趣味の経済学
アマチュアエコノミストのすすめ Files
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趣味の経済学 アマチュアエコノミストのすすめ
Files
外形標準課税という名の増税には反対です  残念ながら銀行業界にお灸をすえる効果は期待できない (2001年4月2日)
首都高速道路の料金は2000円に値上げを 「料金は需要と供給のバランスで決まる」のです (2001年4月16日)
タイ米を買うことは タイに迷惑か? 日本国民が自由化を決断したら、東アジア通貨危機は起きなかった? (2001年4月30日)
住専処理に税金投入は当然 水俣病もHIV訴訟も国の責任は税金で補償するのです (2001年5月7日)
国民はメディアに操作されるか?< 草野厚教授への異論 (2001年5月28日)
接待汚職の経済学 マスコミが非難を集中させる「天下り」が、官僚の不正行為を防ぐ抑止力になっている (2001年5月14日)
日本版財政赤字の政治経済学 国債発行時にはその返済・増税計画の発表を画の発表を (2001年6月25日)
縄暖簾の経済学 無責任な社会批判がストレス解消に役立つ ( 2001年10月22日 )
江戸時代の百姓はけっこう豊かだった 百姓がコメを食べなかったら、誰がコメを食べたのか? ( 2002年3月25日 )
鳥インフルエンザ・回転ドア・三菱自動車 最近のできごとを考える ( 2004年4月19日 )
再度、回転ドアなど最近の話題を 企業・市場・安全性そして消費者 ( 2004年4月26日 )

趣味の経済学 アマチュアエコノミストのすすめ Index
2%インフレ目標政策失敗への途 量的緩和政策はひびの入った骨董品
(2013年5月8日)

FX、お客が損すりゃ業者は儲かる 仕組みの解明と適切な後始末を (2011年11月1日)

外形標準課税という名の増税には反対です
残念ながら銀行業界にお灸をすえる効果は期待できない
 東京都が外形標準課税を導入することになった。これで構造改革の遅れている銀行業界にお灸をすえることができる、と期待した見方も多いだろうが、あまり効き目はないだろう。
 銀行は納税資金確保のためにどのような経営戦略を採るだろうか?
 1)行員・役員のリストラや賃上げストップ、2)株式配当の減配、3)預かり金利の引き下げ、4)貸し出し金利の引き上げ、5)振り込み手数料などの値上げ、6)経費節減のための外注工事などの削減、7)自己資本率確保のための貸し渋り。
 「銀行員の給料は高すぎる」との嫉妬心が正義論として通用すると、「うちの会社の給料も銀行並とは言わないまでも、それと大差ない水準に上げてほしい」と要求できなくなる。 「天下の大銀行でさえこうなのだから、うちのような零細企業でボーナスに期待するのは勘弁してほしい」と中小企業の親父さんが言い出すだろう。銀行員の給料が高いことは他産業の賃上げの目標になるので、賃金労働者が嫉妬心を燃やすと結局は自分の首を絞めることになる。先に豊かになれる者から、豊かになるのです。
 このようなわけで、行員・役員の負担には期待できない。税負担の多くは利用者へのサービス低下に転嫁されるだろう。銀行は税務署への納税手続きを代行するだけで、実際の税負担者は行員・役員と、それ以上に全国の利用者。これは消費税と同じ。 小売店は納税代行者で本当の負担者は消費者。極論すれば、「法人税など意味がないので廃止して、個人税だけにすべきだ」という主張になるのだが、ここではこれ以上突っ込まないことにする。
 外形標準課税とは銀行という法人に課税するのだが、その実質は個人課税であり、全国から集めた税金を東京都が使うことになる。残念ながら法人としての銀行や行員・役員にお灸をすえる効果は期待できない。 財政危機にある東京都がとりやすいところから税金を取る、という安易な政策であり、財政再建の進まない政府も同じ危機にあるので強くは反対しない、と考えるべきであろう。
 石原都知事のリーダーシップを高く評価するものの、東京都民でない私は「税金は安ければ安いほどよりよい社会だ」と考えていることもあり、「外形標準課税という名の増税には反対です」と主張します。
 ( 2001年4月2日 TANAKA1942b )
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首都高速道路の料金は2000円に値上げを
料金は「需要と供給の関係」で決まる
 村山内閣になって、公共料金の値上げ凍結が解除された。首都高速道路も平均9%値上げされるだろう。読者のみなさんはもちろん反対でしょうね。「公共料金の値上げは反対。経営努力によって、現状維持か、できれば値下げすべきだ」と。思い切ったリストラで大量解雇をやりますか?公団という組織に大胆な合理化は期待できないでしょう。建設省と運輸省は天下り先は大切にしたいのでリストラはやらないでしょう。 
 そこでヘソまがりの私は反対のことを考えました。それは「首都高速道路の料金は2000円に値上げすべきだ」です。
 首都高速道路の料金を今の 700円を2000円にするとどうなるか?そうすると「こんなに渋滞して2000円なんてバカらしくて利用できない」と言って、利用者がグッと減るでしょう。 でも「たとえ2000円出しても、渋滞がなく予定どおり走れるなら、前より便利だ」と言う利用者はいるはずです。半年様子を見て、相変わらず利用者が少なく、渋滞が起きないなら今度は1500円にする。 そしてさらに半年経って相変わらず利用者が少いなら1200円に、もし渋滞が起き始めたら1800円にする。こうして半年ごとに、利用状況に応じて料金を改定するのです。これで渋滞もなくなり、経営も安泰。しかも政府の人気取り政策で料金が上下することもないでしょう。
 この考え、利用者の立場を無視していますか?やはり値上げには反対ですか?建設費は償却したので料金はタダにすべきですか?もし首都高速の料金を 500円にしたら、今よりもっと渋滞が激しくなり、一般道路より時間がかかるようになるでしょう。それに、もし、もう一本今の上か下に高速道路を造ったとしましょう。 料金をいくらにするか?2000円ならともかく 400円くらいにしたら、利用者でイッパイ、激しい渋滞で結局低速道路になるでしょう。
 東名高速・東北自動車道等では季節によって料金を変えるのです。つまりお盆休み、正月休みには料金を高くするのです。パック旅行の料金だって季節によって変わります。それと同じです。
 つまり「料金は需要と供給のバランスで決まる」というのが、市場経済の原則だと思います。公共料金の名の下に政府が管理するのは「官僚支配の統制経済」であり、規制緩和の流れに逆らうものです。ついでに言うと、都営地下鉄の料金は都に任すべきです。それが地方自治のあり方だと考えます。
(「週間金曜日」1994年9月9日「投書欄」に掲載された文です )
補足 いっそのことNTTやJRのように「首都高速道路株式会社」として民営化したらどうでしょう。地域独占企業ではあるけれど、JR、地下鉄、私鉄、バス、タクシーなどと市場での競争はあるでしょうし。いっぱい内部留保をためて「第二東名高速道路株式式会社」を設立するのもいいと思います。
 <「嘘ばっかりの経済常識」岩田規久男著 1996年12月発行 講談社>の中に「第2話 年中渋滞しているクセに、首都高の料金を上げるのはおかしい?」と題して、同じような趣旨の文がありました。
( 2001年4月16日 TANAKA1942b )
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タイ米を買うことは タイに迷惑か?
日本国民が自由化を決断したら、東アジア金融危機は起きなかった?
