した場合は4名)。除名反対を表明した8名のうち2名は、女性会員のルグンとスヴェヌングスソンです。賛成を表明した6名の中で氏名が明らかなエスプマルク、エスターグレーン、エングルンド、ヴェストベルイは男性会員です。
 「スウェーデン・アカデミーの危機」の背後にある女性差別の構造に敏感であることと、様々な要素を持つ個々の問題を女性差別問題へと単純化することは、慎重に区別すべきです。
 二点目は、スウェーデンの文化界における「身内贔屓」です。この背景には、莫言の件でも示唆されたスウェーデンの文化界の「小ささ」があります。スウェーデンは人口1000万人、神奈川県900万人とほぼ同程度です。統計の取り方にもよりますが、大学進学率は日本の半分くらい。文化活動にかかわる人口は限られており、親戚関係・交友関係もその中で展開されることが多いです(文化活動に関わるのが大学進学者に偏っているのももちろん問題です)。スウェーデン・アカデミー会員の経歴を見ると、親族に有名な文化人がたくさんいることが多いですし、スウェーデン人の友達と話していると、「ラーゲルレーヴと僕のおじいちゃんが一緒に写った写真があるよ」「リサ・ラーソンとわたしのおばあちゃんは友達よ」「ノーベルは夫方の親戚よ」といったことが高確率で話題に上ります。サラ・ダニウスもわたしと同時期にウップサラ大学文学部にいたそうで、わたしは面識はありませんが、共通の知人がたくさんいます。自分の交友関係を自慢したいわけではなく、作家活動、芸術活動、研究活動はきわめて狭い範囲で展開されているのです。このような状況は「小さなスウェーデン」と呼ばれています。
 「危機」では、「フォールム」への資金援助がアルノーとフロステンソンの夫婦関係を理由に行われたとの結論が出ました。「年間155万円」は、日常生活の感覚からは大金ですが、国立組織の文化施設に対する援助額としてはきわめて巨額というわけではありません。アルノーが結婚前から演出家として高い評価を得ていたこと、フロステンソン自身も作家としての業績があってスウェーデン・アカデミー会員に選出されたことを考えると、あくまで個人的な印象ですが、「身内贔屓」がなければ「フォールム」がこのレベルの資金援助を受けられなかったとは断定できません。そして同時に、「小さなスウェーデン」において、今後、スウェーデン・アカデミーが各種団体に資金援助をする際に、会員と個人的な関係のある人物を完全に排除するのも難しいです。だから身内贔屓が許される訳ではないし、現在のように限られた人だけが文化を独占するあり方は問題ですが、たとえば「スウェーデン・アカデミーを解体して一からやり直せ」は暴論で、仮に解体して新しく会員を選出したとしても同じ問題が起こります。
 
 女性蔑視と併せて今回改めて問題になったのは、スウェーデン・アカデミーの秘密主義や保守主義でした。たとえばノーベル文学賞をめぐる不正や疑惑は、選考過程の不透明さや閉鎖性にその一因があります。今年度の発表延期を受け、スウェーデンでは、文学関係の有志が「新アカデミー」(Den Nya Akademien)を立ち上げ、一般の投票なども取り入れた新しい文学賞を設立しました。
 スウェーデン・アカデミーの問題点を受けて、新しい文学のあり方を模索していくことは、望ましいことです。ただ、どんなに民主的に選んだとしても、「ある団体が、ある作家を「優れた作家」として選出し、賞を与える」というやり方は、必ず権威付けを生み出しますし、上記のような文化界の構造の中で、誰もが納得する公正な結果は導き出せないと思います。一般の人が投票に参加した場合には、よく知られた人気作家や市場の大きい英語作家が「有利」になることも避けられないでしょう。その意味で、現在問われているのはスウェーデン・アカデミーのあり方だけでなく、「賞によって文学を権威付けする」「その権威付けが個人の利益に直結する」構造です。しかし、ノーベル文学賞をはじめとする様々な賞によって世界の文学市場が潤い、知られざる作家が脚光を浴びたり、翻訳されたりしてきた事実は軽視できません。そうした賞をなくせば文学は「健全化」するかもしれませんが、同時に市場の弱体化は否めないでしょう。お金が動くところでは利権が生まれ、不正が行われますが、そのお金がなければ文学活動や芸術活動はできません。
 最後はスウェーデン・アカデミーやノーベル文学賞ではなく一般論になってしまいますが、そしてご都合主義的な締めですが、文学活動を公正・健全に存続するため、発展させるためには、様々な複雑な課題があるのだということを改めて感じました。これらの課題が少しでもクリアされ、不正が正されるとともに、渦中にある人々がいたずらに摩耗せず、適切な形で文化活動に復帰(もしくは引退)できることを願っています。
参考文献
参考URL
関連業績
・スウェーデン・アカデミー公式ウェブサイト:スウェーデン語版    英語版  
 ・SAOB(Svenska Akademiens Ordbok)(スウェーデン語)
 ・SAOL(スウェーデン語)
 ・ノーベル賞の選考 ノーベル賞公式ウェブサイト(英語)
 ・各賞の選考 ノーベル賞公式ウェブサイト
地図の出典 Historical Maps of Scandinavia
・トップページ https://www.edmaps.com/html/scandinavia.html
 ・Sweden, 1561-1658
 ・Sweden in the Second Half of the 18th Century
・フェルゼンの紹介:ブログ「さかなのためいき、ねこのあしおと」
 ・「 ストックホルム4 ノーベル博物館」
 ・「ストックホルム5 フェルゼン補足とストックホルム散歩」
・広辞苑第7版特設サイト http://kojien.iwanami.co.jp
  ※「特色」に追加項目一覧があります。
・DUDEN公式サイト  https://www.duden.de
・中丸禎子「「父の娘」のノーベル文学賞 セルマ・ラーゲルレーヴ『ニルスの不思議な旅』が描く国土と国民のカノン」、『文学』第17巻第5号/2016年9・10月号(岩波書店)2016年9月、pp.89-113
 
「スウェーデン・アカデミーの危機」関連
・新聞記事(ウェブ公開。閲覧日はすべて2018年7月28日)
 ・リンドグレーンの非受賞
  ・Greit at Lindgren ikke fikk Nobelprisen http://www.aftenposten.no/kultur/ Greit-at-Lindgren-ikke-fikk-Nobelprisen-568074b.html
