量的緩和政策は不良債権処理支援策だった?
そして馬は水を飲まなかった
(1)先ずはじめに、量的緩和政策が採用された、その経緯を知っておこう………
(2)日銀が説明する「量的緩和政策3つの効果」についてよく考えてみる………
(3)TANAKAの考えた量的緩和政策のポイントは日銀とは違っていた………
(4)はたして日銀の思惑通りの経済効果はあがっていると言えるのだろうか?………
(5)インフレターゲットについてその提唱者の意見を聞いてみることにしよう………
(6)荻原重秀の「貨幣改鋳」と日銀の「量的緩和政策」はそっくりの経済効果が期待される………
(7)100兆円の金融政策によって日本経済はどのように変化するだろうか?………
(8)日銀ネットが即時グロス決済(RTGS)を採用した、その背景と経緯とは………
(9)「市場主義」、「設計主義」と分類して経済学に対するのセンスの違いを考えてみると………
(10)TANAKAの考える金融政策は日本経済の「治癒力」を生かす金融政策………

(1)先ずはじめに、量的緩和政策が採用された、その経緯を知っておこう………
 2005年5月30日、「量的緩和政策の緩和 その意味と日銀の情報公開性」と題して日銀の金融政策について書いた。アップロードしてからどうも気持ちが落ち着かない。いろいろ文献を調べて、ちょっと思い違いしていることに気が付いた。そして日銀の説明に矛盾があること、日銀を批判する人たちも間違えを認めるべきであること、に気付いた。 そこで「ゼロ金利政策と量的緩和政策」についてもう一度取り上げることにした。 先ず日銀の説明を聞いてみよう。日銀のホームページ「教えて!にちぎん」▲「日本銀行当座預金残高を増やすことによって、どのような効果が期待できるのですか?」の質問に答えているので引用しよう。
A.  期待される効果としては、次の 3つが考えられます。
(1) 短期金利の一層の低下。
(2) いわゆるポートフォリオ・リバランス効果。日本銀行当座預金は、安全ですが利息を生まない金融資産です。これが積み上がれば、金融機関はより有利な運用先を求めて貸出や債券・株式投資などに資金を回すことができるのではないか、という考え方です。
(3) 期待効果。「日本銀行が資金供給を増加させれば、いずれは物価上昇や景気回復につながる」という予想が人々の間に生じて、企業や家計の景気に対する見方が改善されることで、企業の設備投資や個人消費が改善すると期待されます。
 (1)「短期金利の一層の低下」と言うからには、ゼロ金利政策を行っていなかったということになる。それでは、もし一層の低下があるとどのような効果があるのか?ここで経済学を趣味とするTANAKAは経済学の入門書に出てくる言葉が頭に浮かぶ。「限界効用逓減の法則」という言葉が。 十分金利は下がっているのに、今更下げても効果は期待できないだろう。ビールは最初の一杯目が一番旨い。十分喉が潤ってからのビールは「もう結構だ」となる。
 (2)の場合、日本銀行当座預金から話が始まっている。日本銀行当座預金にはどのようにして積み上がって来たのか考えてみよう。市場から銀行が国債などを買い、これを日銀に売った金だ。当然利益は出している。それならば、その資金はまた国債を買うことに使うのがいい。 リスクの高い株券などに資金を廻すのは愚策だ。これは経済学の問題ではなくて、社会人として常識の問題だ。 ここでも日銀関係者は視野狭窄になっている。
 このように日銀のもくろみはピント外れだと言える。そして実際の結果は全く外れ。結果として市場から国債を買って、せっせと日銀に売った銀行が利益を得ただけ。コール市場での出し手は運用先を失ってしまった。つまり生保・年金・地銀などの犠牲によって銀行の不良債権処理が進んだのだった。 そして、もう一つ大きな問題は、この政策を論じる人たちは、日銀の力を買いかぶっている。「景気対策、日銀にできること、できないこと」▲がある、 「馬は水を飲まなかった」と今回の実験的な金融政策で悟るべきであり、 日銀の政策を批判して「インフレ・ターゲット導入」を主張人たちは、「ハイパワード・マネーは増加したが、マネー・サプライは増加しなかった」という事実を認めるべきであろう。そして、ここでハイエクの言う「市場には自生的秩序 (spontaneous order) がある」という言葉がTANAKAの頭に浮かぶ。
「限界効用逓減の法則」とは………  ウィキペディアには次のような説明がある。
 限界効用逓減の法則==投機的な目的を除けば、人が消費できる財の消費量には限度があるのが普通である。(最初の1杯のビールは美味いが、飲みすぎれば飲みたくなくなる。空腹時には1杯の白飯も美味いが、いずれ他のおかずも欲しくなるだろう。) 一般的に、財の消費量が増えるにつれて、財の追加消費分から得られる効用は次第に小さくなる。これを限界効用逓減の法則(げんかいこうよう ていげんのほうそく)、又はゴッセンの第1法則という。
 限界効用(げんかいこうよう)とは、財一単位の消費による効用の増加分のこと。より厳密には、効用関数を財の消費量で偏微分したもの。ミクロ経済学で用いられる重要な概念である。なお、ここでは、財が必要なだけ充分小さい単位に分割できるものと仮定されている。 これを簡単に言うと、「ビールは最初の一杯が一番旨い。その後は段々旨さが少なくなる」となる。金利の場合だと、「最初の金利を下げたときは効果が大きいが、その後は最初ほどの効果は期待できない」となる。これを「金利低下の限界効用」とでも言おうか。遊び心を失うとこうした発想は生まれない。使命感に燃えて、一心不乱に日本経済のことばかり考えていると、こうした発想は生まれない。 限界効用逓減の法則(げんかいこうよう ていげんのほうそく)ともいう。
「自生的秩序」とは………  ハイエクによれば、市場経済は自生的秩序 (spontaneous order) の一つである。「自生」という言葉は、誰かが意図や計画したわけではないのに、プリミティブな種が枝分かれしながら成長して、最初には思いもかけなかったような壮大で複雑な機能を有する自律的存在に発展するという事態を表現するのに適した表現である。 原始的な交易から始まった市場経済はそのとおりのものである。秩序という言葉も、市場経済が無秩序なものとして見下され社会主義が称賛されたハイエクの生きた時代には、市場経済の持つ法則性を公衆に印象づけるために適した表現であったであろう。
 市場経済は自然状態である。自然状態は無秩序ではなく、そこには市場による秩序付けが存在する。 (『現代日本の市場主義と設計主義』から)
「自生的秩序」とは………  誰かの計画によらなくともある意味で目的にかなった制度が自生的に成立することを示す、18世紀の社会と経済の理論の枠組みは、19世紀にC・ダーウィンによって、生物の種の生成の説明に利用されて大成功を収める。 つまり「自生的秩序」の概念は、現在の生物学にとって、進化による新しい種の成立の説明として、もっともなじみ深い概念である。そしてこそ進化の連鎖は、人類の発生及び「理性」の成立にまで当然つながるのである。 (『自生的秩序』から)
 自然界における動植物の生態系秩序をイメージすると良い。
<量的緩和政策への経緯>  今回の「やぶにらみ経済時評」は日銀の量的拡大政策を扱う。前回、2005年5月30日と基本的姿勢は同じだが、多くの人がいろんなことを主張している。そこで今回はテーマを広げ、掘り下げて扱うことにした。 アマチュアはニッチ産業狙いで、TANAKAの考えは「○○○論、みんなで主張すれば怖くない」とは反対の、誰も主張しないような点に目を向けて、人が気付かない面を明らかにしようと思う。 そのため、こうしたTANAKAの考え、人によってはこうした考え方は気に入らないかも知れない。そうした方は読み飛ばして頂きたい。アマチュアエコノミストの「戯れ言」と笑い飛ばして頂きましょう。
 まずは日銀の説明の矛盾点から取り上げるのだが、その前に関連する事項の略年表を見て、大きな流れを頭に入れて頂きます。

    ♠♠ゼロ金利政策・量的緩和政策を巡る略年表♠♠
1993年
08.09 細川内閣成立(7党1会派の連立政権)
12.  稲作不作のため、コメの緊急輸入開始 コメのミニマムアクセスを受入れ、ウルグアイラウンド終結
1994年
04.28 羽田内閣発足
06.29 村山内閣発足。「自・社・さ」3党連立
1995年
01.17 午前5時46分、阪神大震災発生。死者6432人、約51万棟の住宅が全半壊。
03.20 地下鉄サリン事件発生。死者10人と5000人近い被害が出た。
04.19 1ドル79円75銭の超円高
09.08 公定歩合を0.5%に引き下げ即日実施。史上最低の金利。
1996年
01.11 橋本内閣発足 自・社・さ3党連立
04.01 三菱銀行と東京銀行が合併し、東京三菱銀行発足
05.10 住専処理の6850億円を盛り込んだ1996年度予算案が成立
11.05 米大統領選で、クリントン大統領が再選
12.17 ペルーの日本大使館が武装した左翼都市ゲリラに占拠される
1997年
08.17 小川証券(山一証券系列)自主廃業
11.03 三洋証券が会社更正法の適用を東京地検に申請し、事実上倒産。負債総額は3736億円。 コール市場で初のデフォルト発生
11.17 北海道拓殖銀行巨額な不良債権を抱えて経営破綻し、営業権を北洋銀行に譲渡すると発表した
11.24 山一証券が自主廃業を発表。簿外債務が2648億円
11.26 徳陽シティー銀行不良債権を抱えて経営破綻し、営業権を仙台銀行に譲渡すると発表
12.23 丸荘証券、自己破産申請
1998年
01.20 与党3党が大蔵省の財政・金融分離で合意
03.01 大手行に第1次公的資本注入決定
03.19 松下康雄総裁、福井俊彦副総裁の辞任
03.20 速水優総裁、藤原作弥副総裁の就任
04.01 新日銀法施行 山口泰副総裁、三木利夫、中原伸之、篠塚英子各審議委員就任
04.08 植田和男審議委員就任
05.02 鴨志田孝之理事自死
06.22 金融監督庁発足
07.30 小渕恵三内閣発足
09.09 無担保コールレート0.25%へ引き下げ
10.23 日本長期信用銀行国有化
12.15 金融再生委員会発足
12.25 日本債券信用銀行国有化
1999年 
01.01 欧州連合ユーロ導入
02.12 日銀政策委、ゼロ金利政策採用
03.12 大手行15行に第2次公的資金注入
04.09 時間軸政策採用
10.10 後藤康夫審議委員退任
12.03 田谷禎三審議委員就任
2000年
04.02 小渕首相倒れる 森善朗内閣発足
07.01 金融庁発足
08.11 ゼロ金利政策解除 コールレート0.25%に引き上げ
09.19 ジャパンネット銀行設立
11.07 米大統領選挙(ブッシュ当選)
2001年 
01.01 RTGSに切り替え
01.05 金融再生委員会廃止
01.06 中央省庁再編成(1府12省庁体制)
02.09 ロンバート貸出制度導入 公定歩合引き下げ(0.25→0.35)
02.28 コールレート誘導金利引き下げ(0.25→0.15) 公定歩合引き下げ(0.35→0.25)
03.19 量的緩和策採用(当座預金残高目標5兆円に)
04.01 三井住友銀行(さくら銀行と住友銀行が合併)発足
04.02 東京三菱銀行(三菱銀行と東京銀行が合併)発足
04.02 ソニー銀行発足
04.10 アイワイバンク銀行設立 5月7日 営業開始
04.26 小泉純一郎内閣発足
08.14 当座預金残高目標の増額(5→6兆円前後) 長期国債買い切りオペ(4000→6000億円)
09.11 米同時テロ勃発
09.12 日経平均株価1万円割れ
09.18 当座預金残高目標の増額(6→6兆円を上回る) 公定歩合引き下げ(0.25→0.10)
10.07 米軍アフガニスタン空爆
12.19 当座預金残高目標の増額(6兆円を上回る→10→15兆円) 長期国債買い切りオペ(6000→8000億円)
2002年  
01.01 EUユーロ現金流通
01.15 ユーエフジェイ銀行(三和銀行及び東海銀行が合併)発足  
02.28 長期国債買い切りオペ増額(8000→1兆円)
04.01 ペイオフ定期性預金解禁
04.01 みずほ銀行(富士銀行、第一勧業銀行、日本興業銀行が合併)発足 システム障害で混乱。復旧に1ヶ月近くかかる
09.18 日銀、銀行保有株買入公表
09.30 竹中経済財政相が金融相兼任
10.07 ペイオフ全面解禁2年延期決定
10.30 当座預金残高目標の増額(10→15→20兆円) 長期国債買い切りオペ(1兆円→1兆2000億円)
2003年
03.05 当座預金残高目標の増額(4.1から17-22兆円)
03.19 速水優総裁、藤原作弥・山口泰副総裁の退任
03.20 福井俊彦総裁、武藤敏郎・岩田一政副総裁の就任
03.20 米軍がイラクに対する武力攻撃を開始、英国・オーストラリアもこれに追従。4月9日にバグダッドが陥落
04.16 産業再生機構発足
04.30 当座預金残高目標の増額(17-22→22-27兆円)
05.20 当座預金残高目標の増額(22-27→27-30兆円)
10.10 当座預金残高目標の増額(27-30→27-32兆円)
2004年
01.20 当座預金残高目標の増額(27-32→30-35兆円)
11.02 米大統領選挙ブッシュ再選
2005年
05.20 当座預金残高目標現状維持、なお書き修正(目標を下回ることがありうるものとする)

● 1999年2月12日の金融政策決定会合において、「豊富で弾力的な資金供給を行い、無担保コール(オーバーナイト金利)を、できるだけ低めに推移するように促す」というマンデート(指令)を執行部に与え、いわゆる「ゼロ金利政策」に踏み出した。このマンデートを受けて、金融調節の実行部隊である金融市場局は操作目標である無担保コール(オーバーナイト金利)をゼロに誘導するためのオペレーションを開始した。
● 2001年3月19日の金融政策決定会合において、「主たる操作目標を、これまでの無担保コールレート(オーバーナイト物)から、日本銀行当座預金残高に変更」、いわゆる「量的緩和策採用」を採用。
<政策委員会・金融政策決定会合の結果発表>
 日銀の金融政策の大筋は政策委員会の金融政策決定会合で決定する。「ゼロ金利政策」と「量的緩和政策」の決定、「なお書き修正」に関する日銀の発表をここに掲載しよう。
● ゼロ近畿政策  金融市場調節方針の変更について  1999年2月12日 日本銀行
(1)日本銀行は、本日、政策委員会・金融政策決定会合において、金融市場調節方針を一段と緩和し、以下のとおりとすることを決定した(賛成多数)。
 より潤沢な資金供給を行い、無担保コールレート(オーバーナイト物)を、できるだけ低めに推移するよう促す。
 その際、短期金融市場に混乱の生じないよう、その機能の維持に十分配意しつつ、当初0.15%前後を目指し、その後市場の状況を踏まえながら、徐々に一層の低下を促す。
(2)わが国の経済をみると、景気の悪化テンポは、公共投資の拡大に支えられて、緩やかになってきている。今後、緊急経済対策が本格的に実施されるにつれて、景気の悪化には次第に歯止めがかかるものと見込まれる。しかし、企業や消費者の心理は依然慎重なものにとどまっており、民間経済活動は停滞を続けている。物価も軟調に推移している。景気回復への展望は依然明確でない状況にある。
 金融面の動向をみると、短期金融市場取引や企業金融を巡る一頃の逼迫感は和らいできている。しかし、長期金利が大幅に上昇し、為替相場も円高気味の展開が続いている。株価も総じて軟調に推移している。 こうした市場の動きは、わが国経済の先行きに対してマイナスの影響をもたらす惧れがある。
(3)上記のような金融経済情勢を踏まえて、日本銀行は、先行きデフレ圧力が高まる可能性に対処し、景気の悪化に歯止めをかけることをより確実にするため、この際、金融政策運営面から、経済活動を最大限サポートしていくことが適当と判断した。
(4)日本銀行としては、上記の金融市場調節方針のもとで、より潤沢な資金供給を行い、これを通じて、マネーサプライの拡大を促すとともに、落ち着きを取り戻しつつある短期金融市場の安定に引き続き万全を期していく考えである。
(5)金融市場調節の具体的な運営に当たっては、短期金融市場の機能の維持に配意しつつ、従来と同様に短期の調節手段を用いて、より潤沢な資金の供給に努めていく考えである。なお、そのなかで、国債を対象とするレポ・オペ(国債を見合いに短期の資金供給を行うオペレーション)については、従来以上に、積極的に活用していく方針である。
 また、長期国債の買い切りオペレーションについては、これまでと同様の頻度、金額で実施していく考えである。
(6)日本経済を、しっかりとした景気回復の軌道に乗せていくためには、金融・財政面からの下支えだけでなく、金融システム対策や構造改革を着実に進めていくことが重要である。日本銀行としては、今回の金融緩和措置が、それら関係各方面の取り組みと相俟って、日本経済の直面する課題の克服に資することを強く期待する。 以 上

● 量的緩和政策 金融市場調節方式の変更と一段の金融緩和措置について  2001年 3月19日 日本銀行
日本経済の状況をみると、昨年末以降、海外経済の急激な減速の影響などから景気回復テンポが鈍化し、このところ足踏み状態となっている。物価は弱含みの動きを続けており、今後、需要の弱さを反映した物価低下圧力が強まる懸念がある。
顧みると、わが国では、過去10年間にわたり、金融・財政の両面から大規模な政策対応が採られてきた。財政面からは、度重なる景気支援策が講じられた一方、日本銀行は、内外の中央銀行の歴史に例のない低金利政策を継続し、潤沢な資金供給を行ってきた。それにもかかわらず、日本経済は持続的な成長軌道に復するに至らず、ここにきて、再び経済情勢の悪化に見舞われるという困難な局面に立ち至った。
こうした状況に鑑み、日本銀行は、通常では行われないような、思いきった金融緩和に踏み切ることが必要と判断し、本日、政策委員会・金融政策決定会合において、以下の措置を講ずることを決定した。
(1)金融市場調節の操作目標の変更
 金融市場調節に当たり、主たる操作目標を、これまでの無担保コールレート(オーバーナイト物)から、日本銀行当座預金残高に変更する。この結果、無担保コールレート(オーバーナイト物)の変動は、日本銀行による潤沢な資金供給と補完貸付制度による金利上限のもとで、市場に委ねられることになる。
(2)実施期間の目処として消費者物価を採用
 新しい金融市場調節方式は、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、継続することとする。
(3)日本銀行当座預金残高の増額と市場金利の一段の低下
 当面、日本銀行当座預金残高を、5兆円程度に増額する(最近の残高4兆円強から1兆円程度積み増し<別添>)。この結果、無担保コールレート(オーバーナイト物)は、これまでの誘導目標である0.15%からさらに大きく低下し、通常はゼロ%近辺で推移するものと予想される。
(4)長期国債の買い入れ増額
 日本銀行当座預金を円滑に供給するうえで必要と判断される場合には、現在、月4千億円ペースで行っている長期国債の買い入れを増額する。ただし、日本銀行が保有する長期国債の残高(支配玉<現先売買を調整した実質保有分>ベース)は、銀行券発行残高を上限とする。
上記措置は、日本銀行として、物価が継続的に下落することを防止し、持続的な経済成長のための基盤を整備する観点から、断固たる決意をもって実施に踏み切るものである。
今回の措置が持つ金融緩和効果が十分に発揮され、そのことを通じて日本経済の持続的な成長軌道への復帰が実現されるためには、不良債権問題の解決を始め、金融システム面や経済・産業面での構造改革の進展が不可欠の条件である。もとより、構造改革は痛みの伴うプロセスであるが、そうした痛みを乗り越えて改革を進めない限り、生産性の向上と持続的な経済成長の確保は期し難い。日本銀行としては、構造改革に向けた国民の明確な意思と政府の強力なリーダーシップの下で、各方面における抜本的な取り組みが速やかに進展することを強く期待している。 以 上
● 当面の金融政策運営について  (別添)2001年 3月19日 日本銀行
 日本銀行は、本日、政策委員会・金融政策決定会合において、次回金融政策決定会合までの金融市場調節方針を、以下のとおりとすることを決定した(賛成多数)。
 日本銀行当座預金残高が5兆円程度となるよう金融市場調節を行う。
 なお、資金需要が急激に増大するなど金融市場が不安定化するおそれがある場合には、上記目標にかかわらず、一層潤沢な資金供給を行う。 以 上
● なお書き修正  当面の金融政策運営について 2005年 5月20日 日本銀行
 日本銀行は、本日、政策委員会・金融政策決定会合において、次回金融政策決定会合までの金融市場調節方針を、以下のとおりとすることを決定した(賛成多数)。
 日本銀行当座預金残高が30〜35兆円程度となるよう金融市場調節を行う。
 なお、資金需要が急激に増大するなど金融市場が不安定化するおそれがある場合には、上記目標にかかわらず、一層潤沢な資金供給を行う。また、資金供給に対する金融機関の応札状況などから資金需要が極めて弱いと判断される場合には、上記目標を下回ることがありうるものとする。 以  上

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(2)日銀が説明する「量的緩和政策3つの効果」についてよく考えてみる………
<量的緩和でゼロより金利が低下するのか?>
 「教えて!にちぎん」の説明から話を始めよう。
(1) 短期金利の一層の低下。日銀の説明では、量的緩和策により短期金利の一層の低下が見込まれる、という。しかし、日銀は1999年2月12日の政策委員会・金融政策決定会合においてすでにゼロ金利政策を採用している。 すでに採用しているゼロ金利よりも「一層の低下」とはどのようなことなのだろう?意味のないことを言っている。2001年からコールレートが0.001%になっている。それ以前は0.01%であったが、これは最小単位を引き下げたのであり、すでにゼロ金利は実施されていた
 一般論として、金利も他の商品と同じように需要と供給のバランスで価格は決まってくる。資金が豊富にあれば金利は安くなり、需要が多くなれば金利は高くなる。経済学の教科書はそれでもいい。しかし今はゼロ金利政策をとっているのだ。これ以上下がりようのないゼロ金利なのだ。
 金利は低い方が良いのか?O/Nの利息収入はどうなるか?