 「日本のコメが不作なのでタイから売ってもらった。ところが日本が金にまかせて買ったので、コメの価格が上がり、タイの庶民がコメを買えなくなった。 タイから輸入していたアフリカでも、コメの価格が上がって輸入できなくなった国がある。困ったことだ」という意見がある。困ったことなのか?タイで価格が上がったということは、タイの誰かが儲かったはずだ。 その利益が生産者と流通業者とでどのように分配されたかは、タイ国内の問題だ。そしてコメの輸出はタイの外貨獲得に貢献し、タイ経済にはプラスになったはずだ。
 ところでタイでのコメの価格変動は困ったことなのか?そんなことはない。価格の変動が需要と供給のバランスをとっている。だからこうなるだろう。
 日本がタイからコメを買う。そこで消費者価格と生産者価格が上がる。生産者は生産意欲に燃え、生産量が増える。生産量が増えれば価格が下がりバランスがとれる。これが市場経済の仕組みだ。 社会主義国のような管理経済ではどうなるか?外国へ輸出しても政府が消費者価格と生産者価格を抑えているので生産意欲はわかず、生産量は増えない。 公式の消費者価格は低いが現物はない。だからヤミ市場ができ、実際の価格は非常に高いことになる。旧ソ連がこうだった。
 コメの国際価格が上がることは悪いことなのか?消費者価格が上がれば困る人は出る、と同時に生産者にとってはうれしいことだ。 タイやインドネシアのようなコメ輸出国でさえ、「コメの国際価格が低い。産業として魅力がなくなりつつある。コメが産業として伸びないなら、政府はこれから工業に力を入れるべきだ。」と、農業国から工業国に変わろうとしている。
 「日本がタイ米を買ったためタイの人に迷惑をかけた」というのは誤りです。そして「コメの国際価格の上昇を、単純に困ったことだとは言い切れない」と考えます。
( 毎日新聞社刊 週刊「エコノミスト」1994年10月25日 「読者から」欄に掲載された文です )
補足 「タイ米を買うことは、タイに迷惑か?」を発表してから3年後の1997年7月、タイのバーツ変動制移行をきっかけに始まった東アジア通貨危機、日本国民がコメの輸入自由化を決断し、タイとインドネシアがコメを輸出産業として育てていればこれほど大きな被害は出なかったでしょう。そして日本政府がインドネシアにコメ50万トンを贈与する必要もなかったでしょう。 この文を発表した直後に出版された本によると、「・・・市場価格もほぼ倍増していて、日本の1993年10月からのコメ緊急輸入が国際貿易米価を急速に引き上げたことは明らかです。バンコクでの卸売米価も同じ時期に2倍弱に急騰しています。 これら米価の急騰によって、タイ政府の外貨収入が増え、コメ輸出・卸売業者の手数料・値上がり収入が増えました」「前述のように国内米価が上昇したのは、日本の輸入によって、国内コメ需要がタイトになったことを示しています。 ただ、日本の輸入は砕米なしの高質米に片寄っており、ゆえにタイ国内の高質米の供給を減らし、その価格を引き上げたと考えられます。タイの友人からの電話情報でも、砕米を多く含む低質米の価格はあまり上がっていないとのことでした。」
 「タイ米を買うことは、タイに迷惑か?」と「首都高速道路の料金は2000円に値上げを」は、「価格弾力性」という言葉を知って、その応用問題として書いてみました
( 2001年4月30日 TANAKA1942b )
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住専処理に税金投入は当然
水俣病もHIV訴訟も国の責任は税金で補償する
 住専処理機構に税金投入は当然です。大蔵省にも責任があるのだから金は出す。水俣病もHIV訴訟も国の責任は税金で補償するのです。「大蔵省に責任はない。だから税金は使うな」ならば筋は通っている。責任の大きさに応じて、国は農協系より多く、母体行はさらに多く出資し、一番責任ある住専7社はすべてを吐き出し倒産----大蔵省が考えた責任分担の割合は妥当でしょう。
 政府が「国民」の声に従いこれを凍結すると、金融機関の中で一番弱い農協で取り付け騒ぎが起こる。農協の業務が一時的にでも止まれば、農作物の出荷が止まり、農協から農家への肥料や種や農機具の斡旋が止まり、農作業が止まり、日本の農業は止まる。金融不安より前に農業パニックが起こるのです。
 幸い日本の食糧自給率は37%と低いので、消費者への影響は少ないかもしれない。農家が団地などでの産地直売、生協や市民団体の共同購入、大手スーパーの農家からの直接仕入れ等農協を通さないルート、それに輸入品等、産地や流通経路の多さが安定供給を保証する。食糧の安定供給のポイントは、自給率を上げることではなく、産地や流通経路を多くすることなのです。
 私企業である住専に税金を使うのに「国民」は反対だと言う。しかし95年9月の補正予算14兆円のうち公共投資が12兆円超。そのほとんどはゼネコンにいったはずだ。しかし「国民」の反対はなかった。さらにその前年2月の補正予算で公共投資は7兆円。ゼネコンにも住専処理にも日本経済安定のために必要なら税金を使うべきです。
( 毎日新聞社刊 週刊「エコノミスト」1996年3月19日 「読者から」欄に掲載された文です )
補足 「住専処理に税金投入は当然」は「比較優位」という言葉と「農業はハイテク産業である」との考えを知り、「コメは自由化すべし」との考えになり書きました。
 この文を発表した当時、日本のテレビ・新聞・雑誌などのマスコミは「住専処理に税金を使うな」との一大キャンペーン中でした。 あのキャンペーンに参加したジャーナリスト・評論家・エコノミストはその後どうしているのでしょう?「農協の一つや二つ破綻してでも裁判で決めるべきだった」、「たとえ株主訴訟を起こされても、母体行が負担すべきだった」、「不良債権は増えるかもしれないが、ことを荒立たせないために問題を先送りすべきだった」と言っているのでしょうか?解説者・評論家・予想屋・占師・傍観者に徹して自分の立場を明確にしなかった人はなんと言っているのでしょうか?どなたかこうした情報をお持ちの方は教えてください。
( 2001年5月7日 TANAKA1942b )
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接待汚職の経済学
マスコミが非難を集中させる「天下り」が官僚の、不正行為を防ぐ抑止力になっている
 大蔵省金融検査部幹部職員の接待汚職に非難が集まっている。「銀行員の給料は高すぎる」との嫉妬の感情と「大蔵省は接待まみれだ」との怒りの感情が渦巻いている。しかしここでは見方を変えて、倫理とか「うらやましい・憎らしい」といった「感情」の問題を損得「勘定」の問題に置き換えて考えてみることにする。
 まず、この職員が接待を受けずにこのまま仕事をしていたらどうなるか?大蔵省を退職し、どこか天下り先を渡り歩くだろう。そうすると大蔵省の給料・退職金、天下り先の給料・退職金をもらう。 これらの合計は一億円を軽く超えるだろう。つまり接待汚職が発覚して1億円以上将来の収入を失ったわけだ。汚職の発覚する確率がたったの2割程度と考えても、その機会費用は2000万円。 さらにいつか発覚するのではないかと常に心配し、有罪になった場合の罰金をも考慮すれば損益分岐点はもっと上がるだろう。日本では大蔵官僚にとって接待汚職は割に合わない仕組みになっている。マスコミが非難を集中させる「天下り」が不正行為を防ぐ抑止力になっているのだ。
 このように考えると、あの二人は大蔵官僚のなかにあって珍しく計算の不得意な二人だったのだろう。接待を受けるのが得か?受けないのが得か?将来の収入を計算すれば簡単に分かることなのだから。したがってこのような汚職を減らすには、1)検挙率を上げる、2)損得勘定で考えても割に合わないことを周知徹底すればいい。
 ところでこれは収賄側からの損益計算書。では贈賄側、企業・MOF担・その上司からの場合はどうか?収賄側よりもローリスク・ハイリターンなのかもしれない。だとすると役人側ではなく贈賄側の対策こそ必要だ、ということになるのだが、どなたか「接待汚職、贈賄側からの損益見積書」を作ってみませんか?
( 毎日新聞社刊 週刊「エコノミスト」1998年3月3日 「読者から」欄に掲載された文です )
補足「経済学応用の倫理学」または「経済倫理学のすすめ」といった内容になりました。
( 2001年5月14日 TANAKA1942b )
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国民はメディアに操作されるか?
草野厚教授への異論
 2001年5月15日付朝日新聞朝刊、草野先生の「私の視点」読みました。私の考えと違っているのでこの文を書きました。
 (1)初めの部分「即刻、首相は外相を更迭すべきだ。」==田中外相の替わりに誰を推薦しますか? 外相経験者なら今の外務省を作った責任者であり、改革はしないでしょう。改革とはその人がやってきたことの否定になるからです。それとも未経験の新人がいいですか?田中外相より適任だと言えますか? 少なくとも小泉総理は田中外相が適任だと考え、それ以上の人はいない、と判断したはずです。
 いずれにしろ田中外相が辞任または解任されれば、それは反改革派の勝利宣言です。以後どのような大物が外相になっても抵抗は大きく、時にはラダイト将軍の亡霊が登場するかもしれない。そして間違いなく改革は挫折する。
 評論家の中には「しかし田中外相に過大な期待はしない方がいい」と言う人もいそうですが、私は大きな期待を寄せています。国民が大きな期待を寄せるからこそ、外相も事務方もそれに応えようとするので、あまり期待しなかったり、全く期待しなかったら何も変えることはできません。 大きな期待を寄せるからこそ、小さなことにケチを付けたり、足を引っ張ったりしないのです。「小異を残し、大同につく」です。
 (2)「省内改革を断行するには、外相と職員の相互理解と信頼が大前提であろう。」==外務省で公金使い込みが発覚し、これをなるべく表に出さず、内部処理ですまそうとして外相と衝突した、ということでしょう。 こうした内部処理の慣行を変えようとしたら、当然争いは生じます。信頼関係に基づいて改革されるならば、以前にとっくに改革されているはずです。抵抗がある限り挑戦的になるでしょう。
 争いごとを嫌う体質と言えば、こうした逸話を思い出します。江戸時代末期、福沢諭吉先生がチェンバレンの経済学の教科書の目次を翻訳して幕府の役人に見せた。その時Competitionという言葉を「競争」と訳した。 役人は「争いという字がある。どうも穏やかでない」と言う。結局「競争」という字を塗りつぶしてエライ人に見せた、というエピソードがあります。この時代から「競争は悪である、コトは穏やかに解決しなければならない。」と言う人はいたのですね。 その考えが今でも生き延びていて、事前の根回しとか、談合となるのでしょう。私は福沢諭吉先生の側に立ちたいと思っています。
 今回の外務省の公金使い込み、組織で隠そうとしたかもしれないが、使い込みは個人的なことです。多くの職員は残念がっているでしょう。もうこんなことは起きないように、と願っているはずです。 ですから外相と事務方の軋轢は一時的なもので、まもなく解消するはずです。その時にはこういう言葉がピッタリだと思います。「もうケンカは済みましたか?ケンカをしてこそ仲良くなれるものですよ」
