地域通貨とかエコマネーという言葉がインターネットを飛び交っている。
(1)交換手段に限定される。(2)地域内で生産されたモノやサービスの交換に使う。(3)利子はつかない。を基本としつつもいろいろなバリエーションがある。
運営組織の種類、ポイント(地域通貨)をいっぱい貯めた場合の対応など。「地域通貨とは所詮お遊びにすぎない。
外部社会に影響を与えずに、参加者が楽しむための制度。地域の老人クラブやママさんコーラスのようなもの」との冷めた見方もあるが、TANAKA1952bは「趣味の経済学」の観点から見ていくことにする。
結論を先に言うと、「地域通貨は金融経済学の最適教材」となり、多くの人がこれに取り組むと、経済学の面白さが分かってきて、経済学を趣味とする人が多くなる。そうです、TANAKA1942bがアマチュア・エコノミストをお薦めする次第なのであります。
ではどのように金融経済学の教材になるのか?先ずは最初のアマチュア・エコノミスト養成講座の講師、ポール・クルグマンに登場してもらいましょう。
<ポール・クルグマン=ベビーシッター券>
1970年代にワシントンDCの専門的な職業をもつ人々が自らそれと意図したわけではないが、たまたまマクロ経済に関する一種の実験を行ってしまったことがある。
ジョーン・スウィーニーとリチャード・スウィーニー夫妻(Joan and Richard Sweeney)は彼らの失敗を「金融理論とキャピトル・ヒル・ベビーシッター共同組合の危機」(原題:Monetary Theory and Great Capitol Hill Baby-Sitting Co-Op Crisis)と題される奇妙な論文で紹介している(Journal of Money,Credit and Banking ,1977,February,Vol.0(1),Part 1,pp.86-89)。
話は次のようなものである。専門的な職業につく子持ちの若い共稼ぎカップルが、お互いの子供を世話し合うというベビーシッター共同組合を設立した。この種の仕組みで重要なのは、負担が公平に分担されるということである。
この組合では1時間のベビーシッターを保証するクーポン(紙幣)を発行して自らの帳尻を合わせるようにベビーシッターをしあうという仕組みが用いられた。クーポンはベビーシッターをする度に、譲り渡されるのである。
少し考えれば、この仕組みが働くためには十分なクーポンの流通が必要なことがわかる。自分たちがいつベビーシッターを必要とするか、またいつ他の夫婦のためにベビーシッターをしてあげられるかは正確には予想がつかない。
このため、まず、どの夫婦も他人のためにベビーシッターをして、自分たちが何回か外出できるようクーポンを幾枚か貯めておきたいと考えるであろう。
共同組合が設立されてからしばらくして、問題が生じた。クーポン券の流通量が減ってきたのである。この理由は説明するまでもないことだが、奇妙な結果をもたらした。
平均して、夫婦は希望するほどのクーポン券を蓄えられなかったため、外出するのを控え、ベビーシッターをしようとする。
しかしベビーシッターの機会は他のカップルが外出することによって始めて生まれるのだから、皆が外出を控え始め、クーポン券を使わなくなってしまえば、全体としてクーポン券を得る機会が減り、外出に慎重な態度に拍車をかけることになる。
その結果、全体のベビーシッターの実行回数は減り、カップルは希望に反して家に留まることになる。つまりクーポン券をもっと獲得するまで外出したくないのだが、他の誰もがやはり外出しようとしないため、クーポン券を貯めることができない状態に陥ってしまったのである。
協同組合のメンバーには法律家のカップルが多かったので、共同組合の役員には、これは金融問題であると説明することは難しかった。
代わりに彼らは、例えば最低月二回は外出することを義務づけるなどの規則による問題解決を試みたりした。長い間の試行錯誤のあげくに、やっと協同組合はクーポンの供給量を増加させた。その結果、法律家たちにとっては奇跡とみえるようなことが起こったのである。
カップルは外出できるようになり、ベビーシッターに機会も増え、これはさらにカップルが外出する意欲を刺激したのである。
話は勿論ここで終わらない。クーポンの供給を増加しすぎたために、インフレが生じてしまったのである。
この話は、不況も好況も決して深遠でも不可解なものでもないことを示している。複雑な面があったとしても、実際に起こっていることの本質は子供劇のようにわかりやすいものである。
(「経済政策を売り歩く人々」ポール・クルーグマン著 伊藤隆敏監訳 日本経済新聞社 1995年9月20日 から引用)(「世界大不況への警告」ポール・クルーグマン著 三上義一訳 早川書房 1999年7月31日 にも同じベビーシッター券の記述がある)
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<地域通貨を発展させると……>
地域通貨を「お遊び」として取り組んでいくと「もっと面白く出来ないだろうか?」と考えるようになる。嫌々やっているとなかなか進歩がない。「趣味」として地域通貨に取り組めば、必ず進歩がある。
こんなに理屈っぽい「経済学」だって趣味として取り組めば面白くなるのだから、これは自信を持って言える。お遊びとして地域通貨に取り組めば、「もっと多くの人に参加して貰うには?」「もっと楽しく運営するには?」と工夫するようになる。そこでこの「ポール・クルグマン=ベビーシッター券」のような状況になる。
取引数が減って不況になったり、それがちょっとしたことで好景気になる、そのことと通貨流通量との関係。これは金融経済学のもっとも基礎的なこと。それでいながら、ネットの掲示板を見れば分かるように「通貨流通量と景気との関係」を理解できない人は多い。
「通貨流通量を増やして、目標を定めて経済をインフレに持って行こう」との金融政策、理解できない人が多くいる。「インフレはいついかなる場合も貨幣的現象である」との常識が分かると経済学は面白くなる。
なお通貨流通量と景気の関係、インフレ・ターゲット付き長期国債買い切りオペ増額、については 岩田規久男著「デフレの経済学」(東洋経済新報社 2001年12月) が分かりやすいのでおすすめです。
半年なり、1年経って参加者が持っている通貨を精算する。その時いっぱい持っている人(ボランティア活動をいっぱいした人)をどうするか?
特別には何もしない→参加者皆で拍手する→表彰する→地域の商店会からプレゼントを用意する→商品券を渡す→プライドを傷つけない程度の現金に交換する→初めから日銀券(現金)との交換率を定めておく……。
どのレベルがいいか?皆で議論するにも「お遊び」でやるなら楽しいが、地域の自治会やそれが仕事だったりすると、あまりにも真剣になって感情的な対立が生まれやすい。
けっして地域通貨をけなして「お遊び」と言うのではなく、つまらない感情的なしこりを残さずに進めるには「お遊び」であることを前提にした方がいいということ。
ところで半年や1年に一度清算すること、何かに似ている。
そうです、株式先物取引、株価指数オプション取引、個別株オプション取引などのSQ(Special Quotation)(特別清算日)に似ている。デリバティブ=金融派生商品を話題にすると、弱肉強食の資本主義社会で生まれた「拝金主義」と非難する人もいるかも知れないが、江戸時代に商人の町大坂での「堂島米会所」で似たことがあった。
ここで反資本主義的地域通貨とハイテク資本主義の「拝金主義」とも言われそうなデリバティブ・先物取引が「通貨」を仲介に仲良くなる。
1730(享保15)年に幕府公認となった堂島での帳合取引(帳合米商内)とは1年を春(1月8日〜4月27日)、夏(5月7日〜10月8日)、冬(10月17日〜12月23日)の3期にわけて、各期に筑前・広島・中国・加賀米などのうちから1つを建物に定めて売買するものだが、個々の取引毎に米切手・現米・代銀などの授受は行わず、売方・買方が期限(限市)までに最初の売買と反対の売買を行って、売玉・買玉を相殺し(売埋・買埋)、限市に売値段と買値段の差金の決済だけを行うことを原則とする取引だった。
帳合米という名称は、個々の取引毎に代銀と現物の授受を行わず、それを帳簿上で行ったところから名付けられたものであった。(限市が3回とは、SQが3回と考えればいい) 。詳しくは大坂堂島米会所でどうぞ。
<地域通貨にインフレはないのか?>
地域通貨を説明しているホームページで「地域通貨にインフレはない」との記載がある。
「マクロ的には限定した地域でしか通用しない通貨を用いる事で、その地域内でお金が循環する事になり、経済の活性化をはかると共に、通貨を金利ともインフレとも無縁な貨幣とする事で安定した経済を実現し、地域資源循環型社会を構築する為のシステムでもあります」
「お金はインフレをおこすことがありますが、1時間1点という「愛の通貨」はどこへ行っても平等であり、何年たっても変わることもありません。そして友情という利息は暖かく心を潤します」
コスト・プッシュ・インフレという言葉がある。
注意すべきは、原油価格が上がったり、春闘で大幅なベース・アップがあったり、気候の異変などで農産物の価格が上昇したり、そうしたことが原因で通貨流通量が増大しインフレが起こることは考えられるが、そうした状況でも通貨流通量の増大が抑えられれば、インフレにはならない。
「インフレは何時いかなる場合も貨幣的現象である」とはこうしたことを言っている。民主党のブレーンで反マネタリズムのポール・クルグマンも「インフレ」に関しては上記のようにミルトン・フリードマンと同じ「貨幣的現象である」と言っている。
つまり「世界的なデフレ傾向」でも「中国から安い商品がいっぱい入ってきても」「長期金利が低下傾向」でも、通貨流通量=マネー・サプライが増加すればインフレになる。
このように「本質は子供劇のようにわかりやすいものである」。残念ながら、この「子供劇」を理解できない「エコノミスト」が多い。地域通貨の運営者にもこの「子供劇」の本質は理解してもらいた。
ベビーシッター券の例で説明しているように、地域通貨でもインフレが起こる可能性はある。インフレは資本主義、市場経済に独特なものではなく、共産主義でも、金本位制・銀本位制でも、貝殻本位制でも、巨石本位制でも、善意本位制でも、起こる可能性はある。
通貨としての「銀」が大量に流通したためにインフレになった例としてヨーロッパの例がある。16世紀中頃以降、新大陸から安価な貴金属が、特にポトシ銀山の発見以後、おびただしい銀がヨーロッパに流入したために、ヨーロッパでは銀の価値が下落し、そのために物価が2〜3倍に上昇した。
この全ヨーロッパでの物価上昇は「価格革命」と呼ばれている。
ポトシ銀山=アンデス山中のポトシ銀山(現ボリビア)は当時世界一の生産量を誇った。アマルガム法が導入されたこともあって、生産量は飛躍的に増大。1545年の発見以来わずか30年でポトシの人口は12万人を越え、新大陸最大の都市となった。
徳川幕府が鎖国したのは、キリスト教問題ではなく、こうしたヨーロッパのインフレを日本国内に持ち込まないようにしようと考えたからだ、との見方もある(木村正弘著「鎖国とシルバーロード」サイマル出版会 1989年2月)。
日本では元禄時代荻原重秀の貨幣改鋳によりインフレが起きたと言われている。もっともこれに関しては、世の中が平和で安定し、人々の消費意欲が増したのに生産が追いつかなかったからで、一部の物価は上がったがそれをインフレとは言えない、との見方もある。
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<小さな親切の大きさ>
「現代社会は、何でもかんでも損得勘定=金勘定に置き換えてしまう。無償の行為、小さな親切を大切にする社会にしたい」この主張に反対の人はいないだろう。そのことと「地域通貨」はどのような関係にあるのだろうか?