 例えばコールレート0.01%で100億円の資金運用すれば、その利息は 10,000,000,000X0.01%X(1÷365)=2,739円  
 そして、コールレート0.001%で100億円の資金運用すれば、その利息は 10,000,000,000X0.001%X(1÷365)=273円 
 1000億円を運用して、その利息が2,739円 1兆円で27,397円
 そして短資会社の手数料が「資金の出し手、取り手双方から各々0.02%(1/50%)を片落しで受取る」とある。
 これでは出し手がいなくなる。金利ゼロと言えば、地域通貨が頭に浮かぶ。地域通貨については<地域通貨は金融経済学の最適教材か?>▲を参照のこと。
 地域通貨では利子がつかない。そのため投資家が現れない。事業意欲はあっても資金が借りられないので、金持ちのボンボンしか新規事業を始めることができない。年金運用などの運用先がなくなり、老後が心配になる。
 もう一つ、たとえゼロ金利ではなくて、一層の金利低下が期待できる状況としよう。その低下した金利がどの程度経済に影響するのか?ここで。「限界効用逓減の法則」という言葉が頭に浮かぶ。「ビールは最初の一杯が一番旨い」だ。すでに十分な低金利になっている。さらに金利が低下しても有難味は少ない。経済学を楽しんでいると、こうした専門用語がすぐに頭に浮かぶ。 視野狭窄にならないとはこうしたことを言う。使命感に燃え、命がけ、生活の全てを賭けていると視野狭窄になり易い。もっとも日銀の審議委員とはストレスの貯まる仕事なのかも知れない。一般職員と同じ時間に登行し、遅くまで残業し、運転手付の乗用車があり、トイレ付の個室があっても、秘書に監視されているように感じたら、ストレスは貯まる。 新聞記者のレポートによるとこうしたことがあったという。ある審議委員が茶目っ気を起こした。「トイレ入口にマットがあって、センサーが付いている。入ってから20分経っても出てこなかったら、ブザーが鳴って、秘書が飛んでくると言う。本当だろうか?試してみよう」。こうして審議委員はマットを踏んでトイレに入り、出るときにはマットを飛び越えて出た。はたして20分後にブザーが鳴って、秘書が飛んできたという。
 1,200万円の報酬を払い、十分に仕事をしてもらいた、日銀。しかしそのことがかえって重荷になってストレスのもとになる人もいる。そうした緊張感の中で仕事をしていると、「遊び心」など無縁になるだろう。そうした人の集まりであれば、雑種強勢は期待できず、 自家不和合性▲に陥りやすい。それでも視野狭窄にならないで仕事をしてもらいたい。
 日銀の「 短期金利の一層の低下」とは、それを目論むこと、期待することが間違っている。実際にどのような状況であったかは別にしても、「 短期金利の一層の低下」を期待して、量的緩和策を実施することが間違っていると思う。
 「こうしたことを期待するのが間違っていた」と同時に、その副作用についても問題だ。コール市場の機能低下、出し手の運用先を失うデメリットなど、こうしたことに対する配慮がない。ゼロ金利でコール市場は機能不全に陥っている。現場からの報告を読めば納得できる。そしてそれは予測出来たはずだと思う。 ゼロ金利でどのようなことが起こるか?事前に考えれば予想出来たはずだ。いいことしか予想しなかったとしたら、事務方は怠慢だった。
<準備金以上の当座残高はどのように運用するか?> (2) いわゆるポートフォリオ・リバランス効果。日本銀行当座預金は、安全ですが利息を生まない金融資産です。これが積み上がれば、金融機関はより有利な運用先を求めて貸出や債券・株式投資などに資金を回すことができるのではないか、という考え方です。
 「日本銀行当座預金は、安全ですが利息を生まない金融資産です」。確かにその通り。しかしその日本銀行当座預金はどのようにしてそこに入金されたのか?それは銀行が日銀に国債を売ったためにその口座に入っている。当然利益は出ている。だったらこれからもそうするだろう、市場で国債を購入し、それを僅かな利益であっても日銀に売る。それを繰り返して利益を積み重ねていく。 それが銀行にとって得策に違いない。日銀はこれから買いオペを続けると言っている。買い手がいるのだからこれほど安全な商売はない。リスクの高い株などに資金を任すのは愚の骨頂だ。しかし、日銀はそうは考えていない。銀行が国債を買わずに株を買うだろうと言っている。見方が狭い。
 日銀は「主たる操作目標を、これまでの無担保コールレート(オーバーナイト物)から、日本銀行当座預金残高に変更する」と言った。ところが日本銀行当座預金から取り崩して運用することを期待している。買いオペを実施し、すぐに銀行が株などに運用したら残高は積み重なっていかない。そのときは買いオペを増額するつもりなのだろうか? 「残高」ではなく、「毎月いくら買いオペを実施し、そのつど銀行が株などに運用したら残高は変わらないが、それでもいい」と言っているのではない。銀行が運用して欲しいのか?それとも残高が多いことが安心材料なのか?何を望んでいるのか?言っていることが曖昧だ。それは考えていることが曖昧なのではないかと、思ってしまう。
<運用してデフレから脱却できるのか?>  量的緩和政策を2001年3月に発表して、8月に長期国債買い切りオペを月に4000億円から6000億円に増やした。月に6000億円ということは年に7兆2000億円だ。7兆2000億円をリスクのある投資に廻せばデフレ脱却となるのか?この発想は財政政策の発想だと思う。 バブル崩壊後何度も国債を発行して景気対策の補正予算を組んできた。一つずつ拾って集計しようと思ったが時間がかかりそうなので他の資料から引用すると、115兆円だそうだ。つまり累計115兆円の財政政策でもあまり効果はない。それで、7兆2000億円なら効果があるのか?1年ではなく何年も続ければ効果が出ると言うのか? 日銀が財政政策の発想をするのはおかしい。では、インタゲ派の考えるように、マネーサプライで考えるか?2005年4月の数字、代表的な指標の「M2+CD(現金、要求払い預金、譲渡性預金など)」の平均残高は705兆6000億円、これに郵便貯金や投資信託などを加えた「広義流動性」は1396兆9000億円。「これに7兆2000億円を加えればインフレが起こる」とでも言いたいのだろうか?
<何故量的緩和政策でデフレから脱却できるのだ?>  日銀の説明では「量的緩和政策でデフレから脱却できる」とは思えない。結局インタゲ派が主張する「日本銀行当座預金残高を多くして(ハイパワード・マネーを多くして)、トランスミッション・メカニズムを生かして、通貨流通量を多くすればインフレになる」との考え、すなわち「インフレはいついかなる場合も貨幣的現象である」を経済学の常識とする人たちの考えと、 昔からの日銀理論である「マネーサプライはコントロール出来ないから、ゼロ金利を維持するために資金を潤沢に供給しよう」との両派の妥協の産物であるようだ。つまり2つの考えがあって、両方に共通するのが「積極的に買いオペをすべし」ということで、量的緩和政策が生まれたように思える。だから結局どちらの政策にもないような、筋の通らない説明になってしまう。 その政策の基本になる考えがどうであるのかは問題ではなくて、「皆が量的緩和政策を支持するのだからこれで行こう。理由は後から考えよう」のように思える。 「実際にその政策がどのような結果になっているのか?」も、これから検討するのだが、出発点が曖昧であることをハッキリさせてから話を進めて行くことにしよう。
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(3)TANAKAの考えた量的緩和政策のポイントは日銀とは違っていた………
<日銀の目指したのは、通貨流通量増大ではなくゼロ金利維持だった>
 TANAKAはこのHPで日銀を何度か取り上げた。そのタイトルは次の通り。
景気対策、日銀にできること、できないこと
 景気対策、日銀にできること、できないこと(前)
 馬を水飲み場へ連れていくこと ( 2001年12月10日 )
 景気対策、日銀にできること、できないこと(後)
 日銀流「調整インフレ」の効果は?( 2001年12月17日 )
 景気対策、日銀にできること、できないこと(追加)
 先覚者たちの先進的通貨拡大政策( 2001年12月24日 )
 日銀が調整インフレを認めたようだ
 今までにない目標と手段、その成果を見守っていこう ( 2001年9月3日)
 小泉内閣の構造改革が始まった
 日銀もそれに歩調を合わせている ( 2001年9月10日)
 実はTANAKAは勘違いをしていた。日銀の発表を勝手に、自分好みに解釈していた。今回、文献・資料を読んで解った。ではどのように勘違いをしていたのか?そこから話を進めることにしよう。
 2001年3月19日の発表で次のような文があった。
(1)金融市場調節の操作目標の変更
 金融市場調節に当たり、主たる操作目標を、これまでの無担保コールレート(オーバーナイト物)から、日本銀行当座預金残高に変更する。この結果、無担保コールレート(オーバーナイト物)の変動は、日本銀行による潤沢な資金供給と補完貸付制度による金利上限のもとで、市場に委ねられることになる。
 この文から次のように解釈した。「日銀は操作目標を金利からマネーサプライに変更した」と。岩田vs翁論争で知られる翁邦雄著『金融政策』(東洋経済新報社 1993年11月)によると、「日銀はマネーサプライをコントロールできない」ということになる。ところが日銀はその「日銀理論」を捨てた、とTANAKAは思った。 バブルがふくらんでいった頃、日銀は「マネーサプライはコントロール出来ない」と考えていたのではなくて、マネーサプライを見ていなかったのだと思う。もし注目していたら「ヤヤ、マネーサプライの伸びが異常だ。今までコントロールできない、としてきた、しかし何とかしなければならない」そして、何らかの手を打ったはずだ。たとえそれが効果なくてもだ。 『金融政策』にはそのようなことは書いてない。日銀の金融政策は金利を金融市場調節の操作目標にしていて、マネーサプライは気にしていなかった、と考えられる。それが「日本銀行当座預金残高に変更する」と言うのだから、マネーサプライをハッキリ意識した、と思った。しかし日銀の目指したのは「ゼロ金利政策の維持」だった。そのための量的緩和政策だった。
<TANAKAの考えた量的緩和政策>  「量的緩和政策によって日銀はマネーサプライをコントロールしようとした」と考えたTANAKA、では、マネーサプライをコントロールしてどうしようと考えたのか?それについて話を進めよう。
 翁邦雄著『金融政策』で書かれているように、日銀は直接マネーサプライをコントロールする手段は持っていない。日銀にできるのはハイパワードマネー(ベースマネーとかマネタリーベースなどとも言われる)の中、日本銀行当座預金残高だけだ。しかし日本銀行当座預金残高をコントロールすればマネーサプライを間接的にコントロールできる可能性は高い。 現時点で考えれば、貨幣乗数は今までにないくらい下がっていて、ハイパワードマネーとマネーサプライ(M2+CD)の相関関係は見出せない程だが、2001年当時としてはかなり関係があると考えていた。そこで日本銀行当座預金残高を高めに維持し、トランスミッション・メカニズムを生かし、通貨流通量(マネーサプライ)を増大させる。「インフレはいついかなる場合も貨幣的現象である」を経済学の常識とすれば、 こうした政策によって、マネーサプライの増大によって、インフレが起こる、このように考えた。インフレとは、貨幣価値の低下であるから、「原油価格が上がった」「春闘で人件費が上がった」はインフレの直接的な原因にはならない。そうしたことから、通貨流通量が増大して、そこでインフレが起こってくる。これについてルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは次のような説明をしている。
 キャビアの供給がジャガイモの供給と同じくらい豊富であったとしたら、キャビアの価格──すなわち、キャビアと貨幣の交換比率ないしキャビアと他の商品の交換比率──は、かなり、変化することでしょう。そうなると、今日よりもずっと少ない犠牲で、キャビアを手にするのとができるでしょう。同様に、貨幣が増えると、貨幣一単位の購買力が減少します。したがって、この貨幣一単位と交換に入手できる商品の数量も減少します。
 16世紀に、金や銀の資源がアメリカで発見され採掘されたとき、膨大な量の貴金属がヨーロッパへ運ばれました。このように貨幣量が増大した結果、価格を全般的上昇させる傾向をもたらしました。同様に、今日、政府が紙幣の数量を増大させますと、その結果、貨幣一単位の購買力が低下し始め、したがって、価格が上昇します。これがインフレーションと呼ばれています。不幸なことに、他の諸国のみならず米国でも、インフレーションの原因は、貨幣数量の増加にあるのではなくて、価格の騰貴にあると考える人があります。 (「自由への決断」から)
<日本銀行当座預金は貸出保証金=トランスミッション・メカニズム>  ここで信用創造プロセス(トランスミッション・メカニズム)とはどういうことか、その仕組みをおさらいしておこう。と言うのも、インタゲ派の書物を幾つか読んで、トランスミッション・メカニズムの説明がなくて、読者がこの仕組みを誤解してしまうかも知れない、と感じたからだ。
 金融機関にとっては、顧客からの預金引き出しに備えて、自ら常にある程度の余裕金を保有しているのが健全な姿であろう。こうした余裕金を「支払準備金」と呼ぶ。そして支払準備金を法的に制度化したものが準備預金制度である。つまり、「市中金融機関の預金の一定割合を中央銀行に強制的に預け入れさせ、その預金率すなわち準備率を随時変更することにより、金融機関の現金準備を直接敵に増減させ、 それを通じてその与信行動を規制しようとする政策手段」(日本銀行『わが国の金融制度』)が準備預金制度である。 (『新・東京マネー・マーケット』から)
 このように準備率とは銀行が受け入れた預金額に対しての率であるが、それが銀行の貸し出し額に影響を与えることになる。それを理解するには銀行の貸し出し、信用創造についての理解が必要になる。
 例えば銀行が企業に1億円を融資する場合は、その企業の口座に1億円入金させることになる。といっても1億円の現金を動かす必要はない。企業の口座に1億円が入金されたことを示すため、通帳に1億円を記入するだけだ。そして、銀行は1億円を預け入れたことになる。 ここで、準備率が問題になる。つまり、銀行が融資すると、それによって預金が増え、準備金を日銀当座預金口座に入金しなければならなくなる。このようにして、本来「顧客からの預金引き出しに備えて、自ら常にある程度の余裕金を保有している」という準備金であるが、貸し出すことによって準備金を積むことになる。 そこで、このように考えることができる。日本銀行当座預金が多くある、ということは、特に現金を用意することなく預金を受け入れることができる⇒特に現金を用意することなく貸し出すことができる⇒つまり「日本銀行当座預金は貸出保証金」と考えるとトランスミッション・メカニズムを理解しやすくなる。 「貨幣乗数」の意味や、日本銀行当座預金が多くあることによってマネーサプライが増加する仕組みを理解することができる。このように現金を動かさずに銀行の貸し出しが行われる、信用創造と言われる仕組みについては<日銀当座預金での決済とは>▲に詳しい。
法定所要額の計算   では具体的に準備金率と法定所要額はどのようになっているのか?その計算を上に引用した『新・東京マネー・マーケット』から引用することにしよう。
 準備金率は、日本銀行の金融政策決定会議において決定される。現行の準備率(平成3年10月16日改定)は次の通り。預金等の種類および残高によって「超過累進制」の区分がなされている。
 ●銀行・長期信用銀行・第2地銀協加盟行・信用金庫/定期性預金(譲渡性預金を含む)の区分額についての準備率
   2兆5,000億円超=1.2%  1兆2,000億円超、2兆5,000億円以下=0.9%  5,000億円超、1兆2,000億円以下=0.05%  500億円超、5,000億円以下=0.05%
 ●銀行・長期信用銀行・第2地銀協加盟行・信用金庫/その他の預金の区分額についての準備率
   2兆5,000億円超=1.3%  1兆2,000億円超、2兆5,000億円以下=1.3%  5,000億円超、1兆2,000億円以下=0.8%   500億円超、5,000億円以下=0.1%
 ●外貨預金等の残高についての準備率
   非居住者外貨債務=0.15%
   居住者外貨預金  定期性預金=0.2%  その他の預金=0.25%
 (T注 「農林中央金庫」については省略)
 具体例で計算してみよう。ある日の終業時における預金残高がちょうど20兆円の普通銀行(居住者円預金のうち定期性預金12兆円、その他の預金6兆円、居住者外貨預金のうち定期性預金8,000億円、その他の預金2,000億円、非居住者預金1兆円)があったとする。各預金の種類に応じて準備金率を適用して、法定所要額を計算する。
 たとえば居住者・定期性預金12兆円に関して見てみよう(2兆5,000億円超の準備率は1.2%だが、しかし、12超X1.2%という計算にはならない。超過累進制であることに注意)。
 @ 500億円以下は準備率ゼロ   500億X0%=0円
 A 500億円超から5,000億円以下は0.05%  4,500億X0.05%=2.25億円
 B 5,000億円超から1兆2,000億円以下は0.05%  7,000億X0.05%=3.5億円
 C 1兆2,000億円超から2兆5,000億円以下は0.9%  1兆3,000億X0.9%=117億円
 D 2兆5,000億円超は1.2%  9兆5,000億X1.2=1,140億円
 よって、@ーDを合計すると1,262.75億円となる。つづいて、同様の計算を他の預金に対しても行い、法定所要額全体を求める。
 このような計算を他の預金に対しても行い、法定所要額全体を求める。
 このような計算を月初から月末まで毎日行うことによって算出された金額を1カ月間で合計したものが、その金融機関に対する月間所要 積数と呼ばれる。また、月間所要積数を1カ月の日数で割ったものが月間所要平残である。ちなみに、2002年1月の市場全体の月間所要平残は4兆1,400億円だった。
 準備預金制度適用先の金融機関は、対象となる月の月間所要平残を達成するために、その月の16日から翌月15日までの間に、日銀当座預金に資金を預けなければならない。 たとえば3月分の積み立て期間は3月16日から4月15日の31日間である。つまり、実際の預金に対して半月遅れの同時・後積み混合方式となっている。
