探索日記
No5
H21/1-
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… 呉羽の史跡・旧跡を自転車で探しています。H18に散歩を始めましたが、呉羽」には、「こんな史跡があるよ」とmailいただければ、早速、自転車を駆ってかけつけます。
mail: kazu@ck-pc.net
教室のURL http://www.ck-pc.net
ブログ http://blog.goo.ne.jp/carl1780
富山県内の古城や史跡・記念碑も余暇のまま記載します。
砺波市万福寺(h20/3/16) 松根城(h20/3/20)土山御坊(h20/4/6)
New増山城 (h21/5/3)富山県内探索へ
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呉羽山から黒川にいたるサイクリングロードの途中にある小川の馬渡川周辺で6月初旬から月末までホタルを見ることができる。黒川と中老田の境あたりです。お決まりの散歩コースを病後久しぶりに走行し見かけた立札。季節を過ぎてしまっていますが。来年こそは。写真を報告。 |
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09/04杉谷6号墳発掘の現地説明会(人文学部考古学研究室)開催。
医学部グラウンド横の竹林の中にあり、元は茶畑であったそうです。
今回は敷石らしきものが墳周部で発見。
45m×30m×2mの長方形。2段の段丘で盗掘がされていないとのことで、今後の進展が期待される。方墳の独特な形状は、出雲地方との交流を伺わせるらしい。写真は墳頂部のトレンチ (発掘溝に塹壕を意味する言葉をあえて使用するのか不可解)
古墳群の詳細は、杉谷自治振興会発刊の「杉谷の里」で |
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新幹線工事のための発掘で170cmにも達する貝層が見つかった。さらに埋葬された人骨が13体発見されている。
6/26現地説明会が開かれ、おおくの地域の方が見学に参加しておられた。7/1より北日本新聞で「人骨は語る縄文・小竹貝塚」がシリーズで掲載されている。
縄文前期の人口が北陸地方で4200人されているが、算出数値も見直されるのでしょうか。
箱物を作れというわけではないですが、近辺の施設内に常設の展示コーナーが欲しくなります。 |
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呉羽三塚の地名由来となった塚だそうです。江戸時代の小竹村の地図にも記載されています。
我が地区の俗称「一ッ塚」の由来となった塚は何処に?お教えください。
県立図書館所蔵 「婦負郡小竹村絵図」請求番号T092.93-78の解説に
”「小竹村定 家数七拾八 人数三百弐拾七人 拾七疋馬」と記入する。姉倉比売神社が田中大明神・大竹大明神の名称になっている点が注目され、神主の名は若宮壱岐としてその屋敷も記載している。北側の村外れの田畑に古墳らしき「獅子舞塚」が大きく記されているほか、村内各所に民間信仰の小塚(幸神塚・一ツ塚・二ツ塚・三ツ塚等)を記載している。「隠れ里」「馬ノ面」等の地名も興味深い。”とあります。 |
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11/21 富山市埋蔵文化センターの現地説明会に出かける。説明の間雷雨で被雷しないかと丘の突端だけに恐怖でした。
呉羽丘陵の北端にあり断層の斜面淵(15m)に並ぶ、弥生晩期から古墳時代の墳墓群。今回青いガラス球や鉄製鏃などが発見される。突端の墳墓では人頭大の川原石が引きつめ…説明会資料より。
富山八尾線道路改良工事で丘陵突端はほとんど切り下げられるので見学は早めにどうぞ。
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11/08 富山県埋蔵文化センター「お城見学会」に参加。1183年今井四郎兼平が御服山に陣を張るとあり。現在残る縄張りは前田氏時代のもので堅固な城郭設計。…(埋文センターレジメ引用)
当日参加者は15〜16人で雑木の藪中を苦闘しながら、本来の登城口を案内頂いた。戦国末期の銃激戦のための土盛りや虎口の形状など説明を頂き楽しい1日でした。
右写真の前が駐車場20台ほど駐車可。
公園としては整備されていますが、せめて、松根城跡なみに城郭跡を整理してほしいものです。 |
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10/17 昨年に続き第2回「旧北陸街道を歩く」に参加。茶屋町の新道との3差路中茶屋から手崎までを歩きました。(自転車で走行)
天候も歩行会日和で300名ほどが参加。随所で郷土史家の方や地域の方の説明があり。普段何気なく通りすぎている町並みが東京町であったり、行幸休息所であった旧家を見学させていただいた。
道標は 右とやま 左いわせ と記載されている。
高岡からの北陸道が富山藩を避けて下村から岩瀬に迂回するための分岐点です。まっすぐ進むと富山往還となります。 |
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「産業功労者 橘文蔵翁頌徳碑」 銘文が読めずWEB検索では、1936年富山県売薬最寄会連合会会長とあります。
7/18県民カレッジ講座 生命を考えるキーワード、それは「動的平衡」 講師 福岡伸一氏 を申し込みに富山県教育文化会館へ赴く途中に立派な顕彰碑を見かけカメラを向けたもの。知り合いが講師を担当なので聴講を申し込みしたもの、分子生物学者で演題が面白そうです。是って宣伝なんです!聴講申し込みは教育文化会館へどうぞ…
この顕彰碑の向かい側に「記念碑」と題した珍しい記念碑がある。銘板の文字が読めず不明。どなたか何の記念碑かお教えください。
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ガラス工房の駐車場横に文字がほとんど消えかかった案内版を見かけよく見ると西金屋窯跡の遺跡案内であった。そんなに古くないのにどうして文字が?……
富山市埋蔵文化センターのホームページを参照しました。
奈良時代にはこの周辺で、大規模に須恵器が生産される。窯の本体の一部と、灰原が発見されたとのこと。 |
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明和九年四月○○
摩甎為鏡居士
明治十五年八月當村一同造立ス
(左面)中川忠三郎中○
(名盤)忠三郎翁東老田村住民ナリ明和九年大割用水開○ニ際し栃谷村ト葛藤ヲ生ジ事紛糾ヲ極め○ニ両村民相争ヒ不幸ニシテ翁其ノ犠牲トナリ鍬ヲ以テ重症ヲ負イ為ニ命ヲ亡○リト雖モ翁ノ死ニ因リ……
大正十三年九月礎石ヲ補ウ 東老田村民
※通り過ぎるたびに気になっていた碑でいつも献花されているように思えます。明和9年は西暦1772年なので100年以上も後に建碑されたことになるが如何なるわけが?
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昭和3年11月23日昭和天皇即位式を記念して建てられた道標です。
・向 右 下村ヲ経テ小杉町ニ至ル
左 針山海○○ヲ経テ新湊町ニ至ル
・向 右 道番八町ヲ経テ富山市ニ至ル
・左側通行 三箇○○○
・御大典記念 昭和3年11月
※情報を頂き三箇の町並みを散策しようやく見つけました。
下村にはたくさん記念碑がありそうでたのしみです。
女房に下賀茂神社まで迎えに来てもらい、自転車を積み込み帰宅。
下村のパークゴルフ場で休憩したところ。なんと、無料で「ダーツ」ができるのです。的がいくつもあり、興味のある方はご利用を! |
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寛永元年の開削が始まった牛ヶ首用水工事に尽力した、八町村−善左衛門 下村−長左衛門 小竹村−久右衛門の顕彰碑です。
情報を頂いてからなかなか探索にいけませんでした。ありがとうございます。 |
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