それは「地域通貨」が小さな親切を促進し、その大きさを評価する基準になる、ということだ。地域通貨のSQを何度か経験すると、地域通貨=貨幣の意味について考えるようになるだろう。そこで「貨幣とは何か?」について、アマチュア・エコノミスト養成講座の2人目の講師、ロバート・マンデルに登場してもらいましょう。
<ロバート・マンデル=もしも貨幣がなかったら……>
貨幣のもっている、いろいろな働きを理解するための最善の方法は、それがなかったとした場合に、どのような不便が起こるかを想像してみることである。まず第1に、もし貨幣というものだなかったなら、共通の「尺度」または「計算単位」がなくなる。
かりに仔牛しか売れるものを持っていない牧場の持ち主が、自動車または鉛管工のサービスを購入したいと考えたとしよう。この場合、仔牛1頭に対して何時間の鉛管工サービスを受けたらいいのか、また自動車を買うために何頭の仔牛を支払うのかを決めることはきわめてむずかしいだろう。
このような計算は取引ごとに繰り返さなければならないので、関係する商品が増えるにつれて、取引の総費用は急増することになるだろう。
もう1つの例として、貨幣が存在せず、塩と小麦という2つの商品だけが存在している場合を想定しよう。この場合、計算は1回だけで済む。つまり、小麦の量で表した塩の価格、または、しべての場合についていえることだが、逆に塩の量で表した小麦の価格がそれである。
ここでもし、第3の商品として、たとえばバターを追加したとすれば、今度は3つの計算をしなければならなくなるのだ。すなわち、小麦の量で表した塩の価格と、小麦の量で表したバターの価格と、塩の量で表したバターの価格を算出しなければならないわけである。(中略)
かりに当初の商品の数をnとするなら、商品の数が1つ増えることによって計算の数は n-1 だけ増える。計算の数 T と商品の数を示す公式は、したがって、T=n(n-1)÷2 となる。(中略)
そこで、貨幣の第1の機能は、このようなよけいな計算を回避することにあるといえる。ちょうど、長さについてインチ、フィート、ヤードといった共通の尺度を採用することが便利であるように、価値を表す共通の言葉を採用することは、計算のうえで非常に大きな助けとなる。
ほかのどんな方法によっても、価値の序列を表すことはできないし、また、ほかのどんな方法によっても、人はその所有物の価値をたやすく計算することができないのである。
(「マンデルの経済学入門」ロバート・マンデル著 竹村健一訳 ダイヤモンド社 2000年1月27日 から引用)
<地域通貨はやはり貨幣だ>
(1)交換手段に限定される。(2)地域内で生産されたモノやサービスの交換に使う。(3)利子はつかない。を原則としつつも、楽しみながら運営していると「さらに発展させるためには原則を曲げてもいいかな?」と思うこともあるだろう。
もしいつまでも原則を貫き通せたとしたら、それは進歩・発展・改良もなくただダラダラやっているだけかも知れない。地域通貨は「円」とは交換できない、が原則となっている。
しかし実際は「円」と交換出来るのだ!
*「これまで、yufu券に記入できるyufuの最低単位は1yufuでした。
1yufuは100円相当のモノ(または10分程度のサービス)との交換に使えますが、例えば商店などで使うときに、「1割までyufuが使えます」というお店の場合に、最低1000円以上の買い物をしないと、1yufuが使えませんでした。
これがもし10円相当を表現できるyufuがあれば、例えば「1割までyufuが使える」店では、100円の買い物からyufuを使えるようになり、yufuの使用範囲は格段に広がることになります」
*「レインボーリング会員は仲間意識があるので優先的に加盟店に買い物に行きます。実際にお店で商品を購入する場合、リングと日本円とを組み合わせて使うことも可能です」
*「退会されるときは、通帳の残高を0にしてください。プラスの残高がある場合は、他のメンバーか実行委員会に寄付することができます。マイナスの残高は、現金に換算して事務局に納めてください」
*「地域通貨に賛同する全国の協賛店にて定価の数%の割合で使用できます」
*「元気な地域づくりのために発行する市民のお金(地域通貨)で、地元商店街連盟加盟店全店で100円券として利用することができます」
*「利用会員は、あらかじめ1時間800円で利用券(1点)を購入しておき、サービスの支払いはすべて利用券で行われ、利用会員は1時間のサービスに対して1点の利用券をケアワーカーに支払います。
ケアワーカーは、入手した利用券を再利用することはできず、おおよそ3カ月以内に次の2つの選択肢からどちらかを選ぶことになります。1つは「利用券」の現金化、もう1つは「時間」の預託化です。現金化は、1時間600円で行うことができます」
*「(株)滋賀京阪タクシーの利用運賃を1おうみ=100円で割引くサービスや、駅前の映画館「草津シネマハウス」で、1000円+5おうみで映画を観ることができるなどのサービスも始まっています」
*「このように様々な農産物をワット券で購入することができるまでになっていますし、事業者としては、居酒屋、酒屋、米屋などが参加しています。また、全国規模で運用されているため、旅行先での宿泊費をワットで支払ったケースもあります」
*「現在、ゆりの木商店街では、美容院、歯科医院、皮かばん製造販売店、飲食店、ビジネスホテルなど20軒ほどで、料金の一部をピーナッツで支払うことができます」
<次週予定>
次週はミルトン・フリードマン講師に「貨幣の悪戯」と題して「ヤップ島の巨石貨幣」について語ってもらう予定です。ご期待ください。
( 2003年1月13日 TANAKA1942b )
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ミルトン・フリードマン=ヤップ島の巨石貨幣
貨幣の本質は信用
<遊び心があってこそ、アマチュア・エコノミストになれる>
このホーム・ページのタイトルは「アマチュア・エコノミストのすすめ」。しかし、誰でも簡単にアマチュア。エコノミストになれるわけではない。一番大切なことは「遊び心」。これがなければやっていけない。進歩もない。遊び心があって、趣味としてやっているので続けられるのであって、何の報酬も期待できないことでもあり、遊び心がなくなったらこんなにも理屈っぽい、時には屁理屈とさえ思える経済学の本、読むのも苦痛になると思う。
そこで、この「地域通貨」を通しての「金融経済学」「アマチュア・エコノミスト養成講座」、普通とはちょっと違う方面から話を進めていこう。「貨幣」とくればこの人を置いて誰もいない、ということで次は、アマチュア・エコノミスト養成講座の3人目の講師、ミルトン・フリードマンに登場してもらいましょう。
<ミルトン・フリードマン=ヤップ島の巨石貨幣>
ミクロネシアにあるカロリン諸島は、1899年から1919年にかけてドイツの属領下にあった。ヤップ島はこの西端に位置し、当時5000ないし6000の人々が暮らしていた。1903年、アメリカの人類学者、ウィリアム・ヘンリー・ファーネス三世はこの島で数ヶ月過ごし、ヤップの人々の暮らしぶりと習慣について興味深い本を書いている。彼はこの島の通貨制度に鮮烈な印象を受け、その本はこの章と同じ題名を授かることになった。 The Island of Stone Money(石貨の島)である。
「金属資源に欠くヤップでは、昔から石を資源として用いていた。石を活用した工夫、創意に労力を注ぎ、さまざまな分野に石を利用していた。石が労働の象徴であるならば、採掘した石から掘り出された通貨は、まさに文明そのものである」
「島民が交換に用いる媒体はフェイと呼ばれ、堅く、厚い、大きな石でできた車輪のような形をしている。大きさは、直径1フィートほどのものから12フィートに達するものまで、さまざまである。その中央にはフェイの直径に応じた穴が開いており、石貨の重量に耐えられる太さと強度を持った棒を通すことで石貨は容易に持ち運ぶことができる。この石の「貨幣」は400マイルも離れた島に産出する石灰石で造られる。その島で切り出され、成形された石はカヌーや筏に載せられ、冒険好きな生まれながらの航海者というべき島民によってヤップまで運ばれる」
「この石貨には注目すべき特徴がある。……石貨の持ち主は石貨を所有せずに済むことだ。例えば、簡単には運べないほど大きい、つまり高額なフェイを使った売買が成立したとしよう。新たなフェイの所有者は自分の所有権が承認されるだけで満足し、石貨に交換済みという印を付けることもない。しかも、この石貨は前の持ち主の敷地に置かれたままである」(中略)
「ヤップ島には車輪の付いた乗り物はない。当然ながら、車道もない。あるのは人々が村々を往来するたびに踏まれて自然に造られた小道だけ。それは、いつもくっきりとしている。1898年、ドイツ政府がカロリン諸島をスペインから買収し、領有権を引き継いだとき、このような小道や通りの多くは荒れ果てていた。そこで、修繕するよう幾つかの地区に通達が出された。