 銀行休業日は日本銀行も休業するため、休み前日の準備預金残高は休日も継続することになる。しかがって、土曜日・日曜日の準備預金残高は金曜日の終業時点の準備預金残高がそのまま参入される。 なお、毎月15日を準備預金最終日という。 (『新・東京マネー・マーケット』から)
日本銀行当座預金残高が多ければ、銀行は安心して貸出を多くすることができる  このように本来は預金の払い出しに備えての準備金ではあるが、実際はこれが貸出を規制することになる。 銀行が企業に融資をすれば、結果として預金額が増えることになり、準備金を多くしなれけばならない。そこで、前もって当座預金残高を多くしてあれば、安心して融資を行う事ができる。 つまり、当座預金残高は、銀行にとって「貸出保証金」または「貸出権利金」のようなものだ。このように当座預金残高が多いということは、銀行は貸出権利が多くなったのだから多く貸し出し、それによってマネーサプライも増加するだろうと、期待しているわけだ。
 このように当座預金残高はマネーサプライに大きな影響を与えるために、日本銀行当座預金残高+現金通貨を「ベース・マネー」とか「マネタリーベース」とか「ハイパワード・マネー」などと呼ぶ。日本銀行当座預金残高が大きくマネーサプライに変わる仕組みを「信用創造プロセス(トランスミッション・メカニズム)」と言い、マネーサプライのハイパワード・マネーに対する比率を「貨幣乗数」と呼ぶ。
 現在これらの数字がどうなっているか、と言うと、日銀が2005年4月12日発表した2004年度の貸出・資金吸収動向(速報)によると、「国内銀行の年度平均の貸出残高は386兆511億円で、前年度に比べ3.5%減少した」とある。 そしてこれに対する準備金は、大体4兆円と言われている。つまり、4兆円の準備金と400兆円弱の貸出が対応していると考えれば良い。
しかし、日本銀行当座預金残高が多くてもマネーサプライが多くなるわけではない  日本銀行当座預金残高が多いということは、銀行が安心して企業への貸し出しを増やすことができる。馬を水飲み場に連れていって十分な飲み水を用意する。日銀にできることはそこまでで、馬が水を飲むかどうかは馬次第。 企業に資金需要があるかどうか?銀行が積極的に融資先を開発できるかどうか?それにかかっている。そして、ハッキリさせておかなければならないのは、「日本銀行当座預金残高が多くしても、通貨流通量が多くなるわけではない」ということだ。
 これをハッキリさせておこう。マネーサプライが増加するということは銀行が企業に多く融資すること(原因)⇒企業の口座に融資額が振り込まれる⇒銀行の預金額が増加する⇒必要準備金が多くなる⇒日本銀行当座預金残高が増加する(結果)⇒ベースマネーが増加する(結果)。
 分かりやすくするために。原因と結果という言葉を使った。これで分かるようにマネーサプライの増加が原因で、ベースマネーの増加が結果なのだ。ハイパワード・マネーとか貨幣乗数という言葉を使うことによって、原因と結果を取り違えそうになる。 日銀の量的緩和政策によってべースマネーが増えることによって、マネーサプライが増加するかのように思ってしまう。ここではこのことをシッカリと理解しておく必要がある。
そして馬は水を飲まなかった  馬を水飲み場に連れて行っても、水を飲むかどうかは馬次第、とはこういうことだ。
「馬を水飲み場へ連れていくことはできるが、水を飲むかどうかは馬しだい」 =「通貨流通量が増えるような状況を作り出すことはできるが、信用創造が増えるかどうかは、企業と銀行次第」
「水飲み場へ連れて行き、十分な水を用意する」 =「ハイパワード・マネーを増やす」
「水を飲み始める」 =「民間銀行が融資を拡大する」
「ドンドン水を飲む」 =「通貨流通量が増える」
「水を飲み元気になる」 =「需要が拡大し、設備投資が増え、景気が上向く」
こうした一方で
「水飲み場への給水を制限する」 =「三重野総裁時代のバブルつぶしのように、公定歩合をドンドン上げて信用創造プロセスをストップさせる」
「馬が1頭しかいないのに、2頭、3頭分の水を用意する」 =「量的緩和政策」
「水を無くしたり、馬が水飲み場に行くのを邪魔するはできるが、水を飲ますことは難しい」」 =「目標を設定してインフレを抑えることはできるが、目標を設定してデフレを変えることは難しい」
 なおインタゲ派の文章を読むと、「日銀は馬に水を飲ますことができる」かのような印象を持つ。 
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(4)はたして日銀の思惑通りの効果はあがっているのと言えるのだろうか?………
<量的緩和政策の効果は出ていない>
 2001年3月から始まった量的緩和政策、4年経った現在どのような状況なのだろうか?ここでは日銀の説明に従って検証するとして、もう一度日銀の説明を書き出してみよう。
A.  期待される効果としては、次の 3つが考えられます。
(1) 短期金利の一層の低下。
(2) いわゆるポートフォリオ・リバランス効果。日本銀行当座預金は、安全ですが利息を生まない金融資産です。これが積み上がれば、金融機関はより有利な運用先を求めて貸出や債券・株式投資などに資金を回すことができるのではないか、という考え方です。
(3) 期待効果。「日本銀行が資金供給を増加させれば、いずれは物価上昇や景気回復につながる」という予想が人々の間に生じて、企業や家計の景気に対する見方が改善されることで、企業の設備投資や個人消費が改善すると期待されます。
(1) 2001年3月当時、O/Nの最低レートは0.01%、つまりこれが最低単位だった。そのレートの最低単位が0.001%になった。このため短期金利が下がったわけだが、量的緩和政策の効果とは言えないだろう。それよりも副作用の方が大きい。
 ではタイボー(Tokyou Inter-Bank Offerd Rate)ではなく、銀行から企業への短期融資金利はどうなのだろう。これに関しては5月23日次のように書いた。
 住宅ローンや企業の設備投資、在庫投資、研究開発投資は長期金利で借りる。では短期とは、5,10日など支払日に資金不足を補う運転資金だろう。こうした資金が金利低下で借りやすくなるとどうなるか? これは、経営不振企業の延命策として有効かもしれない。つまり負け組の倒産先延ばしに有効だろう。そう考えると、それが日本経済に与える良い影響とは?取り上げるほど影響はないと思う。企業活動で、設備投資、在庫投資、研究開発投資は将来利益を生み出す可能性もあるが、 倒産延命策は後ろ向きの効果でしかない。それでもマイナスの効果ではないだろうが、どの程度の期待が持てるだろう?
 例えば資金不足の企業が運転資金を1億円、半月借りたとしよう。金利が2.5%だったものが、量的緩和政策により2.0%になったとしよう。この0.5%の金利低下がどの程度のものか、計算してみよう。
 元金X金利X期間=利息  100,000,000円X0.005%X(0.5÷12)=20,833 
 日銀の量的緩和政策により、1億円を半月借りて、2万円程度、金利が安くなる。たったこれだけ。0.5%であっても長期借り入れなら大きな影響もあるが、短期ではあまり影響はない。こうした金利低下も日本経済がデフレ・スパイラルかの脱出には効果はない、と言えるだろう。 そうして、この例の0.5%の金利低下はここでの仮定であって、実際の数字はわからない。
 金利低下が日本経済に良い影響を与えるとすれば、それは@長期金利であること。A高金利の時に金利低下があること。6%が3%になれば影響も大きいが、2.5%が2%のなった程度では影響は少ない。しかしこうした点に就いてのエコノミストの百花繚乱百家争鳴はないようだ。
 現在0.001%で推移している。変化はない。
「タンス預金化」する余剰資金
 短期金利の低下に関してTANAKAの見方にピッタリの現場からの報告があったのでここに紹介しよう。
  短期市場の低下とは、結局のところ日銀当座預金に「死蔵」する資金が増加し、市場の流動性が低下することを意味している。では、なぜ日銀当座に資金が眠ってしまうのか?
金利水準の極度の低下 量的緩和政策によって短期市場の金利水準は限りなくゼロ%に近づいている。その結果、市場で資金を運用しても利息はただ同然になる。 例えば、100億円をオーバーナイトで運用したとしよう。その利息は、
  オーバーナイトの金利   100億円の利息
      0.010%   2739円  
      0.005%   1369円  
      0.002%    547円
      0.001%    273円
となる。0.001%の場合、利息はわずか273円。これに種々の取引コスト(仲介手数料や資金送金の際に利用する日銀ネットの手数料、電話代など)を払うと明らかに赤字になってしまう。
 9月上旬(2001年)にコール取引の刻み幅が0.01から0.001になったが、これをきっかけに、市場参加者によっては最低運用下限レートを設定する動きが現れ始めた。例えば最低運用下限レートを0.005%に決めた場合、市場の調達レートがそこまで上がってこなければ、その金融機関の余剰資金は日銀当座預金に眠ることになる。 日銀当座には理想は利息はつかないがリスクはない(タンス現金を保有することと同じである)。よって、”無担保”でゼロ同然の運用を行うよりも、日銀当座預金に眠らせて「タンス預金化」する方がはるかに「合理的」な判断となる。 ただし、投資信託などの期間投資家は約款の関係で、余剰資金を運用しないわけにはいかない状況にある。このため、極限まで余剰資金を運用する一部参加者とそうでない参加者に二極分化している。
「ブタ積み」への抵抗感が消えた:資金繰りのディシプリン喪失  長い間、日本の金融機関は超過準備を保有することを極端に嫌がっていた。もし超過準備を保有する場合は担当役員の印鑑が必要となる、というような話は珍しくなかった。これは、日銀の過去の暗黙の指導の遺産というせいもあるが、それ以前に、超過準備とは資金繰りの失敗を意味するためでもあった。 超過準備を回避するスタンスは単にコストの問題だけではなく資金ディーラーのディシプリン(規律)の問題でもある。本来、きちんとした資金繰りをしていれば超過準備が発生するはずはなく、そのため超過準備は「ブタ積み」という俗な業界用語で表現される(「ブタ」の語源は花札から由来している模様)。
 しかし、日銀が8月(2001年)に日銀当座預金を6兆円に引き上げたため、超過準備回避を諦める金融機関は増加し始めた。それが、同時多発テロの大量資金供給で更に決定的になった。実はこれまでゼロ金利同然で資金運用していた金融機関は、利息収入を追い求めていたというよりも「ブタ積みへの心理的抵抗感、習慣」が動機となった面が強い。 よって、一度、資金繰りのディシプリンが崩れると、超過準備保有のコストもほとんどゼロであるため運用意欲が急速に萎えてくる。このため日銀当座への資金滞留は増加しやすくなり、市場のカネの巡りは悪化する。 (『日銀は死んだのか?』から)
(2) 債券・株式投資などに資金を回すことができるのではないか、と思っても、銀行は国債を買い続ける。それが銀行にとっての最善の策だからだ。そして買い切りオペによって利潤をあげ、不良債権処理を進める。
 日銀が毎月6000億円程度の買いオペを続けて、それで銀行が株を買ったら景気が良くなるのか?財政政策で効果のなかったことを日銀が行うのか?日銀にそのような政策・財政政策を要望するのか? あるいは「M2+CD(現金、要求払い預金、譲渡性預金など)」の平均残高は705兆6000億円、これに郵便貯金や投資信託などを加えた「広義流動性」は1396兆9000億円。その市場に日本銀行当座預金からの資金が回ることによって、マネーサプライが増加し、貨幣的現象であるインフレが起こるとでも言いたいのであろうか?
<コール市場の機能低下という副作用>  量的緩和政策は日銀の説明する効果は出ていない。せいぜい銀行の不良債権処理に役立った程度だ。それに対して副作用が出始めている。コール市場の機能低下、という副作用だ。
 コールレートが0.001%ということは10億円を借りて翌日返済すると、その金利は 1,000,000,000X0.001%(1÷365)≒27,4円  1000億円借りて、その金利が2740円。 そして短資会社の手数料が「資金の出し手、取り手双方から各々0.02%(1/50%)を片落しで受取る」となっている。これでは出し手がいなくなってしまう。 それでどうなるか、と言うと、地方銀行などコール市場での出し手の担当者が配置転換になってしまうケースが出始めている、ということだ。そうした事例のレポートを紹介しよう。
<ディーラーが消えたマーケット>  2002年7月半ば、日本銀行のある審議委員から指示を受けた1人の職員が、東京都内にある大手外国銀行の熟練ディーラーの元をひそかに訪れた。
 「仮に今後、ペイオフの全面解禁で預金が大幅に流出するような不測の事態が生じた場合、中小金融機関は問題なく短期金融市場から必要な資金を調達することができるでしょうか」。
 当時はまだ、政府がペイオフの全面解禁を2003年4月から2005年4月に2年間延期することを決断する3カ月ほど前。危機感を漂わせる職員からの真摯な問いかけに、熟練ディーラーはしばし沈黙した。そして一呼吸置いた後、こう切り出した。
 「1999年2月に日銀がゼロ金利政策を導入して以降、地方銀行が相次いで収益性の落ちた短期取引部門を大幅に縮小していることをご存じですか」。
 ペイオフとはやや異なる話を持ち出されたことに戸惑う職員に、熟練ディーラーはこう言葉を続けた。
 「このままゼロ金利政策が長期化すれば、こうした傾向がさらに強まるでしょう。そうなると、いくら日銀が潤沢な資金を出し続けたとしても、緊急時にとっさの判断で必要な資金を調達できる豊富な知識と経験を持った熟練ディーラーが東京市場からいなくなっている危険性を否定できません」。
 資金の余っている金融機関が足りない金融機関に融通することで成り立つ短期金融市場は、それぞれの金融機関が資金繰りの最終的な帳尻合わせに利用する重要な場所である。金融システムの維持を重要命題に置く日銀は、金融機関の資金繰りが生き詰まって金融システム不安が市場に広がる事態を未然に避けるため、 短期金融市場を日々注意深く監視するとともに、金融機関向けに潤沢な資金を供給し続けている。
 ところが資金供給をいくら増やしても対処できない深刻な問題が浮上してきた。厳しい経営環境を乗り切るためにリストラを急ぐ地銀が、相次いで収益性の低い短期取引部門の縮小に動き出した結果、「短期部門一筋で十数年」といった熟練ディーラーたちが市場から次々と姿を消しつつあるのだ。 日銀が景気下支えの切り札として打ち出したゼロ金利政策が、皮肉にも金融システム不安の原因になりかねない事態を招いていた。
 「毎日、大手都市銀行だけでなく、世界中に名を知られた欧米の有力銀行なんかを相手に、百億円単位の資金をやり取りするんです。その緊張感がたまらなかった。国債金融資本市場を相手に働くディーリング部門は、何物にも代え難い刺激に満ちた職場だったと思います。だけど僕は、地銀に勤務するサラリーマンでもあるんです。 上から他の部署への転勤辞令を出されれば、それに黙って従うしかないでしょう」。
 中部地方のある大手地銀に勤務する石川英治さん(40、仮名)は、十年近く短期取引部門で働いてきた熟練ディーラーの一人。しかしゼロ金利政策以降、短期金融市場でいくら資金を運用してみても、金利収入をほとんど得ることができなくなった。 勤務先の地銀が短期取引部門の大幅縮小に踏み切るのも無理はなかった。そして2000年に入ると、とうとう石川さんにも地元の支店への転勤命令が出された。それ以降の仕事は以前とすっかり様変わりした。 石川さんは百万円単位の取引を獲得しようと、地元の中小企業経営者を相手に、せっせと営業活動にいそしむ毎日をすごしている。 (『ドキュメント 惑うマネー』から)
<干し上がる短期市場>  筆者は短期市場の一つであるコール市場の現場に身を置いているが、量的緩和策が決定された直後、ある雑誌に次のように書いた。
 強力な時間軸の下では、短期のイールドは怖ろしいほどべったりとフラットになってくる。この状況では、運用手段で利益を得るよりも短期セクションの整理・縮小によるコスト削減を追求する方が得策になってくる。日本の金融機関は人事ローテーションが速いため通常の資金繰りの知識・経験が”伝承”されずに途絶えてくる恐れが考えられる。 市場機能はさらに低下し短期市場は干上がっていくだろう。量的緩和処置における短期市場の存在は、諫早湾干拓事業で壊滅的な打撃を受けた海苔養殖業者の境遇に近いものがある。この例えを先日ある短期市場関係者に話したところ、「日銀当座預金ターゲットが7兆、8兆と引き上げられれば、我々は絶滅に瀕した有明海のムツゴロウ状態になる」と苦笑いしていた(『週刊金融財政事情』2001年4月9日号「BOJウォッチング」)。
 少し書き過ぎたかとも思ったが、市場参加者から賛同の意を示す多くの反響をもらった。ある資金ディーラーからは「表現がまだ生ぬるい」との「お叱り」さえ受けた。
 実は、コール市場においては、導入直後からこの量的緩和策がもたらす弊害を指摘する大合唱が起きていた。本来、短期金融市場は中央銀行が金融政策を遂行する場であり、常にモニタリングすることによって経済の体温を測る窓口でもある。
 それゆえ、日本に限らず、短期金融市場に参加するディーラー、ブローカーは皆「セントラルバンク・ウォッチャー」であり、自然と他の市場よりも中央銀行に対して心情的な理解を示す人が多い。しかし、この政策導入以降、短期金融市場との信頼関係は壊れてしまった。 諫早湾の海苔養殖業者が怒っていたのは、単に金銭的な、問題だけではないだろう。海苔養殖の「職人の技術」が踏みにじられたことへの怒りが内在していたと想像する。短期市場に直接接している日銀スタッフは板ばさみにあって苦労しているが、この政策が長期化すればするほど彼らのモニタリング能力は低下していく恐れがある。 (『日銀は死んだのか?』から)
短期市場参加者の縮小。撤退  量的緩和策が一時的なののならば先の弊害も一時的であり深刻になる必要はないだろう。しかし、懸念されるのは、今回の量的緩和策には「強力な時間軸」がセットされている点である。 多くの市場参加者は短期市場で収益が稼げない環境が長期化すると思っている。となれば、短期セクションを維持するよりも、整理縮小によって人件費等の固定費を削減して、余剰資金を日銀当座預金に置きっ放しにする方が、はるかに有利な”運用”になってしまう。
