あの人も、この人も神話を信じている
どのような説明なのか、聞いてみよう
2005年10月17日に「インタゲ政策でローンはどうなる?」と題して書いた。このとき金融経済学の教科書、マクロ経済学の教科書を参考にした。そしてすべての教科書の著者が「ベースマネーの増減により(原因)、マネーサプライが増減する(結果)」との神話を信じていることがわかった。
そこで今回は<あの人も、この人も神話を信じている>との書き出しで始めることにした。テレビにも度々登場し、名前も顔もよく知っている、あの人も、この人も「ベースマネーの増減が原因でマネーサプライが増減する」との神話を信じていたのだった。そこで、まず神話をどのように説明しているのか?そのことから話を始めよう。
最終的には「経済学の常識」のように扱われていることが、実は神話であった、と言いたいのだが、とても一度では説明しきれない。そこで今回は「あの人も、この人も神話を信じている」と題して、「どのように説明しているか、聞いてみよう」と決めた。今回は神話を暴く、ということはできないが、
対象となる神話をどのように信じているのか?それをハッキリと理解しておくことにしよう。
(^_^) (^_^) (^_^)
<信用創造の不思議なメカニズム==斎藤精一郎>
テレビ東京WBSでお馴染みの斎藤精一郎『ゼミナール現代金融入門』からの引用。元日銀マンということからか、日銀に対する批判はあまりない。けれども「ベースマネーの増減が原因でマネーサプライが増減する」との考えで書かれている。正統派金融経済学の教科書と言えそうだ。
* * *
市中銀行が預金の単なる受け手でなく、貨幣の供給機関であることがわかっても驚くにはあたらない。というのも、預金通貨を創造する市中銀行のすべてを考慮に入れると、銀行システム全体でが膨大な預金通貨の創造が行われる結果になるからである。
これが金融論で必ず誰もが不思議な思いにさせられる預金創造のメカニズムである。
さて、この市中銀行の信用創造であるが、まず、ここに本源的預金100万円があるとしよう。本源的預金とは預金者が現金とか小切手をもって預ける預金とする。
まず、この預金者が現金100万円をA銀行に当座預金として預ける。一般に銀行が手元に現金準備として残す比率(現金準備率)を10%とすれば、A銀行は100万円のうち10万円の現金を残して、残りの90万円を企業aに貸し出す。
次ぎに90万円の貸出を受けた企業aは取引銀行のB銀行に90万円の預金をする。B銀行には派生預金が90万円発生したことになる。このB銀行も同様に、10%の現金準備を残し、残りの81万円を企業bに貸し出す。
さらに企業bは、C銀行にこの81万円を預金する。C銀行は10%の8.1万円を現金準備として、残りの72.9万円を貸し出す。
このようにして貸出と預金の連鎖は続いていく。これが預金創造であり、信用創造の波及メカニズムといえあれるものだ。
この結果、最初の本源的預金100万円は次々と派生預金を創り出し、最終的には1000万円の預金が創造されることになる。まさしく預金の乗数的拡張である。
預金総額=100+90+81+72.9+…………
したがって、この預金創造プロセスを定式化すると次のようになる。
預金総額=本源的預金X{1÷(1−預金歩留率)}=本源的預金X(1÷現金準備率)
つまり、現金準備率をαとすれば、最初の本源的預金の1/α倍の預金が創造されるわけで、預金創造乗数は、1/αということになる。
貨幣供給はコントロールできるか
これまで現金通貨ならびに預金通貨がいかなる仕組みで供給されるかについて考えてきた。現金通貨は日本銀行の対市中銀行信用増減ルートを通じて基本的にはコントロールできる可能性がある。
問題はもう一方の貨幣である預金通貨である。というのは、前述のように、預金通貨は銀行システム全体でみると、乗数的に信用拡張されるからである。
しかし、預金通貨の拡張は決して無限ではない。預金通貨が次々と派生的に増大していけば、それにしたがって預金の引出も増加してくる。したがって、市中銀行の現金準備の規模が預金の乗数的拡張に限界を与えるのだ。
日本銀行が発行する預金通貨とは統計的には市中(民間非金融部門)が保有している流通銀行券と銀行が手元に保有する現金準備とで構成される。この2つの合計が現金である。
ところが、市中銀行による預金通貨の供給を考える場合に、見落としてならない「隠れ現金」が存在する。それは市中銀行の「日銀預け金」である。
それは日銀と市中銀行とを結ぶ銀行券の流出入のパイプである。日銀が市中銀行に現金を供給する場合、それが貸出にせよ、買いオペにせよ、必ず「日銀預け金」(日銀当座預金、通商は日銀当預という)に現金が振り込まれる。
したがって、市中銀行からみれば、預金通貨の供給、すなわち信用の拡張の際に、ベースとなる手元現金準備とは銀行の手持ち現金残高に日銀に持つ「日銀預け金」(日銀当預)残高を加えた金額となる。
以上3つの現金(市中の流通現金、銀行の手持ち現金、日銀当預)を合計したものが「ハイパワード・マネー」(hight-powered money 高権貨幣と訳される)とか「ベースマネー」(base money)あるいは「マネタリーベース」(monetary base)と呼ばれている。
つまり、「ハイパワード・マネー」とは預金通貨を含むマネーサプライのベースになる貨幣のなかの貨幣、すなわち「究極の貨幣」だということだ。
日本銀行はこの「ハイパワード・マネー」のなかの市中銀行手持ち現金準備ならびに「日銀当預」の総量を対市中銀行信用の増減を通じて操作することによって、最終的には預金通貨の供給やマネーサプライ全体(M2+CD)をコントロールする。
この意味で、短期的には難しいものの、基本的には日本銀行は現金準備(R)の管理を通して貨幣供給量を制御できると考えられている。
(T注 「考えられている」?では、先生はどのように考えているのでしょうか?上の青い字の文章を信じれば、日銀は「貨幣供給量を制御できる」と断言できることになる)
フリードマンの貨幣乗数(信用乗数)
ハイパワード・マネー(H)は大別して、民間非銀行部門が保有する現金C(流通現金)と、銀行部門が保有する現金準備R(手元現金準備および日銀預け金)の2つから成る。つまり
H=C+R ………@
ところで、マネーサプライをM、民間部門(非銀行)の預金をDとすれば
M=C+D ………A
アメリカのM・フリードマンは@、Aから、次ぎのB式を導き出した。つまり@式をA式で割ると
M÷H=(C+D)÷(C+R)
両辺にHを乗じ、かつ右辺分子、分母をDで割ると
M={(C÷D)+1}÷{(C÷D)+(R÷D)}XH ………B
C÷Dは民間部門の現金通貨と預金通貨の比率で一定と考えられる。R÷Dは銀行の預金準備率である。したがって、ハイパワード・マネーHの1単位の変化によって、マネーサプライは乗数{(C÷D)+1}÷{(C÷D)+(R÷D)}だけ変動する。
これをフリードマンは貨幣乗数と呼んだ。
(斎藤精一郎『ゼミナール現代金融入門』から)
(T注 フリードマンは「右辺の変化、つまりハイパワード・マネー(H)の変化によって(原因)、左辺のマネーサプライMが変化する(結果)」と言う。
TANAKAは「左辺のマネーサプライMの変化によって(原因)、右辺のハイパワード・マネー(H)が変化する(結果)」と主張する。「インフレはいつ、いかなる場合も貨幣的現象である」とのフリードマンの主張は経済学の常識だと信じているのですが、こちらの式はどうも……)
(^_^) (^_^) (^_^)
<信用乗数とマネーサプライの変化==伊藤元重>
テレビ東京WBSでお馴染みの伊藤元重『マクロ経済学』からの引用。ここでも貨幣乗数の式が書かれている。恒等式であるからこれだけでは原因と結果は分からない。従ってこの式が間違っているとは言えない。
しかし、TANAKAは「原因と結果が逆ですよ」と主張します。
* * *
信用乗数の理論によれば、マネーサプライの量は、
M={(1+α)÷(α+λ)}XH
という形で表されます。すなわち、ハイパワード・マネーの量(H)、リザーブ率(λ)、現金預金比率(α)に影響を受けるのです。これらが変化すれば、当然、マネーサプライも変化します。
たとえば、ハイパワード・マネーが増加すれば、通常はマネーサプライも増加します。預金準備や現金預金比率が一定であれば、ハイパワード・マネーの増加に対して、その乗数倍の規模でマネーサプライが増加します。