珊瑚礁のブロックで簡単に舗装しただけの道とはいえ、裸足の島民にも満足できる出来栄えだった。だが、繰り返し通達が出されても、修繕は一向に進まなかった。そこで通達に従わない首領の地域には、罰金を科すことになった。では、どのようにして罰金を徴収するか──試案の末、ある名案が浮かんだ。
通達を無視した地域の村や町に役人を送ると、価値のありそうなフェイに黒いペンキでX印を付けさせ、政府所有であることを明示したのである。
この方法は、まるで嘘のようにすぐ効き目を表した。貧困に陥り、悲観した島民は心を入れ替え、さっそく修繕に取りかかった。この効果てきめんの方法は他の島でも適用された。おかげで、今の島民は公園を駆け回ることが大好きである。
そこで政府は役人を急いで村々に遣わすと、今度はフェイに書かれたX印を消してまわった。さあ急げ、罰金が戻ってきたぞ!自分たちの資本ストックが戻ってきた島民たちは喜んだ。以前の豊かな生活が戻ってきたのだ」
読者の率直な意見は、わたしと同じであろう。「馬鹿げた話だ。人間というのは、こうも非論理的なのか」。しかし、罪のないヤップの島民を手厳しく非難する前に、アメリカのある出来事を熟考してみようではないか。案外、ヤップの人々が読者と同じような感想を持つかもしれないのだから。
1931年から1933年にかけて、フランス中央銀行はある懸念を抱いていた。金1オンス20ドル67セントという従来の価格では、アメリカが金本位制を堅持しないのではないか、という不安である。そこでフランス中央銀行はアメリカで保有しているドル資産と金の交換をニューヨーク連邦準備銀行に持ちかけた。
そして、太平洋を横断する金の搬送を避けるために、金をアメリカのニューヨーク連銀に開設してあるフランス中央銀行名義の口座に移管して欲しいと依頼した。この求めに応じた連邦準備銀行は金貯蔵庫に係員をやると、しかるべき数の金塊を別の棚に移し、フランス所有というラベルなり封印なりを貼った。つまり、連邦準備銀行はドイツ政府が石貨に「黒ペンキでX印を付けた」のと同じようなことをしたのである。
この結果、「金、減少!」という文字が経済新聞の見出しを飾り、アメリカの通貨制度を脅かす事態などと騒がれた。アメリカの金準備量が減り、フランスの金準備量が増えると、為替市場はドル安、フラン高に動いた。アメリカからフランスへの金の、いわゆる「流出」は、結果的に見れば、1933年の金融恐慌を引き起こした要因の1つであった。(中略)
この2つの例──他にも思い当たる例は多いだろう──は貨幣をめぐる諸問題を考える上で、外見、幻影、それに疑いを挟む余地のないような、いわば信仰ともいうべき「神話」がいかに重要であるかを論証している。わたしたちが所有している貨幣、わたしたちと共に発展してきた通貨、そしてそれを管理する制度は「実在的」であり、かつ「合理的」だと信じられている。
それでも、外国の紙幣がただの紙切れにすぎないように、外国の硬貨が価値のない金属片のように見えるときもある。たとえ、それらの通貨が高い購買力を有しているとしてでもである。
(「貨幣の悪戯」ミルトン・フリードマン著 斎藤精一郎訳 三田出版会 1993年7月5日 から引用)
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<荻原重秀=たとえ瓦礫のごときものなりとも> 時は5代将軍綱吉の時代、元禄の華やかな町人文化が咲き誇っていた頃、しかし幕府の財政は赤字続きで破綻寸前だった。その時御側用人柳沢吉保の命を受けて、勘定組頭荻原重秀(1658-1713)(万治元-正徳3)
は財政再建へ取り組むことになった。そこで重秀が考えたのは貨幣改鋳だった。慶長小判の金含有量を減らし、出目を稼ぎ、通貨流通量を拡大すること。つまり小判10枚を回収して、これを改鋳して15枚として流通させる。これで幕府の財政は潤うと考えた。こうした貨幣改鋳政策は4代将軍家綱の時代にも幕府内で検討されたが、時の老中土屋数直の反対「邪(よこしま)なるわざ」として葬られている。
しかしこの時は、重秀のそれまでの仕事ぶりから柳沢吉保・将軍綱吉の信頼もあって実施されることになった。これが1695(元禄8)年。
幕府はこの改鋳の目的を「刻印が古くなって摩滅したため」と説明した。勿論本当の目的は品位の高い慶長小判を回収して品位を落としたものに改鋳し、出目の獲得を狙ったものだった。
慶長小判が86%の金品位だったものを、56%に減じたもの。
これで出目は大きく、銀の改鋳と合わせて、全体で500万両にも及んだと試算される。
これが幕府の財政再建に大きく貢献するのだが、もう一つの効果があった。それは通貨流通量拡大による景気刺激だった。徳川幕府が成立し、戦国のすさんだ世から安定へ歩みだし、米の生産も伸び、豊かになり始めていた。世の中が安定し、生活が豊かになり、経済が拡大してくるとそれに伴った通貨も多く必要になる。今日の経済用語で言う「成長通貨」が必要になる。重秀の貨幣改鋳はこの「成長通貨」の役割も果たしたわけだ。
通貨流通量を増やし経済を成長させる政策は「成長通貨は日銀の買いオペによって供給する」という今日の金融政策と一致する。それ以上に先進的なのは、「慶長小判を改鋳するは、邪なるわざ」に対する重秀の答え「たとえ瓦礫のごときものなりとも、これに官府の捺印を施し民間に通用せしめなば、すなわち貨幣となるは当然なり。紙なおしかり。」
これは小判を貴金属としてではなく、「信用に裏付けられた貨幣」と考えていたことで、それは「金本位制」ではなく「管理通貨制度」の考えだ。重秀以降も金本位制は維持されていく。明治維新後も兌換紙幣発行という形で金本位制は続く。日本が金本位制を捨てるのは、1931(昭和6)年12月高橋是清が大蔵大臣になったとき。
しかその後もアメリカのドルは、1オンス35ドルで交換される。これが1971年8月まで続く。実に200年以上も前に重秀は管理通貨制度を考えていたことになる。アダム・スミスが「国富論」を出版したのが1776年、日本で翻訳されたのが1882年。
ヨーロッパで経済の問題が「倫理学」から独立しやっと「経済学」ができた頃だ。重秀の先見性には驚くほかはない。新井白石という抵抗勢力によってその改革がうち砕かれた、とはいえ重秀のような先見性をもった経済官僚がいた、ということは経済学を趣味として楽しむ者としてとても嬉しい。
経済学に関しては日本人が自虐的になる必要は全くない。
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<水・空気・安全そして信用はタダでいいのか?> 「貨幣」とは「信用」である、ということが分かってきた。巨石でも瓦礫でも地域通貨でも、参加者から信用されていれば貨幣として通用する。
「貨幣の悪戯」には第2次大戦後のドイツで、米国タバコが貨幣として使われた例が書かれている(戦後ドイツの闇市では物々交換の基準としてタバコが用いられ、タバコ通貨 Zigarettenwährung と呼ばれた)。貨幣の意味を広く考えれば、有価証券は皆貨幣のような性質を持っている。小切手、手形、債券、切手など。そして消費者金融は信用だけで金を貸す。こうしたことと地域通貨、その似たところ、違うところ、それらを考えることによって貨幣のことが分かり初め、金融経済学が少し先へ進む。
「貨幣の悪戯」の後ろの部分、他にも例がある。株取引の場合、現物の株券は証券会社に預けておく。証券会社は「この株券はAさんのもの」「この証券はBさんのもの」として預かり、売買が成立しても現物は動かさない。ニューヨーク連邦準備銀行がやったと同じ事を証券会社はやっている。
「貨幣とは信用である」ということが分かると、「金本位制」「通貨管理制度」「ブレトンウッズ体制」「プラザ合意」「1997年のアジア通貨危機」などの意味が分かってくる。信用があることによって金の貸し借りが行われ、利息が支払われる。これはごく自然なことで特に「拝金主義」などと非難すべきことではない。
地域通貨に大きな期待を寄せる人の中には、何でも金勘定にしてしまう資本主義に嫌悪感を持っている人がいるようだが、実際に地域通貨を運営し、多くの経験を積めば「信用がタダではない」ことが分かってくるだろう。
「ベビーシッターを頼みたい。しかしクーポンがない。友人から借りることにしよう」。こうした場合金利は払わないのがルール、とは言え実際はお礼をすることになるだろう。取引が多くなり、貸し借りが多くなれば相応の相場が出来るに違いない。これは普通人の社会では自然な事で、いつまで経っても相場が出来なかったり、借りてもお礼をしなかったり、貸し借りが無かったら、それの方が不自然だ。
利子の存在は富める者をより豊かに、貧しい者をより貧しくさせるだけでなく、企業にとっても負担であるため、常に経営を成長させなければ負けてしまうという競争を強いる社会ができあがります。