 しかし、市場全体の人員が極端に削減されるとディーラーの金利に対する感応度は急激に低下する。これは既に起き始めている現象だが、例えば、市場レートが跳ねて歪みが生じた時に、有利な運用先があることをブローカーが連絡しても、担当者は会議中だったり、外回りの営業をしていたりして、つかまらないことが度々ある(リストラの環境の中で皆仕事量が増加しているので、もうからない短期取引は後回しになる)。 また、普段余剰資金を日銀当座預金に眠らせっぱなしにしている金融機関の場合、それが長期化してくると、少々のレート上昇では資金運用に乗り出してこなくなってしまう。少々の利息収入のために不慣れな事務フローが発生するのを嫌がるからである。
 量的緩和策が実際に3〜5年以上続いた場合、市場機能がどれほど麻痺しているか、想像するのも怖ろしい。 (『日銀は死んだのか?』から)
『日銀は死んだのか?』に対する批判  量的緩和政策を扱った最近の本の中で『日銀は死んだのか?』は他とは違っている。他の本は著者が学者かジャーナリストで、金融市場の現場からの報告はこれだけだ。それだけに他の本とは違った視点が感じられる。そして、それだからだろう、批判する人もいる。 どのような批判か?少し引用してみよう。
●短期金融市場の機能不全というが……  本書は、著者が市場関係者であるだけに、一般になじみの少ない短期金融市場の様子が微に入り細にわたって描写されている。 ゼロ金利政策のもとでは、日銀がいくら貨幣を供給しても、金融機関は運用収入より事務コストが上回るので運用せず、金融機関は手元に死蔵する実態とそのメカニズムが明らかにされている(第1章)。 このため、量的緩和やインフレターゲットでは、ゼロ金利で短期金融市場が機能不全になっている以上、その政策効果はないと断じている(第2章)。
 もし評者が短期金融市場になじみがなかったら、おそらく『加藤本』に対して未知なる事実を教えてもらったという畏敬を抱き、あるマクロ経済学者のように好意的な書評を書いていただろう。 金利ゼロでコール市場が機能不全になるのは当然であり、その結果この市場の仲介を業とする短資会社が危機感を持つのは理解できる。 日銀がコール市場を政策実施の場とする以上、短資会社と密接な関係にあるのも自然であり、短資会社を日銀のファミリー企業とみる人も多い。 もちろん個人の資格により書いた『加藤本』を色メガネでみることは適切でない。むしろ『加藤本』は短期金融市場の実情を正確に描写している。 しかし、それと金融政策としての有効性とどのような関係があるであろうか。日銀からの資金が本来資金を保有しておく必要がない短資会社の日銀当座預金になったとしても、または金融機関に滞留しても、それは量的緩和が効果がないことを意味するのか、 機能不全に陥った短期金融市場と量的緩和政策の有効性とはまったく別次元の問題である。本書で、日銀の貨幣供給によって市場がジャブジャブと表現されているが、それは物事の一面をみたにすぎない。
 本書の議論には大きな見落としがある。量的緩和によるマネーの供給増にともなう通貨発行益の効果(seigniorage channel)である。たとえば、日銀券発行では発行価額の99.8%程度の発行差益が、国庫納付金となって国民に、または日銀から直接に金融機関にばらまかれて需要を創出するはずだ。 この通貨発行差益チャンネルによる効果によって、ゼロ金利でも量的緩和は実態経済に影響を与えるのだ。なお、このように貨幣部門の超過供給が非貨幣部門の超過需要を引き起こすことは、経済学ではワルラスの法則(経済全体の総需要価値額は総供給価値額に等しい)として知られている。(以下略) (『エコノミスト・ミシュラン』から) (T注 「通貨発行差益」については、ここより後の「(7)100兆円の金融政策によって日本経済はどのように変化するだろうか?………」で扱っています。いわば「借金踏み倒し政策」)
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(5)インフレターゲットについてその提唱者の意見を聞いてみることにしよう………
<インフレターゲットとは>
 インフレターゲット推進派でない人間が「インフレターゲットとはどういうことか」を書くのは難しい。というのはインタゲ派の書いた本には「誰々はインフレターゲットを誤解している」というようなニュアンスの文が目立つからだ。 自分なりに理解した「インフレターゲット論」を書くと、「まったく誤解している」と批判されそうなので、その人たちの文章を引用することにしよう。
伊藤隆敏著『インフレターゲッティング』 目次を見ると「インフレ・ターゲッティングとは何か」とあり、小見出しとして「金融政策の新しい枠組みである」「どこがすぐれているか」「インフレ・ターゲッティングの具体策」「海外先進国ではスタンダードな政策」 「インフレ・ターゲット政策はインフレ率引き上げにも有効か?」「数値目標はだれが決めるのか」「実体経済など諸要素を無視してよいわけではない」などが並ぶ。
 先ず「金融政策の新しい枠組みである」から一部引用しよう。この本は2000年11月20日初版発行。
 物価安定が目的 インフレ・ターゲッティングとは何でしょうか。簡単に言えば、年間の物価上昇率を「1パーセントから3パーセントの範囲内」といった数値目標として定め、中央銀行は、その目標を達成するように金融政策を行うと宣言することです。
 インフレ・ターゲッティングというネーミングがどうもよくないのではないかと言われます。「インフレ」という言葉には、オイルショックの時代に起きた「狂乱物価」など物の値段が暴騰するというようなマイナスのイメージがあるからです。後で詳しく説明しますが、インフレ・ターゲッティングとは、物価上昇率を「物価安定」と整合的な範囲内にコントロールすることであり、 物価を急上昇させる政策や、インフレ率が高ければよいという政策ではありません。ですから、本書では、無用の誤解を避けるためにもインフレ・ターゲッティングのことを「物価安定数値目標政策」と言い換えたいと思います。
 ただ、欧米の文献では、「インフレ・ターゲッティング」「インフレ・ターゲット」という言葉で一般化し、研究も進んでいます。ネーミングだけの問題ですので、本書では「インフレ・ターゲッティング」と「数値安定数値目標政策」の両方の言葉を使いますが、同じ意味であるということをご諒解ください。(中略)
 インフレ・ターゲッティングの具体策 それでは、日本銀行が実際に物価安定数値目標政策を導入することになったとしたら、どういう宣言が必要になるか、どういうことを発表していくかについて具体例をあげながら説明しましょう。 
 まず日本銀行が、たとえば「2年後に消費者物価指数(除く、生鮮食品)のインフレ率を1〜3パーセントの範囲にするということを目標に、金融政策を運営します」ということを宣言すれば、これは物価安定数値目標政策の発動ということになります。
 @この「消費者物価指数(除く、生鮮食品)」が目標として取り上げる適切な物価指数であるのかどうか、Aその数値を「1〜3パーセント」と設定するとはどういうことなのか、B期間を「2年後」とすることにどういう意味があるのかということについて、順に説明しましょう。
 次ぎに「インフレを起こすことはできるのか」から一部引用しよう。
インフレは必ず起こせる まず、「物価安定数値目標はたしかに好ましいし、デフレを止めるのもよいことだ。しかし、その手段がないじゃないか」という意見があります。すでに利子率(名目の利子率)はゼロになっていて、これ異常金利を下げられない状況です。そういうなかで、どうしたらデフレを止めることができるかという批判があるかもしれません。
 これに対する答えは、「インフレは必ず起こすことができる」ということです。(T注 「馬に水を飲ませることが出来る」と言っている。そうであるならば、「長期不況ということは今後起こらない」、「景気循環はなくなる」と言っているに等しい。)
 近代以降の日本、そして世界を見渡すと、これまでの政府や中央銀行にとっては、むしろインフレを止めることが非常に大きな課題でした。デフレを止めるということはほとんど経験がなかったわけですが、インフレは、金融政策を運営する限り必ず起こすことができます。むしろ、これまでのインフレの環境下では、やっていけないと言われていた、「不適切」と呼ばれるような政策を金融当局が行えばよいのです。 たとえば、大量の量的緩和や、長期債の買い切りオペの増額、さらに株式の購入などです。ただしアメリカの著名な経済学者であるポール・クルーグマンは、ある論文のなかで、このような政策のことを指して、日本銀行は、「無責任な政策」をとるべきだ、と言ったのですが、このような言い方は、世間に誤解を与えてしまったようです。
インフレをどうやって起こすのか 現在のマネーマーケットの状況をみると、いまは短期の名目利子率がゼロになっていて、しかも「積みの余剰」と呼ばれるダブついた資金が、日本銀行に預け戻されているという状況になっています。 そういった特殊な状況の中でデフレを阻止する、つまり日本銀行がこれ以上さらにお金を市場に供給するにはどうしたらいいかという、技術的な議論になってきます。
 私の提案では、日本銀行は、まず長期国債の買い増しをすべきです。これまでも日本銀行は長期国債を毎月ある一定額買ってきているわけですが、これの購入の額を増額する。よりたくさんの長期国債をマーケットから買っていくということが考えられます。 (T注 ではいくらにすればいいのか?具体的な数字がない。この本が出版された時点では、月額4,000億円の買い切りオペ、現在はその3倍の1兆2,000億円)
 この場合、注意が必要なのは、長期債を買うといった場合も、流通市場で買うのが原則で、財政法で禁じられている「国債をそのまま日本銀行に引受させる」ということは、好ましくないということです。これは、市場から買い入れることで、これを後に売却することも容易になります。 政府発行のものを「引き受ける」ということは、価格づけの考証から行わなくてはいけないので、政府が、財政規律を失わせる可能性があるからです。 (T注 「買い切りオペ」ではなく「買いオペ」を想定している。「買いオペ」=「テンポラリー供給オペ」とは短期買い現先オペ、レポオペ、手形買いオペ、CPオペなど期日が来る供給オペのこと。「買い切りオペ」=「アウトライトオペ」とは、短期国債買い切りオペか中長期債買い切りオペのこと。つまり将来日銀は国債の売りオペを行うと考えているようだ。将来売りオペを行えばマネーサプライが減少しデフレになる。)
 日本銀行が長期債を買い上げることによって多くの現金が市中に流れるわけですから、これまで長期国債を持っていた人たちが現金を手にすることになります。そうなると彼らは何か別のものを買うことになります。それは株式の購入に向かうかもしれないし、外貨預金に回るかもしれません。「今よりもう少しリスクをとっていいかな」というふうに考えるようになるだろうというのが、一つのロジックです。 株式を購入すれば、株価が上昇し資産効果によって景気はよくなります。外貨を購入すれば、円安となり輸出産業を中心に景気回復に向かいます。あるいは、消費財や投資財を買うかもしれない。その場合には直接、景気を狙撃することになります。どのようなチャンネルにしろ、景気がよくなり、デフレが止まります。 (T注 この説明は日銀の説明とまったく同じ。国債を売って儲けた人は、柳の下のドジョウを狙って、また国債を買う。これが賢い資金運用方法。) (『インフレターゲッティング』から)
中原伸之著『デフレ下の日本経済と金融政策』  次ぎに、日銀の審議委員であった中原伸之著『デフレ下の日本経済と金融政策』から引用しよう。この本は2002年3月31日初版発行。
量的緩和のトランスミッション・メカニズム 量的緩和を行うと、経済にどういった経路で好影響が出てくるかというトランスミッション・メカニズムについて、私の考えを述べたいと思います。ただし、この点について厳密にいえば、ゼロ金利政策のトランスミッション・メカニズムについても必ずしも明確でないことをあらかじめ申し上げておきます。 
 第1は、より長目のターム物金利の低下を通じての短期的な効果です。コールレートのオーバーナイト物についてはもはや限界のところまで下がっており、金利と量との裏表の関係は崩れていますが、タームものについてはまだ下がる余地があります。量的緩和によりさらに金融緩和を進めれば、ターム物金利が下がることによって実体経済を刺激することができると考えています。 ただ、もしその結果として景気が良くなれば、中長期的には期待インフレ率が上昇し、名目金利が上昇していくことになることを申し添えておきます。その場合でも、当面、実質金利は低下して、その影響を期待できると思っています。 (T注 これは誤り。景気が良くなれば名目金利・実質金利ともに上がる。「景気が上向いてきた、設備投資・在庫投資・研究開発投資など、少しぐらい金利か高くなっても、積極経営に転換しよう」と資金需要が拡大すれば、金利は上昇する。)
 第2は、金融機関がポートフォリオを変化させることを通じての効果です。量的緩和を行うと短期金融市場での資金がジャブジャブになりますが、後ほど説明させていただきますように、短資会社等が抱えているいわゆるリーケージには限界があるので、今以上にさらに資金供給を増やしていけば、いずれ金融機関の過超準備が膨らんでいくことになると考えられます。それがかなりの金額となれば、金融機関は資産構成を変化させ、日銀の当座預金から、債券、株式、あるいは貸出を増やすという行動につながる可能性があります。 ただ、このルートがよりうまく働くためには、インフレーション・ターゲッティングと組み合わせることで経済主体の期待を変化させる必要があると考えます。
 第3は、期待インフレ率が上昇することにより実質金利が低下することの効果です。実質金利が低下し、期待収益率がこれを上回ることになれば、設備投資が刺激されます。 (T注 期待インフレ率が上昇すると、実質金利も上がる)
 こうした金融から実体経済等に直接効くいわばメインストリームのトランスミッションに加え、ゼロ金利政策により実質的に量的緩和が進んだ過程でみられた、次ぎに述べる4番目、5番目のトランスミッション・メカニズムがあります。
 第4は、為替が円安方向に向かうことを通じての効果です。たとえば、生保やヘッジファンド等の機関投資家は、為替売買を行う時に日米のベースマネーの絶対額の比率を一つの有力な材料としてみていることは、良く知られています。
 第5は、株価が上昇することによる資産効果です。1999年9月末の時価総額をみると約400兆円と、2月25日事典の約288兆円に比べ100兆円以上増加していることがわかりますが、このような株式含み益の増大は、企業がそれを原資としてリストラを促進させるような効果が期待できます。 (T注 株価が上がるのは名目であって、実質はわからない。インフレのため名目は上がっていても、実質は下がるかもしれない) (『デフレ下の日本経済と金融政策』から)
岩田規久男編『まずデフレをとめよ』  岩田規久男編『まずデフレをとめよ』では多数のエコノミストが執筆している。それは次の人たち、岩田規久男・安達誠司・岡田靖・高橋洋一・野口旭・若田部昌澄。まえがきに次のようにある。
 本書は、分担執筆であり各章の最終的責任は各執筆者に属する。しかし、その内容は個々の執筆者の意見表明ではない(所属する機関の意見を反映したものでもまったくない)。 もとよりすべての論点で私たちの意見が同じわけではないが、本書は度重なる研究会や電子メールで頻繁に議論を交わした成果であり、他のメンバーの研究成果を相互に取り入れて執筆した、真の意味での協同作業の結果である。
 本の題名からしてインタゲ派であることが解る。では具体的に何を主張しているのか?TANAKAが読んで感じたポイントを引用しよう。この本は2003年2月10日初版発行。
 インフレ目標を設定せよ  ここ数年の物価下落率は、消費者物価でみて1%程度である。しかし、白塚によれば、消費者物価指数は実際よりも1%程度高くな性質があるから、実際の物価下落率は2%程度になると考えられる。
 最近10年ほどの世界各国の経験によれば、消費者物価指数の上方への偏りを除去する前の物価上昇率が、安定期に2〜3%の国は、経済パフォーマンスがきわめて良好である。この経験から判断すると、日本の物価上昇率は望ましい水準よりも3〜4%も低いことになる。つまり、望ましい物価上昇率がゼロであれば、1%のデフレはたいしたことはないと思われるかも知れないが、 2〜3%が望ましい上昇率であるとせれば、1%のデフレは経済が巡航速度で進ためには大きな障害になる。
 しかも、このデフレに激しい資産デフレが加わっている。資産デフレによって各経済主体のバランスシートが悪化すれば、各経済主体はバランスシートを改善しようとして、貯蓄に励み、リスクのある資産の獲得や設備投資を控えるようになる。そうした行動がさらにデフレを加速する。
 そこで、なんとしてもデフレから脱却することが不可欠になる。デフレからの脱却については、財政支出を民間投資誘発型にする政策も一定の効果を持つが、 (T注 ここでは財政政策の効果を認めている)根本的な政策ははじめに述べたような金融政策のレジーム転換である。
 そのようなレジーム転換を図るためには、まず、金融政策の目標としてインフレ目標を設定することが必要である。インフレ目標を採用している国は、1〜3%の間にインフレ目標を設定し、実際の物価上昇率を、2.5%程度に維持しながら、日本よりも高い2〜4%程度の実質経済成長を長期的に維持してきた。 この日本と比べた経験は、デフレ下では、すでに述べたような様々な解決困難な問題が発生し、産業構造調整も進まないが、マイルドなインフレであれば、そうした難問に遭遇することなく、産業構造調整もスムーズに進ことを示している。
 そこでまず、インフレ目標の下限を1%、上限を3%程度に設定する。しかし、インフレ目標を設定しても、いつまでに達成するかを明示しなくては、誰も金融政策を信用しない。過去の歴史的事例をみると、金融政策をはっきりとリフレ政策にレジーム転換すれば、1年以内にデフレから脱却できると考えられる。 したがって、日銀は1年以内(長くても2年以内)にインフレ目標を達成すると宣言し、そのためには、できることはなんでもやるという姿勢、すなわち、インフレ目標への強いコミットメントを鮮明にする必要がある。
 長期国債買いオペを大増額せよ  これまで日銀は、長期国債の買いオペ額は月額8000億円に制限するとか、日銀が保有する国債の残高を日銀見の発行残高に抑えるといった制限を設けてきた。そのような制約はすべて取り払うことが必要である。 長期国債を買っていく、あるいは、ドル建て債を同時に定期的に買うことも、早期に円安を誘導し、デフレを脱却する上で有効であり、考慮に値する。 (T注 制約を取り払っていくらにするのか?)
