縄文文化を巡る!  

 2018年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅
東京国立博物館 ≪2018年2月18日≫
  今回の旅は、四ッ谷での相棒の写真展への出展に伴った計画でした。長野県・茅野市と、新潟県・十日町市の考古館・博物館めぐりを終えて、昨日は御茶ノ水のホテルに宿泊でした。
 さて小生、昨日は一日相棒のお伴をしていました。右の写真が相棒の出展した組写真≪森のドラマ≫です。

 今日はpm2時までは自由の身なのです。そこで、思い立ったのが上野公園です。駅を降り、動物園へは大勢の家族連れが列をなしています。また、博物館前の入場券売り場にも沢山の行列がありました。特別展は『仁和寺と御室派のみほとけー天平と真言密教の名宝ー』が開催されていました。入場券は、特別展を除く常設展のみの券(総合文化展一般 620円)を購入しました。無事、入場です。

 上野公園の展覧会には、過去、何度か訪れています。直近では、2016年4月の東京都美術館の≪伊藤若冲展≫でしたが、その折は、260分待ちでした。


【関連リンク先】 東京国立博物館 平成館


 ・2月14日(水) 
 松山  岡山 名古屋  塩尻  茅野市
 
 ・2月15日(木)  
 茅野市尖石縄文考古館  茅野  松本〜長野 高崎〜越後湯沢  十日町 
 ・2月16日(金)  
 十日町市博物館 十日町市  越後湯沢  東京駅  御茶ノ水 
 ・2月17日(土)  
 御茶ノ水〜四ッ谷(写真展)〜御茶ノ水 
 ・2月18日(日)
 御茶ノ水〜上野(国立博物館)〜東京駅  岡山  松山 
  

 先にも触れましたが、平成館の入口は特別展へ入る方が列をなしていました。『えっつ、こんな列に並ばないかんの?』と列の後について並ぶのを躊躇。そして、整理の係の人に「常設展示を見るのも、こちらに並ばなきゃいけないですか?」と尋ねると、「いえ、そちらの入口から入って下さい」と、切符の提示も無しで素通りでした。過去、何度も平成館へは訪れていましたが、平成館の常設展示室に入るのは初めてでした。

 入口の行列と違って、館内では静かに観れる雰囲気で、順路は奥側の通路からでした。入口から直ぐに目に飛び込んで来たのは、埴輪でした。そこには≪重要文化財 埴輪 盛装女子≫のネームプレートがありました。


 入って右側の壁面に、1(旧石器時代)〜2(縄文時代)〜3(弥生時代)と時代区分順に続いていました。



≪1.旧石器時代≫
≪氷河期の日本列島に暮らした人びと≫
 


≪2.縄文時代≫
≪自然環境の変化と自然環境≫

 


      ≪縄文時代の生活の道具≫ ≪縄文時代の装身具と祈りの道具≫
 
≪縄文時代の生活の道具≫

 縄文時代になると温暖になって自然環境の変化に合せて、食料を入手する方法が変わります。弓矢が発明され、狩りの対象はシカやイノシシなど注・小型の動物になりました。また海面の上昇によって多くの入り江が生まれた結果、漁が活発となり、動物の骨や角で作られた釣針、ヤス、銛頭などの骨角器が盛んに作られるようになりました。採集したトチやドングリ、クズやワラビなどを加工するために石器や磨石、凹石や敲石が用いられ、その他にも、木を伐るための磨製石斧や土を掘るための打製石斧など、いろいろな道具が作られました。



≪縄文時代の祈りの道具・土偶≫



 土偶は、縄文時代を代表する祈りの道具で、草創期から作られています。
当初は上半身のみを表現した簡素なものでしたが、前期には頭や手足を加えた
全身を板状に表すようになり、中期になると立体的な立像となりました。
後期から晩期には北・東日本で盛んに作られました。
 土偶は、作られ始めた頃から乳房があることから女性を表したとかんがえられています。
土偶のふくらんだお腹は妊娠した姿を表わすと考えられ、
安産や子孫繁栄、そして豊穣を祈るための道具であるといわれています。






 上掲の≪遮光器土偶≫が展示されているのには、驚きでした。実は先日、松山市考古館の『こだいのかお2ーふんどう君となかまたちー』(平成30年2月3日(土)〜3月21日(水・祝日))にも上記≪遮光器土偶≫の参加を要請していたとの事です。しかし、『該当の土偶は他の催しへ貸し出されてしまった・・』との事でした。
 そんな経緯もあって、この会場に安置されている土偶には驚きました。思わず近くに居た当館の関係者の方に「いつ帰って来たのですか?貸し出されていたと聞いていましたが・・」と、話し掛けたのでした。

 しかし、該当の青森県の亀ヶ岡遺跡から出土の≪遮光器土偶≫を始め、出土した地域から遠く離れた場所での独占展示(所蔵という)は他にも例があります。また、出土に携わった大学が持ち帰っている話は枚挙に暇がありません。遺物を持ち帰って何十年もの間、行方不明になっていた例さえ聴き及びます。『こんな田舎のこんな施設では、満足に保存が出来ない』というのが理由なら、それが可能な施設を国やあるいは該当行政機関が作るべきであると考えますが、どうしてそういう考えに及ばないのか不思議に思えます。

 

≪3.弥生時代≫
≪大陸との交流と稲作のはじまり≫

 


 

≪4.古墳時代≫   ≪5.古墳時代≫
   ≪政治的社会の成熟≫  ≪ヤマト(倭)王権の成立≫

 


  ≪6.古墳時代≫ ≪7.古墳時代≫
  ≪巨大古墳の時代≫ ≪地方豪族の台頭≫

 


≪8.古墳時代≫ ≪重要文化財≫
  ≪終末期の古墳≫ ≪埴輪 猿≫
    

 


≪国宝 銀象嵌銘大刀≫

 





≪9、飛鳥 〜奈良時代 律令国家の幕開け≫
≪10.平安時代 祈りのかたち≫
≪11、鎌倉〜室町時代 中世のあの世とこの世≫
≪12、安土桃山〜江戸時代 江戸から掘り出されたモノ≫

  
 私自身は、縄文時代以降の展示にはさほど興味をおぼえませんが、次々に見学の人たちが来ていました。その中には、外国からの人などもいて、興味津々に観ているようでした。ネームプレートや解説文には、英語表記を始め数か国語での解説があります。

 さて、日本列島での古墳時代以前の文明がどのように伝わるのでしょう。例えば、世界六大文明と称される文明とは質の違う文明が、大陸の端っこに誕生した事実。それは、それらの文明が新石器時代と呼ばれ、穀物の栽培や牧畜を手に入れたことによる文明の入手でした。しかし日本列島では、それらを入手する遥か以前から“半定住生活”を手に入れていたのです。
 つまり、今までの旧石器時代とは質の違う生活を手に入れたという事が言えます。小生は、縄文時代を『狩猟・採集』の時代と呼ぶのを止めて、『狩猟・採集から脱却した土器時代』であると呼び掛けます



 今日は松山まで帰る日なので、そんなにはユックリとはしておれません。pm2時には相棒と四ッ谷で待ち合わせをしています。取り敢えず、四ッ谷へ移動してから昼食としました。そして、無事に相棒と合流して東京駅へ向かったのでした。東京発の“ひかり479号”は、pm4時3分に発車で岡山にて“しおかぜ27号”へ乗り継ぎ、松山には23時31分に到着しました。勿論、この時間では、タクシー利用で無事に帰宅でした。

 さて、次回の旅はどこを目指すのでしょうか。