 ・ラシュディ事件
  ・Wikipedia Salman Rushdie-affaren https://sv.wikipedia.org/wiki/Salman _Rushdie-affaren
  ・Akademien ar ingen svikare https://www.expressen.se/debatt/akademien -ar-ingen-svikare/
 ・莫言への便宜疑惑
  ・Misstankt jav i Svenska akademien https://www.svt.se/kultur/bok/akademien -kan-ha-brutit-mot-javsregler(2012年10月16日、スウェーデン)
  ・Peter Englund: Ingen javssituation https://www.svt.se/kultur/bok/peter -englund-det-har-ar-inte-jav(2012年10月16日、スウェーデン)
・2017-18の危機
 ・出来事をまとめた記事
  ・Detta har hant: Krisen i Svenska Akademien ? pa 3 minuter https://www.aftonbladet.se/nyheter/a/yvb9We/detta-har-hant-krisen-i-svenska-akademien--pa-3-minuter
  ・Krisen i Akademien ? detta har hant  http://www.gp.se/kultur/krisen-i-akademien-detta-har-hant-1.6523970
 ・個々の記事
  ・18 kvinnor anklagar kulturprofil for upprepade overgrepp  http://www.gp.se/kultur/krisen-i-akademien-detta-har-hant-1.6523970
  ・Kulturprofilens advokat: ”Atalet ar en synd och en skam”  https://www.aftonbladet.se/nyheter/a/kazAJX/kulturprofilens-advokat-atalet-ar-en-synd-och-en-skam
  ・Efter krismotet: Avbryter all kontakt med kulturprofilen  https://www.aftonbladet.se/nyheter/a/xRABqR
  ・Akademiens sekreterare vill bryta med anklagade kulturprofilen  https://www.aftonbladet.se/nyheter/a/wE6Jj4
  ・Utredning klar: Kulturprofilen avslojade namn pa sju Nobelpristagare i forvag https://www.aftonbladet.se/nyheter/a/gPBJrA
  ・Sara Danius motte kungen pa Drottningholms slott https://www.aftonbladet.se/nyheter/a/7lQBmK
  ・Krismote om fortroende for Danius  http://www.nt.se/kultur-noje/krismote-om-fortroende-for-danius-om5241307.aspx
  ・Danius och Frostenson lamnar Akademien http://www.gp.se/kultur/kultur/danius-och-frostenson-lamnar-akademien-1.5593071
  ・Per Wastberg: ”Tva kvinnor offrades ? en skamfack pa Akademien” https://www.aftonbladet.se/nyheter/a/9mMM7w/per-wastberg-tva-kvinnor-offrades--en-skamfack-pa-akademien
  ・8 akademiledamoter: Inte nog starka skal att utesluta  https://www.svd.se/atta-ledamoter-skalen-att-utesluta-inte-starka-nog
  ・Atta ledamoter: Darfor rostade vi emot en uteslutning https://www.svt.se/nyheter/inrikes/akademiens-ledamoter-rostade-emot-uteslutning
 ・「新アカデミー」公式ウェブサイト https://www.dennyaakademien.com/
 ・日本での報道・意見表明
  ・木村正人「ノーベル文学賞が機能停止の危機「疑惑の男」女性18人セクハラ、受賞者漏洩、情実運営の果てに」 https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20180411-00083834/
  ・木村正人「ノーベル文学賞の発表が見送られた セクハラ構図はいずこも同じ 腐敗を生む秘密主義と特権階級」  https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20180504-00084827/
  ・木村正人「セックスと金と欲望まみれのノーベル文学賞は解体的出直しを 腐敗黙認「神格化」の落とし穴」 https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20180413-00083950/
  ・Togetter(鴻巣友季子ツイートまとめ)「ノーベル文学賞の発表延期の舞台裏ANDジュノ・ディアスの告発」 https://togetter.com/li/122448