 この政策では、銀行が発行市場や流通市場から長期国債を購入し、その国債を日銀が購入するということが、大量に繰り返される。銀行が市中から長期国債を買うときには、銀行は購入先の預金口座の預金を長期国債代金だけ増やすことによって支払うから、預金(マネー)が市場に大量に出回ることになる。
 日銀は、マネーはすでにじゃぶじゃぶだと主張してきたが、企業と家計はそうしたじゃぶじゃぶのマネーを飲み込んだ上で、なおも、現金や預金の保有を増やし続けている。それは、人々や企業の間にデフレ予想がすっかり根を下ろしてしまい、マネーを持っていればデフレ分だけ利子がつくと思っているからである。 このような状況で、デフレから脱却してマイルドなインフレに移行するには、まず、日銀がインフレ目標の実現に強くコミットした上で、大量のマネー需要を飲み込む以上に、マネーを供給し続けることが必要である。そのことによってはじめてデフレが終息し、インフレ予想も形成されるようになる。
 デフレは「貨幣的現象」であり「実物的現象」ではない  デフレーションとは、いうまでもなく、一般物価の下落である。逆にいえば、財貨サービスに対する貨幣の価値の上昇である。バブル崩壊後の日本経済では、消費者物価指数、卸売物価指数、GDPデフレーターの上昇率が低下し続け、卸売物価上昇率は91年末から、GDPデフレーターの上昇率は94年後半から、 消費者物価上昇率は98年後半から、ほぼ恒常的にマイナスに転じた。まさに、デフレである。 
 奇妙なことに、この日本のデフレーション=貨幣価値の上昇について、一部の論者は「実物的現象であって貨幣的な現象ではない」という主張を行っている。たとえば、元日銀副総裁の福井俊彦氏(T注 現日銀総裁)は、「いまのデフレは、単なる貨幣的な現象を超えた根深いものだ。 国債競争の激化により、物価は世界的に下がっており、円高が加わる日本では高コスト構造の是正や産業の整理が避けられない。だから金融政策だけでデフレが解消できると考えるのは間違いだ」と述べている。また、野口悠紀雄氏も、「物価下落が生じている基本的な原因は、中国の工業化などのリアルなものだ。こうした問題を金融政策で解決することはできない」と主張している。
 このような主張の当否を明らかにするためには、まず、名目と実質、あるいは貨幣と実物という区別の意味を明確にしておく必要がある。貨幣とは本来、経済循環を媒介する標章にすぎない。経済活動の実体=「実物」とは、生産や消費および投資の直接の対象である財貨や」サービスにある。 名目と実質、貨幣と実物という区分は、インフレやデフレのような貨幣的な変化を、財貨サービスの生産増大や相対価格変化のような実体経済そのものの変化と区別するためのものである。したがって、「実物的なデフレ」といったものは、そもそも概念として成立しないのである。
 にもかかわらず、一部の論者が「貨幣的な出樹売れ、実物的なデフレ」なる珍妙な区別を持ち出すのはなぜなのだろうか。それはおそらく、「貨幣の長期的中立性、短期的非中立性」という考え方を誤解しているためと思われる。つまり、なぜかこれを誤って「デフレは長期においては貨幣的現象だが、短期では実物的現象だ」というように考えてしまっているのである。 しかし、「貨幣の長期的中立性、短期的非中立性」が意味するのは、「貨幣は長期には実物経済に影響を与えないが、短期では影響を与える」ということである。つまりそれは、長期にせよ短期にせよ、「実物的なデフレ」なるものとは、まったく無関係なのである。 (『まずデフレをとめよ』から)(T注 これを簡単に言えば「インフレはいつ、いかなる場合も貨幣的現象である」となる。あるいはルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの喩えも分かりやすい)
<インフレの微調整はできない>  買いオペか、買い切りオペかハッキリしないオペレーションを積極的に行って、どうしてデフレから脱却できるのか?買い切りではない買いオペだと、いずれ売りオペを行うことになる。そのときは買いオペと反対の経済効果があるはずだ。 買いオペでインフレになったのなら、こんどは売りオペでデフレになるはずだ。だから「買いオペ」ではなく「買い切りオペ」であるはずだ。
 そして、買い切りオペで日本銀行当座預金がふえることによって、どのようなメカニズムでインフレになるのか?これも説明不足だ。「インフレはいついかなる場合も貨幣的現象である」ならば、通貨流通量がどのようなメカニズムで増えるのか説明すべきだ。 TANAKAは準備率と馬を水飲み場に連れていく喩えで説明した。準備率から言えば、10兆円もあれば、銀行の貸出が現在の倍になっても準備金を心配する必要がないから、それで十分なはずだ。15兆円、20兆円にしても意味はない。「ビールは一杯目が一番旨い。以後段々にありがた味は減っていく」。 限界効用逓減の法則だ。10兆円もあれば十分で、それ以上日本銀行当座預金を増やしても効果はない。この点に関しては日銀とインタゲ派は共通の感覚を持っているようだ。
 こういう主張もある。「マネタリーベース増の効果として、マネーサプライ増が見込まれる。これに関して、たしかに貨幣乗数は低下しているが、効果低下と効果ゼロとは大違いなので、積極的にマネタリーベースを増やすべきだ」というもの。
効果低下と効果ゼロとは大違い──マネタリーベース増の効果  量的緩和の効果を巡っては意見が大きく分かれているのが実状です。過去においてはマネタリーベース増加率とマネーサプライ増加率の関係は密接でした。ところが、バブル崩壊後この関係が乱れてきています。
 90年代に入ってからマネーサプライ増加率がマネタリーベース増加率を下回る傾向が見られます。言い換えれば、貨幣乗数(=マネーサプライ/マネタリーベース)の低下傾向が見られるということです。とくに日銀は2001年春先から「量的緩和政策への転換」を表明し、現実にもマネタリーベースの増加率を大きく高めてきていますが、それに見合ってマネーサプライ増加率が高まっていません。
 このようにマネタリーベース増加率とマネーサプライ増加率の関係が変わってきたのは事実ですが、その程度をしっかり把握する必要があります。というのは、関係が全くなくなったのであれば、マネタリーベースを増やす政策をやる必要はありません。しかし、関係が弱くなっただけであれば、マネタリーベースを強力に増やす必要があるからです。その点を調べてみましょう。
 ここからは、ややめんどうな式や計算がでてきますが、決して難しいわけではありません。189ページまでは、実際に貨幣乗数が低下していることを理論的・実証的に確かめる作業です。(中略)
 このことは、近年においてもその影響力は小さくなったものの、依然マネタリーベースを増やせばマネーサプライが増えるという関係がが損さしているということを示しています。
 つまり、マネタリーベース増加率がマネーを増やす効果が小さくなったというのは事実ですが、ゼロになったということではないということです。このことは重要です。効果がゼロになったのなら、量的緩和という政策は取る意味がありません。しかし、底効果が小さくなったということであれば、全く話は別です。より思い切って量的緩和をすすめるべきだという結論になるからです。 (『新しい日本経済講義』から)(T注 上にも書いたが、銀行貸出が増加し(原因)、マネーサプライが増加したことによって、準備金が増加し、日本銀行当座預金残高が増加し(結果)、マネタリーベースが増加するのだが、この本の著者の論理では、「マネタリーベースが増加すると(原因)、マネーサプライが増加する(結果)」と因果関係が逆になってしまう。
 マネタリーベースは銀行貸出(信用創造)によって必要となった分だけ伸びてきた。それが量的緩和政策によって必要とする以上に積み上がってきた。この因果関係を理解すれば貨幣乗数の低下は簡単に理解できるはずだ。)
 微調整はできないという点に関しては、2001年12月10日に次のように書いた。
 <それでも「インフレターゲット論」は採用できない> 馬を水飲み場まで連れていく日銀の政策として、それでも「インフレターゲット論」は採用できない。その理由は、「ターゲットを10%から20%の範囲」ならば可能性もあるが、「ターゲットを2%から5%の範囲」ではコントロール不可能だからだ。買いオペを続けることにより、ベースマネーが増加し、それによりマネーサプライ大幅に伸び、そうしてデフレからインフレに変わり始めたとしよう。日銀がその傾向になったと判断し、買いオペをストップしたとしてもインフレが止まるには時間がかかる。「インフレは急には止まらない」
 制動をかけてインフレ率2%から5%の範囲で停止させるのは無理だ。そんな微調整はできない。10%から20%の範囲なら可能かも知れない。しかし10%から20%では国民の支持は得られないだろう。「通貨流通量を増加させ、デフレスパイラルから抜け出す」この政策を認めても、インフレターゲット論以外の目標設定でなければならない。ではどのような目標がいいのか?それに対して日銀は何ができるのか?そして何をしているのか?その効果は出ているのか?について次回書くつもりです。ご期待ください。
 インフレは急には止まらない。そこでインフレがひどくなり苦しんだり、そのインフレを止めようとしてデフレになって苦しんだり、と微調節できないので苦しむことになる恐れがある。こうしたことに関してミルトン・フリードマンが解りやすい喩え話をしているので、引用しよう。これはアメリカのプレイボーイ誌とのインタビュー。とにかく解りやすい。
<ミルトン・フリードマン著『政府からの自由』>ミルトン・フリードマンはプレイボーイ誌の読者に経済学をわかりやすく話している。「素人さん、大歓迎」の姿勢だ。プレイボーイ誌記者とのインタビューの文章を引用しよう。
プレイボーイ インフレは、なぜ、いつまでも解決できない問題なのでしょうか。
フリードマン いや、技術的に言えば、インフレを止めることはそんなに難しくないんですよ。問題なのは、インフレになると好影響が先に出てきて、悪影響があとになることです。酒と同じですよ。インフレになり始めの数ヶ月あるいは数年というのは、ちょうど2,3杯ひっかけたときみたいに、いい気分のものなんです。使えるお金は増えるし、物価の上昇はまだひどくないし。ところが、物価が本格的に上がり始めると、これはもう二日酔いみたいに苦しい。もちろん、一口にインフレに苦しむといっても、人によって程度の差があるのも問題ですね。一般に、政治的な発言力をもたない層、貧しい人や年金などで暮らしている人がいちばんの被害者です。 その一方で、インフレの影響をまったく受けない人や、インフレで大儲けする人もいるわけです。
 さて、インフレ退治に乗り出すと、今度は困ったことに、すぐに悪い影響が出てくる。失業者はふえる。金利は上がる。資金繰りは苦しくなる。とにかく不快なことばかりで、それを通り過ぎないと、価格上昇が止まったことの良い影響は出てこない。治療中のこの苦しい期間を、迎え酒に頼らずにどうやって乗り切るか、それが問題ですね。 インフレ退治でいちばん困るのは、しばらくすると治療より病気の方が楽だと皆が思い始めることなんです。治療に成功すれば、経済成長と価格の安定の両立だって夢ではないのに、そこのところが分からない。ニクソンのときに見たとおり、治療などうっちゃって、また病気に戻りたいというすさまじい圧力が市民の側から起こってくるのです。いつまでも酩酊状態でいたいんですね。(中略)
プレイボーイ 連邦準備制度がどうやってインフレを起こすのですか。これは、言ってみれば政府の銀行に過ぎないでしょう。
フリードマン 「すぎない」と言っても、結構いろんなことができるのですよ。連邦準備制度は政府の銀行ですから、お金を作り出す、つまり印刷する権限をもっているわけで、お金が多すぎる事こそインフレが起こる原因なのですから。
 連邦準備制度がなぜインフレの元凶であるのか。それを多少なりとも理解するには、まず、この制度にどんな権限が与えられているかを知っておく必要がありますね。一つは紙幣を印刷する権限です。あなたのポケットに入っているお金は、ほとんどこうして印刷された、連邦準備紙幣と言われるものです。また、市中銀行に預金をすることもできますが、これは結果的には紙幣を印刷するのと変わりません。ほかに、銀行に信用を供与することもできますし、加盟銀行の預金準備率を定めることができます。この預金準備率というのは、各銀行が自分のところで預かっているお金1ドルにつき、どれだけを現金で保有し、あるいは連邦準備銀行に預け入れておかなければならないかを定める数字です。準備率が高くなれば、それだけ銀行が貸し出せるお金の量が少なくなりますし、 逆に低くなれば貸し出せるお金の量は増えます。
 こういう権限をもつ連邦準備制度理事会は、通貨と預金を合わせて、いつもでれだけの貨幣が国内に流通しているかをにらみ、それを増やしたり減らしたりしているわけです。理事は大統領によって任命され、上院の承認を受けますが、ほとんどが名のある金融問題の専門家です。しかし、どんなに有能な人たちであるにしても、これは少人数のグループに任せるには、いかにも大きすぎる権限であると言わなければなりません。過去60年の間、彼らは、経済の動向を予測し、それを平坦な成長の道にとどめておこうと努力してきました。私はアメリカの貨幣史を研究し、それについて本を書いたこともありますが、連邦準備制度が創立されてから後と、南北戦争から1914年までを比べてみると、創立後のほうに深刻な経済危機が多いという結論を得ました。 二つの大戦中という特殊な時期を除いても、連邦準備制度は、経済の安定を保つという使命をうまく果たしているとは言えません。
プレイボーイ なぜそうなのでしょう。
フリードマン 基本的には、人間から構成される制度であって、規制だけで成り立っているのではないと言うことですね。人間は過ちを犯します。制度を運営する人々は、私が先にも言ったように、最善の決定を下しているのだと思います。彼らも正しいことをしたいのです。ところが、私たちの知識というものは不完全でして、ときにはすべての事実を入手していないこともありますし、ある事実だけを過大に見てしまうことだってあります。大不況が起こったとき、連邦準備制度は通貨残高を実に3分の1も激減させてしまいました。 もちろん、彼らには彼らなりの立派な理由があったのでしょうが、通貨残高の減少こそ、まさにやったはならないことだったのです。国中の銀行が軒並み休業に追い込まれているというのに、連邦準備制度は割引率を上げました。割引率というのは、要するに各銀行への貸し出し利率のことで、これが高くなったのですからたまりません。銀行の倒産が一挙に増加しました。確かに、連邦準備制度があってもなくても、1930年代には経済不況が避けられなかったかも知れません。しかし、この制度がその巨大な権限によって、ただでだえ悪い状況をいっそう悪化させたりしなければ、あれほどの大不況にはならなかったのではないでしょうか。(中略)
*                *                 *
プレイボーイ おっしゃるとおり、最低賃金法が非生産的な法律だったとしても、原則として、貧しい人のために政府が介入する必要はあるのではないでしょうか。何しろ自由放任といえば、昔から「苦汁労働工場」と呼ばれる搾取工場や自動労働と同義語になっています。そういった酷い状態は、社会立法によってはじめて取り除かれたのではなかったのですか。
フリードマン 搾取工場や児童労働は、自由放任経済の結果ではなく、貧困のなせる業と言ったほうが正しいでしょう。今日でも社会福祉関係の法律だけは完備しながら、極度の貧困にあるために、依然、悲惨な労働条件にあえいであるような国が世界にいくつもあります。アメリカにいるわれわれが、もはやその種の貧困に苦しまなくていいのは、まさに自由企業制度のもとで裕福になれたからです。
 誰でも口を開けば、自由放任経済には心がないなどど言います。しかし、アメリカで民間の慈善活動が最も盛んだったのはいつだと思いますか。19世紀ですよ。非営利病院の建設運動が大きな盛り上がりを見せましたし、海外への伝道も盛んでした。図書館普及運動が展開されたのもこの頃なら、動物虐待防止協会が作られたのもこの頃です。庶民が、わずかな所得しかなかった人たちが、生活水準と地位を飛躍的に向上させたのもこの頃です。何百万という移民の群れが、それこそ自分の肉体以外には何も持たずに外国からやってきて、自らの労働で生活水準を大幅に高めることができた時代でした。
 私の母は14歳でこの国にやってきました。あなた方が言うところの「苦汁労働工場」でお針子として働いたわけですが、しかし搾取的であれ何であれ、そういう工場があって、そこで仕事を得られたからこそアメリカに渡って来ることができたのです。それに、母は生涯そこで働き続けたわけではありません。母にとって、搾取工場は一時しのぎの場所だったのですし、それは、ほかの人々も同じだったでしょう。それに酷いとは言っても、もと住んでいた国での生活よりは数等よかったことを忘れてはいけません。今の人は、自由放任経済なんてと小馬鹿にしますが、そうやって嘲っていられるのは、当の自由放任経済のおかげなのです。 19世紀に最低賃金法があったり、福祉国家の罠があちこちに仕掛けられたりしていたら、おそらく『プレイボーイ』の読者の半数はまったく存在しないか、ポーランドやハンガリーといったどこかの国で生まれていたことでしょう。『プレイボーイ』を読むなんて思いもよらない状態になっていただろうと思いますよ。 (『政府からの自由』から)
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<インフレ・ターゲット論は日銀への”嫌がらせ”>  インフレ・ターゲット論を主張するエコノミストは多い。しかし、それを正面から批判する人は少ない。赤信号で横断歩道を渡っている人がいても、それが大勢だと「赤信号ですよ。危険ですよ」とは注意し難い。そんな中で小宮隆太郎が実にハッキリ言っている。 こういうセンス、好きなのでここに引用することにした。
 日銀あるいは政府、あるいは両者が、ゼロ%よりも上のインフレ・ターゲットを設定すべきだと主張する人が多い。現状では要するに日銀に対する”嫌がらせ”のようなものである、と私にはみえる。それは、現状では政府あるいは首相に、1%、あるいは2%以上の「経済成長率ターゲット」を設けよ、という主張と同じようなものである。 いずれもできそうもないからである。ターゲットを設けても守らなくても構わないのであれば何のことはないが、インフレ・ターゲット論者は、ターゲットを設けて「達成できなかったときには責任をとれ」と、身構えてターゲット論を主張しているわけである。
 金融政策に携わる人々は、インフレ率をゼロ以上にしたいと思い、政府の経済政策に携わる責任者達は成長率を少なくともプラスに、できれば2%か3%にしたいと思っているに違いない。しかしそのための方法がないのが現状である。そういう現状でゼロ以上のインフレ・ターゲットを設定せよというのは、要するに金融政策を担当する日銀に対する”嫌がらせ”に過ぎない。 インフレ・ターゲットをゼロ以上にせよと言っている人が提案している金融政策の具体案も、説得力のあるものではない。 (『金融政策論議の争点』から)
 日銀にインフレ・ターゲットの設定を求める声が高いが、現在の日本では、それは総理大臣に「経済成長率ターゲット」の設定を求めるのと同様に、一種の「嫌がらせ」に過ぎない。物価上昇率をプラスにすること、実質成長率をせめて2%くらいにすることが望ましいことは、誰も百も承知のことだが、そのための手段がなかなか見つからないのが現状である。 (『金融政策論議の争点』から)
量的緩和策は「隠れた補助金」  日銀の中長期国際買入れオペに「札割れ」がなく、応札倍率が結構高いのは、応札したものが落札すれば一般の流通市場で国債を売却するよりも有利だからで、そこに応札者にとって「妙味」があるからではなかろうか。現先取引等について「札割れ」が頻発するのは、日銀が「量的緩和」政策で余剰のリザーブを遮二無二供給しようとするときに、現先取引のような短期資金の貸借取引には、そのような「妙味」がないからであろう。 そして短期国債の買い切りオペは、両者の中間なのであろう、と推測する。
 以上のことから私が理解したもう一つのことは、現在の日本の短期金融市場の仕組みでは、長期国債の買い切りオペの金融政策上のメリットは、それによって差し当たり確実にリザーブが供給できる、ということであろう。 つまり長期国債の買い切りオペは少なくともこれまでのところ、1回も「札割れ」を起こしていない。これに対して短期の現先等による資金供給(オペ)は、頻繁に「札割れ」を起こしている。また短期のオペでは、満期がすぐに到来するから繰り返し頻繁にオペを実施しなければならず、その事務量が多大になり、日銀側にとっても民間の銀行・証券会社の側にとっても煩雑である、という問題もあるらしい。ただし、後者の場合「札割れ」の頻発は、一つには前者によって民間銀行の必要とするリザーブが供給されてしまうからであろう。 そして日銀が目指す「超過準備」の額があまり大きくなると、やがては長期債オペについても「札割れ」が生じるようになるかもしれない。
 もしいま述べた推測が正しいとすれば、「量的緩和」政策のもとで巨額の「超過準備」の供給・維持は、前記の応札者にとっての「妙味」、つまり一種の「隠れた補助金」(implicit subsidies)によって支えられているものである、と解釈される。もしそうであれば、それは有意義な「補助金」なのか、ということが問われるだろう。 (『金融政策論議の争点』から)
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(6)荻原重秀の「貨幣改鋳」と日銀の「量的緩和政策」はそっくりの経済効果が期待される………
<日銀は、荻原重秀の貨幣改鋳と同じことをしている>
 この「やぶにらみ経済時評」は構想を練って、資料を集め、キーボードに向かって原稿を作成するのだが、キーボードの打ち込みに時間がかかる。休みの日、平日の夜、時間がかかるので打ち込んでいる内に初期の構想と違うことが頭に浮かぶこともある。この<日銀は、荻原重秀の貨幣改鋳と同じことをしている>もそうなので、 初めに考えていなかったことなので、全体の流れから外れている。あるいは全体の主張と矛盾するかも知れない。しかし頭の中に生まれた突然変異が他のアイディアと交配させて一代雑種が生まれたようなので、ここに書くことにした。考えている内の、2代、3代となると雑種強勢が失われるので、とりあえずここに取り上げることにした。
 元禄時代と言えば、華やかな町人文化が咲き誇っていた頃、しかし幕府の財政は赤字続きで破綻寸前だった。その時御側用人柳沢吉保の命を受けて、勘定組頭荻原重秀(1658-1713)(万治元-正徳3)は財政再建へ取り組むことになった。 そこで重秀が考えたのは貨幣改鋳だった。慶長小判の金含有量を減らし、出目を稼ぎ、通貨を拡大すること。つまり小判10枚を回収して、 これを改鋳して15枚として流通させる。これで幕府の財政は潤うと考えた。こうした貨幣改鋳政策は4代将軍家綱の時代にも幕府内で 検討されたが、時の老中土屋数直の反対「邪(よこしま)なるわざ」として葬られている。しかしこの時は、重秀のそれまでの仕事ぶ から柳沢吉保・将軍綱吉の信頼もあって実施されることになった。これが1695(元禄8)年。  幕府はこの改鋳の目的を「刻印が古くなって摩滅したため」と説明した。勿論本当の目的は品位の高い慶長小判を回収して品位を 落としたものに改鋳し、出目の獲得を狙ったものだった。慶長小判が86%の金品位だったものを、56%に減じたもの。これで出目は大きく、銀の改鋳と合わせて、全体で500万両にも及んだと試算される。この貨幣改鋳により@幕府の財政が潤った。A通貨流通量拡大により景気が良くなった。Bインフレになった。と言われている。 これに関しては荻原重秀の貨幣改鋳と管理通貨制度 ( 2002年2月11日 )▲を参照。
 現在の日本経済に求められているのはこのような金融政策だ。江戸時代は貴金属である金を貨幣として使用していた。現代は兌換紙幣を使用する金本位制度も経験した後の「管理通貨制度」だ。荻原重秀の貨幣改鋳など現代のデフレ対策に参考にならないと思われている。 しかし、違う。実は日銀のとっている金融政策は荻原重秀の貨幣改鋳と同じことをしているのだ。不思議なことに、だれもこのことに気付いていない。この「量的緩和政策は不良債権処理支援策だった? そして馬は水を飲まなかった」の流れからは少し脱線するようだが、ここで取り上げることにする。
(A)幕府は「刻印が古くなって摩滅したため」と言って市場から小判を回収する。代わりに新しく鋳造した品位の落ちた小判を渡す。旧小判10枚を回収し、新小判15枚を作る。これで幕府の財政を救った。
(B)これを現代流にやるとこうなる。日銀は使い古した1万円札を市中から回収し、新しい1万円札を政府に渡す。この時古い紙幣10を回収したら、新しい紙幣15枚を政府に渡す。これで財政は持ち直し、今までの国債も償還でき、通貨流通量も増え、これが成長通貨として生きてきて、景気も回復し、デフレから脱却し、インフレになる。しかしこんな金融政策が許されるはずがない。
(C)企業や個人は銀行に税金を納める。銀行はそれを日本銀行当座預金に入金する。日銀はそれを政府の口座に振り替える。このとき銀行の口座から50兆円落とし、政府の口座に75兆円入金させたとすると、これは荻原重秀の貨幣改鋳と同じことになる。もちろんこのようなことはできない、このように入力してもコンピュータがエラーとしてはじいてしまう。手書きで帳簿を作ったらどうか、 それも法律が許すはずがない。
(D)では、政府が25兆円の国債を発行し、日銀がそれを引き受けたらどうだ?50兆円の税収と25兆円の国債分で、計75兆円使えることになる。これなら貨幣改鋳同じだ。しかしこれは「将来国債を償還させなければならないから違う」と言うかも知れない。との批判があっても、国債を書き換え先の延ばし、50年後、100年後に償還するかも知れない。 こうなると現在の時点で75兆円使える、ということで貨幣改鋳と同じ経済効果が見込まれる。しかしこれも日銀引受は法律で禁じられている。
(E)25兆円の国債を発行し、銀行が買う。それと同時に日銀が買い切りオペで銀行から買う。これも貨幣改鋳と同じ経済効果が見込まれる。しかし日銀は「やらない」と言っている。
(F)新規国債の買い切りオペを行わないなら、それと同額、発行済み国債を買うのはどうか?25兆円程度の国債を発行し、多少時期がずれても良いから日銀が25兆円相当の買い切りオペを行う。 これによって政府は税収50兆円にプラスして25兆円、つまり75兆円使えることになる。これなら法律違反ではない。
(G)金額を少し変えて考えてみよう。税収45兆円で、国債14兆4000億円ならどうだ?この程度の改鋳(?)ではすぐにインフレは起きないかも知れない。しかしこの政策を毎年続けていればインフレが起こるだろう。「インフレはいついかなる場合も貨幣的現象である」という経済学の常識を素直に受け入れる人なら同意するはずだ。
 ここまで書けば賢明な読者は気付くはずだ。そう、(G)は現在日銀が実施している量的緩和政策の実際だ。日銀は元禄時代に荻原重秀の行った貨幣改鋳と同じ様な金融政策を行っているのだ。ふしぎなことに、日本のエコノミストは誰も気付いていない。視野狭窄のようだ。
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(7)100兆円の金融政策によって日本経済はどのように変化するだろうか?………
<100兆円の国債発行と買い切りオペ>
 インタゲ派の主張には具体的でないところがあり、その真意を測りかねる点もあるが、それなりに推測して話を進めることにしよう。 例えば、日銀のオペ、6000億円ではなく上限を定めずに買うように、と言う。では上限を定めずにいくら買えばいいのか?上限を定めても、毎月10兆円なら少なくはないだろう。1〜3%のインフレを2年以内に、と言う。ではその後はどうするのか?など不明な点は多いが、ここでは次の様な政策を考えて、それで経済がどにようになるか予想してみよう。
 ここで100兆円の国債買い切りオペを例にしたのは次のような文があったからだ。著者はインタゲ派と見た。100兆円の日銀買いオペを主張しているわけではないが、前後の文章からそのように判断できたので、ここで100兆円の買い切りオペを例として取り上げることにした。
 完全失業率とGDPギャップ(実際の実質GDPの水準と現在の日本経済の実力水準である潜在GDPとの差)との安定的な関係(オーカンの法則)を用いると、現時点のGDPギャップは150兆円となる。
 いま財政支出の乗数を1.2程度に見積もったとしても、実質GDPベースで約100兆円以上の膨大な追加財政支出が必要という計算になる。現在、積極財政派でさえ、事業規模で50兆円、真水で5兆円程度(ただし、この場合は名目ベース)の追加的財政支出を主張しているにすぎないことを考えると、この資産が示唆するのは、積極財政派が主張する程度の追加的な財政支出では、日本をデフレの罠から脱却させることはできないということである。 このような超積極財政を、財政赤字の対GDP比率がマイナス8.7%(2002年6月発表のOECDエコノミックアウトルックによる)と、OECD加盟国の中でチェコ共和国に次ぐ第2位の財政赤字を記録しているわが国で実施しようとしても、政治的な支持は得られないだろう。 (T注 赤字国債を発行する財政政策が支持されなくて、赤字国債を日銀が買う金融政策は支持されるのか?) (『平成大停滞と昭和恐慌』から)
 政府と日銀は次のような政策を採用したとする。
@日銀は「2年以内にインフレ率1〜3%にして、以後このインフレ率が継続するような金融政策をとる」と宣言する。
Aこのために100兆円の国債を発行し、日銀は発行済み国債を100兆円分買い切る。
 このような金融政策を採用した場合、日本経済はどのようになるだろうか?インタゲ派に代わってアマチュアエコノミストが推理してみよう。
国債の利率は4%以上  政府・日銀がインフレ率1〜3%を目指すと発表した以上、国債の利率が3%であったら実質利率は0%。したがって国債は年利4%以上となる。国債の利率が4%以上なら住宅ローンなどは5%以上になる。 このように長期金利が上がる。金利が上がれば為替は円高となる。これにより輸出産業は困るが、輸入品は下がる。消費者=生活者は喜ぶ。
 このような見方と「購買力平価」から考えて、日本はインフレで貨幣価値が下がるのだから「円」は下がる、との見方ができる。これは金利が上がったことと、貨幣価値が下がったこと、どちらを重く見るか、に係ってくる。
 長期金利が上がれば、短期金利も上がる。これで短期金融市場=コール市場は活気を取り戻す。地銀・生保・年金・投信などが運用を活発にする。『日銀は死んだのか?』の著者も市場が生き返り安心する。
マネーサプライ増加以前にインフレになる  マネーサプライがいつから増加するかと言うと、日銀が買いオペを実行したときからではなく、政府が国債を使い切ったとき、多分年度末になる。 ミルトン・フリードマンに言わせれば、年度が替わってから9カ月〜24カ月でインフレが始まる、となるのだが、実際は政府が国債を発行するのが確実、と市場が判断した時からになる。 なぜなら国債が4%以上になるなら長期金利が上がるのは確実。そうなればマネーが増加しなくても期待インフレ率があがり、物価上昇が始まる。
 しかし、このようはシナリオも考えられる。100兆円の買い切りオペを行っても物価に変動は起きない。誰もが統計を疑っている。「そんな筈はない。インフレになるはずだ」と見守っている。1年経った。突然物価が上がり始めた。前年比2%、5%、8%と上がり始めた。2カ月経って前年比10%のインフレになった。さて、そこでどうするか?