 (3)「国民の多くは、メディアによってシンボル化した田中外相のイメージに操作されている自分に、気が付いていないからである。」==そんなことはないでしょう。 新聞・雑誌・TVは情報という商品を流通し、販売するサービス業です。資本主義経済では他の商売と同じように、購読者・視聴者はお客様であり、神様なのです。神様のご機嫌を損ね、そっぽを向かれたら商売上がったりです。 そこで神様のご機嫌をとるために、神様がどんな情報を欲しがっているのか知りたがっています。神様にどの位気に入ってもらったか?のバロメーター、購読者数・出版部数・視聴率を気にするのです。
 田中外相ガンバレの情報を多く扱うと気に入ってもらえるのか?その逆なのか?時には迷って新聞のある面では、田中外相ガンバレを取り上げ、他の面ではその逆を、TVも番組ごとに違った神様をターゲットに企画することもある。 こうなると情報販売会社の政治的・経済的主張はどこにあるのか?という質問は無意味になる。
 ネットで田中応援団がいくつかできています。この人たちに「目覚めなさい!あなた方はマスコミに操作されている自分に気づくべきです。」と言うのですか?新興宗教のようですね?もちろん応援団は命がけではないでしょう。 財産・地位・仕事・などを賭けている人はいないでしょう。もしかしたら、おもしろそうだから、カッコいいから、と言う人もいるでしょう。「今日は赤いネクタイにしようか?それとも青にしようか?」という感覚で田中派にするか、反田中派にするか決める人もいるかもしれない。 「私は新しいタイプのアマチュア政治評論家なのだ」などと気取るのもいいでしょう。アマチュア政治家・アマチュア評論家・自称アマチュアエコノミスト、こうした人たちとネット上でハンドルネームを使って論争を楽しめたら素敵だと思います。 ちなみに私のHPのタイトルは「趣味の経済学 アマチュアエコノミストのすすめ」です。衣食足りて礼節を知る、私たち日本国民、こうしたことが趣味だなんてなかなかカッコいいと思いますよ。
 かつての統制経済時代「贅沢は敵だ」とのスローガンに「贅沢は素敵だ」と切り返した国民、案外、恋愛と贅沢が資本主義を発展させることを知っていたのかもしれませんね。そんな国民を見くびると手痛いしっぺ返しを受けるかもしれません。 民主制度が根付いている国民は、マスコミに操作されるほどヤワではありません。マスコミに向かって、「田中外相ガンバレばかり載せて、国民を操作するな」と言うことは、GAPやUNIQLOのセール期間に「安いものばかりでなく、もっと良質なものも売るべきだ」とか、CHANELやLouisVuittonの特別内見会で、「もっと多くの人に喜ばれる商品も扱うべきだ。」と言うような、ナンセンスなことなのです。
 もしも国民はマスコミによって操作されるものだと考えるなら「人民は無知である。党が教育・指導しなればならない。」というテーゼが生まれる。そうしてそれはオセアニア国のBBが1984年に実行しようとしたかもしれない。 「自分は冷静だが、国民はイメージに操作されている」と言う裏には「自分は一般国民より賢くて、善悪・損得の判断ができるが、多くの国民はその能力に欠ける」と考えているのではないか?と勘ぐりたくなります。そしてその考えが、「余計なお節介」になったり、他人の行動に対する「不当な干渉」なったり、「リーガル・パターナリズム」になったりしないよう願っています。
 草野先生の本はいくつか読み、私の知識の血となり肉となっています。 ODA一兆二千億円のゆくえ、ODAの正しい見方、国鉄改革、国鉄解体、証券恐慌、大店法経済規制の構造、誰も知らないアメリカ議会、テレビ報道の正しい見方、日米安保とは何か、日本のODAをどうするか、日本の論争既得権益の功罪、山一証券破綻と危機管理。(もっとも買ったものはなく、すべて図書館で借りて読んだのですが)しかし今回の朝日新聞の「私の視点」だけはいただけません。朝日新聞は一つだけ嫌いなところがあります。それはODA=Official Development Assisitance を政府開発援助と言わずに、途上国援助と書いています。Official とDevelopment という言葉が抜けています。この点が嫌いです。
 最後まで読んでいただきありがとうございました。この文は私の方から一方的に送信したものなのでREはいりません。最後まで読んでいただければ、それで十分満足です。これからも先生の活躍には注目していくつもりです。TANAKA1942b URL http://www.h6.dion.ne.jp/~tanaka42/
 ( 2001年5月28日 TANAKA1942b )
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日本版財政赤字の政治経済学
国債発行時にはその返済・増税計画の発表を
 1998年秋、政府は総額24兆円規模の緊急経済対策を決定した。減税を除く事業規模は約18兆円。流動性の罠に陥っているとすれば、財政出動となるのだが、果たして裁量的財政に景気浮揚の効果はあるのだろうか? 景気は依然低迷状態にあるのだが、それでも景気刺激策としての効果はあったと言えるのだろうか?
 もしこの対策がなく、国債の発行もなければどうなるか?その時は国債に予定されていた18兆円の資金が他へまわる。 それは郵貯から財投を経由して中小企業対策に、銀行預金から貸し渋り対策と信用創造の乗数効果に、株式市場から株式や国債の価格上昇により企業の含み資産アップと長期金利の低下に、設備投資や運転資金に、自己資金による新規事業に、住宅購入や一般消費で内需拡大に、それぞれが景気浮揚に役立つ。 対策が行われると民間から資金が吸い上げられ、景気回復への流れが締め出されるわけだ。
 このように18兆円の資金は民間市場にあっても景気対策と同じように経済成長に寄与し、この緊急経済対策は実施してもしなくても実体経済は変わらない、ということになる。 違うのは消費と投資先を市場参加者の自由な判断に任せ、見えない手で分配するか?自分たちの権益を守ろうとする業界・権限を拡大しようとする官僚・支持業界の代弁者である族議員のトライアングルの見える手で分配するか?の違いだけになる。
 デフレスパイラルから抜け出すには、財源を次のどれかにすることだ。1)海外市場で国債を発行する。2)NTT株やJR株などの政府保有株を海外で売却する 3)国債を市中消化ではなく日銀引受とする。4)IMFや世界銀行から借りる。
 誰もが財源を問題にしようとしない。政府とは、他人に金を払わせ、自分だけが得をすると誰もが信じている虚構の制度なのだろうか?
 ムダな経済対策と思っても、選挙で選ばれる国会議員はマスコミの報道する国民の声に逆らうことはできない。それが民主制度であり、このムダは民主制度を破産させないためのコストと考えるべきであろう。 そう諦めても、せめて国債の返済・増税計画は議論すべきだと思う。およそ家計でローンを組む場合や企業が設備投資や在庫投資をする場合には、それによっていくら利潤が上がるかを予測し、返済計画を立てるだろう。 「憲法で国債の発行を禁止すべきだ」との過激な主張には賛成できないが,「国債」という名の借金の場合も、予測される効果や返済計画とそれに伴う将来の増税計画があるべきだし、それを国債の債務保証をする国民が納得してから実施すべきだと考えるものである。
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 裁量的財政がなぜ景気浮揚に効果がないのか?もう少し詳しくいくつかの例で考えてみよう。
 1)10兆円の国債が発行日当日に中止になった場合を考えてみよう。国債を買うために払込日には金融機関の口座に10兆円が振り込まれる。 それは預貯金の解約、株や債券の売却代金などから用意されたものだろう。払込日に中止になるとその10兆円はどこへ行くのだろうか?貯金にしても投資にしても消費にしても、民間市場にある10兆円は誰が使おうと、タンス預金にならない限り総需要拡大に役立つはずだ。
 国債購入のために用意された10兆円のほとんどが銀行預金になった場合はどうか?この場合、総需要は拡大しないと言われる。本当だろうか?銀行では担当者の尻を叩いてでも融資先をつくり、融資を受けた企業では設備投資や在庫投資などで取引先への支払いに当てる。 支払いを受けた企業では従業員の給料や取引先への支払いのため銀行口座に振り込み、一部を預金にまわすだろう。さらにこの預金を受け入れた銀行の担当者はボーナス査定と将来の昇進を懸けて融資先を作り出し、融資先の企業は取引先の銀行に振り込むことになる。
 このように国債購入のために用意された10兆円は、そのほとんどが銀行預金になったとしても信用創造の乗数効果を生む。市場参加者の合理的期待形成に反した経済状況であったとしても、活発に取引が行われ、大量の資金が動けば経済活動を刺激する。 このように資金の需要者と供給者の縁を取り持ち、経済活動を活発にするのが銀行の本来のビジネスだからだ。そして行員の積極的な融資活動が通貨流通速度を速めるかもしれない。
 預金者も銀行員も企業経営者も従業員も、誰もが国民経済に貢献しようと思っているわけではないし、自分がどれほど寄与しているのかさえ知らない。ただ自分自身の利益拡大を図っているのであるが、多くの場合と同様に見えざる手に導かれて、今まで考えてもみなかった「経済成長」という大きな目標を促進することになるだろう。
 2)国債を市中消化する場合と海外で発行する場合の違いを考えてみよう。市中消化の場合は民間市場の資金を吸い上げる。 しかし海外市場で発行すれば、国内の民間市場の資金を減少させることはない。民間の経済活動に加えて政府の公共投資がGDPにプラスされる。景気刺激の効果は期待していい。もちろん国債償還時には景気を冷やすのではあるが。
 では企業が社債を発行する場合、国内より海外で発行した方がいいのだろうか?もしそうならば政府はそのように行政指導すべきなのだろうか?その答はこうなる。「政府は何もする必要はない。 せいぜい自由な企業活動を邪魔しないこと」「企業は自社に有利な方法を選択すればいい」「国民は企業経営者には利益追求のみに期待し、経済成長や雇用促進やメセナやフィランスロピーなどには期待しないこと。 ちょうどわれわれが自分の食事を肉屋や酒屋やパン屋の親切心にではなく、彼ら自身の利益追求心に期待するように」である。
 3)国債の市中消化と日銀引受の違いはどうか?日銀引受は信用創造だ。政府の信用に対して日本銀行という金融機関が金を貸すわけで、一般の企業が銀行から借りるのと同じこと。 80年代の好景気は「金余り現象」で、この不景気は「金詰まり状況」だ。国債を海外で発行して海外から資金を導入するのもいい。民間市場で信用収縮が起きているなら、政府部門で信用拡大するのもいい。どちらも通貨流通量は増え、一時的ではあるが景気刺激策になる。
 4)日銀がハイパワード・マネーをコントロールするために市中銀行から債権や手形を買い入れる公開市場操作を「買いオペ」と言う。 金融緩和策の一つだ。その逆に債権や手形を売って民間資金を吸い上げるのを「売りオペ」と言う。こちらは金融引締め策。国債発行はこの「売りオペ」と同じように通貨流通量を減らす作用がある。 国債を発行して公共投資をするということは、市場から資金を吸い上げて一時景気を冷やし、その後政府支出で反対に景気を刺激する、という楯と鉾の政策を同時にとるようなものだ。「公共投資がGDPを2.6%押し上げる」と言うなら、「その前に国債発行が民間資金を吸い上げてGDPを2.6%引き下げる」とも言うべきであろう。
 5)当初予算で10兆円の戻し減税を予定し、その財源として10兆円の国債を発行するとしよう。 これは景気を刺激するのか?冷やすのか?では10兆円の国債償還のために10兆円の国債発行はどうか?10兆円の国債発行で10兆円の公共投資はどうか?10兆円の増税と10兆円の国債償還はどうか?10兆円の増税で10兆円の公共投資は?