公開市場操作などで中央銀行が市中の債権を購入(買いオペ)すれば、その分だけハイパワード・マネーが増えます。これはマネーサプライを拡大させることを通じて、景気刺激効果を持ちます。
次ぎに、ハイパワード・マネーが一定であっても、預金準備率(λ)が低下すればマネーサプライが増加します。すでに説明したように、預金準備率は法定預金準備率によって大きな影響を受けますので、たとえば法定預金準備率を低下させるような政策はマネーサプライを増加させ、景気刺激効果を持ちます。
逆に法定預金準備率が引き上げられれば、マネーサプライは減少します。
次ぎに、現金預金比率(現金保有性向)について説明しましょう。人々の現金保有性向が高くなると、預金が現金として引き出されますので、預金の自己増殖作用が弱まります。したがって、ハイパワード・マネーが一定の下では、現金保有性向の高まりはマネーサプライを低下させることにつながります。
年末や正月など、人々の消費活動が活発になって現金保有性向が高くなっているときには、ハイパワード・マネーを一定にしておくとマネーサプライは急速に収縮してしまいます。
そこで、中央銀行は、現金の需要が高まるような時期には、積極的にハイパワード・マネーを拡大して、マネーサプライの減少を防いでいます。
(伊藤元重『マクロ経済学』から)
(^_^) (^_^) (^_^)
<マネーサプライ管理は日銀の責任==中谷巌>
テレビ東京WBSでお馴染みの中谷巌『入門マクロ経済学』からの引用。ここでは、「である論」よりも「べき論」が中心になる。日銀がマネーサプライをコントロールできるかどうかではなく、「コントロールするのが日銀の仕事だ」と話は進んで行く。
当然「ベースマネーの増減が原因でマネーサプライが増減する」との考えで書かれている。
* * *
貨幣の厳密な定義として、M1,M2,M3などのうちいずれをとるかは別として、これらの貨幣量の供給がどのようなメカニズムで行われるのか、検討しましょう。
貨幣供給のおおもとを管理しているのは、いうまでもなく各国の中央銀行です。しかし、中央銀行が直接コントロールすることができる貨幣量は、経済全体に出回る全貨幣量(それがM1であれ、あるいはM2、M3であれ)のごく一部にすぎません。
中央銀行が直接コントロールできる貨幣量のことをハイパワード・マネー (High-powerd Money) 、もしくはマネタリー・ベース (Monetary Base) と呼んでいます。
ハイパワード・マネーとは、通貨当局が発行する通貨と、民間の銀行が日銀に預ける金の合計を指します。ハイパワード・マネーの供給にあたってはつぎの4通りの方法が使われます。
貸出政策、公開市場操作、法定準備率操作、道徳的説得(窓口規制)をあげ、さらに、貨幣乗数 M=mHの式を説明し、預金の創出、と話は進んでいく。
そして、話は「マネーサプライ管理は日銀の責任」へと進んでいく。ここではその「マネーサプライ管理は日銀の責任」から引用することにしよう。
* * *
岩田─翁論争に対して東京大学の植田和男氏はつぎのように述べています。
中央銀行はベースマネーをコントロールできないのであろうか。正しい答は、日々の単位である程度できる。1カ月の平均から数ヶ月程度ではかなり難しい。1,2年程度の長期になれば、大きな誤差を伴いつつも強い影響を与えることができる。
たしかに、1カ月程度の期間では翁氏が主張するように、許容範囲の金利変動の中ではたいしてハイパワード・マネーをコントロールする力はないと思われます。しかし、もし本気でハイパワード・マネーを増やしたいのなら、公定歩合をさらに大幅に低下させ、コールレートを低め誘導するなどして、資金需要を喚起し、マネーサプライを徐々に増やすことは十分可能だと考えるべきでしょう。
植田氏のこのような見方はおそらくもっともバランスを得た見方だと思われますが、重要な点は、長期的な観点からみても金利を動かさないでハイパワード・マネーを動かすことはできない(法定準備率の変更がないとした場合)ということです。
長期的にマネーサプライを適切な水準に維持し、コントロールすることは依然として日銀の責任であり、「日銀はマネーサプライをコントロールすることはできな」という短期の議論をふりかざすことは世間に誤解を与えるだけで決して正しいアプローチであるとは言えません。そのような議論はとりもなおさず、日銀の政策責任の放棄とも受け取られかねません。
第1、日銀がマネーサプライのコントロールをしないのであれば誰が行うのでしょうか。準備需要に追随してハイパワード・マネーを供給するというのであれば、準備需要そのものをコントロールする責任はないのでしょうか。
結局、根本のところにあるのは、短期にハイパワード・マネーがコントロールされうるかどうかといった技術的な細かい議論ではなく、その時々の経済情勢に対してマネーサプライの水準が正しいものであるのかどうかという判断であると思われます。たとえば、平成不況が厳しさを増していると伝えられた1992年秋の段階でマネーサプライの伸びがマイナスとなりました。
このようなマネーサプライの推移には問題がないのでしょうか。もし、政策当局がこのようなマネーサプライの急激な低下が好ましくないと判断するのであれば、公定歩合をもっと早くから引き下げるなどの手段を積極的に講じつつ、ハイパワード・マネーの供給、さらには、マネーサプライを増やすためのあらゆる努力をすべきでした。
日本銀行調査統計局長の加賀景英氏は1992年末時点のマネーサプライの水準は適正であるとの判断を示しています。氏はマネーサプライの急激な低迷が「資産価格の急激な低下や景気の減速に伴う資金需要の低迷を反映したものであり、直ちに景気の先行きを規定するものではない」と述べ、とくにマネーサプライの伸び率を政策的に上昇させようとは考えていないことを明らかにしました。
氏はさらに、「最近のマネーの伸びの低さは確かに『異例』ではあるが、『異常』とはいえない」とも述べています。
しかし、マネーサプライと実体経済の関係が希薄化しつつあることは事実だとはいえ、筆者はマネーサプライの伸びがマイナスという事態はやはり「異常」であると考えます。マネーは身体でたとえれば血液のようなものだとしばしばいわれます。血液は栄養を体内に運ぶ役割を果たしていますが、血液が十分に回らなければ人間は衒気に活動することはできません。
これと同じことで、マネーサプライが経済に十分に行き渡らなければ、経済活動が沈滞するでしょう。
第15章でみたように、アメリカの恐慌とマネーサプライの低下は密接な関係があったと思われます。原田泰、白石賢の両氏は「マネーサプライは日銀がコントロールできるハイパワード・マネーによって決まる。裁量的な金融政策は70年代、80年代に2度誤りを犯した。この経験に学ぶべきだ」と現在の日銀政策を厳しく批判しています。
「バブルの責任は日銀の長期にわたる低金利政策の結果である」という批判があり、そのために、金融緩和にはことさら慎重になる金融当局の気持ちもわからないでもないのですが、マネーサプライがここまで大きく変調をきたしたことに対してはもう少し危機感をもって対応すべきではないでしょうか。
もっとも、マネーと経済の関係をもっとも注意深く観察しているのは他ならぬ日銀ですから、よもや判断の間違いはないものと確信したいところです。日銀の判断が正しいかどうかは1993年以降の日本経済がどういう経路をたどるかによって判定が下されるでしょう。その結果が果たしてどう出るか、マクロ経済学をここまで勉強された読者にはとりわけ興味をそそられる話題ではないでしょうか。
(中谷巌『入門マクロ経済学』から)
(^_^) (^_^) (^_^)
<「日銀理論」を放棄せよ==岩田規久男>
「ベースマネーの増減によって、マネーサプライが増減する」との神話が論争の焦点になって話題になったのは、いわゆる岩田・翁論争のときであった。
「日銀は公定歩合操作という金融政策を捨て、ベースマネーを増やし、マネーサプライを増加させよ」というのが『「日銀理論」を放棄せよ』の論旨だったと思う。そこで、
週刊東洋経済(1992.9.12)に掲載された、インフレターゲット論の中心的主張者でもある岩田規久男の『「日銀理論」を放棄せよ』を紹介しよう。