地域通貨の社会では「他人から通貨を借りても、返済すればお礼をしなくてもいい」となる。実にドライと言うべきか、クールと言うべきか?一般社会で「お金を借りても返済すればお礼=金利を払わなくていい」とのルールは現代では受け入れられない。トマス・アクィナス(1224-1274)以前の中世社会のルールだ。プラトン・アリストテレスの昔から金を貸して利息を取るのは悪、とされていた。例外は中国の司馬遷くらい。中世最大のスコラ哲学者トマス・アクィナスが、一定の条件での利息を認めるまで、キリスト教の社会では金を貸して利息を取ることは悪であった。ヨーロッパの中世とは「他人からお金を借りても、返済すればお礼をしなくてもいい」という普通人の感覚とはまるで違った社会であった。そうした社会では商業の発達も、経済成長も「先に豊かになれる者」も出てこなかった。
進歩・発展のない停滞した社会であった。このように考えていけば「金利を取るのが自然か?取らないのが自然か?」答ははっきりしている。
イザヤ・ベンダサンはその著書「日本人とユダヤ人」で、「日本では水と空気と安全はタダと思われれている、不自然なことだ」と書いている。出版されたのが1970年。今ではその価値=希少性が認められてタダではなくなっている。貨幣の貸し借りは当事者の信用の大きさによって利息が決まってくる。これは自然なこと。ここで「信用もタダではない」ことがはっきりしてきた。「金を借りたら利息を払う」これが自然で「金を貸しても利息を取ってはいけない」という事を納得させるには、かなり強力なマインド・コントロールをしなければならないだろう。
( 2003年1月20日 TANAKA1942b )
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ハイエク=貨幣発行自由化論
ヨーロッパ通貨に疑問符
<視野狭窄にならないように、世界へ目を向けよう>
地域通貨という狭い社会での通貨、これを通して貨幣というもの、金融経済学の入り口が見えてきた。そうしたら世界へ目を向けてみよう。およそ一つのことを突っ込んで考えていると視野狭窄になりやすい。日本の戦後経済を研究し、それだけに没頭すると「日本経済は「日本株式会社」と呼ばれる、世界にも例を見ない独特な日本型経済システムで、官民総ぐるみで協調してやってきたから戦後の経済成長があった。しかしこれからはもう通用しない」となる。では戦後復興期ヨーロッパはどうだったかを見ると、日本以上に官民総ぐるみで協調してきた。それはもう「資本主義」と言うより「社会主義」と言った方が適切なくらいだった。
地域通貨から、日本の通貨へ、外国の通貨との関係へ、国同士の共通通貨へと視野を広めて行こう。そうするとジャン・モネがその基礎を作った欧州連合の具体的な通貨政策、ヨーロッパ共通通貨についてのも関係してくる、ハイエクの主張をここで引用してみよう。
<ハイエク=貨幣発行自由化論> 私がここで示す提案というのは、近い将来のための具体的な提案であり、これはまたずっと遠い将来の計画を検討するための手掛かりとなるものである。それはつぎのようなものである。
「ヨーロッパの中立諸国を含め(そして後にはおそらく北アメリカの諸国を含めて)構成される共同市場の加盟国は、それぞれの領域内で合法的に設立されたどの機関によっても、銀行業務が同様に自由に行われることについて、どのような障害をも設けないことをお互いに正式の条約によって義務付ける」
この提案は、契約および経理にどのような通貨を用いることも自由であるということはもとより、これらの国々ではどのような種類の為替管理あるいは資金移動の規制も撤廃されるということを意味するものであろう。つぎにさらにこの提案は、これらの国々に存在するどの銀行も、他のどの国においても、そこで設立される銀行と全く同一の条件で支店を開設する機会をもつことを意味するものであろう。
ユートピア的なヨーロッパ通貨よりも実質的な提案 私にとってはこの計画は、新しいヨーロッパ通貨(European Currency)を創設するというユートピア的な計画よりも好ましく、そして現実的であると思われる。このヨーロッパ通貨は、あらゆる貨幣悪の根源となっている、政府による貨幣の発行と管理の独占ということを、より強固に定着させるという効果をもつだけにすぎないであろう。 もしまた諸国がここで提出した限定された提案を採用しなければ、これらの国々が共通のヨーロッパ通貨を進んで受け入れるとは思えないのである。政府が古くから持っていた貨幣独占の特権を取り上げるとの考えは、多くの人々にとって、馴染みもなく驚くべきことなのである。そこでこの考えが近い将来採用される機会はほとんどないだろう。けれども少なくとも、各国政府の通貨が公衆の利益のために競争することを認めるならば、人々はこのことがもつ多くの利点を悟ることになるであろう。
私は西ヨーロッパの経済統合を、西ヨーロッパ間での貨幣の流れを自由化する事によって完成したいとする要望に賛同するものである。けれども、このことをある種の超国家的機関により管理される新しいヨーロッパ通貨を創出することによって、果たすことが望ましいかどうかについては大いに疑問をもつものである。共通の貨幣当局により現実に進められる政策に加盟諸国が同意することがありそうにないこと(および、いくらかの国々が今よりも粗悪な通貨をもつことが避けられないということ)を全く別にしても、新しいヨーロッパ通貨が最も都合のよい状態のもとでも、現在の国民通貨(national currencies)よりもよりよく運営されるであろうことは、とてもありえないと思えるのである。さらに、単一の国際通貨(international currency)というものは、もしそれがうまく運営されない場合には、国民通貨より優れているどころか多くの点で劣っているものなのである。それは金融に関してより習熟した公衆を持つ国に、他国の決定を左右している粗雑な先入観のもたらす結果から逃れるという機会すら残さないことになる。
国際機関のもつ利点というのは主として、加盟国を他国の有害な処置から守ることであり、加盟国に他国の暴挙に従うことを強制することにあるのではない。
(「貨幣発行自由化論」F.A.ハイエク著 川口慎二訳 東洋経済新報社 1988年2月18日 から引用)
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<ジョン・ヒックス=ハイエク理論の再検討>
上記「貨幣発行自由化論」をF.A.ハイエクが出版したのは1976年。ハイエクといえばケインズとの対比で捉えられることも多い。そこでジョン・ヒックスの「貨幣論」からハイエクに関する部分を引用することにしよう。
1930年代を通ずる経済分析の歴史の決定版が書かれることになったばあい、このドラマ(これはまさに1つのドラマであった)の主役の1人はハイエク教授になることであろう。
ハイエクの経済学上の著作──彼の政治理論や社会学に関する後期の作品はここでは取り上げない──は現代の学生にはほとんど知られていない。ハイエクに新理論がケインズの新理論の第1の好敵手だった時期があったことはほとんど忘れられている。正しかったのはケインズなのか、ハイエクなのか?この疑問に回答を迫られた時期を過ごした経験をもつ経済学の教師や実務的エコノミストたちの多くがまだ生存している。またこれらの人々のうちには(筆者を含めて)、意見を決定するのにかなり時間を要した者が数多くいる。一体この事情はいかなるものだったのであろうか?これは少なくとも歴史上興味ある問題の一つである。しかし、おそらくこれは歴史上の問題に留まるものではないであろう。もし、ある理論(やや複雑化した理論であるが)が一時的にせよ成功を収めるとすれば、それには何か我々の注意を喚起するものがなければならない。ハイエク理論の直接の影響がきわめて的はずれであったことは今日では疑う余地がない。しかし、この理論が注意を促したいくつかの問題点の内あるものは、真の問題点だったのである。
これらは経済学者たちには理解し難く感じられ、おそらく今日でも完全には明確にされていない。
(「貨幣理論」ジョン・ヒックス 江沢太一・鬼木甫訳 東洋経済新報社 1972年11月20日 から引用)
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<いつも全会一致で決まる社会は怖い>
地域通貨を運営していくと、そのうちにルール違反者が出てくるだろう。期限切れの通貨券を使用したり、ポイントを貸し借りしたり、その時に金銭の授受が行われたり、思い違い、確信犯など。そうしたルール違反をどうするか、もめるかもしれない。全て全会一致で決まるとは限らない。むしろ違反者が出なかったり、常に全会一致で決まり、反対者が出ない社会の方が怖い。違反者、犯罪者の出ない社会。常に全会一致で決まる社会。そうした社会がどんなに怖い社会か想像してみよう。
@ 軍隊社会のような超緊張社会。反対者、違反者には厳しい処罰が加えられる。違反者への警戒の目も厳しい。子供の目が警戒する社会は違反者が出にくい。ピオネール、コムソモール、紅衛兵、ポル・ポト時代の少年、地上の楽園、ヒトラー・ユーゲント、これらを見れば分かる。旧ソ連のKGBや、東欧社会主義国の秘密警察なども秩序維持に大きな力を発揮した。こうした社会では臍曲がり、違反者は出にくい。