 「景気刺激策としては減税か公共投資。インフレ対策には増税か政府支出の削減」ということだが、このように公共投資・増税・減税・国債発行・国債償還などを組み合わせて考えると、この常識が揺らいでくる。
 このように考えるとしよう。これらの政策はどれも民間から10兆円を集めて、それを民間に分配する、単に所得再分配をしているだけで景気対策ではない。その政策実行の過程で政・官・業のトライアングルが知恵を絞り腕を振るう。一方は国債発行残高を増加させ、一方は減少させる。
 増税も国債発行もなく10兆円の戻し減税をしたら景気を刺激するか?減税も国債発行もなく10兆円の国債償還はどうか?減税も国債償還もなく10兆円を公共投資に回した場合は?公共投資に予定していた10兆円を国債償還に回したら?逆に国債償還に予定していた10兆円を公共投資に回したら?
 政府が集めた10兆円が民間部門に行くことに関してはどれも違いはない。しいて言えば、10兆円が資金の流れの川上に行くか?川下に行くか?の違い、そしてもしかすると通貨流通速度を早めるかもしれない、だけだ。
 6)10兆円の国債償還と 5兆円の海外市場での国債発行の予算はどうだろう。差引 5兆円も国債を償還すればケインジアンは超緊縮財政と非難するだろう。 しかしこの国債償還とは、民間から10兆円を税金として集めこれを国債償還として民間に分配すること、つまり10兆円が民間ー政府ー民間と移動するだけで景気には中立。一方 5兆円の海外での国債発行による政府支出は景気を刺激する。つまりさし引き 5兆円の国債を償還して景気を刺激する予算なのだ。この政策は国債を償還するときに使える。
 7)政府保証なしの紙幣発行はどうか?日本経済はそれほど落ち込んではいないので、ここでは検討しないことにする。 ただし日本が管理通貨制度ではなく、金本位制であれば、そして政府の財政政策が信頼されていれば、たとえ制限外保証発行であっても、兌換紙幣の発行は検討してみる価値があるだろう。これに関しては高橋是清の意見を聞くがいい。 もしもハイパー・インフレの恐れが出たら、松方正義に相談を持ちかけてみよう。
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 これらの例から「景気を刺激するには、国内の通貨流通量を増やすべきだ」と言える。そして「経済の安定成長には、マネーサプライの増加率を安定させるべきだ」との考えが正しく思えてくる。
 2)と3)は通貨流通量を増やし、インフレ懸念はあるが一時的に景気を刺激する。しかし償還時には景気を冷やすので、景気対策の効果が出始めたら徐々に償還の準備をし、景気が上向くのに合わせて経済構造改革を行う。ただし実際は民間部門の改革であり、政府は新陳代謝のショックを和らげたり、改革が進むよう法律を整えればいい。
 この場合の構造改革とは生産性の向上を目指すものになる。個々の企業では生産性の低い部門から高い部門への移動やリストラ。そして生産性の低い業界からは廃業・撤退する企業が出てくることになるだろう。雇用保険の充実によって安心して失業できるようになり、自然失業率を大きく越えた数字も出るだろう。
 インフレ懸念はどうかと言うと、マネーサプライの増加率以上に産出量が増加すればインフレは心配ない。
 一方5)と6)からわかるように、市中消化の国債による公共投資は景気に影響を与えない。景気を刺激することもないし、国債償還が景気を冷やすこともなく、ただ単に所得再分配をしているだけである。
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 国債発行残高が 300兆円を超えた。これは全部意味のない借金だったのだろうか?
 市場経済では常に需給ギャップはあるし、民主制度にムダはつきものだ。これは熱狂的な崇拝の対象になるような完全無欠な主義などではなく、試行錯誤を繰り返しながらよくなっていく、政治的・経済的な個人の自由を保証するための功利的な制度なのだろう。 「誰が経済政策を誤ったか?」「その責任はどうする?」などの過去に対する自虐的な議論はしないことにする。
 こんな大きなムダがあってもこの制度に勝るものはない。王様や皇帝や貴族など支配者が世襲制である社会、歯医者が虫歯を治療するように経済の病根を治療できると専門家に期待する社会、プロレタリア独裁という名の官僚政治、 法律ではなく大衆の感情で裁く文革時代の人民裁判、議会の決定よりも市民運動の主張を重視する直接民主主義、管理責任者不在のアナルコサンディカリズム、マネーゲームを極端に規制する国家社会主義、国家が公定価格を定めても実際はヤミ価格が横行する統制経済、 ネズミを捕るのが白い猫か黒い猫かが問題なのであって国家イデオロギーを守るためには国民に餓死者が出てもかまわない社会、先に豊かになれる者から豊かになるのではなく国民すべてが平等に貧乏になる結果平等主義、話せば分かる善意の人たちばかりの社会と思い込んでいる空想平和主義、汗水流して働くよりも社会保障や他人の博愛心に頼った方が楽だと考える人が多くなる福祉国家、、、、、
 「自己責任」こそが最も尊重されるという点でどの制度よりも優れている。市場経済と民主制度を育てるために多少のムダは我慢するとしよう。これは「衣食足りて礼節を知る」人々の社会にこそ適した、けっこうコストのかかる贅沢な制度のようだからだ。
 日本版財政赤字の政治経済学(Democracy in Deficit)の結論は、「借金をするときは返済計画を立ててからにしましょう」という極めて常識的なものだ。30兆円の国債を発行するなら「国債償還のために、3年後から 7年間にわたって消費税を 3%アップして 8%とする」のような返済・増税計画を発表すべきだ。 「そんなに借金して、消費税アップしてまで景気対策する必要はない」との意見もあるだろうし、「それでも対策が必要だ」と国民が言うなら対策は実行することになる。 それが民主制度であり、その結果の責任は国民が負うことになる。
 国債発行時には、その返済・増税計画を発表し、それを国民が判断することが大切だと考えるものである。
補足 この文を書いたのは1998年秋、緊急経済対策が発表されてすぐの時、それから発表する機会もなく今日に至りました。 その後ゼロ金利政策、調整インフレなどが話題になり、財投という言葉も意味がなくなり、これらを含めて新たに書き直さなければならないのですが、エネルギー不足です。いつ書き替えられるか自信がありません。ここらがアマチュアの力の限界のようです。それでも大筋では正しいと判断し掲載しました。
( 2001年6月25日 TANAKA1942b )
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追補 財政法 第四条 国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。
○2 前項但書の規定により公債を発行し又は借入金をなす場合においては、その償還の計画を国会に提出しなければならない。
○3 第一項に規定する公共事業費の範囲については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない。
 法律では「借金をする時は返済計画を立てなさい」と決められている。その返済計画、野党はトコトン追及しているのかな?