 @日銀は公定歩合を引き上げ、売りオペを始めた。インフレは急には止まらない。15%、20%とインフレが進む。世論は黙っていない。平成の鬼平を期待する。強力なインフレ潰しが始まった。それでも効果はなく、半年過ぎた。すると物価が下がり始めた。下がり始めると速い。一気に前年比0%になった。さらに下落していく。すさまじい物価の乱高下になった。
 A日銀は事態を見守っている。インフレは20%から更に進むようだ。ここで公定歩合の引き上げと売りオペを始めた。しかし一度上がった物価は下がらない。結局20%上がったまま高値安定になってしまった。
 どのような事態になるのか、だれも予想はできない。それでも物価の乱高下は起こりそうだ。インフレを急に起こすことができないように、インフレを急停止させることもできない。物価の乱高下は覚悟しなければならないだろう。
 短期的には物価の乱高下、中期的にはインフレからデフレに後戻り、長期的には「一体、何をやっていたんだ!」との怒りの声が響き渡るだけ。そのような事態も予想できないことはない。
多くの人が国債発行に反対する  新規発行の国債が年利4%ならば、発行済み国債はどうなるか?投げ売りが始まる。企業・個人・金融機関で国債をもっている者は自分の国債の価値が極端に低下するのでこの政策に反対する。あるいは補償を求めて訴訟を起こすかも知れない。
毎年4兆円の国債利払い  国債の利率は4%。従って毎年4兆円の利払いが生じる。現在国税は45兆円の収入がある。4兆円の利払いとは、税収が41兆円になるということだ。 別の言い方をすれば、「毎年4兆円のマネーサプライの減少がある」あるいは「毎年4兆円ずつデフレに向かって行く」とも言える。
10年後の国債償還はどうする  10年後には国債を償還しなければならない。毎年3%のインフレで、10年後には1.3439、つまり134%のインフレになるのだが、話をわかり易くするために200%=物価が2倍になるとして話を進めよう。 10年後の200%のインフレになるとすれば、100兆円の償還は現在の感覚でいえば50兆円になる。10年後に50兆円の償還があると考えるとわかりやすい。これはどの程度の経済問題なのだろうか?税収45兆円で50兆円の国債償還だ。
 TANAKAは以前<日本版財政赤字の政治経済学>で次のように書いた。
 日本版財政赤字の政治経済学(Democracy in Deficit)の結論は、「借金をするときは返済計画を立ててからにしましょう」という極めて常識的なものだ。30兆円の国債を発行するなら「国債償還のために、3年後から 7年間にわたって消費税を 3%アップして 8%とする」のような返済・増税計画を発表すべきだ。「そんなに借金して、消費税アップしてまで景気対策する必要はない」との意見もあるだろうし、「それでも対策が必要だ」と国民が言うなら対策は実行することになる。それが民主制度であり、その結果の責任は国民が負うことになる。  国債発行時には、その返済・増税計画を発表し、それを国民が判断することが大切だと考えるものである。
 ここでは消費税1%で1兆2000億円の税収として計算している。これを50兆円に適用すると、4%の消費税アップを10年続けることになる。 つまり、今後10年間消費税を9%にするということだ。「何が何でも消費税反対」派は反対闘争の目標ができたと喜ぶ。
高橋是清財政は国債を償還していない  インタゲ派が成功例として戦前の高橋是清の政策を取り上げている。これを財政政策としてではなくて金融政策として取り上げることには賛成、しかし見落としていることがある。それは高橋財政は国債を償還していない、ということだ。
 国債を償還しない内に大東亜戦争になり、敗戦になり、戦後インフレになってから償還している。ではどの程度のインフレだったのか?このような文があったのでここに引用しよう。
 金本位制から変動相場制へに移行に伴い、円相場は下落しますが、政府はこれを放任しました。この結果、円の相場は31年12月の1ドル2.0円から32年1月の2.8円へと、わずか1カ月で40%もの大幅な円安となりました。 また32年7月以降は再び円安が進行し、同年12月には1ドル5円となりました。これは2003年前半の120円前後の相場でうえば、1ドル120円が1カ月間で170円、1年で300円になるという大幅な変動に相当します。 (『デフレとインフレ』から)
 こういう数字もあった。値段のうつりかわり、として「金」を取り上げると、金1グラムが1931(昭和8)年では1円68銭、1934((昭和9)年では3円43銭、1945(昭和20)年では4円80銭、1953(昭和27)年では585円。 (『値段史年表』から)
 31年12月の1ドル2.0円から戦後は1ドル360円になったということは、ドルに対して180分の1になったということだ。今ここで問題にしている100兆円の国債、償還時に180分の1になったとしたら、償還なんて楽なこと、楽なこと。5555億円の国債償還なのだから。 これでわかるように高橋是清財政は国債を償還していない。借金をして返済をしていない、借りっぱなし、踏み倒し。この高橋是清財政を成功例として参考にすべき?教訓とすべき?ちょっとおかしなセンスだと思う。上記に引用した本では次のように結んでいる。
 現在、当時と同じような政策対応をする環境にないのは明らかです。また、国債を日本銀行が直接引き受ける施策は財政規律を喪失させ、それが高インフレを招いたため、経済学でも望ましくないとのコンセンサスが得られており、現在は法律(財政法)で禁じられています。このように外部環境は大きく異なりますが、昭和恐慌時に智恵を絞り、当時とり得るベストの手段を用い、その相乗効果でデフレを脱した点は重要な教訓と言えます。 (『デフレとインフレ』から)
経済成長かスタグフレーションか?  非常にラフな予測ではあるが大筋では間違っていないと思う。これがインタゲ派の主張するシニョレッジ効果(seigniorage channel )というものの実際なのだ。 100兆円の国債買いオペでインフレになることは間違いない、たしかにデフレから脱却するだろう。しかし、それが経済成長なのか?スタグフレーションか?これは現時点で確定することはできない。
借金をするときは返済計画を立ててからにしましょう  <日本版財政赤字の政治経済学>▲では消費税を上げてでも国債を発行し、景気を刺激すべきかどうか、国民が判断すべきだ、と書いた。この場合もそうすべきだと思う。 将来消費税アップを条件に国債100兆円を発行し、景気を刺激する金融政策、インタゲ派が主張するこの金融政策を採用すべきかどうか、国民の審判をあおぐのが民主制度のあり方だと思う。 TANAKAは2001年6月25日に「日本版財政赤字の政治経済学」と題して、「国債発行時にはその返済・増税計画の発表を」と主張した。これは財政政策の有効性に疑問を投げかけたのだが、国債を扱っているので、金融政策にもこの主張は当てはまる。 ここでは次のように主張した。
 「日本版財政赤字の政治経済学(Democracy in Deficit)の結論は、「借金をするときは返済計画を立ててからにしましょう」という極めて常識的なものだ。30兆円の国債を発行するなら「国債償還のために、3年後から 7年間にわたって消費税を 3%アップして 8%とする」のような返済・増税計画を発表すべきだ。「そんなに借金して、消費税アップしてまで景気対策する必要はない」との意見もあるだろうし、「それでも対策が必要だ」と国民が言うなら対策は実行することになる。それが民主制度であり、その結果の責任は国民が負うことになる。 国債発行時には、その返済・増税計画を発表し、それを国民が判断することが大切だと考えるものである」。 
 30兆円の国債償還でこの程度の消費税値上げなら、100兆円ではどうなるか?消費税1%の値上げで、1兆2000億円の税収として計算している。100兆円国債がインフレで現在の50兆円相当になったとして計算すると、消費税4%の値上げを10年間続けることになる。 そこでインタゲ派は次のように国民に呼びかける。「デフレを脱却させるために100兆円の国債発行し、日銀は銀行と通して100兆円の買いオペをします。それによりいずれデフレから脱却します。インフレになったら国債償還のために10年間消費税を4%アップします。現在のデフレを脱却させるためにこのように提案します。国民皆さんの賛同を求めます」と。
 こうした提案は一人ではしにくい。しかし「インフレ・ターゲット、みんなで主張すれば怖くない」でしょう。
 「(国債の)ご利用は計画的に(消費者金融の忠告)」「吸いすぎに注意しましょう、ニコチン依存症になる恐れがあります。借りすぎに注意しましょう、国債依存症になる恐れがあります。(もう依存症になっている)」「返済計画も立てずに借金するよう勧める人たちは怪しい」
現在の1兆2000億円の買い切りオペの償還はどうなるのか?  現在日銀は毎月1兆2000億円の買い切りオペを実施している。将来この国債は償還される。その財源はどう手当するのか? 1兆2000億円とは国民1人当たり1万円に相当する。つまり国民1人が毎月1万円を税金として納め、これが公共投資でもなく、福祉にでもなく、自然保護にでもなく、借金の返済に使われるのだ。わびしくなる。
 こういう計算もできる。消費税1%で約1兆2000億円の税収と考えられる。そこで、今の買いオペを1年間続けたとしたら、その償還のために12%の消費税アップが考えられる。12%が厳しいのなら、3%アップを4年間続けるという案も考えられる。政府も日銀もインタゲ派もこのことについて説明していない。
 荻原重秀が貨幣改鋳を行いマネーサプライを増加させ、経済を活性化させた。その後、新井白石が貨幣を元に戻し=マネーサプライを減少させ、デフレを起こした。こうした日本の経済史も知っておく必要がある。 「経済学者たちの闘い・エコノミストの考古学」とか「経済史の教訓・危機克服のカギは歴史の中にあり」といった姿勢もエコノミストには必要だ。
頭の体操です  @日銀は「2年以内にインフレ率1〜3%にして、以後このインフレ率が継続するような金融政策をとる」と宣言する。 Aこのために10兆円の国債=利息4%を発行し、日銀は発行済み国債を10兆円分買い切る。
 このような政策をとったらどうなるか?利息4%の国債を発行すれば長期金利は5%以上になるだろう。人々はインフレになると信じる。それを口実に便乗値上げが出てくる。少なくとも諸物価上昇、という現象は出てくるだろう。景気が回復するとは断言できないが、物価が上昇しスタグフレーションにはなりそうだ。 さて、それでインフレになるかどうか?それがきっかけで景気回復に結び付くかどうか?頭の体操です。インタゲ派の主張に「利息4%の国債を発行する」と加えると、インフレ期待が大きくなると思うのですが、どうでしょうか?