論争はその後、週刊東洋経済1992年10月10日号に、翁邦雄の<「岩田論文」に反論する 「日銀理論」は間違っていない>が掲載され、さらに、岩田規久男『金融政策の経済学』や翁邦雄『金融政策』が出版され論争は続いている。
そして経済学の教科書ではすべてが岩田規久男側の「日銀理論は間違っている」との立場をとり、「ベースマネーの増減によってマネーサプライが増減する」との神話を「貨幣乗数」「ハイパワードマネー」「信用創造プロセス」「トランスミッションメカニズム」などの言葉を使い説明している。
* * *
景気後退・株価暴落の原因 「日銀理論」を放棄せよ──公定歩合操作は有効ではない。
景気後退、株価暴落は「日銀理論」の誤りにも原因がある。ベースマネーはコントロールできないという日銀理論を捨て、その供給を増やすべきだ。
さる7月27日に、公定歩合が0.5%引き下げられ、年3.25%になった。この第5次公定歩合の引き下げの目的の1つは、株価下落が企業マインドへの影響を通じて、実体経済をこれ以上悪化させることを食い止めることにあったと考えられる。
しかし、これに対して当日の日経平均株価は124円45銭安の年初来安値更新で応え、マーケットの政府・日銀の景気対策に対する普請が改めて強調された形になった。
この不信の背景には、今回の景気後退はそもそも政府・日銀の景気判断ミスによって生じたものであるという政府・日銀に対する不信感があると思われる。しかし、景気判断ミスだけでなく、そもそも「日銀理論」に基づく金融政策事態が誤っているのであり、問題はより深刻である。
本稿では「日銀理論」の誤りを指摘し、日銀が「日銀理論」を放棄しない限り、たとえ景気判断にミスがなくても、1973〜74年の大インフレーションや今回のような資産価値の高騰と暴落および政策不況といった金融政策を原因とする経済的混乱を今後も引き起こす可能性が大きいことを明らかにし、「日銀理論」に基づく金融政策をかたくなに守る日銀に金融政策を委ねてよいのかという根本的な問題を提起しておきたい。
このように始まり、「景気にも物価にも有効でない公定歩合操作」「日銀信用の削減がベースマネー減少の原因」「ベースマネーをコントロールしない日銀」「<日銀理論>を捨てベースマネーを増やせ」と見出しが続く。それは「バースマネーの増減によってマネーサプライが増減する」との考えであり、「日銀がベースマネーを増やすことにより、マネーサプライが増える」と発展する。
ここでは最後の部分「<日銀理論>を捨てベースマネーを増やせ」を紹介しよう。
* * *
日銀はベースマネーをコントロールできないという「日銀理論」を直ちに放棄して、ベースマネーを手形や国債の買いオペなどのよって積極的に増やすべきだある。ベースマネーを絶対額で減少させて、マネーサプライの増加率を一定以下に抑制するといった危険は賭けに挑むべきではない。
これに対して、日銀は120円台前半にまで円高・ドル安にならない限り、これ以上の金利低め誘導は出来ないと主張すると思われる。しかい、貿易黒字の増加を抑制するには1年程度の短期でみるかぎり、多少円安に振れても、内需拡大によるほうが効果的である。今後、財政支出増加によって内需が拡大するにつれて、マネー需要が増加し始めると、金利は上昇し始めるであろう。
したがって、ベースマネーの増加率を現状よりも高めることは、金利上昇を抑制して投資家需要の落ち込みを防止することになる。
貿易黒字の増加をもっぱら財政支出の増加によって抑制すべきであるのは、経済が企業内失業が存在しない完全雇用の状態にあるときであった、現在のように景気後退期や景気回復期の場合には、金融政策もまた緩和の方向で運営されるべきである。
そして、金融緩和政策とは「日銀理論」とはちがって、公定歩合を引き下げることではなく、ベースマネーの供給を増やすことによってマネーサプライの増加率を引き上げることをいうという当然のことを強調しておきたい。
世間も公定歩合の引き上げ下げで金融政策の状況を判断することを急速にやめない限り、いつまでたっても日銀のの禁輸政策の誤りを見抜くことはできない。今後は、金融政策の是非を判断するうえでは、公定歩合ではなく、ベースマネーに着目すべきである。
(岩田規久男『「日銀理論」を放棄せよ』から)
(^_^) (^_^) (^_^)
<「2階建て」モデル、「3階建て」モデルと「日銀流理論」==小宮隆太郎>
岩田・翁論争以前に似たような議論があった。それは小宮・外山論争とも呼ぶべきものであった。ここでは小宮隆太郎『現代日本経済』から、日銀理論の批判、つまり「ベースマネーの増減によってマネーサプライが増減する」との神話に関する部分を引用しよう。
* * *
まず、最初に指摘したいことは、金融セクターについてどのようなような理論モデルをとるにせよ、貨幣量(M1あるいはM2)とか全国銀行貸出残高は、内生(従属)変数であって外生(独立)変数ではない、ということである。それらの変数は他の変数に依存して決まるものであって、物価変動やインフレの始発的な「原因」ではありえない。
「金融機関の与信活動が46年7〜9月期以降に著しく活発化したことが、最近の広義マネー・サプライ増加の基本的原因にほかならない……」というような言い方は、原因・結果の捉え方の主客が転倒している。マネー・サプライに関する金融政策により、マネーサプライが決まり、金融機関の貸出の規模が決まる、と考えるべきである。
「過剰流動性」の問題にかぎらず、マネー・サプライをはじめ金融政策の諸問題を考える際の、日銀流の思考方法(以下では1972〜73年当時の日本銀行の多数派の人々の金融政策についての基本的な理解を「日銀流貨幣理論」と呼ぶことにしよう)の1つの特徴は、(1)日本銀行と預金銀行(deposit money banks)を統合したマネタリー・セクターと、
(2)ノン・マネタリーな政府・民間部門との間の取引関係という、「2階建て」のモデルを基準にして考えることである。その場合(1)のセクターの(2)のセクターに対する負債の主要部分がM1である。
しかし金融政策の問題を分析する場合には、このような考えはしばしば不適切である。金融政策の諸問題は、(3)通貨当局 (monetary authorities,日本の場合には、日本銀行と外国為替資金特別会計)、(4)預金銀行、それに(2)のノン・マネタリーな政府・民間部門という、「3階建て」のモデルを基準にして考えるべきだある。その場合の(3)の部門の負債の主要部分が「ハイパワード・マネー」(中央銀行貨幣とも呼ばれ、中央銀行との間で決済にしようしうる貨幣のことであり、現金通貨と預金銀行の日銀預け金からなる)あるいは「マネタリー・ベース」と呼ばれるものである。
ハイパワード・マネーは、預金銀行の信用創造にとっての基礎となるのでマネタリー・ベースと呼ばれ、ハイパワード・マネーの大きさの変化はその何倍かのM1、あるいはM2の変化を引き起こす。
ハイパワード・マネーの残高とM1、M2の残高に比率は、預金銀行が法定準備として、また日々の業務のために、各種の預金残高に対してどれ位の比率としてハイパワード・マネーを保有するか、また企業・家計などの各経済主体が、現金貨幣と預金貨幣をどのような比率で保有するかに依存する。
この比率は、一般的傾向として金融緩和字には上昇し、引締時には低下し、1973〜74年には預金準備の引上げを反映してかなり顕著に低下している。それでも季節的変動を除けば、変動の幅なそれほど大きなものではない。
オーソドックスなセントラル・バンキングの理論では、ハイパワード・マネーの変動はその何倍かのM1、あるいはM2の変化をひき起こすと考えられている。ところが日銀理論では、そのような観念は稀薄のようである。
日銀流理論の1つの構成要素は、さきの引用にもその一端が表れているように「ハイパワード・マネーの増減は民間金融機関の資金需給行動の結果として起こるものであって、直接統制に訴えることなしには、日本銀行がハイパワード・マネーの残高を金融政策によって操作することはできない、あるいは少なくともきわめて困難である」という考え方である。
このような観念が明示的(explicit)に述べられらことは比較的稀であるが、それは日銀を中心とする金融政策の制度、その実際の運営、日銀が発表している統計表(たとえば「資金需給実績」)や毎月の金融情勢の説明等の根拠に存在しているもので、その影響ははかりしれないくらい大きい。私にはこのような観念に基づく日銀流理論には根本的な難点があり、それがしばしば金融問題の解釈・判断ひいては金融政策の運営を誤らせ、また不適切な制度を存続せしめているように思われる。