 MMTについて「これは良くないよ」との主張を書くつもりです。 (2020.02 tanaka1942b)

縄暖簾の経済学
無責任な社会批判がストレス解消に役立つ
<縄暖簾の奥はサラリーマン至福の時間> 1日の長い仕事の時間が終わって、いつもの縄暖簾をくぐるとそこはサラリーマン至福の時間であった。道がつづら折りになっていよいよエリートコースに近づいたと思う頃、疲労が身体の奥から徐々に全身を蝕み、思いもかけない挫折にあうことがある。企業戦士として自分の時間を割いてまで仕事に入れ込む、その結果肉体的な故障や精神的な乱れからエリートコースへの道から外れてしまう。時にはストレスがたまって精神障害を起こしたり、過労死に至ったり、というケースさえある。
 そんなサラリーマンのために、縄暖簾の奥にはストレス解消治療院があったのだ。そこではどのような治療が行われているのだろうか?少し覗いてみよう。
 この治療院に来るのは中年のおじさん達が多かったが、最近では若い人、女性も多く見られる。ここでは適量のアルコールとつまみを服用することになっているらしい。患者の自由な会話を通じて治療が行われる。その話題に特徴があるようだ。仕事の話から始まって、上役の批判、社長の批判から、政治経済の話題へと進む。特に政府批判には熱が入る。小泉内閣の構造改革は常に話題の中心になる。「このままでは日本経済がダメになる」「市場経済も破綻する」(市場経済に代わってどんな経済になるか、は話題にならない)「日本経済がダメになったのは日銀のせいだ」「ゼロ金利とか資金をじゃぶじゃぶ供給していたらハイパーインフレになる」等々。
 ここでは皆がアマチュアエコノミストになるようだ。しかしよく聞いているとアルコールのせいか、それぞれ論理に一貫性がない。「輸入制限は自由貿易に反する」と言ったり、「食料自給率がこんなに低くては、もしもの時日本人は飢え死にしてしまう」と言ったり。
 なまじ身近な同僚や隣の課長などを批判すると、どこから話し後漏れるか分からない。その点、社長や日銀総裁や首相を批判しても話が漏れたり、この治療院=至福の時間まで反論のため追って来る恐れはない。
 経済学では「費用対効果」を問題にする。このため「経済学ではなんでも金に置き換えてしまう」とか「エコノミストは損得勘定ばかり問題にする」と批判する空想社会主義者もいる。元来経済学とは「損得勘定を科学する学問」または「損得勘定を科学するためのトゥール」なのだから、それはしょうがない。そこでこの治療院での至福の時間を経済学すると、これは少ないコストで大きな効果が期待できる。初めに書いたようにエリートコースに近づくにつれ、思いがけぬ脱線の危険度が大きくなる。リタイヤしないための保険と考えると、この治療費は安いものだ。
 ここまでで分かったのは、「無責任な社会批判がストレス解消に役立つ」ということだ。
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<現代人向けインターネット治療院> 「無責任な社会批判がストレス解消に役立つ」ということに気付くと、「インターネットも同じだ」と思えてくる。 掲示板を見るにつけ「よくもまァこれほどまでにピント外れの意見を書くものだ」と思うことがある。昔からあるメディアにはなかなか発表できない。しかしインターネットでは自由に発言できる。発表した意見に反応があれば満足度が高まる。ましてそれに賛意を表明したものならなおさらだ。「世の中の多くの人たちは、これほどまでに大切なことに気がついていない。」「それでもわたしの考えを理解してくれる人がいる」「自分は一人孤独なのではない」
 多くの場合「このままでは地球は汚染され、住み難くなる。経済成長を止めてでも地球を守るべきだ」「結局日本人は民主主義を理解していなかったのだ」「産業空洞化が進み、日本はアジア諸国に抜かれてしまう。そうなると食料を買う金がなくなる。だから今から食糧自給率を上げるべきだ」等、悲観的・自虐的な主張に片寄るようだ。これに反論するのは難しい。何しろこれらは経済学、と言うより信仰・宗教なのだから。それでもこうした発言の自由がストレス解消に役立つことは十分考えられる。
 ネットが形を変えた縄暖簾と同じ精神治療院の役割を果たしている。その証拠に、この治療院にあって、期待通りに治療が進まず、症状が悪化してこうした病気独特の症状が現れることがある。ウイルスを撒き散らす、スパムメールを送る、トビ荒らしをやる・・・(この文はインターネットのほんの小さな1面だけ捉えたので、その有用性を否定するつもりは全くありません。)
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<TVのワイドショーもストレス解消に役立つ> 巷で流布されるマスコミ論では「テレビは政治的に中立であるべきだ」のように、殆どの説が「べき」論になる。そしてTVに対する批判は「・・・べきなのに、そうしない」となる。 「縄暖簾の経済学」では先ず「・・・である」から話を始めることにしよう。そう、それは「TVもストレス解消に役立つ治療院なのである」だ。「無責任な社会批判がストレス解消に役立つ」説を認めれば当然の結論だ。ワイドショーではスポーツ、芸能、政治、経済、犯罪、教育・・・ありとあらゆるテーマを扱う。その商品揃えは百貨店顔負けだ。そこでコメンテーターが全てのテーマに十分な知識を持っているとは考えにくい。経済問題について言えば、「金融政策に対する日銀の責任は?」となると簡単には答えられないはずだ。 円高を防ぐために為替市場に介入した。では「その効果のほどはどうなのか?」そして「不胎化政策がいいのか、それとも非不胎化がいいのか?」となると専門家の間でも意見が分かれる。 しかしそれでも当局の金融政策を批判するなら、そこまで突っ込まなければ意味がない。
 つまりコメンテーターも結構無責任な発言をしているはずなのだ。それでもワイドショーがなくならないのは、ストレス解消に役立っているからで、視聴者が無意識のうちに、その治療効果を求めているからなのだ。つまり国会の話も、景気の話も、「政治経済をテーマにしたバラエティー・トーク番組」なのだ。このように考えると、今までになかった「マスコミ論」が組み立てられそうだ。(この文もTVの一面を捉えたもので、十分批判に耐えられる内容のニュース番組があることも知っています)
 TVは情報を仕入れ、加工し、流通させ、販売するサービス業だ。他の業界と同じように視聴者・お客様は神様で「我が儘な神様のご機嫌を取り、気に入られよう」とする。その結果、一部の識者やネット上の論者の批判を浴びても、「縄暖簾の奥での話題作り」のために、あるいは主婦に「井戸端会議の議題提供」のために、アマチュアでも批評できる程度の「無責任な社会批判」を提供してでも視聴率を取ろうとする。
 この場合の商品価値は、「完全無欠ではなく、ある程度アマチュアでも批判できる程度の不完全さがあること」が条件になる。そして一部の「正義論」者、リベラリスト、隠れコミュニストが批判する「資本の論理」に従う。別の人たちは「社会のニーズに応えている」「消費者主導の経済になった」と喜ぶ。こうした批判評論をよそに、視聴者・神様は情報を消費して楽しむ。
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<市場の知恵から生まれた「縄暖簾」> ずっと昔からあった、縄暖簾の奥の場面がネットやTVという情報化時代の先端場面に登場する。人類が進化すると、「自給自足の神話」が益々遠い昔の神話になっていく。そして日本のようなハイテク先進国では、市場のメカニズムから「反ハイテク体験グッズ」が商品化される。 「自給自足の神話」
 人々が豊かになると遊び心が芽生えてくる。経済学が趣味として広まり、政治にも関心が集まる。その中でも「政治ごっこ遊び」や「人道主義ごっこ遊び」は日本でも人気があるようだ。現代人のストレス解消を市場のメカニズムに任すと、「縄暖簾の経済学」になり、「ごっこ遊び」の意見を採り入れると、極めの細かい社会保障となる。 
 ここで政府の役割に対する考え方の違いがはっきりしてくる。「現代人が精神的に不安定な状態にあり」「ストレス解消の方策が考えられるべきだ」と現状認識が一致しても、その対策方法が違ってくる。
 (1) 市場のメカニズムを信頼し、「縄暖簾」などの提供を期待する。アファーマティブ・アクションは必要ない。
 (2) たとえ「リーガル・パターナリズム」と批判されようとも、政府が税金を使った対策を立てるべきだ。
 博愛主義者や自由主義者は無力な子供に必要なものを用意してやる親の役割を自ら買って出る傾向がある。それによって彼らは面倒を見てもらう側の幼稚化を助長しているのである。もともとハンディキャップを負わされた動物は、補償と過剰補償によって生き残るしかない。 動物界には博愛主義的機構など存在しない。つまり博愛主義的機構やひとつの姿勢としてのリベラリズムは、面倒を見てもらう方の人間から、本来ならばあったはずの補償的能力を発展させる性質を事実上奪ってしまう。こうして恩恵を施す方は、保護者である親の役割を引き受けることで、施される側に、自分では何も努力しなくても、その気まぐれを何でも叶えてもらえるという子供の態度を助長するだけのことである。 そして社会の仕組みは「汗水流して働くよりも社会保障や他人の博愛心に頼った方が楽だと考える人が多くなる福祉社会」へと向かう。そしてそれは「人類幼稚化への道」でもあるのだ。 (「日本版財政赤字の政治経済学」  「当世雇用問題異説」
 この「縄暖簾の経済学」は「花見酒の経済学」や「居酒屋社会の経済学」とは関係ありません。
( 2001年10月22日 TANAKA1942b )
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江戸時代の百姓はけっこう豊かだった?

百姓がコメを食べなかったら、誰がコメを食べたのか?
江戸時代の百姓の主食は何だったのだろうか?コメ?麦?そば?粟・ひえ・きび?芋?豆?
 今日私たち日本人の主食はコメ。これに異論はない。 「貧乏人は麦を食べればいい」との表現のように、コメ以外は貧しい食材、とのイメージがある。そして「江戸時代の百姓は、貧しくてコメは十分に食べられなかった。正月とかハレの時だけだった。」こんな風に思いがちだ。果たして本当はどうなのだろう? 「コメ自由化への試案」「大江戸経済学」を書き始めて、いろいろな資料を読んでみると、江戸時代へのイメージが変わってきた。「江戸時代の百姓は抑圧された階級で、食うのが精一杯の生活だった」というのは誤り、けっこう豊かな生活をしていたらしい。 そして、「粟やひえが主食でコメは滅多に食べられなかった。」とは勝手な思い込みらしく思えてきた。さてそこで本題、江戸時代の百姓は何を食べていたのだろうか?