 アップロード直前に思いついたので、TANAKAの答えは出ていません。どなたか分かり易い説明があったら教えてください。
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(8)日銀ネットが即時グロス決済(RTGS)を採用した、その背景と経緯とは………
 今回の「やぶにらみ経済時評」で扱っているのは、短期金融市場、日銀当座預金、日銀ネットなどだ。これらは一般の経済現象とは少し違っていて、仕組みに馴れないと理解しにくい面がある。 荻原重秀時代の貨幣問題は、「金」という現物を扱っていたので、目に見えて解りやすい。戦前の金融問題は「金本位制」という制度の、政府が保有する「金」によって発行する貨幣が制限される。 つまり政府が保有する「金」がどの程度かを知れば問題が解決しやすい。高橋是清の時代も「金本位制」は離脱したが、それでも保有する「金」を無視しては理解し難かった。ところが現代の「通貨管理制度」ではかつての「金」に相当するのが「信用」という目に見えないものだ。 このため融資だとか、銀行間の取引など、物を動かさず、「信用」という「情報」をやり取りすることによって決済する。こうした抽象的なシステムを頭の中で組み立てないと理解できない。「インフレはいつ、いかなる場合も貨幣的現象である」なども、キチッと解っていないと「量的緩和政策」を理解するのは難しい。 かと言って、ここで「金融経済入門」を書くほどのエネルギーはない。そこで銀行間の取引の一例を説明した文章を引用した。皆さんの理解のための助けになれば、と思います。
<日銀当座預金での決済とは>  銀行間の振り込みについての説明を引用しよう。これは読者がA銀行から2000万円の住宅ローンをかり、A銀行ではなくB銀行に口座のある住宅メーカーに2000万円を振り込むケースだ。
 読者から振り込みを依頼されたA銀行は、読者のA銀行預金口座から2000万円を引き落とし、住宅メーカーが預金を保有しているB銀行に必要なデータを送信する。 このデータを受けたB銀行は、住宅メーカーのB銀行預金口座に2000万円を入金する。このデータの送受信のやり取りは、全銀システムと呼ばれるコンピュータ・システムによって実行される。これによって読者の住宅メーカーへの支払は完了する。
 次ぎに、A銀行は読者が住宅メーカーのB銀行預金口座に振り込んだ2000万円に相当するお金を、次のようにしてB銀行に支払う。銀行間の決済は、銀行が日本銀行に持っている預金口座を利用して行われる。 この銀行が日本銀行に持っている預金口座を日本銀行当座預金(以下略して、日銀当座預金)という。全銀システムは、日銀ネットと呼ばれるコンピューター・ネットワーク・システムと結びついている。 全銀システムの中心である全銀センターはA銀行からの依頼を受けて、この日銀ネットに対してA銀行からB銀行への振替を依頼する。この依頼があると、日本銀行はA銀行の日銀当座預金を2000万円だけ引き落とし、B銀行の日銀当座預金に2000万円だけ入金する。
 これからわかるように、同一銀行内の振替の場合には1円のお金も必要としないが、支払先である住宅メーカーが読者と同じA銀行に預金口座を持っていない場合には、A銀行からB銀行への日銀当座預金の振り替えが必要になる。したがって、支払者である読者と受取側の住宅メーカーとの預金口座が異なる場合には、銀行は住宅ローンと同額の日銀当座預金を持っていなければならないことになる。
 しかし、B銀行に預金を持っている人が、A銀行に預金を持っている人に振込によって代金を支払うケースもある。この場合には、B銀行の日銀当座預金からA銀行の日銀当座預金への振替が行われる。この振替により、B銀行の日銀当座預金が減って、A銀行の日銀とうざ預金が増える。実際には、A銀行からB銀行への日銀当座預金の振替額と、B銀行からA銀行への日銀当座預金の振替額の差だけが振替の対象になる。
 例えば、A銀行はある日1億円の住宅ローンを貸出し、借りた人はすべてB銀行に預金口座を持っている住宅メーカーに振込によって代金を支払うとしよう。他方、B銀行も同じ日に1億円の住宅ローンを貸し出し、借りた人たちはすべてA銀行に預金口座を持っている住宅メーカーに振込によって代金を支払うとしよう。この場合には、A銀行からB銀行への日銀当座預金の振替必要額と、B銀行からA銀行への日銀当座預金の振替額はともに1億円である。 両銀行の振替必要額は一致するので、実際には、両銀行間の振替は行われない。したがってこのケースでは、A銀行とB銀行は共に1円の現金も日銀当座預金を持たずに、1億円の住宅ローンを貸出、その利息を稼ぐことができる。これはまさに錬金術である。
 しかし、2つの銀行の振替必要額が全く同じになるのは稀である。この数値例で、A銀行の住宅ローン総額は1億円で変わらないが、B銀行のそれは1億3000万円であるとしよう。この場合には、A銀行からB銀行への振替必要額は1億円で変わらないが、B銀行からA銀行への振替必要額は1億3000万円になる。 したがって、差し引きの3000万円だけがB銀行の日銀当座預金からA銀行の日銀当座預金に振替られる。このケースでは、A銀行は1億円の住宅ローンについて、1円の現金も日銀当座預金も必要としないが、B銀行は1行く3000万円の住宅ローンについて、3000万円だけの日銀当座預金を持っていなければならない。その数値例でも、A銀行の錬金術に変わりはない。 他方、B銀行も3000万円の日銀当座預金を持っていれば、その約4.3倍に相当する1億3000万円の住宅ローンを貸出て利息を稼ぐことができる。これも錬金術というべきであろう。 (岩田規久男『スッキリ!日本経済入門』2003.1.6 から)
 さて、これで銀行間の資金のやり取りが理解できたでしょうか?この文章を引用したのは、実はこの文章に誤りがあるのです。2000年12月まではこのようなやり取りもあったのだが、2001年1月からは「即時グロス決済」(Real Time Gross Settlement<RTGS>)という方式に統一されている。この本は2003年1月6日の初版。金融市場現場の動きに鈍感、または無関心です。 なぜRTGSが採用されたかが分かると、それを知らなかったということがいかに「金融危機問題」に無関心だったかが、バレてしまう。
時点ネット決済【じてんネットけっさい】  システムに参加している金融機関が中央銀行に対して決済を指示した場合,振替指図が一定の決済時点まで蓄えられた後,各金融機関の総受取額と総支払額の差額を決済する方法。 〔即時グロス決済に比べ必要とする資金量が少なくてすみ,日銀ネットでは多くがこの方法で決済されていた〕
即時グロス決済【そくじグロスけっさい】  〔real time gross settlement〕 システムに参加している金融機関が資金や債券を取引する際,中央銀行に対して決済を指示した場合,用件ごとに即時に決済する方法。RTGS。 〔決済用資金は大量に必要となるが決済の不履行による連鎖破綻リスクを抑えられる。日銀ネットでは時点ネット決済もあったが,2001 年(平成 13)1 月から本システムに統一された〕 (「goo辞書」から)
 「RTGS」とは、英文Real-Time Gross Settlement――日本語に訳せば「即時グロス決済」――の頭文字をとった略語であり、「時点ネット決済」と並ぶ中央銀行における金融機関間の口座振替の手法の一つです。「時点ネット決済」では、金融機関が中央銀行に持込んだ振替指図が一定時点まで蓄えられ、その時点で各金融機関の受払差額が決済される一方、「RTGS」では振替の指図が中央銀行に持込まれ次第、一つ一つ直ちに実行されます。
 「RTGS」の下では、「時点ネット決済」とは異なり、ある金融機関の不払が必ずどの金融機関への支払の失敗であるか特定され、その他の金融機関の決済を直ちに停止させることがありません。その意味で、「RTGS」は金融機関が決済不能に陥り得る環境の下においては、優れた仕組みであり、このため欧米およびアジアの中央銀行は近年次々と「時点ネット決済」から「RTGS」へ移行しているところです。
 日本銀行ではかねて「時点ネット決済」とともに「RTGS」のサービスも提供しており、金融機関が自由に選択できるよう手当てしていましたが、現実には「受払いの差額のみ決済すればよい」という資金効率の良さから「時点ネット決済」ばかりが利用され、「RTGS」は殆ど利用されていません。こうしたことから日本銀行では、最近における金融環境の変化をも踏まえ、「時点ネット決済」の提供を停止し、「RTGS」に原則一本化するとの基本方針を固め、2001年 1月 4日に実施しました。 (「教えて!にちぎん」から)
用語解説■決済のRTGS化  中央銀行の当座預金口座決済方法には一定の時間に資金の出入りをまとめて決済する「時点ネット決済」と即時決済する「即時グロス決済」(Real Time Gross Settlement)の2種類があります。A行が午前10時にB行に10億円支払う必要があり、午前10時30分には逆にB行がA行に5億円支払うというケースを考えましょう。 時点ネット決済なら決められた時間にA行が差し引き5億円をB行の口座に払い込んで決済が完了します。即時グロス決済(RTGS)では、決済案件ごとに、相互の口座で資金をやりとりします。
 世界各国の中央銀行口座を使った決済は1982年の米国を皮切りにRTGSに移行しつつあります。これは決済資金の巨大化・取引の国際化で、決済トラブルが増えると予測されるためです。RTGSなら仮にどこかの銀行が支払い不能になっても、決済不履行となる取引は1件ですが、時点ネット決済だとあおりを受けて決済ができなくなる銀行が増えるおそれがああります。日銀は2001年1月から決済システムを全面的にRTGS化しました。 (『ベーシック 金融入門』日経新聞社 2002.1.18 から)
 金融市場・インフラの整備についても在任中に大きな進展があった。金融市場は、中央銀行が金融政策を実施する場であり、そうした場が十全に機能するようにきちんと整備されているか否かは、政策効果のよりスムーズな波及、実現という面で極めて重要な要素である。 それだけに、金融市場の整備や機能の強化は、中央銀行にとっては常に取り組むべき重要な課題と言える。
 2001年1月に実現した日本銀行当座預金と国債決済の「即時グロス決済」化も、決済システム改革、市場整備に一環として行われた。real time gross setlemennt の頭文字をとってRTGSと呼ばれている。従来の方式である時点ネット決済方式からRTGS方式への変更には2つの大きな特徴がある。
 第1は、従来、金融機関が日本銀行向けに発した指図を「一定の時間までためておき、まとめて」決済していたのを、「指図が日本銀行に届けられ次第、直ちに」決済するようにした点である。 第2は、日本銀行における資金や国債の決済に際して、従来は「各取引先の受払の差額分のみ」を口座から出し入れしていたのを、「各取引先の受払一つ一つについてその全額」を出し入れするようにしたことである。
 RTGSへの移行は、時点ネット方式が抱えているシステミック・リスク(一つの決済不履行や遅延が、連鎖して多数の金融機関、ひいては世の中全体の決済を混乱させるリスク)を削減することを狙った措置である。
 日本銀行は、これまで潤沢な流動性供給を通じて市場の安定確保と、それを通じた景気の下支えに努力してきたが、RTGS化に伴うこうした決済面でのリスクの削減も、大きな役割を果たしていることは言うまでもない。一般の国民にとっては目に付かない変革であり、直接的な影響はないわけだが、決済システムの安全性向上は、金融システムを強靱にし、国民経済にも寄与するものなのである。 (速水優著『強い円 強い経済』から)
 朝金(午前9時)、交換尻(午後1時)、3時(午後3時)、為決(通常午後5時)などの言葉はこれからは使われなくなった。証券取引などの市場取引もコンピュータ取引になり、場立ちでの取引で、ザラバが英語で "Open Outcry" と呼んだのもコンピュータ取引では意味をなさなくなった。 こうした変化は長くこの業界にいて職人気質を持った人には寂しいことなのだろう。
「即時グロス決済」へのシステム切り替え  TANAKAの知っている銀行の支店では、このRTGSの導入が前年、2000年11月から導入された。全部が一斉に切り替わったのは2001年1月からなのだが、順次拠点ごとに切り替わり、両システムが並行して採用されていた。
 2000年11月から、本部のインストラクターが数名来て、ハイカウンターの後ろに控えた。テラーたちは馴れないため処理が進まない。窓口には客がいっぱい順番待ちをする。ロビーに入りきれず、支店の外にも行列が出来る。97年11月24日に山一証券が自主廃業を決めてから、支店に客が殺到した。あの状況を思い出すくらいの混雑ぶりだった。 クイックのテラーたちは十分な休憩もなく処理を進めた。そうした混雑が数日続いた。どの支店も同じ状況であったと言う。お客には「将来、銀行が統合される時のためにシステムを新しくします」と説明された。金融機関が破綻した場合、被害を最小に留めるため、とのニュアンスは感じられなかった。テラー、スタッフに説明する役席者もそのように信じているかのようであった。こうした混乱時期、ミスやトラブルはなかった。ヒューマン・キャピタルのレベルの高さを知った。 護送船団方式から脱皮しつつある銀行業界、リストラも進み、業務量も増え、それでも現場は変革しつつある。かつては「春になると、業務時間中でも交代で花見に行ったものだった」などど言うベテランの言葉がウソのようだ。毎月最終日の打ち上げもないし、一部の銀行では給食がなくなり、役席者が食堂で奥様手作りの弁当を開いている光景も見受けられるようになった。
銀行以外の金融機関はどうだろう?  システム切り替えの混乱を乗り切った銀行、では他の金融機関ではどうだろうか?たとえば、郵政。特定郵便局の窓口では小さなケアレスミスが多い。それでも、顔見知りの顧客が多いせいか、あまりトラブルにはならない。銀行ではあり得ない、テラーが客のために入出金伝票を書く様子も見受けられる。 特定郵便局では、総務主任になっても局長が世襲制の所が多いため、さらに上に行こうとのインセンティブが働かない。民営化されて他の金融機関と競争になるといろいろな問題が表面化してくることだろう。
 証券会社は、となると少し様子が違う。彼女たちはテラーであるよりも、トレーダーであるからだ。窓口業務だけでなく、電話営業もする。つまりセールスなのだ。日々の研修の成果のため、経済の動きに関しては知識が豊富だ。この点に関しては銀行員よりも上であるだろう。
<三洋証券のコール市場でのデフォルト>  1997年11月4日、三洋証券が破綻し、群馬中央信用金庫(現在のぐんま信用金庫)が三洋証券に貸し付けていた約10億円が焦げ付き、無担保コール市場が大混乱に陥った。これは戦後初めてのことで、今までだれも予測していなかった事態だった。 それからほんの少し後に、今度は11月17日、北海道拓殖銀行は営業継続を断念する決定を下した。その結果、1998年11月13日をもって営業を終了し、北海道内の営業は北海道3位行であった第二地方銀行の北洋銀行に、本州での営業は中央信託銀行(現在の中央三井信託銀行)に譲渡された。1999年3月31日付で法人解散。
 1997年11月24日、野沢正平山一証券社長は東京証券取引所で記者会見を行い、山一証券の自主廃業を発表した。 この瞬間、創業百年の歴史を誇り、従業員7千5百人、顧客からの預り資産24兆円に達する四大証券会社のひとつ、山一証券の消滅が決まった。負債総額は3兆円を超え、事実上、戦後最大の倒産となった。
 ところで山一証券は債務過剰で本来は会社更生法の適用を申請し、債務・債権を裁判所の管理下に置くべき経営内容であった。しかし、当時の長野大蔵省証券局長は野沢社長に「自主廃業を」と言った。 これは三洋証券の例があったからだ。山一がコール市場でデフォルトを起こすと三洋証券以上の混乱は必至だった。長野大蔵省証券局長の判断はルール違反であったけれども、混乱を最小に止める手段として評価して良いと思う。
 さてこうした金融業界の破綻が続く中で、混乱を最小に止めるシステムとして「RTGS」が浮かび上がってきた。つまり、金融機関が破綻しても混乱を少なくするためのシステムであった。しかし、当時銀行の窓口でそのようには説明できなかった。ユーザーには金融不安がいっぱいあった。そこで「金融機関が破綻した場合の対策」と言えば、まだ一般には知られていない破綻が起こりそうだと、不安を倍加させる恐れがあった。 当時は、その位金融機関に対する不安が大きかった。少し前、証券会社の株価ボードの前では「次ぎはどの金融機関が危ないか?」が話題になっていた。 都心の金融機関が立ち並ぶところを歩くと、客の入りが多い銀行、閑古鳥が鳴く銀行、ハッキリしていた。客が窓口で「○○銀行は危ないと聞いたのですが?」との質問が多く、そのための接客マニュアルが用意されていた銀行もあった。 そのような金融不安の時、それに比べれば、「金融危機は過去のものになった」と言える。
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(9)「市場主義」、「設計主義」と分類して経済学のセンスを考えてみると………
<日銀もインタゲ派も市場を信頼していない>
 インタゲ派は日銀を批判する。しかしTANAKAから見るとどちらも同じ、「市場を信頼していない」と感じる。、「インフレは必ず起こすことができる」とか「金利ゼロでコール市場が機能不全になるのは当然である」は、 市場をコントロールできるとか、短期市場は機能しなくてもいい、との考えだ。そう言われると思い出す、以前金融経済学の入門書を読んだとき、一番初めに出てきたのが「イレブン・ライボー=11LIBOR(London Inter-Bank Offered Rate)」という言葉で、これを理解しない限り国際金融は理解出来ない、と書いてあった。ロンドンではないけれど、タイボーも大切だと思う。その機能が低下してもしようがない、とは理解出来ない発想だ。 規制緩和とか構造改革とは、市場のメカニズムが十分機能するように、との改革だと思う。そうした市場重視の考えと正反対にあるのが、社会主義経済の立場。そしてその中間に、フランスでは混合経済(mixed economy = économie mixte )、イギリスではベバリッジ報告(Beverage report)に基づく「ゆりかごから墓場まで」の福祉社会主義、ドイツではエアハルトの社会的市場経済」(social marketeconomy=soziale Marktwirtscaft)がある。 当然日本でも社会民主主義の主張があっても自然だし、それならそれでもいいが、インタゲ派が社会民主主義とは思えない。こうした点でTANAKAは市場を重視し、信頼を寄せる。
<市場には「自生的秩序がある」との考え>  TANAKAは経済学という科学的な学問も扱う人のセンスによって随分違ってくると書いてきた。市場のメカニズムをどの程度信頼するか?などは「理論」と言っても「センス」の違いといった方が良さそうな場合がある。 インタゲ派のセンスは市場を信頼するセンスかと思っていたが、間違っていたようだ。「インフレは必ず起こせる」とか「短期金融市場が機能しなくなることは判っていた」などは市場のメカニズムを過小評価していると感じる。一方に社会主義という思想があり、その近くには、フランスではモネプランと言う「混合経済」の考えがあり、イギリスにはビバレッジ報告に基づく「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家主義があり、 ドイツにはエアハルトの「社会的市場経済」の経済観がある。こうした考えでヨーロッパの戦後経済復興は指導されてきた。「日本株式会社」とは違う「社会主義経済」をやってきた。日本ではこうした民主社会主義が弱くて目立たないが、反市場経済・非市場経済の考えは多くの人に見られる。本人は意識していないかもしれないが、何かの拍子にその考えが表面化する。 「景気対策、日銀にできること、できないこと」として、日銀にはできることと、できないことがあるのだ、とくにできないことを理解しよう、とのTANAKAの考えはインタゲ派の人たちとは違うようだ。そしてニッチ産業を目指す立場もあって、世間ではあまりこうしたセンスは知られていないようなので、少し関連する考えを紹介することにしよう。
<ハイエクの自生的秩序>  ハイエクによれば、市場経済は自生的秩序 (spontaneous order) の一つである。「自生」という言葉は、誰かが意図や計画したわけではないのに、プリミティブな種が枝分かれしながら成長して、最初には思いもかけなかったような壮大で複雑な機能を有する自律的存在に発展するという事態を表現するのに適した表現である。 原始的な交易から始まった市場経済はそのとおりのものである。秩序という言葉も、市場経済が無秩序なものとして見下され社会主義が称賛されたハイエクの生きた時代には、市場経済の持つ法則性を公衆に印象づけるために適した表現であったろう。しかしながら、ハイエクが意図して避けた表現ではないかと思われる。古い用語の自然状態という言葉で市場経済を私はあえて表現したい。
 自然状態という言葉は、ハイエクが批判し続けたT・ホッブズの社会観との関連で有名である。自然というもは人為(政府)によって意図的に人間社会に秩序が敷かれていない状態を意味する。常識的には、また第一直感では、第1章で引用したホッブズの有名な叙述のように、自然状態は人間の人間に対する闘争が間断なく続く、人間が極端に悲惨な生活を送らざるをえない、無秩序・混迷といった言葉で適切に特徴づけられる世界のように思われる。 だから、ハイエクは自然状態という言葉を避けたのではないかと思われる。それにもかかわらず市場経済が自然状態であると表現すべきと思うのは、ハイエクや市場経済の理論の創設者と普通されるアダム・スミスも考えていたように自然状態は無秩序ではなく、市場によって秩序づけられているという、常識的な第一直感には反する。第1章第1節ですでに述べた逆説的な事実を強調すべきであると思うからである。つまり、
特性1:市場経済は自然状態である。自然状態は無秩序ではなく、そこには市場による秩序付けが存在する。
 日本的市場主義者のなかには白紙の上に絵を描くように経済社会を構想したいという人がいるが、社会経済に白紙の状態はないというのが特性1の含意である。 (『現代日本の市場主義と設計主義』から)
市場はどちらに向かうのか? 市場経済が自生的秩序ならば、進化するに従ってどちらの方向に進むのか分からない。そのことについては次のように考えられる。
 人間が意図的に作った組織・社会(人工社会)には、当然その作られた目的がある。たとえば、企業は利潤を獲得することを目的としている。一方、誰かが意図して作ったのではない、自然にできあがった秩序(自然社会)である市場経済には、意図された目的はない。
 市場経済が誰も意図しなかった機能を果たすことはありうる。第1章で述べたように、誰かが作成したものでない市場が、構成員の誰も意図しないような目的に資する。これが、アダム・スミスでは比喩的に(Hyek,"Law Legistration and Liberty" 1973.P.9 の表現を使えば anthropomorphic に)市場経済の説明に神という概念が引き合いに出される理由である。
 エコロジーとの類比は特性3についても成り立つ。人間が目的をもって作った田・畑・花壇等々とは違って、エコロジー秩序も何ら意図的に与えられた目的は存在しない。 (『現代日本の市場主義と設計主義』から)