日銀理論において、なぜハイパワード・マネーの増減が民間金融期間の行動の結果であって日銀が操作することのできないものと考えられているかというと、それは日々のごく短期の事実についての認識と、1,2カ月とかあるいはもう少し短く数週間にわたる期間について、金融政策は市場の諸力をつうじてハイパワード・マネーをコントロールするものであるという理論的理解が区別されていないからである。
すなわち、日々の業務において、資金の不足した市中銀行が日本銀行に貸出(市中銀行からみれば借入れ)を求めてきた場合に、もし日銀がそれを拒否すれば、その銀行は顧客の預金引出要求に応じられなくなり、支払い不能に陥る。
「最後の貸手」(the kender of last resort)である中央銀行としての日銀は、市中銀行をそのような支払い不能状態に追い込むことはできないから、日銀は貸出の求めに応ぜざるをえず、いいかえればハイパワード・マネーを供給せざるをえない。
かくして、ハイパワード・マネーの変化は市中銀行をはじめ民間金融機関の行動(たとえばさきに引用した民間金融機関の「貸進み」)の結果であり、金融政策によるハイパワード・マネーの供給量の変化が民間金融機関の行動を左右する原因にはなりえない、と考えられているのである。
このような観念に立脚して、個々の銀行に対する貸出限度額制度、貸出増加額制度、窓口指導といったまさに直接統制そのものの日銀独特の金融政策方式が正当化されることになる。このようにして直接統制が必然的、不可避的なものと考えられているので、「3階建て」の3階から2階、1階を間接的手段によってコントロールするという観念がなくなり、金融問題をつねに「2階建て」モデルの2階全体の問題として考えないことになる。
したがって、このような日銀流の観念は、同時に価格機構あるいはマーケット・メカニズムに対する不信の観念でもあり、直接統制を賛美するとまではいかなくても、少なくともそれを正当化するための理論的根拠となっているのである。
しかし、このような日銀流の観念は基本的に誤っている。市中銀行の日々の緊急な資金不足に対して、日本銀行が「最後の貸し手」として資金を供給しなければならないということと、一定の期間にわたって直接統制の要求を含まないオーソドックスなセントラル・バンキングの手段により、市場の諸力をつうじてハイパワード・マネーの規模をはじめ各種のマネー・サプライの指標を適切にコントロールするということとは、十分に両立するのである。
それこそまさに中央銀行が果たさなければならない金融政策の課題なのである。英・米・カナダ等の中央銀行も「最後の貸し手」であることにかわりはないが、原則として直接統制手段を使うことはない。
* * *
外山氏の私の論文に対する批判にはいくつかの論点があり、簡単に漸くすることは難しく、また批判の対象になっている私が要約することは適当ではないかもしれないが、どのような事柄が批判の対象となっているかという問題の輪郭を読者の念頭に置いて頂くために、ここでそれをあえて要約してみると、おおよそ次ぎの通りである。
(1)小宮教授は、ハイパワード・マネーの供給量に信用拡張係数を乗じただけのマネー・サプライが生ずると考えているが、信用拡張係数は事後的な比率にすぎず、それに乗数的な役割を与えることは誤りである。
(2)小宮教授は、民間銀行は日銀等から借入れて資金を調達し、貸出を行なうと考え、1973〜74年のインフレーションは日銀の「貸し進み」によって生じたと考えているが、そのような考え方は誤りである。日銀貸出しは一般財政や外為特別会計の受け払いを一定とすれば、現金通貨が増発となるとき増加する。現在通貨増発は市中銀行から預金が引き出されるときに生じ、これを補填するための日本銀行の現金通貨供給は「貸し進み」ではない。日本銀行は現金通貨の需要に対してはほとんど受け身である。
(3)小宮教授は現金通貨(あるいはハイパワード・マネー)の急増がマネー・サプライを急増させ、インフレーションを起こしたとみるが、インフレーションの原因は既往のマネー・サプライの急増にあり、ハイパワード・マネーの増加はインフレーションの結果であって原因ではない。
(4)小宮教授は1971年夏から72年夏にかけての日銀信用の収縮を「不胎化」として高く評価し、そのため当時はインフレにならなかったとするが、これは誤りである。誤りの第1は、日銀信用が収縮したのだから、引締的であったと見る点である。当時引締政策はとれれていない。誤りの第2は、当時の市中金融機関の貸進みによって生じつつあったマネー・サプライの動きを軽視する点である。日銀信用と現金通貨の動きを重視するあまり、マネー・サプライの動きを看過したのである。
* * *
米国流の経済学あるいは金融政策の理論では、ハイパワード・マネー(hight-powered money)の残高の大きさ、その変化の速度、つまり中央銀行によるハイパワード・マネーの新規供給の速度が、マネー・サプライの決定と、したがって金融政策(セントラル・バンキング)にとって決定的な重要性をもつものと考えられている。経済学の初歩的な教科書の金融政策にかんする章は必ずそのことを述べている。
(T注 確かにその通り。ただし、そのこと「ベースマネーの増減によってマネーサプライが増減する」を「それは神話ではないのか?」と疑うかどうかが、分かれ目だ)
たとえば日本でもよく知られているポール・サミュエルソンの『経済学』の金融政策にかんする章は、次のような説明から始められている。
「中央銀行の……主要な機能は、……ハイパワード・マネー(あるいはハイパワード・リザーブ)の供給をコントロールし、それをつうじて一国の経済の貨幣と信用の供給をコントロールする(こと)……である」
あるいはスタンレー・フィッシャーおよびルーディガー・ドーンブッシュの経済学の入門書は、次のように述べている。
「貨幣残高{マネー・サプライ}を決定する諸要因を示す式は
貨幣残高=貨幣乗数Xハイパワード・マネー
と表すことができる。この式は貨幣残高に影響を及ぼす2つの要因を示しているので有意義である。第1に、中央銀行{連邦準備制度}はハイパワード・マネーに影響を及ぼす公開市場操作をつうじて貨幣残高を直接、変化させることができる。このようにして中央銀行は存在するハイパワード・マネーの数量をコントロールする。これが中央銀行による貨幣残高(money multiplier)の大きさを変えることである。
中央銀行は預金準備率の変更によってこれを実行することができる」
(T注 ベン・バーナンキの教科書にも同じようなことが書かれている)
ハイパワード・マネーはいまの説明からもわかるように、マネー・サプライの「基礎」になっていると考えられるので、「マネタリー・ベース」(monetary base)とも呼ばれる。現在の日本の場合、これが変化する主要な経路は(1)日本銀行の民間銀行に対する貸出、(2)一般財政・国債資金の収支、(3)日本銀行と金融機関との間の債券・手形の売買、(4)外国為替市場への介入(外交為替の売買)、の4つであり、
それらを通じて日銀からハイパワード・マネーが出てゆけばマネー・サプライは増大して金融は緩和し、逆にそれらを通じてハイパワード・マネーが日銀に環流すればマネー・サプライは収縮し、金融は引き締まる傾向が生じる。
また準備預金制度のもとで準備率が引き上げられれば、他の事情を一定とするとき、貨幣乗数の値が小さくなってマネー・サプライは減少して金融は引き締まり、準備率が引き下げられればマネー・サプライは増大して金融は緩和する。これがマネー・サプライがどのようにして決まるかについての初歩的な経済学原理である。
(小宮隆太郎『現代日本経済』から)
(^_^) (^_^) (^_^)
<胸を借りて、神話に挑戦します>
ここで引用した教科書、斎藤精一郎・伊藤元重・中谷巌・岩田規久男・小宮隆太郎、よく知られた人たちです。ホームページ「趣味の経済学」を立ち上げた4年半、この人たちの著書をたくさん読み、新しい知識を吸収しました。
そのような先生方に、今回は胸を借りるつもりで、経済学の神話に挑戦します。「日銀はマネーサプライをコントロールできるか?」「日銀はハイパワード・マネーをコントロールできるか?」