高知藩の食糧生産と消費1723(享保8)年度の高知藩の、食糧生産と消費を対照した記録から考えてみよう。
1723(享保8)年度の品目別収穫高
 米  276,000石
 麦  120,000石 食糧としては、麦2升を米1升と扱う つまり米6万石分
 そば  7,400石 1.5升で米1升分 つまり米5,000石分
 粟・ひえ・きび 9,000石 3升で米1升分 つまり米3,000石分
 芋   25,000石 3升で米1升分 つまり米8,100石分
 大小豆 7,400石 2升で米1升分 つまり米3,700石分
 これらをコメに換算すると、米27.6万石+雑穀7.98万石=35.58万石 1723(享保8)年度の高知藩の食料生産高はコメ換算で35.58万石。
1723(享保8)年度の食糧需要量高松藩の人口40万人として、うち10万人赤子。残り30万人のうち
 15万人 男子 1年分の食糧 1.8石
 15万人 女子 1年分の食糧 0.9石
 1723(享保8)年度の高知藩で必要な食糧は 1.8X15万+0.9X15万=40.5万 35.58万石の収穫高に対して、必要量は40.5万石。差引4.92万石の不足となる。 この不足分は、わらび、芋の茎、大根、かぶななどで補う。
 高知藩全人口の一割の武士と町人がこのうち米だけ4万石食べたとして、残りの米は23.6万石。他の雑穀に比べ圧倒的に多い。つまりこの時代高知藩の百姓は「コメを主食としていた」ことになる。つまり高知藩の百姓の食糧品目割合は次の通り。

  品目  石高(石)  %

  米   236,000  65.5 
  麦    60,000  16.6
  そば   5,000   1.4
  粟    3,000   0.8
  芋    8,100   2.3
  豆    3,700   1.1
  その他  44,200  12.3
  計   360,000  100.0
 8代将軍吉宗の頃、四国高松藩の百姓は上記の割合で食糧を取っていた、と考えられる。この推測には「武士、町人はコメだけ食べていた」との条件での計算である。「江戸時代の百姓の主食はコメであった」と言える。
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<七公三民から三公七民へ> 江戸時代の年貢率は「七公三民」と言われている。これは「年貢率で領主と百姓の意見があわなければ、刈り取った稲を3つに分けて、その2つを領主に、1つを百姓が取る、とすべし」という基準を1596(文禄5)年に石田三成が、その領地近江で公布している。このように年貢取立を毛見(実地検査)の上で、3分の2を「給人」(領主)、3分の1を「百姓」が取る、という基準は1584(天正12)年の資料でも知りうる。
  其方知行分水際之事、検見上を以、三分一百姓遣之、三分の二可有収納候。〇不可有相違之状如件。
  天正12(1584)年7月24日     秀吉(花押)
  山崎源太左衛門殿

 太閤検地で決定した全国の総石高は約1850万石。そのうち領主が 2/3を取り上げるとしたら、1230万石あまりが年貢として取り立てられる事になる。ではその米は誰が食べたのだろうか?領主が取立て、武士が消費しただけでは余ってしまう。大坂堂島淀屋の庭先での「淀屋米市」が始まったのが1637(寛永3)年。秀吉の時代には米市場が整っていなかったので、年貢米を貨幣に替えることは難しかった。
 そんなに取り立ててどうしたのか?その答えは「戦国時代だった」。つまり戦時体制であちこちに、短期間のうちにいくつもの城を築いた。各地でふだんは百姓でもパートの築城工事人足が必要になる。「コメを腹一杯食べたければ、築城工事に出てこい」と号令をかける。百姓のうち領主の行う「公共事業」に参加する者はコメを十分食べられた。 そしてその公共事業は築城の他に、大規模な新田開発や鉱山開発が当時活発に行われていた。巨大河川の下流にある沖積層平野を安定させる工事は戦国時代から、江戸初期に集中していた。この分野で名をあげたのは、伊達政宗・武田信玄・加藤嘉明・黒田長政・加藤清正など。領内の河川を安定させ、米の収穫を安定させた大名が力を持つようになった。
 「効果的な公共事業を行った大名が権力を握る」=「おらが村に橋や道路や公民館を作ってくれた先生が国会へ行く」。戦後民主政治の源型はここにあった。
 ところでこれは戦国時代の話。江戸時代になり、築城工事の発注高は減少する。大規模農地開発も候補地が少なくなる。公共投資のための年貢米が余ってくる。それが大坂堂島で取引されるようになり、米が年貢(税金=貨幣)としての性格から「商品」に変わり始める。
 日本列島、外部から食糧が輸入されないとすれば、そこでの人口は養いうる食糧生産高に依存する。
 公共事業の人件費として支払うための年貢米が、その目的を失い「蔵米」として売りに出される。米商人がこれを買い、町人・百姓が最終消費者になる。百姓は一度年貢米として納め、これを買い戻す事になる。もしも百姓が貧乏で買い戻すことが出来なければ、コメが余ってしまう。そして多くの百姓が買い戻せないとなると、生きていけないので人口は減少する。
 江戸時代の人口がどの位だったのか、いくつかの説があるが、「少なくとも1720年まで人口は増え続けた」と言える。 このことから江戸時代初期の百姓は「年貢として納めた米を買い戻すことが出来た」「飢饉などがあったにしても、人口は増え続けた」と言える。
 七公三民が後に三公七民になる。元禄文化はコメの増収により百姓・町民が豊かになったから、と言える。
 こうして領主の公共事業に参加する、しないのかかわらず、百姓がコメを食べられる時代になっていく。
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<百姓一揆は命がけの暴動なのか?> 江戸時代百姓一揆が数多く起きている。このことから「幕府の悪政・圧政にたいして各地で農民が立ち上がった」「一揆を起こす百姓は常に正しく、かつ歴史の進歩を体現する。他方これを弾圧する封建的領主階級は歴史の大勢に逆らう反動勢力」と言う歴史の見方、いかにも尤もらしいのだが、それでいいのかな?
 同じ時代ヨーロッパ、イギリスでの農民反乱や大衆運動、1810年代イギリスのイングランド中部、北部の紡績・織布業地帯で起きた一連の工場打ち壊し運動、ラッダイト運動などに比べれば、「百姓一揆は無責任な子供たちの散発的なかんしゃくのようなもの」と感じたのはヨーロッパ人だけの感覚だろうか?
 江戸の同時代人にも、子供のいやいやとしか映らないような一揆があったらしい。1812(文化9)年に近くで起きた一揆について、凶作とか困窮とかいった具体的な原因もなく起きたものだと、多少の不審と軽蔑の念をにじませた感想を残している。「コノ時格別ノ凶歳ト云フニモアラス、民ノ窮モ未ダ甚シカラス、只何トナク人気サワキタチタルナリ」(広瀬淡窓「懐旧楼筆記」)
 江戸幕府は現代の常識では想像も出来ないほど小さな政府だった。司法制度も不完全で、金銭の争いごとは当事者同士で解決するように、とのことだった。このため商売上の金銭トラブル解決のために株仲間組織が生きてくる。 農村部での訴訟は現場で解決するように、が方針だった。そのためもあって、直接の支配者や役人を経由せずに、つまりその承諾なしにそれより上の藩や幕府の機関、役職者に訴え出ることを一般に「越訴(おつそ)」として禁止し、一切訴えを取り上げず、越訴実行者を処罰する規定になっていた。
 この規定から、「名主や代官がいかにひどくても、その支配下にある百姓は容易に名主・代官を訴えられなくなる。だから、それでも越訴という違法な手段を危険承知でとるのだから、百姓の状態は耐え難いほど悲惨だったに違いない」との見方が出てくる。しかしそれならば江戸へ行くための道中手形はどうしたのだろうか?関所破りが見つかれば大変だ、という技術的な問題。 この点が実に日本的。規則は規則、しかし臨機応変、ルールにアバウト。およそ原理主義は受け入れられないのが、この時代からの日本人。越訴のため江戸へ向かった百姓は言う「関所破りするつもりはなく、ともかく「無知蒙昧」なわれら百姓にありがちなことで、お咎めを受けるのもやむおえないないが、追い込まれ、切迫した特殊事情を何とぞ斟酌下されたく、うんぬん。」大筋このような弁明を取り調べ調書に載せ、「恐れ入ります」の一札で済ませるのが普通だったようだ。
一揆の武器はどうした? 百姓一揆と言えば消火具である鳶口、大工道具である鋸や鉈(なた)、農具である鎌や斧などが用意された。槍、刀、鉄砲の類はどうして使わなかったのか?持っていなかったのだろうか?そんなことはない。秀吉が刀狩りを徹底して実施したのは確かだが、だからと言って農村に刀や槍がなかった訳ではない。 その資料の一つ、1821(文政4)年、紀州藩が領内の農村向けに出した触書、その中に「農村に住んで帯刀を許された者、および平百姓(普通の農民)でも祭りなどで着用するため所有している具足(鎧や刀剣、槍の類)があるようだが、これら武具を紀州の御城下で売るのは自由だが、決して他国には売らないように」と言っているくだりがある。「祭りのためなら」武器一揃いがあってもよし、売るのも自由、ただし領外はだめ。これが江戸時代の常識だったようだ。
 それでも一揆に刀、槍、鉄砲などがあまり登場しないのは、命がけの暴動はあまりなかった、と判断すべきであろう。
 農村部に刀、槍、鉄砲などの武器はあった。しかしこれが使われることはあまりなかったし、民間鉄砲の存在が幕府にとっての深刻な行政問題ではなかった。 槍や刀、鉄砲などかなり多量の武器在庫が民間にあったのもかかわらず、実際の使用は控えた。このような自制の仕組みが「徳川の平和」にとって大事な点だった。もし「絶望に駆られた」百姓が死に物狂いの抵抗を決意したり、「体制打倒、世直しのために果敢な階級闘争に訴える決意をした」ならば、このような刀、槍、鉄砲の自制は説明できない。
