うるうるのホームページ アウシュビッツ 有刺鉄線に覆われたアウシュビッツ強制収容所跡

アウシュビッツ強制収容所

ポーランド第2の都市であるクラクフから車で約1.5時間のところにある、ポーランドの世界遺産で最大の「負の遺産」 だと思うアウシュビッツ(ポーランド語ではオシフィエンチム)にある2つの強制収容所跡(博物館)を訪れた。 ここはヨーロッパ全体の中心に位置し、かつてポーランド軍隊の基地があり、炭鉱などが近くにあるという 地の利からここオシフィエンチムという町に作られた。
博物館入場にあたり、A4サイズ以上のバッグはロッカーに預けなければならず、入口横のクロークに預けることになった。 また、入口では、空港並みのセキュリティーチェックがあった後、イヤホンガイドを使って、昔使われていて そのまま残っている施設の各展示を見て回ることになった。 施設に入口には有名になってしまった「ARBEIT MECHT FREI」のスローガンの入った門があり、レンガ造りで 似たような建物が30程度並んでいた。

収容所の門

展示には、収容者から没収した大量のカバンや靴などの持ち物のほか、刈り取られた大量の「髪の毛」があり 大変衝撃的だった。髪の毛はドイツで服や毛布として、また人骨がボタンとして使われていたという。
別の棟では、人種によって区別された収容者の服装や番号で管理された人々の写真など、もはや人として 尊厳もないことに悲しさを感じた。収容者はユダヤ人だけではなく、ロシア人やジプシーなども含まれて いたということは初めて知った。
ユダヤ人の姿も 毒ガスの缶
ユダヤ人の姿も 毒ガスの缶
没収品(義足) 没収品(食器)
没収品(義足) 新生活を期待して持ち込んだ食器も…

収容者の居住する建物では、昼夜の区別もつかない暗闇の飢餓部屋や、一日11時間もの強制労働の後に立ったまま夜を過ごす拷問部屋、 銃殺をするための場所や、実際に使われたガス室などがあった。ガス室の中では、当時収容者たちはシャワーに入るといわれて 部屋の天井の小さな穴から毒ガスが入れられ、 約20分で800人を殺傷する力があったことなど、想像するだけでもぞっとするものばかりであった。
ガス室 引っかいた傷
ガス室に実際に入る この穴から毒ガスが投入された

ビルケナウ強制収容所


アウシュビッツから車で10分程度のところに、もう1つの収容所となる「ビルケナウ」がある。ポーランド軍の馬小屋として使われていたものだが、最大規模の収容所となった。 ここも鉄道の引込み線が建物の真ん中を通っていることでよく知られている場所である。 ここでは一人のナチス関係者の医師により、働けそうな人は囚人・強制労働送りとし、働けなそうな人(老人や女性や子供)はすぐにガス室送りとする選別を行った場所である。 ここでの生活は1日に2回、しかも決まった時間に一斉にトイレを済ませなければならず、そのまま垂れ流しだったため、衛生状態は 非常に悪かったといわれている。ソ連軍の侵攻時にバラックは焼かれたため、今ある建物は戦後に復元した一部のものだけだそうだ。 しかし、真冬にマイナス20度にもなるこの地で、当時実際にはほとんど使われたことのないレンガ造りの暖炉と煙突だけは、当時のまま屋外にむき出しで残されていた。 鉄道の引き込み線は今では本線につながっていないが、運ばれてきた人々の様子に思いを馳せると、もの悲しくなってくる光景であった。
引き込み線 バラック外観
門の向こうは「選別」の引き込み線 元馬小屋のバラック
バラックの中 バラック跡(煙突だけ)
バラックの中は粗末 バラックは焼かれ、多数の煙突だけが残る

これら2つの施設を見学し、戦争は莫大なる人的、物理的な被害だけでなく、人の心もおかしくしてしまうものであることを 改めて認識し、2度とこのようなことが起きないよう、平和の維持を強く祈念する次第である。