「マネーサプライの増加によって経済は活性化するか?」など扱うべきテーマは多いのですが、ここでは「ベースマネーの増減によってマネーサプライが増減する」は神話である、とのことを中心に話を進めていきます。なお、現在連載中の「大江戸経済学」、その次から始めるシリーズ、それぞれ毎週月曜日更新の予定なので、こちらは2,3週間毎の更新を予定しています。
アマチュアエコノミストが経済学の神話に挑戦します。ポイントは「銀行貸出の増減によって(原因)、日銀当座預金残高が増減する(結果)」です。どうぞ、ご期待ください。
(^o^) (^o^) (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
ゼミナール現代金融入門 斎藤精一郎 日本経済新聞社 2003. 1.23
マクロ経済学 伊藤元重 日本評論社 2002. 2.25
入門マクロ経済学 第3版 中谷巌 日本評論社 1993.12.30
週刊東洋経済 1992.9.12 「日銀理論」を放棄せよ 岩田規久男 週刊東洋経済 1992. 9.12
金融政策の経済学 日銀理論の検証 岩田規久男 日本経済新聞社 1993. 8. 2
週刊東洋経済 1992.10.10 「日銀理論」は間違っていない 翁邦雄 週刊東洋経済 1992.10.10
金融政策 中央銀行の視点と選択 翁邦雄 東洋経済新報社 1993.11
現代日本経済 マクロ的展開と国際経済関係 小宮隆太郎 東京大学出版会 1988.11.10
金融問題21の誤解 外山茂 東洋経済新報社 1980. 3.27
( 2005年10月31日 TANAKA1942b )
経済学の神話はアメリカでも生きていた
次期FRB議長も説明している
<マネーサプライ決定の原理==バーナンキ他『マクロ経済学』>
「ベースマネーの増減により(原因)、マネーサプライが増減する(結果)」との神話はアメリカでは信じられているのだろうか?そう思い調べてみた。貨幣乗数の式を提案したのがミルトン・フリードマンであるから、当然アメリカでこの神話は信じられていた。まず最初に引用するのは、次期米連邦準備理事会(FRB)議長ベン・バーナンキとA.B.エーベルの『マクロ経済学』から。
アメリカで今後、景気が低迷したら日本の量的緩和政策のようなこと、あるいはインフレ・ターゲット政策が採られるのだろうか?ベースマネーを増やしてもマネーサプライが増えるわけではない、ということは日本で実証済なのだが…………
* * *
一国のマネーサプライはいかにして決まるのか。本書ではこれまで、マネーサプライは中央銀行によって直接決まると仮定してきた。この単純化は役に立つが、厳密には正しくない。
中央銀行によるマネーサプライのコントロールといっても間接的にすぎなく、ある程度は経済の制度的な構造に依存することになる。最も一般的にいえば、中央銀行、預金期間、および公衆の3つがマネーサプライに影響を与える。
1、ほとんどの国では、中央銀行 (central bannk) が金融政策に責任をもつ政府機関である。中央銀行の例としてはアメリカの連邦準備制度、ドイツ連邦銀行(ブンデスバンク)、日本銀行などがある。
2、預金機関 (depository institutions) は公衆から預金を集め、公衆に直接貸付(預金や貸付)を行っている民間銀行や貯蓄機関などである。ここでは預金機関というときには銀行を指すことにする。
3、公衆というときには、通貨や硬貨、あるいは銀行預金などの貨幣を保有するあらゆる人々と(銀行を除く)企業を意味する。いい換えれば、銀行部門を除くあらゆる民間経済のことである。
アメリカのように金融制度が整備されている国において、これらの3つの主体がどのように作用してマネーサプライが決定されるのかを検討する前に、「アグリコーラ」という原始的な農業経済国家の例から初めてみよう。
アグリコーラにおける貨幣の導入と銀行の発展を研究することによって、われわれはマネーサプライを決定する要因を明らかにすることができる。さらにもう1つわかることは、アグリコーラにおける貨幣制度や銀行制度の発展が、多くの国々で何世紀にもわたって改善され発展してきた現実の貨幣・銀行制度とおおまかにではあるが似通っていることである。
以下「通貨のみの経済におけるマネーサプライ」「部分準備制度におけるマネーサプライ」「銀行取り付け」「公衆の通貨保有と部分準備制度におけるマネーサプライ」「公開市場操作」「応用例:大恐慌にあいだの貨幣乗数」「アメリカにおける貨幣のコントロール」と続いていく。ここではその一部から、貨幣乗数に関する部分を引用することにしよう。
M={(cu+1)÷(cu+res)}×BASE
M=マネーサプライ
cu=人々によって選択される現金・預金比率
res=銀行によって選択される準備・預金比率
BASE=マネタリー・ベース
この式はマネーサプライがマネタリー・ベースの乗数倍であることを示している。マネーサプライとマネタリー・ベースの関係は人々によって選択される現金・預金比率であるcuと、銀行によって選択される準備・預金比率であるresとのよって決定される。
マネタリー・ベース1ドルが何ドルのマネーサプライをつくり出すかを示す係数である(cu+1)÷(cu+res)は貨幣乗数 (money muktipkier) と呼ばれる。たとえばresが1より小さいとき(つまり部分準備制度のもと)には、この貨幣乗数は1より大きくなる。
人々が現金通貨をいっさい保有しないとき(cu=0)には、貨幣乗数は1/resとなり1より大きくなる。これはあらゆる貨幣が銀行預金であるという前述の例と同一となる。
アメリカにおけるマネタリー・ベース、貨幣乗数、およびマネーサプライ
現金通貨、CU 3,013(億ドル)
準備、RES 566(億ドル)
マネタリー・ベース、BASE(=CU+RES) 3,571(億ドル)
預金総額、DEP 7,571(億ドル)
マネーサプライ、M(=CU+DEP) 10,584(億ドル)
準備・預金比率、res(=RES/DEP) 0.0748
現金預金比率、cu(=CU/DEP) 0.3980
貨幣乗数、(cu+)/(cu+res) 2.96
マネーサプライ、ベース比率、M/BASE 2.96
上記数字はアメリカのデータをもとに、貨幣乗数、現金通貨、準備、マネタリー・ベース、マネーサプライなどの数字とそれらの関係を示している。
表の通貨、準備預金、預金などの数字から、現金・預金比率が0.3980であり、準備・預金比率が0.0748であることが計算できる。このとき貨幣乗数(cu+)/(cu+res)は2.96となる。
この乗数の計算が正しいことは、マネーサプライ(10,584億ドル)をマネタリー・ベース(3,571億ドル)で割ると2.96が得られることによっても確かめられる。
現金・預金比率cuあるいは準備・預金比率resのいずれかが上昇すれば、貨幣乗数は計算上低下することになる。こうした結果を直観的に理解するためには、マネタリー・ベースが「乗数倍」されるのは、部分準備制度のもとでは銀行が預金のある部分を人々に貸し付けることができるからであるよいうことを思いだせばよい。
人々は銀行から貸付を受けた貨幣を現金という形で保有することもでき、あるいは貸し付けられたものをふたたび銀行システムのなかに預けることもできる。しかし、いずれの場合でも貸付がなされる以前と比べると、マネーサプライ総額は増えることになる。準備。預金比率が上昇するとき、銀行の預金1ドル当たり貸し付けることができる金額は減少し、一定のマネタリー・ベースから創造される貨幣金額は減少する。
こうして準備・預金比率の上昇は貨幣乗数を低下させる。現金・預金比率が上昇すると人々が銀行に預ける貨幣が減少し、銀行が貸付に回せる貨幣が減ることになる。銀行の貸付が減少すると一定のマネタリー・ベースから創造される貨幣は減って、このときも貨幣乗数は低下することになる。
* * *
連邦準備がマネーサプライを変化させたいとき
連邦準備がマネーサプライを変化させたいときには、まず第1に公開市場操作を行う。たとえば、マネーサプライを増加させたいときには、連邦準備は公開市場で買いを行い、公衆からアメリカ財務省証券を購入する。(T注 「公衆から」ではなくて「銀行から」ではないのかな?)