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<ヨーロッパの一揆は命がけの暴動> 1780(安永9)年6月ロンドンで大規模な騒乱事件が起こる。1778年カトリック教徒の身分上の差別がはじめて一部撤廃されたことに対して、ジョージ・ゴードン卿(1751-1793)の率いるプロテスタント教会が反対運動を起こし、1780年6月2日同協会の呼びかけによる請願行進が行われ、5万とも6万ともいわれる人々が議事堂を取り巻いたが、そのうちの一部が暴徒化し大規模な暴動事件を引き起こした。 カトリック教会・政治家宅・銀行などが攻撃目標になり、監獄も襲われ、2000人近くの囚人が解放された。事件発生1週間後に鎮圧され、死者は285人、逮捕者は458人だった。
 1789年7月14日フランスでは民衆のバスティーユ襲撃事件が起き、これがフランス大革命の発端になった。以後フランスでは血で血を洗う革命劇が続く。ナポレオンが出て国内がまとまると、今度は周辺国へと戦火は広まる。 フランスでは1814年ナポレオンの失脚により第一次帝政が崩壊して以来1世紀の間に、王政復古(1814-1831)、七月王政(1830-1848)、第二共和制(1848-1852)、第二帝政(1852-1870)、第三共和制(1870-1914)とめまぐるしくその政治体制を変えた。 しかもその転換点には常に、七月革命(1830)、二月革命(1848)、六月蜂起(1848)、普仏戦争(1870-1871)の敗戦とパリ・コミューン(1871)という、劇的な事件が介在している。
ロシアでは1876年ナロードニキと名乗る革命結社が結成される。以後農村での革命運動が続き、1879年にはヴェーラ・ザスリッチなどによる皇帝狙撃事件も起き、以後弾圧と抵抗運動が続き、ロシア革命へと暗い時代がすすむ。
 これらに比べて「日本の百姓一揆は無責任な子供たちの散発的な癇癪のようなもの」にすぎないのかもしれない。
( 2002年4月1日 TANAKA1942b )
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鳥インフルエンザ・回転ドア・三菱自動車
最近のできごとを考える
<鳥インフルエンザ> 京都府丹波町の浅田農産船井農場で高病原性鳥インフルエンザが発生した問題で、鳥インフルエンザの可能性があることを認識しながら鶏の大量死を届け出なかったとして、京都府警は3月31日に京都府と農林水産省の告発を受け、家畜伝染病予防法違反容疑で同農場や浅田農産本社(兵庫県姫路市)など数カ所を捜索する方針を固めた。同社の浅田秀明社長(41)ら幹部数人の本格的な事情聴取に踏み切り、通報が遅れた「空白の1週間」の全容解明を進める。 調べでは、浅田農産船井農場では20万羽を超す鶏が飼われていたが、2月18日から100羽以上が死に始め、20日からは1000羽以上、23日からは2000羽以上が死ぬなど大量死が1週間以上続いた。浅田社長は大量死を知り、鳥インフルエンザの可能性を認識しながら府に届け出なかった疑いがもたれている。 家畜伝染病予防法は家畜が高病原性鳥インフルエンザなどの病気に感染した疑いがある場合、獣医師や所有者に都道府県への届け出を義務づけている。 届け出なかった理由について、浅田社長は府の調査などに対して「腸炎だと思った」と説明してきた。しかし、山口、大分両県で感染が相次いで確認され、府の2月19日の立ち入り検査でも異状があればすぐに届けるよう指示されていた。また、浅田社長は大量死が続いていた2月24日ごろ、農場に出入りする車の消毒を従業員に指示していたとされ、府警は浅田社長からこの間の経緯について詳しく聴く方針。 この問題は約7000羽が死んだ2月26日、府南丹家畜保健衛生所にかかった匿名の電話で船井農場の大量死が発覚。同農場から鶏が出荷された兵庫県八千代町の「アリノベ八千代工場」の鶏が鳥インフルエンザにかかったほか、丹波町内の高田養鶏場でも感染が確認されるなど、同農場から二次感染した可能性が指摘されている。
3月8日午前7時40分ごろ、鳥インフルエンザ感染が確認された京都府丹波町の養鶏場「浅田農産船井農場」を経営する浅田農産本社がある兵庫県姫路市豊富町神谷の鶏舎近くの空き地で、浅田農産の浅田肇会長(67)と妻で同社監査役の知佐子さん(64)が首をつって死んでいるのを女性従業員(53)が見つけた。 現場の状況や、自宅から「大変御めいわくをおかけしました」などと書かれた遺書のようなメモが見つかったことから、姫路署は自殺とみている。 船井農場をめぐっては2月27日、京都府が立ち入り調査、鳥インフルエンザウイルスの陽性が判明。浅田会長らは2月20日ごろから鶏の大量死を知りながら、匿名の通報で府が立ち入るまで、通報をしなかったことが批判を浴びた。 京都府警は家畜伝染病予防法違反の疑いで、告発を待って捜査する方針を固めていた。 調べによると、2人は鶏舎の外の空き地で、高さ約8メートルの木にロープをかけ背中合わせで首をつっていた。死因は窒息死だった。浅田会長は作業着に白い長靴姿、知佐子さんはグレーのジャケットにズボン、黒い靴をはいていた。 浅田会長の長男で浅田農産の浅田秀明社長(41)が7日午後10時から11時ごろにかけ、浅田会長が本社にいるのを確認しており、その後、自殺したらしい。死後数時間経過していたとみられる。 現場近くの自宅1階のダイニングキッチンにあるテーブルの上にボールペンで「大変御めいわくをおかけしました。申しわけございません。弁護士と従業員によろしく」と書かれた縦横約10センチの白い紙1枚が置かれていた。あて名は書かれておらず、末尾には「浅田」とだけ記され、浅田会長と妻のいずれが書いたのかは不明という。 浅田会長は3月2日と7日に記者会見するなどし「全国の皆さんや消費者にご心配と迷惑をかけて深くおわび申し上げます」などと謝罪したが、大量死と感染の関係については「腸炎だと思った。思い至らなかった」などと語っていた。 浅田会長は日本養鶏協会(東京)の理事と副会長を務めていたが、同協会は責任を重くみて、役員解任を通知していた
◆ 「消費者を裏切ってヤバイことをすると、結局は悲惨な結果に終わるかもしれない」  金銭的な損得勘定ではすまされない悲惨な結果になってしまった。せめてこの死を無駄にさせないためにも、「消費者を裏切ってヤバイことをすると、結局は損する社会」であることを広く周知徹底させることが必要だ。
 浅田農産が早い時点で「鳥インフルエンザかも知れない」と届け出ていたらどうなっただろうか?今回は半径30KMの地域で、鳥の移動が禁止され、それに伴って補償金が出されたようだ。とすると、浅田農産は被害者として扱われ、事業も今まで通り続行されただろう。こうしたことを考えての教訓は、実に常識的なこと、「正直者は馬鹿をみない」「消費者を裏切ってヤバイことをすると、結局は損をする」だ。 今回の鳥インフルエンザ事件、浅田会長を除けば比較的冷静に終結したように思う。行政も関係業者も消費者もマスコミも、ヒステリックになっていなかった。成熟した消費社会になりつつあるのだと思う。
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<回転ドアの危険性> 2004年3月26日午前11時半ごろ、東京都港区六本木6丁目の大型複合施設「六本木ヒルズ」内の森タワー2階正面入り口で、会社員溝川光一さん(39)の長男涼君(6)=大阪府吹田市=が自動回転ドアに挟まれた。涼君は近くにいた母親(38)らに助け出されたが、頭を強く打っており間もなく死亡した。警視庁は、業務上過失致死の疑いもあるとみて、ビル関係者らから事情を聴くとともに、回転ドアの構造を調べている。
 六本木ヒルズ森タワー(東京都港区)で大阪府の溝川涼君(6)が自動回転ドアに挟まれて死亡した事故で、国土交通省と経済産業省は2日、自動回転ドアの事故防止対策に関する検討会の初会合を8日に開くと発表した。 約3か月間で3,4回開催し、再発防止のための指針をまとめる。 検討会は、学識経験者や回転ドアメーカー、ビル管理者ら15人で構成。高齢者や障害者からも「使いにくく危険」との声が出ているため、両省は関係団体の代表も委員に加える方針。
 東京都港区の六本木ヒルズ森タワーで起きた自動回転ドア事故を受け、東京都の石原慎太郎知事は1日の定例会見で、都建築安全条例を改正し、自動回転ドアについて、独自の安全基準を設ける方針を明らかにした。 現在、自動回転ドアには法律などの規制がないが、改正後は、基準を満たさないドアを付けた新築建造物は違反建築として、使用許可を出さない措置をとる。既存の建物は規制対象外だが、定期報告を求めて行政指導を行う。 都は早ければ6月の議会に条例改正案を提出する。自動回転ドアを巡っては、国も約3か月かけて事故防止のための指針を作ることを決めている。
 このドアには、事故防止用の赤外線センサーが付けられていたが、事故当時、このセンサーはこの男の子の身長よりも高い135センチ以上のものしか感知出来ない状態になっていたことが警視庁の調べでわかった。 これまで、メーカー側の説明では「このドアは人が挟み込まれそうになると天井や足元などに設置された赤外線センサーが感知してドアの回転が止まる仕組みになっており、天井からのセンサーは地上から80センチ以上のものは感知できる」としてきた。 しかし、警視庁のその後の調べで、事故当時、天井からのセンサーは地上からおよそ135センチ以上のものしか感知できない状態だったことが新たに分かった。涼君の身長は117センチで、実際、地上からおよそ1メートルの位置で挟まれていた。 警視庁は事故当時、天井のセンサーの設定が変えられ、涼ちゃんの体を感知できなかった可能性もあるとみて、メーカーやビルを管理する「森ビル」の関係者から詳しく事情を聴いている。
