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「”言葉”が彩る新しい世界へ」取材こぼれ話10選・3
単語
fika, kaffetår, påtår, tretår, krusetår, pintår
発音
フィーカ、カッフェトール、ポートール、トゥレートール、クリューセトール、ピーントール
意味
fikaは「コーヒーを飲みながらまったりとおしゃべりする」、kaffetår以下は「1~5杯目のコーヒー」
文法
fikaはもともと「熱望する」という意味の動詞。
tårはもともと「涙」、転じて「一滴」「一杯」。kaffeは「コーヒー」(名詞)、påは「~の上に」(前置詞)、treは「3」(数詞)、kruseは「ジョッキ」「樽」(名詞)、pinは「まったく」「ぞっこん」(副詞)。4杯目まではSAOLに掲載。
解説
 スウェーデンにいたときに食事面で印象に残ったのは、コーヒーがおいしいことでした。カフェやレストランで出てくるコーヒーも、スウェーデン人のうちに招かれて出されるコーヒーも、大学でみんなが集まる部屋で飲むコーヒーも、自動販売機で100円(クローナですが)入れると紙コップに注がれるタイプのコーヒーも、ぜんぶおいしい。「”言葉”が彩る新しい世界」でいくつか情報提供をした中からコーヒーに関する回答を採用していただいたのはとても良かったです。数え方のヴァリエーションは、実は取材の下準備で初めて知りました。
 コーヒーの数え方を調べた理由は、日経の特集のきっかけになったサンダース『翻訳できない世界のことば』に、tretårが掲載されていたからです。treは「3」なので、これ自体は「翻訳できない」わけではなく、どのような基準で採用されたのか分かりませんが、上記に書いた通りスウェーデンではコーヒーがおいしかったこと、スウェーデン文学でコーヒーを飲む場面が多いことを思い出して調べてみました。すると1~5杯目ですべて呼び方が異なることが判明。fikaもそうですが、もともとコーヒーとは関係ないはずのtårがコーヒー関連に転用されているのが面白い。そして、tårの上についている品詞がそれぞれ違うことに驚きました。påtår以下は、紅茶などコーヒー以外の2杯目以降も表すようですが、スウェーデンでは紅茶より圧倒的にコーヒーを飲むことが多い気がします。
 以下、スウェーデンの文学や映画の中でコーヒーを飲む場面を思いつくままあげてみます。
(例1)ラーゲルレーヴ『ニルスの不思議な旅』で、14歳の少女オーサが、旅先で亡くした弟マッツの葬式の来客にコーヒーをふるまい、「きちんとした葬式」をする。
(例2)同じくラーゲルレーヴ『イェスタ・ベルリングのサガ』で、牧師の就任祝いにみんなでコーヒーを飲む。
(例3)リンドグレーン『やかまし村の子どもたち』の映画では、夏至祭において、子どもたちがいろいろな遊びをするのを見ながら大人たちがコーヒーを飲む。
(例4)20世紀以降にスウェーデン全土に広まった冬の祭り「ルシア祭」(12月13日)では、朝早い時間に、その家の娘が白い服に赤い帯を締め、頭にろうそくを立てて「サンタ・ルチア」を歌いながら、ベッドにいる家族にコーヒーを運ぶ。


▲ストックホルム・ガムラスタンのカフェにて


▲こちらもストックホルム。左は年配の友人エイヴォルさん宅でごちそうになったセムラとコーヒー、右は友だちのカタリーナと半分こしたカネール・ブッレ


▲イェーテボリのグンネルさん宅でごちそうになったケーキとコーヒー


▲ラップランド行の電車で食べた朝ごはんと、アビスコの山小屋で食べた朝ごはん


▲ストックホルムのヴァーサ公園で友だちのヘレネにごちそうしてもらったアイスと、ウップサラで食べたケーキ

 これらの写真を探していて、それぞれのコーヒーは、一緒に飲んだ人たちがわたしを大切にしてくれた記憶や、スウェーデンという知らない土地で抱いた、美しさや寒さ、充実感や空腹など様々な感覚の記憶と結びついていると思いました。その意味で、コーヒーは単なる飲み物ではなく、コミュニケーションのツールであり、生活文化の一部なのだと思います。
 fikaは、留学をしたときに知り、実地で使うことで意味を理解していった(文学者だと辞書に頼ることが多いので、稀有な)言葉です。「コーヒーを飲みながらまったりとおしゃべりをする」と訳しましたが、「コーヒーを飲む」「まったりする」「おしゃべりする」のどれが欠けてもfikaではない、というのがわたしの理解です。所属していたウップサラ大学文学部では、週に1度カフェ・ミーティングの時間があり、そこで、「誰々さんの新刊が出た」「何々というイベントがもうすぐある」「留学生が来た」といった報告がなされていました。その前に留学していたベルリン・フンボルト大学では授業以外で学生が集まる機会はありませんでした。このミーティング、いつもはコーヒーだけなのですが、わたしが2回目に行ったときは、わたしが帰ってきたからということでケーキが用意されていたのが嬉しかったです。
 この「フィーカ」という語、近年の日本では、スウェーデンのスローライフの象徴として紹介される例を見かけるようになりました。ただ、それはとても一面的な見方です。というのは、わたしをfikaに誘ってくれたスウェーデン人たちは、その前後にはきわめて勤勉に仕事をしていたからです。ウップサラ大学の週に一度のカフェ・ミーティングにしても、コーヒーを飲みながら15分程度の各種報告が行われていましたが、決められた時間が過ぎると、無駄なおしゃべりをすることなく、みんなさーっと仕事に戻っていきます。fikaは、そこだけを取り出してスウェーデン人はスローライフ!みたいにステレオタイプ化するのではなく、その前後の「勤勉な労働」とセットでとらえてほしい言葉です。
参考文献
参考URL
関連業績
・エラ・フランシス・サンダース『翻訳できない世界のことば』前田まゆみ訳、創元社、2016
・セルマ・ラーゲルレーヴ『ニルスのふしぎな旅』(下)菱木晃子訳、福音館書店、2007(第44章)
・セルマ・ラーゲルレーヴ「ゲスタ・ベルリング」『野上彌生子全集 第Ⅱ期 第十八巻 翻訳1』所収、野上彌生子訳、岩波書店、1987(初出:家庭読み物刊行会、1921)(第2章)
・ラッセ・ハルストレーム監督映画「やかまし村の子どもたち」「やかまし村ギフトボックス」、角川書店、2013