<日本の不況は市場が望んだからかも?> 長引く不況に対して多くの分析・対策が提案されている。それらの多くは「政府の政策次第で景気が回復する」「それをやらない政府は怠慢だ」というものだ。それは「政府は景気を左右できる」との考えからで、合理的期待形成とは違うし、「市場の自生的秩序」を重視しない見方だ。 「改革なくして成長なし」とのスローガンも「改革すれば成長する。だから小泉内閣は改革を押し進めるのだ」ということで、景気に対する政府の影響力の大きいことを前提としている。では改革を進めると本当に成長するのだろうか?市場のメカニズムがもっと有効に働くと経済は成長するのだろうか? 答えは「必ずしも成長するとは限らない」だろう。と言っても「規制緩和は経済成長に効果がない」と言って、規制緩和反対を唱えるのではない。
 市場のメカニズムが十分に発揮されると、資源の有効利用に役立つ。そして、人々の利益を増大する方向へ向かう。では人々の望む利益とはどのようなことだろうか?すぐ出てくる答えは「豊かな社会」だろう。それを実現するには高い経済成長が必要だ。しかし、もしそれとは違ったことを望んでいたら? 例えば「日本は戦後高い経済成長を遂げて豊かになった。これからは物質的な豊かさではなくて、精神的な豊かさ、つまり余裕ある生活実現を目標にすべきだ」と多くの人が考えたとしたらどうなるか?「収入は多くならなくてもいいから、働く時間を少なくしよう」がスローガンになったら、経済は停滞するだろう。 市場主義に徹すると、このような見方もできる。
<設計主義の犯した罪> 市場経済が自生的秩序を保っているように、民主制度も自生的秩序を保っている。デモクラシーを民主主義と訳すと違ってくる。崇高な目標に向かって進むイデオロギーとなる。この場合は自生的秩序という概念はない。社会は思い通りに設計し、作り替えることができる、と考えることになる。 これを設計主義と呼ぶならば、社会主義は設計主義と言うことになる。設計主義はあるイデオロギー、権力集団が一般人や市場を無視して都合のいいように作り替えようとする。その悲惨な結果は旧ソ連や東欧諸国の破綻をみれば明らかな事だとわかる。 すべての国民ができるだけ平等な機会を得るべきだという考え方で、社会主義という制度を取り入れた国がどのようなことになったのか、「はじめての経済学」から引用しよう。
 社会主義の考え方は、本来は弱者にも配慮したものであったはずです。富や所得が一部の特権階級に集中することを排除し、すべての国民ができるだけ平等な機会を得るべきだという考え方です。しかし、現実に社会主義を導入した多くの国では、弱い国民を迫害するような結果になりました。 現在の北朝鮮の飢餓の現状を見れば現実の社会主義がいかに矛盾に満ちたものであるかわかると思いますが、かつてのソビエト連邦や中華人民共和国でも多くの国民の命が経済体制の問題点の犠牲になりました。文化大革命の中国で多くの知識人が迫害にあったこと、そして経済運営の失敗から多くの中国人の命が犠牲になったことはいろいろな形で報告されています。 ある調査によれば、社会主義体制の下で犠牲になったソ連国民の数は、第二次世界大戦によって亡くなったソ連国民よりもはるかに多い数になるということです。 (『はじめての経済学(上)』から)
<「共有地の悲劇」論の開発支援論> 「共有地の悲劇」で知られる生物学者=ガレット・ハーディンが「サバイバル・ストラテジー」(The Limits of Altruism An Ecologist's View of Survival)で言っている最貧国援助の考え方は「マンチャイルド」以上にクールだが、無視することのできない考えなので、ここに引用することした。
 共有地の悲劇を阻止すべきというなら、主権を主張する各単位──各国家──はフランクリン的責任を引き受け、その人口を国土の扶養能力に見合う水準に調整しなければならない。これはいかなる国もその必要とする原材料を自給自足する必要があるという意味ではない。工業国で、銅、クローム、ボーキサイト、石油、バナジウム等々の必要資源をことごとく自国内で調達できるような国はただ1つもない。しかし大過なくやっている国なら何かを余分に生産するであろうし、それを輸出して自国で足りないものを輸入することができる。つまりどの国も自力本願でやっていけるのである(完全に自給自足できる国は皆無に近いとしても)。一国が自立できる状態になっている場合は、その国は、国土の扶養能力の範囲内で生きていると言うことができる。こうして、人間の世界では扶養能力の概念が動物の場合とは重要な違いをもっていることがわかるであろう。
 貧しい国で何百万人もの人間が飢えている光景を見ると、同情深い人々は緊急事態のための食糧を送ろうとする気持ちになるかもしれない。しかし「緊急事態」というのは誤った呼び方で、本当は一時的な危機ではなくて恒常的な窮迫なのである。(もちろん、そのひどさ加減は時により変化する)。食糧を送る狙いは生命を救うことにある。この目標が見事に達成されればされるほど、思わぬ副作用の危険はますます大きくなる。つまりそのような援助がなければ、苦境に陥った人々に人口と扶養能力をバランスさせる行動をとらせたであろう。その行動のバネを弱めるのである。
 腹一杯食べている豊かな国民が、「貧しい国でも長期的には外からの食糧援助なしにもっとよい暮らしができるはずだ」と指摘すると、そういう忠告は「利己的だ」という非難を浴びることを免れない。なるほど利己的かもしれない。しかしわれわれはこの非難の裏を調べ、こう反問しなければならない。「食糧の援助を止めることは、長期的には貧窮者(ニーデイ)の必要(ニーズ)にもプラスになるのではないか」と。
 貧しい国が何よりも必要としているのは物質的なものではない──それを心理的、道徳的、精神的等々、どう呼ぶにせよ、である。このことを認識しないうちは、われわれは国際的な分野で碌なことはできないであろう。基本的な論点は、数年前南アメリカで明らかになった個人的はヒロイズムの物語の中にあからさまに示されている。ウルグァイのラグビー・チームを乗せた飛行機がアンデスの山中に墜落し、ほとんどの乗客が生存状態で残されたのである。聴こえるラジオを手にしてからは、彼らは来る日も来る日もチリの空軍が空から自分たちを捜索しているというニュースに耳を傾けていた。ついに、運命の日がやってきた。大破した飛行機の外でラジオを聴いていた少数のグループが「捜索は打ち切られた」というニュースを聴いたのである。チリ当局は、乗客が生きている可能性はもはやないと見なしたのであった。ウルグァイ人の大半は機体の中にいて、このニュースを聴いていなかった。「ほかの人たちにはどう言えばよいのだろうか」とラジオを聴いた一人が言った。
   「言っちゃいかん」とマルチェロが言った。「このまま希望だけはもたせておこう」
   「いや」とニコリッチが言った。「みんなに言わなくちゃ。最悪の事態を知る必要があるんだ」
   マルチェロはなおも顔をおおってすすり泣きながら、「おれには言えない。おれには」と言った。
   「おれは言うぞ」と言ってからニコリッチは飛行機の入り口の方へ戻っていった。
   ニコリッチはスーツケースとラグビー・シャツでつくった壁の穴から上がり、トンネルの入り口のところで身をかがめて、
   こちらを向いた大勢の悲壮な顔を眺めた。
   「おい、みんな」とニコリッチは叫んだ。「言い知らせがあるぞ。今ラジオで聴いたところだ。捜索は打ち切りになった」
   大勢が押し込まれたキャビンの内部では声もない。この苦境から逃れる見込みがないということがわかってくると、人々は泣いた。
   「そんなことがどうしてよい知らせなんだ」とパエスが怒ってニコリッチに食ってかかった。ニコリッチは言った。
   「どうしてかって?そうなるとおれたちは自力でここから脱出することになるだろうからさ」
 そして彼らは脱出したのである。全員ではない。だがもし彼らが悪いニュースを聴いていなかったとすれば、もし彼らがそこで坐してひたすら救援を待っていたとしたら、全員が死んでいたであろう。
 この実際にあった話は、私に言わせてもらえば、貧しい国の道徳的状況によく似ている。われわれが彼らに与えることのできる最大の贈り物は、「自力でやる」ということを知らしめることである。
 (『サバイバル・ストラテジー』 から)
<自然界に「福祉主義」はない>上記ガレット・ハーディンと似た立場からもう一つ引用しよう。「自由主義」「平等主義」とは全く違った考え方だ。いろんな違った立場の考えが、交雑育種法によって新種の理論が生まれるといいのだが、社会科学の分野ではその可能性は少ないところが多いようだ。それよりも「自家不和合性」が心配だ。
 いわゆる進化とは、自然の失敗の結果である。つまり、病気や能力喪失、あるいは突然変異がもたらした欠陥を過剰に補償するという、自然の失敗の結果なのである。正常な発達をとげた有機体はその環境にうまく適応し、その子孫の全世代にわたって安定している。だからここには次のような2つの相異なる傾向が見られるのである──ひとつは、その環境との最適な関係を見出し、安定的な形態に到達する生物、いま一つは過剰補償の連続によって生き延びているにすぎない不安定な生物である。徐々に新しい種への転換をやってのけるのはこの後者の方である。 そこで思い切ってこういうこともできよう。進化は最適者生存のせいではない。むしろ自己および子孫における一連の過剰補償を通じて新しい形態をつくりあげるのは不安定な生物であり、一方適者は、すでに達成した形態を維持するように、自己を一層適者ならしめる緩慢な修正を行う。
 自然の中では病気の動物が生き残れるチャンスはほとんどない。病気の動物が、ただ自分が生き続けるだけでなく、その子孫にも伝えられるような新しい方法を見出すのはごく稀な場合にすぎない。治療法の進歩のおかげで病人は死ぬことから免れるが、またこれによって不釣り合いに多くの欠陥遺伝子が次代に伝えられる。こういうわけで、人間は他のいかなる動物よりも急速な進化上の変化を示したのである。この加速的な進化には、家畜やペットの場合も含まれる。というのは獣医学のおかげで、それがなければ不安定だったような形態が生命を維持するからである。(中略)
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 博愛主義者や自由主義者は無力な子供に必要なものを用意してやる親の役割を自ら買ってでる傾向がある。それによって彼らは面倒を見てもらう側の幼稚化を助長しているのである。貧乏人であろうと不具者であろうと、また差別の犠牲者であろうと、この種の非保護者に共通した性質がひとつある。何らかの形で彼らは無力な様子をしているのである。この無力ということには、鉄の肺に入っているポリオの犠牲者の場合のように現実にそうであることもあれば、高い賃金を貰っているのに、さらに多くを要求してストライキをする労働者の場合のように想像上のものに属することもある。 労働者は、自分がその労働に対して得ている以上に社会は自分のおかげをこうむっているのだから、面倒を見てくれるのが当然だ、という感情を抱くのである。(中略)
 現実には、恵まれない人間は、いかに孤立無援だとしても、実は自分の力の及ぶ範囲にその無能力をつぐなうだけの、あるいは過剰に補償するだけの力をもっているものである。例えば手を失うという自体に直面した時、足で絵を描く芸術家がいる。片脚を切断してから一本脚で滑りつづけるスキーヤーもいる。貧民窟から身を起こして産業界の大立て者になる人間もいる。これは進化の全体を通じて起こる過程であって、ここではハンディキャップを負わされた動物は補償と過剰補償によって生き残るしかない。動物界には博愛主義的機構など存在しないのである。
 こうして博愛主義的機構やひとつの姿勢としてのリベラリズムは、面倒を見てもらう方の人間から、本来ならばあったはずの補償的能力を発展させる性質を事実上奪ってしまう。そして現実に起こることはこうである。すなわち、恩恵をほどこす方は、保護者である親の役割を引き受けることで、ほどこされる側に、自分では何も努力しなくてもその気まぐれを何でもかなえてもらえる、という子供の態度を助長するだけのことである。(中略)
 だが今日では、自分の面倒は自分で見よ、とか過剰補償とかいった生物学的見解は反動的だと見なされる。その反対に、全面的な保護や扶助の必要を説くリベラル派の反生物学的見解が進歩的だとされるのである。このこと自体が人類の進む方向をまことによく示していると言えよう。 (『マンチャイルド』から)
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(10)TANAKAの考える金融政策は日本経済の「治癒力」を生かす金融政策………
<公定歩合1%、日本銀行当座預金残高10〜12兆円>
 いろいろ日銀やインタゲ派を批判してきた。これだけ批判すれば自分の立場をハッキリさせなければならない。TANAKAの考える金融政策は「治癒力」を生かす金融政策。具体的には次ぎのようになる。 @公定歩合を1%とし、適時0.75%や1.05%を採用する。日銀は短期市場のレフェリーとして市場の動きに注目し、市場の動きを刺激するために0.75%を採用したり、過熱を抑えるために1.05%を採用する。
A日本銀行当座預金残高を10〜12兆円に保つように金融市場調節を行う。
Bこの政策は消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、継続することとする。
 日本経済から過剰補償能力を奪わないようにする。戦後の日本経済を支えてきたのは日本の「治癒力」であった。若い経験不足の経営者が試行錯誤を重ねながらも新しい日本を築いていった。一万田日銀総裁から「ペンペン草を生やしてやる」と言われた川崎製鉄の社長西山弥太郎、 通産省事務次官の佐橋滋とけんかした本田宗一郎、ソニーの井深大、先日亡くなられたヤマト運輸の小倉昌男、その他ここでは取り上げなかったけれど経済界の良心であった東京電力社長・経済同友会の木川田一隆など、経験者がいなくなって青天井になっても新しい力が台頭してくる。 一部閉鎖的な社会、自家不和合性に陥っている社会もあるけれど、日本の経済界にはエコノミストの想像以上の「治癒力」があると思う。日銀もインタゲ派もこの「治癒力」には気づいていない。アニマル・スピリットを持ったモルモットが出てくる可能性は大きい。
 公定歩合1%ならば、出し手も資金運用の場として真剣に取り組む。市場の役割はスムーズな流通と経済状況を示す指標の役割がある。経済の状況に応じて、つまり「ブル」か「ベアー」かがコール市場の動きを見れば判る。エコノミストの中には市場を読むことができず、この動きを無視する者もいるようだが、温度計・体温計・気圧計・湿度計など生活に多くのメーターがあるように、経済にも株式市場・為替市場・コール市場などのメーターがあり、これを読むことによって経済の動きを知ることができる。 このメーターの働きを無視したり、「必要ない」と言うのは普通人の生活に温度計や気圧計は必要ない、と言うのに等しい。そしてゼロ金利ではこのメーターが働かなかった。公定歩合1%ならば、その機能を発揮するであろう。その他の指標を見ながら、日銀は0.75%にしたり、1.25%にしたりする。馬を水飲み場に連れていって、水を少な目にしたり、多目にしたりする。水を飲むのは馬だけど、それを促進したり、ちょっとセイブしたり、それが日銀の役割だ。 市場でのプレーヤーではないけれど、だからと言って無関係ではない。市場でのマネーゲームがスムーズに進むようにレフェリーとしての役割を果たす。これが日銀の役割だ。
 補完貸付制度(いわゆるロンバート型貸出制度)は止める。歩積みの最終日である15日に準備不足のため慌ててコール市場で手当しようとする金融機関が出るかも知れない。その場合、1%ではなく2%、3%あるいは瞬間的に4%の取引が生じるかも知れない。それは容認すべきだ。余りにもセイフティー・ネットが完備していると、自己責任意識がなくなる。 過剰補償能力を発揮する機会がなくなる。「自分では何も努力しなくてもその気まぐれを何でもかなえてもらえる、という子供の態度を助長するだけのことである」。
 銀行の貸し出し残高は386兆511億円。この準備金が約4兆円。余裕をみて5兆円としてその倍、10兆円もあれば経済が活気づいてきても慌てることはない。これよりも沢山積んでいても、「1頭の馬がいる水飲み場に、3頭分、4頭分の水を用意してもムダ」との考えだ。
 1〜3%のインフレを約束すると、それで長期金利が上昇し、景気回復へのブレーキとなってしまう。この点に関して、インタゲ派は無神経だ。消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、継続することとする。として、それが達成されれば、当然公定歩合もアップし、状況に応じて日銀当座預金残高も変化する。
 日銀の発表によってインフレに向かう、との「言霊」のような考えは持たない。日銀も、日銀を批判するインタゲ派も、「日銀が宣言する事によってインフレ期待が高まる」と、日銀の言葉に信頼を寄せている。TANAKAは違う。日銀の言葉には期待しない。 企業間の競争によって、博愛主義的機構やひとつの姿勢としてのリベラリズムによって生き延びていた企業が市場から撤退することによって、構造改革が進み、経済成長への道が開ける。ちなみにエコノミスト業界でも競争原理が導入されると、不勉強なエコノミストが業界から撤退することによって青天井となり、新しい力が台頭してくると考える。
 設計主義の悪い影響が出て、過剰補償能力が失われている。一時的な治療法によってさらに過剰補償能力が失われては日本経済の将来は暗い。 時間はかかるかも知れないが、日本人の治癒力を信頼し、過剰補償能力を発揮する「アニマル・スピリット」「モルモット精神」に期待しよう。
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<主な参考文献・引用文献>
デフレ下の日本経済と金融政策 中原伸之・日銀審議委員講演録        中原伸之 東洋経済新報社   2002. 3.31
金融政策論議の争点  小宮隆太郎・吉川洋・岩田一政・岩田規久男・香西泰・新保生二他 日本経済新聞社   2002. 7. 8
縛られた金融政策                             藤井良広 日本経済新聞社   2004. 1.20
日銀はこうして金融政策を決めている                    清水功哉 日本経済新聞社   2004. 9.21
金融政策の論点  岩田規久男編・浜田宏一・小宮隆太郎・翁邦雄・白塚重典・中原伸之他 東洋経済新報社   2000. 7.13
金融入門                                岩田規久男 岩波新書      1999. 9.20
インフレ・ターゲッティング 物価安定数値目標政策             伊藤隆敏 日本経済新聞社   2000.11.20
ゼロ金利 日銀vs政府 なぜ対立するのか                  軽部謙介 岩波書店      2004. 2.26
金融政策                       酒井良清・榊原健一・鹿野嘉昭 有斐閣アルマ    2004. 2.26
まずデフレをとめよ 安達誠司・岡田靖・高橋洋一・野口旭・若田部昌澄著・岩田規久男編 日本経済新聞社   2003. 2.10
日銀は死んだのか?                             加藤出 日本経済新聞社   2001.11.12
ドキュメント 惑うマネー 「お金」が天下を回らない        日本経済新聞社編 日本経済新聞社   2003. 3.25
中央銀行の独立性と金融政策                         速水優 東洋経済新報社   2004. 1.22
新しい日本経済講義 社会人講座 エッセンスだけをわかりやすく       新保生二 日本経済新聞社   2004. 1. 5
金融政策の話<新版>                           黒田晃生 日経文庫      1998.11. 9
金融読本                             呉文二・島村高嘉 東洋経済新報社   2004. 4. 8
経済セミナー 量的緩和政策    小川一夫・原田信行・加藤出・渡部和孝・小林慶一郎 日本評論社     2004. 6月号
貿易黒字・赤字の経済学 日米摩擦の愚かさ                小宮隆太郎 東洋経済新報社   1994. 9.22
現代日本の市場主義と設計主義                        小谷清 日本評論社     2004. 5.20
経済学を知らないエコノミストたち                      野口旭 日本評論社     2002. 6.29
サバイバル・ストラテジー             ガレット・ハーディン 竹内靖雄訳 思索社       1983. 4.20
マン・チャイルド              D.ジョナス D.クライン 竹内靖雄訳 竹内書店新社    1984. 7.10
自由への決断              ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス 村田稔雄訳 広文社       1980.12.25
政府からの自由 ミルトン・フリードマン          西山千明監修 土屋政雄訳 中央公論社     1984. 2.10
平成大停滞と昭和恐慌 プラクティカル経済学入門         田中秀臣・安達誠司 日本放送出版協会  2003. 8.30
日本再生に「痛み」はいらない                 岩田規久男・八田達夫 東洋経済新報社   2003.12. 4
スッキリ!日本経済入門 現代社会を読み解く15の法則          岩田規久男 日本経済新聞社   2003. 1. 6
現代日本の市場主義と設計主義                        小谷清 日本評論社     2004. 5.20
自生的秩序                                 嶋津格 木鐸社       1985.11.30
日本経済新聞朝刊 経済教室 日銀当座預金の目標割れ容認           中曽宏 日本経済新聞社   2005. 7. 1
デフレとインフレ                             内田真人 日経文庫      2003. 7. 7
値段史年表 明治・大正・昭和                      週刊朝日編 朝日新聞社     1988. 6.30
ベーシック 金融入門                       日本経済新聞社編 日本経済新聞社   2002. 1.18 
新・日銀ウォッチング                           小塩隆士 日本経済新聞社   2000. 7.10
日本の金融がいつまでもダメな理由 現場からの報告         日本経済新聞社編 日本経済新聞社   2002. 6.20
強い円 強い経済                              速水優 東洋経済新報社   2005. 3. 3
新しい日本銀行 その機能と業務                日本銀行金融研究所編 有斐閣       2004.10.30
やぶにらみ金融行政                             中井省 財経詳報社     2002. 1.18
エコノミスト・ミシュラン               田中秀臣・野口旭・若田部昌澄 太田出版      2003.11. 7
ポスト・バブルの金融政策      日本銀行金融研究所・翁邦雄・白塚重典・田口博雄 ダイヤモンド社   2001. 4.19
はじめての経済学 上                           伊藤元重 日本経済新聞社   2004. 4.15
東京マネー・マーケット 第5版                   森田達郎・原信 有斐閣       1996. 4.10
新・東京マネー・マーケット                     東短リサーチ編 有斐閣       2002. 8.10
( 2005年7月18日 TANAKA1942b )