10億ドルの証券購入は10億ドルのマネーサプライの増加となる。この証券購入の支払として、連邦準備は小切手を切る。これを銀行は連邦準備におく預金としてあるいは現金として受け取ることになる。いずれの場合でもマネタリー・ベースは10億ドル増加する。貨幣乗数を与えれば、マネタリー・ベースの増加はその乗数倍のマネーサプライの増加をもたらすことになる。
逆に、マネーサプライを減少させるためには、公開市場で売りを行う。連邦準備が10億ドルの財務省証券を公衆に売れば、その見返りとして銀行が切った小切手を受け取り、連邦準備の資産は10億ドル減少する(保有証券が10億ドル減少する)。連邦準備は受け取った10億ドルに相当する預金を貯蓄機関から削減させることになる。したげって、マネタリー・ベースは10億ドル減少する。
連邦準備がマネーサプライに影響を与える主な方法は公開市場操作であるが、その他に2つの方法が考えられる。必要準備率と割引窓口貸出の変更である。マネーサプライに影響を与えるこれらの要因については表にまとめてある。
連邦準備は、預金のタイプに応じて銀行が保有しなければならない預金準備の最低金額を設定する。銀行は必要準備率 (reserve requiremennt) の引き上げによってより多くの準備を保有しねかればならないので、準備・預金比率が上昇する。準備・預金比率の上昇は貨幣乗数を低下させるため、ある水準のマネタリー・ベースのもとでは、マネーサプライの減少をもたらす。
連邦準備は過去数年にわたり、多くの預金についての必要準備率を撤廃させてきた。最近では、当座預金(主に小切手預金やNOW勘定)以外のあらゆる預金についての必要準備率は撤廃された。1992年12月以降は、銀行は最初の4,680万ドルの当座預金に対して3%の準備、4,680万ドルを上回る当座預金については10%の準備を保有することが義務づけられた。
マネタリー・ベース、貨幣乗数およびマネーサプライ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
要因 マネタリー・ベースへの影響 貨幣乗数への影響 マネーサプライへの影響
─────────────────────────────────────────────────────────
準備・預金比率(res)の上昇 変化なし 低下 減少
現金・預金比率(res)の上昇 変化なし 低下 減少
買いオペ 増加 変化なし 増加
売りオペ 減少 変化なし 減少
必要準備率の上昇 変化なし 低下 減少
割引窓口貸出の増加 増加 変化なし 増加
公定歩合の上昇 減少 変化なし 減少
──────────────────────────────────────────────────
(バーナンキ他『マクロ経済学』から)
(^_^) (^_^) (^_^)
<法定準備金所要額==サムエルソン他『経済学』13版>
サムエルソンの『経済学』13版には、ハイパワードマネー、貨幣乗数、トランスミッションメカニズム等の言葉は出てこない。「ベースマネーの増減によって(原因)、マネーサプライが増減する(結果)」との神話を信じていない。「中央銀行がマネーサプライを操作するのは準備金率である」と読みとれる。
準備金率が8〜14%と高い率であることがポイントだ。日本の準備金率のように低いと、その変化で銀行融資に影響を与えるのは難しい。「限界効用逓減の法則」をイメージすると理解できる。
TANAKAが(10)TANAKAの考える金融政策は日本経済の「治癒力」を生かす金融政策▲で、「@公定歩合を1%とし、適時0.75%や1.05%を採用する。日銀は短期市場のレフェリーとして市場の動きに注目し、市場の動きを刺激するために0.75%を採用したり、過熱を抑えるために1.05%を採用する」と書いたのも、「あまり低すぎると、それを変化させても影響はない」との考えからだ。
したがって、アメリカでは準備率を変更することによって、連邦準備制度はマネーサプライをコントロールすることになる。
ここでは、銀行が金細工業から発展したのを例にして、銀行融資と準備金との関係を説明している部分と、準備金率に関する部分を引用しよう。
* * *
連邦準備制度と中央銀行の金融政策
連邦準備制度の目標は国民産出の着実な成長と低失業であって、その不倶載天の敵はインフレーションである。もしも集計需要が過度に多くて物価がせり上げられる状態になると、連邦準備制度理事会は、貨幣供給の成長を減速させる措置を進んで採り、かくして集計需要や算出を抑える。
また、もしも失業率が高くてビジネスが沈滞気味であると、Fed は貨幣供給の成長を増加させることによって集計需要を引き上げ産出の成長率を高める方針を検討するだろう。
一言で言えば、これが中央銀行業務の機能であって、この機能はすべての混合経済におけるマクロ経済的管理の基本的な部分をなす。
(T注 サムエルソンの目から見るとアメリカも日本も「混合経済」ということになるのだろう)
* * *
銀行はどのようにして金細工業から発展したか
時には、歴史の1ページは1つの章を占めるぐらいの分析に価する。銀行業がどのようにして金細工業から発展したかの歴史は、近代銀行進化の過程を教えるのである。
イギリスにおける商業銀行業は、人びとの金(きん)や貴重品を安全補完するようになった金細工師から始まった。最初はこの種の仕事場は、今日でいう手荷物預かり所か倉庫のようなものにすぎず、預ける人は、自分の金を安全保管のために置いて行き、受取をもらい、後日、その受取を提出するとともにわずかの料金を保管料として払ったうえで、自分の金を受け戻した。
しかしながら、貨幣は匿名の性質のもので、どの1ドルも他の1ドルと同じであるし、またどの純金1片の他の純金1片と変わりはない、ということに注意されたい。金細工師はまもなく、顧客が置いていった金片に名札そのものを返せるように特定の個人に属する金片に名札を付けるようなことをしなくてすめば、そのほうが便利だということを発見した。
そして顧客の側でも、自分の置いていった特定の金片それ自体が返ってこないとしても、所与の金量に対しての受取りを渡されることで満足したのである。
この「匿名性」が重要である。この点にこそ、銀行と手荷物預かり所、または倉庫とのあいだの重要な違いが存する。もしも私がデンヴァー空港で私のかばんを預けたあと、誰かがそのかばんを持って街を歩いているのを見たら、私は怒って航空会社に電話するだろう。
しかし、もしも私が1枚の10ドル札に自分の頭文字を記入したうえで、それを銀行の私の預金勘定に入れたあと、その10ドル札を誰か第三者が持っているのを見たとしても、私は銀行の経営者に文句を言うようなことはしない。銀行は私の求めに応じて10ドル払うことに同意しただけで、その10ドルはどんなに古いお札だってかまわないのである。
そこで金細工業の例に立ち返るが、それの典型的な場合を考えるとしたら、貸借対照表はどんな形をとるであろうか。おそらく次のようであろうと思われる。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
貸 借 対 照 表
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
資 産 │ 負 債
──────────────────────────
現金準備 $1,000,000 │要求払預金 $1,000,000
────── │ ──────