A 新興宗教団体のように参加者がマインド・コントロールされている社会。この社会も子供が利用される。例えば紅衛兵「毛沢東の目には、10代から20代はじめの若者が格好の道具と映った。この世代は、熱狂的な毛沢東崇拝と「階級闘争」の思想をたたき込まれて育っている。反抗的で、恐いもの知らずで、正義感が強く、冒険に飢えているといった若者の特質をすべて備えている。しかも無知で、無責任で、操縦はいたって簡単だ」となる。布教活動、市民運動に子供を使うことも多い。
B 秩序の無い社会。違反者がいても誰もとがめない社会。誰も自分から率先してルールを守らせようなどとしない社会。しかしこの社会では非合法な秩序維持勢力が出る場合もある。勝手に秩序を守ることによって収入が見込まれれば、組織運営者が何もしなくても自然に出てきて、秩序を維持し一見平和な社会を作ることになる。
C 無気力な組織。参加者がやる気を失ったグループ。変化・進歩・前進の無い社会。地域通貨クーポンの動きが止まった社会。それでも解散しないのは、世間体からか、もしかすると、どこかからか援助金が出ている場合、 例えば減反補助金が出ている場合だろう。
このように臍曲がり、違反者の出ない社会は怖い。運営者はルール違反が出るのを前提にルールを作らなくてはならない。そうした危機管理が必要になる。「話せば分かる善意の人たちばかりの社会」と思っていると、組織を運営する事は出来ない。こうした「危機管理」「有事に対する備え」は国家単位だけでなく、会社や、自治会や、地域通貨でも同じこと。こうした場合に備えての金融経済学の勉強は義務になる。「専門知識がなくても、生活者であり、一般人であればいい」とか、無知であることは自慢にならない。
( 2003年1月27日 TANAKA1942b )
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ノーベル賞経済学者に学ぶ地域通貨
インフレはいついかなる場合も貨幣的現象である
<ベビーシッター・クーポン券が供給過剰になると………>
ポール・クルグマンは次のように言っている。「話は勿論ここで終わらない。クーポンの供給を増加しすぎたために、インフレが生じてしまったのである」。 ではどのような状況でインフレーションになったのだろうか?エコノミストには推理小説愛好家が多い。アマチュア・エコノミストになるにも推理力は必要なようだ。キャピトル・ヒル・ベビーシッター共同組合でクーポン券を過剰供給したために、どのようなことが起こったのだろう?
クーポン券が多量に供給されると、「クーポン券はいっぱいあるし、無理してベビーシッターをする必要もない」となって、いざ「誰かベビーシッターをして下さい」と言っても、誰も応えてくれない。どうしても外出しなければならない夫婦が遂に言った「大切な用事があります。どなたかお願いします。特別にクーポン券は規定の2倍出します」と。あまりの必死さに申し出があった。ここにベビーシッターは当初の2倍の相場になった。このようにしてインフレーションが生じたのであった。
「本質は子供劇のようにわかりやすいものである」。
協同組合のメンバーには法律家のカップルが多かったので、共同組合の役員には、これは金融問題であると理解することは難しかった。
自分たちが決めたルールが破られるのは許せなかった。役員会では「1時間に1枚のクーポン券というルールを守って下さい」との声明を出した。それからしばらくはルールを守ったために、初期の不況時のようにベビーシッターは行われなかった。しかししばらくすると「1時間2枚のインフレ相場」がこっそりと普及した。役員会で再び声明を出したが、効果はなかった。1時間2枚のインフレ相場は定着した。
対策を相談する役員会で発言があった「日本で地域通貨を運営する人たちに相談してはどうだろう?」。インターネットで相談を受けたアマチュア・エコノミストが答えた「半年に1度SQがあるでしょう。その時にクーポン券を回収してクーポン券流通量を少なくするのです」。初期の不況時の経験があるので直ぐに理解し、クーポン券の流通量が削減された。再び1時間1枚の相場が戻ってきた。法律家の多い組合員の中でアマチュア・エコノミストを自称する人が出るようになった。日本の地域通貨運営者も鼻が高かった。
<通貨量が増えれば、中国から安い商品が入ってもインフレになる>
クーポン券という通貨が過剰供給されるとインフレになることを見てきた。もう少し一般的な社会について推理してみよう。話を分かりやすくするために、通貨は「銀」(銀本位制)として話を進める。インフレとかデフレということは「銀」と「商品」の交換比率に他ならない。「中国から安い商品が入って来る」「ユニクロ、牛丼、マクドなど価格破壊が進んでいる」などの主張は「商品」に注目している。しかし多様な商品、なかには仏・伊などの高級ブランド品も売れている。そこで貨幣「銀」に注目する。銀の産出が一定であれば問題はない。もし多量に銀が産出され始めたらどうなるか?銀の商品価格が下がる(希少性が下がる)。人々の銀を欲しがる度合いが低くなる。つまり銀の貨幣価値が下がる。銀を沢山持っていても、クーポン券のように、人は相手にしてくれない。そこで「どうしてもこの商品が欲しい。今まで銀1グラムで交換してくれた。今日は2グラム出すから売って欲しい」と言い出す。売り手は「今まではこれだけの商品を、銀1グラムで売っていたけれど、これからは2グラムでなければ売らないよ」と言い出す。
こうして今まで銀1グラムで買えたものが、これからは2グラム出さなければ買えなくなった。銀の貨幣価値が半分になったということ、つまり100%のインフレだ。
この推理で大切なのは、一般商品のことは問題にしていないことだ。生産性が上がった、安い商品が輸入される、原油価格が上がった、世界中が不況だ、金利が上がった下がった、こうしたことは問題にしていない。インフレになるかどうかに影響を与えない。この推論では単に銀という通貨が増えたことだけでインフレになったのだ。この場合は銀の産出量が原因になったが、銀本位制ではなく、管理通貨制度ではどうなるか?その場合は政府・中央銀行の金融政策で通貨流通量が決まる。
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<小さな親切がとても嬉しかったから、クーポン券2枚>
「今日は有り難うございました。感謝のしるしにクーポン券を2枚お渡ししましょう」「いえ、規定ですから1枚で結構です」「そう言わずに、私の気持ちを受け取ってください」。このような会話があってもおかしくない。この場合規則を楯に2枚受け取るのを断るのは、超緊張社会での、ある種の主義か信仰に洗脳された人だろう。一つの親切に1枚の地域通貨、が原則でも例外は出てくる。それが自然だ。
@「一物一価」という言葉がある。しかし「価格は需要と供給の関係で決まる」の方が自然だ。例えば《小澤&ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート 2002 指揮:小澤征爾、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団》がレコード、カセットテープ、CD、DVDで発売され価格が皆違うとしてもおかしくない。むしろ書籍の再販価格維持制度の方が異様だ。
A同じ様な親切でも、ちょっとした心遣いでとても喜ばれることがある。そうした違いを評価せず「同一労働、同一賃金」と言うのは働く人の個性だとか、努力、工夫などを認めない「悪平等主義」と言うべきだろう。
同じ様な親切のちょっとした違い、それを評価する方法はクーポン券の枚数。一般社会の仕事では「円」で表す給料。このように貨幣は「物の価値」、「小さな親切の大きさ」を計る尺度になる。「マンデルの経済学入門」でロバート・マンデルはこのようなことを言っている。
<クーポン券を借りたお礼が「利息」>
「ベビーシッターを頼みたい。しかしクーポンがない。友人から借りることにしよう」。こうした場合金利は払わないのがルール、とは言え実際はお礼をすることになるだろう。取引が多くなり、貸し借りが多くなれば相応の相場が出来るに違いない。これは普通人の社会では自然な事で、いつまで経っても相場が出来なかったり、借りてもお礼をしなかったり、貸し借りがなかったら、その方が不自然だ。
金利を取っての金の貸し借り、こうした融資制度がなかったらどうなるか?新しく事業を始めるのに資金のない者は始められない。融資制度があるから貧乏人でも起業できる。資本主義社会では資金のない貧乏人でも株式会社を設立し、外部から資金を導入し、事業を成功させストックオプションで金持ちになることが出来る。こうしたハイリスクなベンチャー・ビジネスに銀行は不良債権化を恐れて投資しない。その代わりスペキュレーターとかエンジェルと呼ばれる「遊び金」を持った人が引き受ける。株式を公開した時のキャピタル・ゲインを狙う。YAHOO JAPAN の株価が大化けした、その「柳の下のどじょう」を狙って投資する。そうした遊び金の存在が、資金のない貧乏人でも豊かな社会生活を満喫するための切り札となる。