合 計 $1,000,000 │合 計 $1,000,000
──────────────────────────
● 最初の金細工師的銀行は要求払預金に対して100パーセントの現金準備を保有していた
原始的な銀行制度においては、要求払預金に対して100パーセントの裏打ちをもっていて、新しい準備金から貨幣を創出するということは出来なかった
われわれはここで、最初の金細工師銀行は金の延べ棒を細工することは最早やっておらず、人びとの貨幣を安全保管する業務に専念していると前提する。
この時までに100万ドルが預けられて金庫の中に入っており、その全額が現金資産(貸借対照表の中の「現金準備」の項目)として保有されている。そして、この資産と釣り合う形で同額の要求払預金があるので、現金準備は預金の100パーセントということになる。
銀行貨幣が、銀行の金庫内にあって現実の流通過程から引き上げられた通常の貨幣(金または通貨)の数量をちょうど相殺する形のなるので、貨幣創造はそのに全然発生していない。その過程は、公衆が5セント貨を10セント貨に換えると決めた場合に抱かれる以上の関心を呼ぶ事柄ではない。
われわれは、100パーセント準備をもつ銀行制度は、Mの総額を増やしもせず減らしもせず、貨幣やスペンディングや物価に対して中立的な効果を持つという言い方をするのである。
近代の部分準備銀行制度
さて、さきの金細工師=銀行家の例にかえって、近代の銀行がどのようにして徐々に進化してきたかを調べてみよう。金細工師=銀行家は機敏な利潤追求家であれば間もなく気がついたであろうが、彼のところに預けられている預金は要求払預金であるけれど、いっぺんにその全部が引き出されるわけではない。
突然すべての預金者に全額を同時に払い戻さねばならないようなことがあれば、100パーセントの準備金が必要であろうが、そのようなことはほとんど起こらないことが、彼にもまもなく分かる。所与の日に一部の人たちは預金を引き出しに来るだろうが、同時にほかの人たちが預けに来るので、この両者は大体において釣り合うこととなる。
預金と引き出しがほぼ同額となる結果として、大部分の銀行は、現金払底を避けるため預金の1パーセント程度の現金を容易しておくだけで足りるだろう。
くだんの銀行家はまた、準備金として保有されている資金は、金庫内の現金か金の形であって利子を稼がないから、言わば不毛であるということに注目する。現代の連邦準備制度に寄託される準備金も同様に利子を稼がない。しかし銀行家は、彼らの資金を稼働させたいのである。したがって、初期の銀行も、自分のところに預託されている貨幣を使って債券なりその他の利益を生む資産なりを購入するという考えを思いついた。
彼らはまもなく、その預かっている預金を投資にまわすことは、預金者は依然として要求に応じた支払いを受けるのだから、自分たちにとって利益のあることだということを発見したのであって、事実、銀行はなにがしかの余分の収益をあげたのである。
実際に、銀行は、彼ら自身と顧客と両方に利益をもたらしている。銀行の側では、それぞれの顧客の預けた貨幣の大部分を収益資産に投資して預金に対しては部分的な現金準備しか保持せぬことに顧客の同意を得ることにより、自らの利潤を極大化する。そして、この利潤でもって、銀行は、預金者に対し余分のサービスを提供するなり、手数料を引き下げるなりすることができるのである。
最初の金細工師=銀行が、預金に対しては100パーセントではなく、部分的な準備金で用が足りると決めたことは革命的であった。今や預金の総額は金準備の総額を超えることになる。すなわち、銀行は貨幣を創出しうるのだ。以下のところで、この過程がどのようになされるかを明らかにしよう。
歴史のこの1ページの教訓は何であろうか。それは、銀行が手荷物預かり所的存在から部分的準備をもつ保管所ないしは貸付期間へと進化するにつれ、銀行はもはや中立的存在ではない、ということにほかならない。銀行は、文字どおり影井を創出しうるのである。すなわち銀行は、1ドルの金準備(または今日の中央銀行の準備金)を数ドルの貨幣に転化させる。
(T注 日本では金細工師銀行ではなくて、頼母子講を例に説明するといいだろう。実際江戸時代の頼母子講が明治になって法人組織になり、その後相互銀行になり、第2地方銀行になったのだから。そうした実例を多くすることによって経済学に親しみを覚えるようになる。多くの人が「趣味は経済学です」と言うようにするには、興味を引くような話題で説明するといいと思う)
法定準備金要額
銀行業においては、準備金というのは、銀行の資産の中で手元現金としてかあるいは中央銀行での預金としてか保有されている部分である。銀行が日常の取引に十分な現金を保持していることを顧客に安心させるだけの関心をもつ用心深い銀行家であっても、銀行の資産の1〜2パーセントを準備金として保持するだけでよいと思うかもしれない。
ところが実際には、銀行は、その小切手用預金の10パーセント以上を、一般的にはわが国の中央銀行である連邦準備制度に、準備金として預託している。
何故、準備金はそんなに高額なのだろうか。その理由は、金融機関が法律および連邦準備制度規則によってその資産の相当部分を準備金として保持するよう求められているということにほかならない。
1980年以来、すべての金融的媒介業は、異なる種類の預金にたいして準備金を保持することを求められている。預金は、小切手のタイプと貯蓄用のタイプに分類されていて、準備金所要額は、手元現金の実際の必要または預金を受け入れている金融機関の種類とは独立に、それぞれのタイプの預金に対して課せられる
表は、所要準備率の水準を示したものである。その水準の幅は、小切手タイプの勘定にたいする12パーセントから個人の貯蓄勘定にたいするゼロまでとなっている。数字例でもって論ずる場合の便宜のため、われわれは10パーセントという準備率を使うが、それは、実際の所要率は10パーセントとは多少異なるという了解のもとにおいてのことである。
これらの法定準備金所要額は、Fed が銀行貨幣の供給を統御するにあたってのメカニズムのきわめて重要な一部分をなしているので、ここで更に詳しく説明しておく必要がある。
法定準備率は高すぎるであろうか
銀行家たちは、彼らの分別で妥当と思われる以上に、いや、引き出し預け入れの干満に対処するのに客観的第三者が必要だと考える額以上にさえ、無収益資産を保持しなければならぬ、と不満を訴えている。
彼らは、何故自分たちは大事な稼ぎを失わなければならぬのか、と言う。そして実のところ、何人かの経済学者は今日、準備金所要の制度を完全に廃止して、金融制度を全面的に規制緩和すべきだと主張しているのである。
こうした考え方は、銀行かの立場からすれば取り柄のあるところだが、マクロ経済的な立場を見失っている。すなわち法定準備金所要額が高すぎるくらいになっているのは、中央銀行が貨幣供給を統御するのを助けるためなのである。
換言すれば、中央銀行は、準備金商用額を銀行自身が望む水準よりもかなり高く設定することにより、適格な準備水準を決めて貨幣供給の統御を行うことができるのだ。高率の法定準備金所要額の制度がどのようにして中央銀行による貨幣供給の統御に資することができるかの論理は、このあとで説明することにする。
表 金融機関のための所要準備
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
預金の種類 │準備率% │連邦準備制度(Fed)が変更しうる幅
───────────────────────────────────────
小切手(取引)勘定 │ │
最初の4000万ドル │ 3 │変更認められない
4000万ドルを越える額 │ 12 │ 8〜14
───────────────────────────────────────
有期預金および貯蓄預金 │ │
個人のもの │ 0 │
非個人のもの │ │
満期1年半まで │ 3 │ 0〜9
満期1年以上 │ 0 │ 0〜9
───────────────────────────────────────
● 法定準備金所要額の主な機能は、預金に安全性または流動性を持たせるとか、預金の要求払いを可能にする、とかいうものではない。その特に重要な機能は、銀行が創り出しうる小切手預金の大いさを連邦準備制度が統御できるようにするということである。
一定の高率の法定準備所要額を課すことにより、Fed は一層有効に貨幣供給を統御できるのである。
(T注 サムエルソンは「準備率は高くてもいい」と考え、バーナンキは「準備率という規制は緩和すべき」との考えと感じた)
貨幣供給乗数
サムエルソンの『経済学』には、日本の教科書に出てくる「貨幣乗数」という言葉は出てこない。似た言葉で「貨幣供給乗数」という言葉が出てくるが、これは「ベースマネーに対するマネーサプライの比率」ではなくて、最初の貸出からそれが支払われ、受け取った企業が預金し、それを原資に貸出が行われ……の流れの、最初の預金と最終の預金の比率だ。
それは、次のように書かれている。
新預金の準備金増加に対する比率は貨幣供給乗数と呼ばれる。ここで分析した単純な場合には、貨幣供給乗数は
10=1÷0.1=1÷(所要準備率)
に等しい。
貨幣供給乗数は、銀行がどのようにして貨幣を創り出すかを要約する。全体としての銀行制度が準備金の原初の増加を新しい預金、または銀行貨幣の倍数額に転形できるのである。
(サムエルソン『経済学』13版上 から)
(^_^) (^_^) (^_^)
<連邦準備および中央銀行の金融政策==サムエルソン『経済学』6版>
サムエルソンは「ハイパワードマネー」「貨幣乗数」「トランスミッションメカニズム」などの言葉を使わない。「ベースマネーの増減によって、マネーサプライが増減する」との神話を信じていないようだ。
それでも中央銀行の主要な業務がマネーサプライのコントロールにある、と説明する。これについて古い版ではどうなのか、調べてみた。6版(日本での出版は1966年)では次のように書かれている。
* * *
連邦準備制度は中央銀行、すなわち銀行家のため、および政府のための銀行である。どの中央銀行も、その経済の貨幣と信用の供給を統御する仕事にたずさわる、という主要な機能をもっている。
もしも景気が悪化し雇用が減退しつつあるなら、連邦準備制度理事会は貨幣や信用を拡張しようとするだろう。しかし、もしも支出が過剰気味で、物価は上昇し求人数は求職数を大きく上まわるようになると、連邦準備当局(または、銀行家や金融界新聞による呼称ではFed)は、ブレーキを踏んで貨幣や信用を収縮させることに全力をつくす。金融政策は、そのときどきの総需要支出の不足または過剰という事態に対して、いわば「向かい風に立つ」わけで、かくして最適の実質成長率や物価水準安定を助長しようとするのである。
一言でいえば、これが中央銀行業務の内容である。本章では、Fed が貨幣や信用を拡張したり収縮したりするのに使ういくつかの武器を調べることにしよう。
金融政策は支出を統御するうえでどのように作用するか
連邦準備当局が一般的な支出に影響を与える過程は、精確に言うとどのようなものであろうか、その過程には次のような5つの段階がある。
1 前章で明らかにしたとおり、商業銀行または加盟銀行はその資産や預金を支えるために準備金をもっていなければならない。
そこで、Fed が金融的ブレーキをかけようと思うときにとる第1段階は、加盟銀行にとって利用可能な準備金を削減するよう行動をとるということである。
2 銀行準備金における1ドルの収縮は、銀行貨幣全体、すなわち要求払預金総額で、5ドルの収縮を余儀なくさせる。
3 貨幣総額の収縮は信用を一般的に逼迫させる。すなわち、それを高価にもし、また入手しにくくもする。Mが減れば利子率を高める。そして同じく重要な点だが、Mが減れば、ひとびとにとって信用は入手しにくくなる。(中略)
4 信用が高価となり入手困難になると、民間投資も公共投資も低下する傾向をもつだろう。(中略)
もしも高い利子を払わなければならないとか、金を借りるのが非常に困難であるとかいうことになると、彼らはしばしばその投資計画を切り詰める。同じことは、州政府や地方政府についても言えるだろう。適度の利子率では債券を発行できないと知ると、たとえば市政府は、古い道路につぐはぎの修理をして新しい道路建設は延期することになる。
金を借りるのにいまや3分とか2分5厘とかいうのでなく4分の利子を必要とするため、市民にとってその税率が上がるとなると、新しい学校の建設計画においても、雨天体操場や図書館は予算から削られることになるだろう。
5 最後に、信用や投資支出に対して加えられる圧力が、I+G表の下方移動をとおして、所得支出や物価や雇用に下圧的な効果を与えるだろう。第12章の乗数分析は、このような投資の削減がいかに所得支出を急激に押し下げることになる」かを明らかにした。
もしもFed がインフレ状態の診断において正しかったとするなら、貨幣所得は、医者が事態の改善のために指示したとおりのところまで低下するだろう。Mの収縮がインフレ・ギャップを削減するのに成功したことになる。
(サムエルソン『経済学』6版上 から)
(^_^) (^_^) (^_^)
<マネーサプライのモデル==マンキュー『マクロ経済学』>
マンキュー『マクロ経済学』でも「ベースマネーの増減によって(原因)、マネーサプライが増減する(結果)」との考えで書かれている。以下、貨幣乗数に関する部分を引用しよう。
* * *
銀行が信用創造することを学んだところで、マネーサプライを決めているものは何かをもう少し詳しく調べてみよう。ここで提示されるのは、部分準備制度の下でのマネーサプライのモデルである。モデルは3つの外生変数をもっている。
●マネタリーベース (monetary base) Bは、公衆が保有する現金通貨Cと銀行準備Rとの合計額である。この額は中央銀行によって直接コントロールされる。
●準備・預金比率 (reserve-deposit ratio) rr は、銀行が預金のうち準備として積む比率である。この比率は、銀行の経営戦略と銀行を規制する法律によって決定される。
●現金・預金比率 (currency-deposit ratio) cr は、人々が保有する現金通貨Cと要求払い預金Dとの比率である。この自立は、貨幣をどのような形で保有するかについての家計の選好を反映する。
われわれのモデルでは、マネーサプライがマネタリーベース、準備・現金比率、現金・現金比率にどのように依存しているのかが明らかになる。(中略)
M={(cr+1)÷(cr+rr)}×B
この式は、マネーサプライが3つの外生変数にどのように依存するかを示している。
これにより、マネーサプライがマネタリーベースに比例することがわかる。比例係数である(cr+1)/(cr+rr)は貨幣乗数 (money multiplier) とと呼ばれる。貨幣乗数をmで表せば、次式が得られる。
M=mXB