もっとも農業では株式会社の参入が制限されているので可能性は少ない。この社会では仲間が金持ちになるのを皆で足を引っ張り、事業を興して金持ちになったり、土地を企業に売って現金を手にすることを「農地委員会」という組織を作って監視し合っている。
利子の存在は富める者をより豊かに、貧しい者をより貧しくさせるだけでなく、企業にとっても負担であるため、常に経営を成長させなければ負けてしまうという競争を強いる社会ができあがります。
との考えは、「貧乏人が事業を興し金持ちの仲間入りする扉」を閉ざすことになる。仲間内から金持ちが出るのを嫉妬している、と考えられる。地域通貨を主催するには貨幣に対する最低の知識が必要で、せめて経済学の入門書程度には目を通しておきましょう。
<複数の地域通貨が統合されると………>
A地区とB地区の地域通貨が統合され、「統合AB地区地域通貨」ができたとしよう。旧A地区は活発で成長通貨が必要になり、「もっと通貨を流通させて欲しい」状況。それに比べ旧Bではインフレが起き始めている。「クーポン券を回収しよう」との声も出始めている。
さて、こうした場合はどうしたらいいのだろう。「あちら立てれば、こちら立たず」となり、どうしていいかわからない。意欲的に取り組んでいればこうしたケースも出てくるかも知れない。
ドイツは「経済が成長しもっとユーロを流通させるべきだ」と言い、フランスは「インフレを抑えたい、ユーロの流通量を減らすべきだ」と言う。こうした事例も出るかも知れない。マーガレット・サッチャーは「フランスはフランスらしく、ドイツはドイツらしく、イギリスはイギリスらしく、それぞれの国が特色を生かすのがヨーロッパにとって必要なことだ」と言っていた。F.A.ハイエクの趣旨もこのようなことだ。
地域通貨という狭い地区の通貨問題と欧州統合という大きな問題と、同じような問題を抱えている。地域通貨の専門家になってヨーロッパで働けるようになったらカッコーイイことだ。
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<ノーベル賞経済学者に学ぶ>
「風邪を引いたかな」と思って薬屋へ行き、「なかなか治らないな」といいながら医者へ行く。法律問題で悩んだら弁護士に相談する。薬剤師、医師、弁護士の助言は聞く。しかし経済問題に関しては、「経済学者よりも自分の方が正しい」との態度をとる人もいる。地域通貨に取組み、小さな多様な問題にぶつかる。そのたびに問題を解決していくと、もう少し根本的に取り組みたくなる。そんな時に先人たちの知恵が役立つ。いきなり読んで分からない著作でも、頭の中のデータバンクに入れておけば「いざ」というときに役立つ。このシリーズで引用した経済学者は、金融経済学では必読の学者だと推薦します。こうした著作に慣れ親しんで、「アマチュア・エコノミスト」を名乗ってください。
<アマチュア・エコノミストのすすめ>
「追いつき追い越せ!」の時代から豊かな時代になり、人々の価値観が多様化し、遊び心も芽生えその具体化も多様化した。人々はいろんな「お遊び」を楽しむようになり、経済学でさえ趣味として「お遊び」の対象になった。お遊びは「外部社会に影響を与えず、参加者が楽しむもの」であった。地域通貨もそのようなものとして考えられた。しかし面白くなるとシステムもエスカレートしてくる。他の市民運動のように社会に影響を与えようとしてくる。そこで危険なことは、無関心な外部者を非難したりマインド・コントロールして仲間にしようとする。「小さな親切」のつもりが「大きなお世話」と受け取られる。説得されなければ非難し、説得できれば自分たちが偉いと思い上がる。
「お遊び」の段階から「外部社会」に影響を与えるようになったときに陥りやすいことだ。
こうした懸念はあっても「日本は豊かになったものだ」。こうした「お遊び」=趣味の経済学、地域通貨、地産地消、動物愛護、環境保護……こうした市民運動は発展途上国ではなかなか。人々が豊かになって働かなくてもいい時間が増えた日本でのこと。食糧自給率たった40%程度でも世界の珍味が味わえる日本でのこと。
「いまや世界一の黒字国・債権大国にのし上がった日本。しかし、ここで暮らす私たちにとって、そのような生活感は乏しい。それどころか海外からは閉鎖的で黒字をかせぐ異質の国と映って、叩かれ続けている」。
豊かな生活を堪能しながら、こうした心にもない自虐的な文章を書いて原稿料が稼げるのも、日本が豊かになった証拠と言える。そうです、アマチュア・エコノミストを自称するということは日本が豊かになったことを具体的に表現しているのです。こうして理屈にならない屁理屈をこねてまで、皆さんにアマチュア・エコノミストをお薦めする次第なのであります。
<お薦め本>
ノーベル賞経済学者を扱った2冊と、古今の経済学者を扱った2冊をお薦めします
「ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想」 マリル・ハート・マッカーティ著 田中浩子訳 日経BP社 2002年7月1日
「ノーベル賞経済学者の大罪」 ディアドラ・N・マクロクスキー著 赤羽隆夫訳 筑摩書房 2002年10月10日
「世俗の思想家たち」 ロバート・L.ハイルブローナー著 八木甫監訳 HBJ出版局 1989年10月
「経済思想の巨人たち」 竹内靖雄著 新潮社・新潮選書 1997年2月
<貨幣理論は日本庭園と同じ審美的な統一性がある>
金融経済学を通してのアマチュア・エコノミスト養成講座、「最後の締め」にもう一度ミルトン・フリードマンに登場して貰いましょう──1969年に発表した
The Optimal Quantity of Money (最適貨幣量)と題する著作の序文から……
貨幣理論は日本庭園と同じである。日本庭園には多様性から生じた審美的な統一性がある。
複雑な真相を覆い隠す外見の質素さであり、深い奥行きの広がりの中に溶け込む表層的な風景である。それを心行くまで堪能するには、多角的に検証し、しかもじっくりと腰を落ち着けて深く吟味しなくてはならない。
貨幣理論も日本庭園も同じである。しかも、両者とも全体から切り離して、それだけでも楽しめる部分を有し、全体から取り出した一部分からでも全体的な認識を得ることができる。
「地域通貨は金融経済学の最適教材か?」完 ( 2003年2月3日 TANAKA1942b )
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インフレ目標の成功例が地域通貨にあった(前)
ヴェルグルの労働証明書
<「エンデの遺言」>から
「第1次世界大戦後、レーテ共和国時代のバイエルンにシルビオ・ゲゼルという人物がいて、ゲゼルは『お金は老化しなければならない』というテーゼを述べています。ゲゼルは、お金で買った物は、ジャガイモにせよ靴にせよ消費されます。ジャガイモは食べられ靴は履きつぶされます。しかし、その購入に使ったお金はなくなりません。そこでは、モノとしてのお金と消費物資との間で不当競争が行われている、とゲゼルはいいます。お金自体はモノですね。売買されるのですから。しかし、お金は減ったり滅することがないものなのです。一方、本来の意味でのモノは経済プロセスのなかで消費され、なくなりなす。そこで、ゲゼルは、お金も経済プロセスの終わりにはなくなるべきであると言います。ちょうど血液が骨髄でつくられ、循環して、その役目を果たしたあとに老化して排泄されるように。お金とは経済という、いわば有機的組織を循環する血液のようなものです。
このゲゼルの理論を実践し、成功した例があります。1929年の世界大恐慌後のオーストリアのヴェルグルという町での話です。町は負債を抱え、失業者も多い状態でした。そこでヴェルグルの町長だったウンターグッゲンベルガーは現行の貨幣のほかに、老化するお金のシステムを導入したのです。このシステムは簡単に言えば、1ヶ月ごとに1%ずつ価値が減少するというものでした。町民は毎月1%分のスタンプを買って老化するお金に貼らなくてはならないという仕組みでした。このお金はもっていても増えないばかりか、減るので、皆がそれをすぐに使いました。つまり貯めることなく経済の輪のなかに戻したのです。お金は持ち主を変えれば変えるほど、購買力は大きくなるのです。1日に2度、持ち主を変えるマルクは、1日に1度しか持ち主を変えないマルクより購買力が大きいのです。2年後には失業者の姿が消えたといいます。お金を借りても利子を払う必要がないので、皆がお金を借りて仕事を始めたのです。
町の負債もなくなりましたが、オーストリア国家が介入し、このお金は禁止されました。
この話はシルビオ・ゲゼル信奉者からよく例に引かれ、いまあるお金のシステムのなかで、二次的に導入できる証拠としてよく論じられています。このお金は時間とともに目減りするので、誰も受け取らないだろうと最初は思われましたが、皆が喜んで受け取りました」
(「エンデの遺言」根源からお金を問うこと 河邑厚徳+グループ現代著 日本放送協会 2000.2.25 から)
<大恐慌時代の金融政策>1930年代の大恐慌は経済学を趣味とする者には興味ある研究対象だ。しかし今回は大恐慌の事ではなくて、その周辺のことになる。ここではエンデが語った「ヴェルグルでの労働証明書」について各種資料に目を通してまとめてみよう。
1929年10月ニューヨーク株式市場の暴落から始まった恐慌は、その後の対処のまずさもあって世界的規模に広がった。金融恐慌、そのポイントは通貨流通量だった。アメリカで多くの銀行が破綻した。ニューディール政策は必ずしも成功したわけではなかった。資金をなにに使うかではなくて、財源は何か?が問題であった。日本では高橋是清が紙幣を増刷した。これをケインズ政策の先取りと評する人もいるが、ポイントは通貨流通量が増大したということ。それが軍事費に使われたのか、公共投資に回ったのか、工業製品増産に使われたのか?あまり問題ではない。銀行が破綻して信用創造が行われず、通貨流通量が減少してそのままだったのか?あるいは高橋是清のように政府保証で紙幣を増刷して通貨流通量を増大させるか?の違いになる。このように「財政政策」か「金融政策」か?この時代の政策のどの点を重視するか?財政面か金融面か?どの面で効果があったのか?それは当事者がどのように考えていたのか?とは別のことになる。
高橋是清の政策は「金融政策」であった。21世紀の現代から見ると元禄時代、荻原重秀の貨幣改鋳と同じ「通貨拡大政策」と同じ「金融政策」であった。
アメリカの取るべき政策は銀行を救済し信用創造がスムーズに行われるようにすること。通貨流通量が拡大すればその使われ方がTVAダムでも失業対策でもよかった。フランスでは人民戦線内閣がもっと早くに通貨切り下げを行っていれば景気回復が早かったろう。そしてレオン・ブルム内閣は人民の高い支持率のもと、共産党も閣内に入れ革命に依らない社会主義実現へ走ったであろう。戦後のイギリスでは通貨安定のための金融政策がとられていれば、低い失業率を維持しながら、ポンドの安定が図られ労働党内閣が長く続き、ここでも革命に依らない社会主義国が生まれていたかもしれない。このように大恐慌時代、先進諸国で「通貨」を重視した金融政策がとられていれば、その後の世界経済はもっと安定したものになっていたに違いない。
☆ ☆ ☆
<ヴェルグルの労働証明書>
大恐慌の波はオーストリアの小さな町、ヴェルグル(Wörgl)にも押し寄せてきた。1932年この町の町長ミヒャエル・ウンターグッゲンベルガー(Michael Unterguggenberger)は以前からシルビオ・ゲゼルの信奉者であった。1916年に発刊された、シルビオ・ゲゼル著『自然的経済秩序』を参考に、ロバート・オーウェンが1832年から34年までに行った「労働貨幣(Labour Exchange Notes)」に似た「労働証明書」を発行しようとした。1932年7月町議会が「労働証明書」発行を議決し、1932年の7月31日に最初の1000シリングが職員への給与として支払われ、市場に出回った。これはヴェルグル町が町の資産を担保に発行した地域通貨であった。その後5000人足らずの町で、1500人を公共事業のために雇い、道路整備、橋建設、スキー・ジャンプ台など、観光地ヴェルグルを甦らせるための事業を始めた。その賃金の支払いのために「労働証明書」が発行された。
1シリング、5シリング、10シリングの三種類の地域通貨で、これは公共事業の賃金支払いだけではなくて、町長はじめすべての職員も給与の半分はこの「労働証明書」を貨幣として受け取った。ヴェルグル労働証明書は1ヶ月毎にスタンプを貼らなければならない紙幣で、負の利子が付いた貨幣であった。
新しい月になるとその証明書に1%の額のスタンプを買って貼らなければ使えないものだった。例えば7月31日に10シリング札を手に持っていたとしても、明日(8月1日)になると10ペニヒ分のスタンプを買ってこの10シリング証明書に貼らなければ使えない。もし1年間この労働証明書をタンス預金していたら、合計で1.2シリング分のスタンプを買わないとこの証明書は使えず、いいかえれば1年後には実質上8.8シリングの価値しかなくなるものだった。
☆ ☆ ☆
<価値が低下する貨幣>
この労働証明書の現物は表面に12ヶ月分のスタンプを貼る欄があり、裏面には宣言文が印刷されてあった。宣言文は次の通り。
諸君!貯め込まれて循環しない貨幣は、世界を大きな危機に、そして人類を貧困に陥れた。経済において恐ろしい世界の没落が始まっている。いまこそはっきりとした認識と敢然としたした行動とで経済機構の凋落を避けなければならない。
そうすれば戦争や経済の荒廃を免れ、人類は救済されるだろう。人間は自分がつくりだした労働を交換することで生活している。緩慢にしか循環しないお金がその労働の交換の大部分を妨げ、何百万という労働しようとしている人々の経済生活の空間を失わせているのだ。
労働の交換を高めて、そこから疎外された人々をもう一度呼び戻さなければならない。この目的のためにヴェルグル町の労働証明書はつくられた。困窮を癒し、労働とパンを与えよ。
ヴェルグルの労働証明書はその流通速度を速めるために、時間と共に価値が減価する貨幣を採用した。この「時間と共に貨幣価値が低下する」というのがゲゼルの考えだった。ゲゼルが提案した自由貨幣(消滅貨幣・スタンプ貨幣)とは次のような考えに基づくものだった。
諸商品は老化し、錆びつき、損なわれ、砕ける。われわれが商品について語る欠陥や損失に対応する物理的特製を、貨幣がもつようになるとき、ただそのとき、貨幣は確実で、迅速で安価な交換の用具となろう。なぜなら、いかなる場合にも、どのようなときにも、貨幣が商品よりも選好されることはないだろうからである。
☆ ☆ ☆
<「インフレ目標政策」だった>
ヴェルグルの労働証明書という地域通貨は翌1933年8月にウィーンの中央政府が「オーストリアにおける通貨発行権を侵害した」と訴訟を起こし、裁判所は政府側の主張を認め、ここに地域通貨の発行は停止した。この1年の間にヴェルグルの経済は活発になった。初めは労働証明書を受け取った人は早く使おうとして町への納税のために使った。町は税金として受け取った労働証明書を公共事業のために使った。このため町の公共事業は盛んになり、これにより失業者も減った。どの程度の雇用効果があったか、ということに関しては、「1年の間に失業者が2/3になった」とか「700人いた卒業者がいなくなった」などど言われている。ヴェルグルの町が豊かになったので、他の自治体も真似をしようと視察に訪れた。政府が禁止したために残念がったが、ヴェルグルでの試みはこれで終わることになった。
毎月1%ずつ貨幣の価値が低下する。1年で12%低下する。つまり12%インフレが進行することだ。このために人々は手持ちの貨幣を使ってしまおうとする。取引が活発になり、消費が伸び、景気を刺激する。「生産量が消費量を決定する」との考えでは理解できないが、「消費量が生産量を決定する」ことを理解すればこの政策=インフレ目標政策の有効性が理解できる。
ここまでは地域通貨を支持する立場から資料を集めてまとめてみた。この立場は「貨幣は交換のためだけに使うべきで、貯蓄や金融商品の売買などのマネーゲームに使うべきでない」との資本主義経済に批判的な立場だ。その反市場経済派の「地域通貨」が今日本で話題になっている「インフレ目標」の成功例と言えそうだとなると、経済学を趣味とするアマチュアエコノミストは黙っていられない。しかし地域通貨派からの「インフレ目標政策」へのエールは送られていない。「インフレ目標政策を支持します」との発言はない。ヴェルグルで成功させながら、現代の問題=インフレ目標には黙っている。そしてまたインフレ目標支持者もヴェルグルの成功例の話は持ち出さない。どちら側も自分の専門分野に閉じこもっていて視野狭窄のようだ。そこで次週はヴェルグルの例を、地域通貨派とは違った立場=「趣味の経済学」の立場から検証してみる事にしよう。
現代の経済学のセンスで捉えるとどうなるか?アマチュアエコノミストが挑戦します。ご期待下さい。
( 2003年3月3日 TANAKA1942b )
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インフレ目標の成功例が地域通貨にあった(後)
貨幣数量説を実証
<通貨流通量が増えた>
ヴェルグルの労働証明書の発行が景気を浮揚させた。なぜ景気が良くなったのか?その要因を考えてみよう。
先ず第一に考えられるのが通貨流通量が増えたこと。通貨流通量が増えると景気が良くなる、その実例は元禄時代荻原重秀の貨幣改鋳、高橋是清の通貨拡大政策に見られる。1962(昭和37)年、日本銀行は「経済の成長に伴って必要となる現金通貨──成長通貨という──を貸し出しではなく、債権買い入れによって供給する」という「新金融調節方式」を発表。日本の金融政策の基本は、この考えにたっている。
MV=PY ・・・・・・ただし、M=貨幣量 V=貨幣の流通速度 P=物価水準 Y=実質国民所得
YをT(取引量)と置き換えて、MV=PTという恒等式も成り立つ。この貨幣数量説を前提に話を進めよう。
ヴェルグルでは中央政府の通貨も流通していた。労働証明書はそれに加えて流通した。どの程度通貨流通量が増加したかというと、町の公共事業が労働証明書で支払われ、町役場の職員給与の半分が労働証明書だったことから、マネーサプライが2倍になったと考えるのが妥当だろう。
<流通速度が速くなった>
「エンデの遺言」からもう少し引用しよう。
労働証明書は非常な勢いで街をめぐりはじめます。それはこうした原理でした。貨幣にかかる持ち越し費用、つまりスタンプ代は一種の税ですが、これはお金を使ってしまえば回避できるものです。そこでこの紙券を受領した人間はできるだけ早く、そしてオーストリア・シリングよりも先に使おうとします。紙券は猛烈なスピードで循環しはじめ、循環するほどに、取引を成り立たせていきました。町には税金が支払われるようになりました。あまり早く税金の支払いという形で町に労働証明が環流してくるので、町の会計課の役人が、これは誰かが偽札を刷っているに違いない、と叫んだほどです。(中略)
貨幣の流通する速度は12くらいだったといいます。10シリングの労働証明が月に12回流通したわけですから、120シリングの取引を発生させたことになります。町はこの労働証明の発行後、4ヶ月で10万シリング分の公共事業を実施でき、もちろん滞納された税は解消され、なかには税を前納したいと言い出す市民も現れたそうです。町の税収は労働証明書発行前の8倍にも増え、失業はみるみる解消していきました。焦点は繁盛し、ヴェルグルだけが、大不況のなか繁栄する事態となりました。
ヴェルグルでは1月に12回流通した、ということは1年で144となる。日本では2000年のM1の流通速度は2.22。ヴェルグルでいかに労働証明書の流通速度が速かったか、今日これほど流通読度の早い国はないし、どのような状況になるのか予想し難い。第1次大戦後のドイツ経済のようだったかもしれない。つまりヴェルグルの状況は同じ頃のドイツと同じ様だったのだろう。伝え聞く所によると、「朝給料をもらったらその日の内に使ってしまわないと、翌日になるとインフレで貨幣価値が半分になってしまう」状況だったと言われる。
<12%のインフレか?>
毎月1%のスタンプを貼るのだから、1年で12%の貨幣価値の低下となる。つまり12%のインフレ。しかしこれは労働証明のことでオーストリア・シリングは違う。物価がどのように上昇したのか?については記録がない。13ヶ月ではインフレは起きてないかもしれない。上記の恒等式で「P=物価水準」に変化がないとすると、「Y=実質国民所得」が大きいことが予想できる。しかしこれは短期だからで、もっと続けていればインフレになっていたであろう。
<預金することができなかった>
銀行などに預金することができなかったこともポイントの1つだ。「預金できないから使ってしまおう」となった。もし預金できれば流通速度が鈍っていたはずだから、これも大きなポイントの1つになる。もっとも預金できなかったから→銀行に預金が集まることがなかったから→民間からの投資が行われなかったから→長期的な経済成長は望めなかった、と言える。
「金利とは人口の1%の資産家の資産を増やし、一方99%の人たちを合法的に貧しくする制度」との考えがある。このため地域通貨に賛同する人、ヴェルグルでの成功を高く評価する人は「金利はない方がいい」と言う。もしヴェルグルで今日の金融制度のような金利の預金制度があったなら、この「インフレ目標政策」はこれほどの成果はあげられなかったであろう。受け取った労働証明書をすぐ消費に廻すのではなく銀行に預金する。もしインフレが起きればそれに見合う預金金利が設定される。こうしてインフレ期待による消費拡大にブレーキがかかるからだ。
金利のない社会では「資金のない貧乏人は事業を興すことができないので、貧富の階級社会を固定する」とのTANAKA1942b の主張は
http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/chiiki.html">「地域通貨は金融経済学の最適教材か?」▲で書いたのでここでは取り扱わないことにする。
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<財政政策の財源はどうする?>
景気が悪いから、と言って補正予算を組んで景気を刺激しようとする。「真水〇〇兆円が必要だ」と主張するエコノミストがテレビに登場する。
そうした主張の一方で「財政政策は景気刺激策として有効ではない」「国債を発行しての景気刺激策は、単に所得再配分しているだけで、景気には中立である」
との主張もある。こうした議論で中心的な論点はその規模、「何兆円の補正予算を組むか?」になる。それでも少しばかり使い道が議論され、財源は「国債を発行する」で終わる。ところでその国債はどのように消化されるのだろうか?
国債がどのように消化されるかによって景気にどのような影響を与えるか、通貨流通量に注目しながら考えてみよう。ヴェルグルでの労働証明書の件、インフレ・ターゲットの有効性に付いて考えるヒントになると思われるからだ。
(1) 10兆円の国債を市中消化する。
補正予算の財源としての国債を民間企業・一般市民が買う。この場合は市場にあった10兆円が政府側に移っただけ、マネーサプライに変化はない。
>(2) 10兆円の国債を民間銀行が買う。
民間銀行による10兆円の信用創造。2003年1月のM1(現金通貨)は340兆円。M2+CDは670兆円。これだけの通貨が流通していて10兆円の増加は経済に影響を与えるのだろうか?「通貨流通量」に注目して景気を考えてきた目から見ると、この10兆円はあまりにも小さい。貨幣量という面から見ると「民間銀行による10兆円の信用創造」は経済に影響を与えない。
(3) 10兆円の国債を市場から日銀が買う。
一度市中消化された10兆円の国債を民間銀行が買い、これを日銀が買う。この場合はベースマネー(ハイパワード・マネー)が10兆円増加する。するとどうなるか?準備率を10%として考えると貨幣乗数によりその10倍、すなわち100兆円になる可能性が生まれる。マネーサプライが100兆円増えれば景気を刺激すると考えていい。しかしこれはあくまでも「可能性」。馬を水飲み場まで連れていっても、馬が水を飲むか飲まないかは馬次第。信用創造の乗数効果により通貨流通量が100兆円増えるか、50兆円程度になるか、それとも10兆円で伸び悩むか?それは馬ならぬ、民間銀行とそこから融資を受ける企業次第となる。
(4) 10兆円の景気対策のために他の予算を削って回す。
景気浮揚のための補正予算としてはないだろうが、当初予算としては「今年度は景気対策を重視して予算を組みました」と言うことはある。そして景気対策の内容を説明する。しかしそのために何を削ったかは言わない。税金の使い方で景気刺激かどうか変わる、としよう。それでは補正予算は景気刺激予算と言い切れるだろうか?実際は政・官・業のトライアングル、圧力団体、族議員の意向を無視する訳にはいかない。景気対策の補正予算案と言いながらも、その内訳の何割かは景気対策とは関係ない族議員対策の予算が含まれる。これも財政政策に対する不信感の原因になっている。
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<今日の日本に応用できるのか?>
ヴェルグルでの成功とインフレターゲットを関連付けて取り上げたのは「景気」「インフレ」「マネーサプライ」これらの深い関係を明らかにしたかったからだ。「インフレはいついかなる場合も貨幣的現象である」
との常識が、常識でない人たちがいるために書いてみた。もっともこの常識を十分説明するにはかなりのエネルギーを必要とするので、今回はこのような面から取り上げてみた。
ところで一番の問題、皆が関心を持っているのは「インフレターゲットは景気対策として有効なのか?」。そして「それならヴェルグルでの試みが現代でも生かせるのか?」だろう。ヴェルグルの事例・データはこの程度しかない。エコノミストからの報告がないのでこの程度のデータから判断するしかない。ではどうなのか?ヴェルグルでの事例が現代日本に生かせるのか?インフレターゲットは景気対策になるのか?
インフレターゲットはまだまだ専門家・政策関係者の間で議論されることだろう。ここではヴェルグルでの実験を紹介し、インフレ目標の有効性については皆さんの想像力を邪魔しないように、ここまでで止めておくことにしよう。それでも気になるのは地域通貨運営者から「インフレ目標賛成論」が聞こえてこない。地域通貨とは「豊かな国の豊かな人々(顕示的消費=Conspicuous Consumption をする有閑階級=Leisure Class )の、外部社会に影響を与えずに、自分たちだけで楽しむ趣味の集い」としても、好奇心と遊び心があれば、ヴェルグルでの実験とインフレ目標とを関連づけてみようとの発想が生まれるはずだ。
反証不可能な非科学的なこじつけとしても、「地域通貨は金融経済学の最適教材だ」と捉えることにより趣味の経済学が面白くなる。このようにして皆さんにアマチュアエコノミストをおすすめする次第なのであります。
( 2002年3月10日 TANAKA1942b )