 国土交通省と経済産業省の対策が今後どのようになるか?この事件も上記鳥インフルエンザと同じように、マスコミの扱いは冷静であった。ヒステリックに扱えば「国は安全基準を作らず」「メーカーと管理者は適切に運用しなかった」「回転ドアだけでなく、エスカレーター、エレベーター、タイマーによる店舗シャッターなど危険は多い」「これらの安全基準を見直し、適切に運用されているか点検すべきだ」「それが行政の仕事だ」。 このような主張が出てくるのではないかと、心配していたが、取り越し苦労だった。こうした主張によって、規制が強化され、役所の仕事がが増え自由な企業活動が制限されるのではないか?と心配したが、そうはならないようだ。 ラルフ・ネーダーやいわゆる「改革者」たちによる消費者保護運動の誤った前提は、政府が規制機関と検査官の大群を連れて市場にやってこない限り、消費者は強引な売り手の餌食にされるだろうというもので、規制強化につながるのだが、その心配はない。
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<クレーム隠しの三菱自動車> 三菱自動車、三菱ふそうのクレーム隠しを新聞記事から振り返ってみよう。
1992年 6月 20日、熊本県熊本市内の国道3号線を走行していた三菱パジェロが交差点で信号待ちしていた車に追突、追突された側の2人が首などに軽いケガを負った事故が起こった。事故を起こした主婦は「ブレーキが利かなかった」と話していたが、主婦がブレーキをしっかり踏まなかったと思われていた。
2000年 6月 中旬、運輸省自動車交通局のユーザー業務室に一本の匿名電話が入り、「三菱自動車では運輸省の検査の際に見せていない書類がある。本社のロッカー室を探してみればいい」という。ユーザー業務室はこの情報を信憑性の高い内部告発だと判断し、7月5日東京都港区の三菱自動車本社などに対して立ち入り検査をおこなった。通報通り、クレーム処理を担当する「品質保証部」がある8階のロッカー室で定例検査では報告がなかったクレーム報告書が見つかり、三菱自動車側はクレーム書類隠しの事実を認めた。
7月18日には「三菱自動車に何十件にも及ぶクレーム隠しが行われた疑いがある」との報道が行われたが、河添克彦社長は7月の記者会見で開口一番「人身事故に至ったケースはない」と発言した。実際には、クレーム隠しが行われたのは14件69万台であった。その中で、熊本で事故を起したパジェロもブレーキホース液漏れのおそれがあったのも一例で、多くの人身事故があり、また大形トラックにも多くの欠陥があり、3万8856台が電気配線の被膜損傷によるエンジン停止が起こる可能性があった。
2000年 7月 三菱自動車のリコール隠し事件発覚 リコールにつながるクレーム情報の隠蔽が発覚 53万台以上リコール
2000年 8月 1三菱自動車工業(東京都港区)が車の欠陥情報を隠し、運輸省にリコール(回収・無償修理)を届けなかった問題で、警視庁交通捜査課と中央、三田両署の共同捜査本部は2000年8月27日、道路運送車両法違反(虚偽の報告)の容疑で、本社や川崎工場、岡崎工場(愛知県)など5カ所を家宅捜索し、関係書類など約1,000点を押収した。1969年にリコール(無料の回収・修理)制度が発足して以降、自動車メーカーに対する同法違反容疑(同法では、同省の検査に対して情報を隠すことを「虚偽報告」として禁じており、これに違反すると「20万円以下の罰金」に処される。また、「リコール隠し」も行政罰として「100万円以下の過料」が定められている)の強制捜査は初めてである。
警視庁等の同社に対する容疑は、同社が1999年11月4日、運輸省の立ち入り検査の際、1998年12月1日から1999年11月3日までのユーザーのクレーム情報が記載された「商品情報連絡書」の提出を求められながら、クレーム情報計149件を報告せず、リコール案件に該当しないリストのみを出力し、提出、虚偽の報告をし、また2000年7月5日に行われた立ち入り検査でも、1999年11月1日から2000年6月30日までのクレーム情報計215件を提出せず、リコール案件に該当しない情報計約5,700件を提示したこと。
さらに同社は、顧客のクレーム情報に「秘匿」などを意味する「H」マークをつけて分類していたとの疑いがもたれている。こうした隠ぺい工作は書類が残っている1977年から恒常的に行われ、1998年4月から2000年6月までだけでも約6万5,000件にのぼるとみられて折,会社ぐるみで隠ぺい工作が行われていた模様である。
その結果,人身事故1件を含む6件の事故が起きた(2000年7月の記者会見で河添社長は,「人身事故に至ったケースはない」と言い切っていたが,2000年8月22日、一転してこの事実を明らかにした)。
2000年12月 2000年12月8日、三菱自工の30年間にわたるクレーム隠しについて、株主代表訴訟の通知文が監査役に対して発送された。
 この代表訴訟の目的は、
 @ 30年にわたるクレーム隠しがなぜ長期間にわたって続けられてきたのか?三菱自工の企業の体質に原因があるのではないのか?その原因が株主、消費者に情報が開示されていない。その情報開示のあり方を問う裁判であり、
 A 30年間にわたるクレーム隠しのために、三菱自工に100億円を超える損害が発生した。これに対して会社は、役員の辞任と報酬のカットで責任を取ったとしている。しかし、巨額の損害を発生させた企業のトップの責任はこれだけで十分かどうか?取締役の責任のあり方を問う裁判であり、消費者の立場を代弁しての、企業に対するその情報公開、役員の責任のとり方についての株主代表訴訟。こうした訴訟を「消費者型株主代表訴訟」と呼んでいる。
2002年 1月 10日午後3時50分ごろ、横浜市瀬谷区下瀬谷の県道で、走行中の大型トレーラー(9トン)の左前部のタイヤ1本(直径1メートル、重さ約140キロ)が外れ、ベビーカーを押して歩いていた神奈川県大和市上和田、主婦岡本紫穂さん(29)の背中を直撃、岡本さんは病院に運ばれたが、間もなく死亡した。岡本さんと手をつないで歩いていた長男(4)と、ベビーカーに乗っていた二男(1)もそれぞれ手、頭に軽傷を負った。 瀬谷署の調べによると、トレーラーは、セミトレーラー(約13トン)をけん引して走行。岡本さん親子は約50メートル離れた歩道を歩いていた。歩道にはガードレールがなく、タイヤは下り坂で勢いが増して、縁石を乗り越えたとみられる。同署はトレーラーを運転していた同県綾瀬市深谷、亀井幸雄・運送会社社長(55)から詳しい状況を聞いている。 メーカーの三菱自動車は問題のハブを使っている大型車の無償点検開始(交換は有償)。
2002年 2月 三菱自動車の大型車のタイヤ脱落が相次いでいる問題で、同社は6日、整備不良による連結部品の摩耗が脱輪の原因として、摩耗が一定基準を超える車の部品を今後3か月間にわたって無償交換すると発表した。対象は、大型トラクターや大型ダンプ、観光バスなど約12万4000台。 同社によると、車軸とホイールを連結する「ハブ」と呼ばれる部品のボルトの締め付けが不十分な結果、振動などでハブが摩耗して破損、脱落することが分かった。このため、ハブの摩耗量が0.8ミリを超えた場合は部品交換が必要とする基準を設定し、整備を徹底することにした。 同社の大型車を巡っては、横浜市で先月10日、走行中の大型トレーラーから左前部のタイヤが外れ、歩いていた主婦の背中を直撃、主婦が死亡する事故が起きた。同社の調査では、タイヤ脱落事例はこれを含め計35件に上っている。
2002年 3月 三菱自動車 「ハブの破損は整備不良が原因」と公表。トレーラーの自主回収を始める。
2002年 5月 大型車約480台の抽出調査で、整備に問題のないハブにも亀裂があると判明
2002年 6月 ダイムラー出身のロエフ社長が就任
2003年 1月 三菱ふそうトラック・バスが分社。ダイムラー・クライスラー副社長のヴィルフリート・ポート氏が社長に就任
2003年10月 神奈川県警が脱輪事故に関して、三菱自動車と三菱ふそうを家宅捜索。
2004年 1月 神奈川県警が両者を再捜索
2004年 3月 三菱自動車工業が製造したトレーラーなど大型車でタイヤの脱落が相次いでいる問題で、現在の製造会社である三菱ふそうトラック・バス(昨年1月に三菱自工から分社)は11日、記者会見し、問題となっているハブと呼ばれる部品には、きちんと整備したものでも亀裂が入る事例があることが、一昨年5月の段階で分かっていたことを明らかにした。同社のヴィルフリート・ポート社長は、「複雑で技術的な要因を調べ、整備のみならず、設計要因でも起こると分かった。今後は必要なすべての措置を講じたい」と述べ、国土交通省にリコール(無料回収・修理)を届け出ることを表明した。
 同社長は会見の冒頭、一昨年1月に横浜市でタイヤ脱落で通行人の母子3人が死傷した事故について、「遺族に哀悼の意を示します」として頭を下げたが、設計上の欠陥が新たに判明した点についての謝罪はなかった。同社はこれまで、事故原因を「整備不良」と説明し、設計上の欠陥があることを国交省に報告したのは今週に入ってからだった。報告に時間を要したことについて、同社長は「単純にある事案から結論を出せるものではない。追加データや別の角度からよりよく検証をして結論を出した」と釈明した。
 一方、同省は「設計、製造上の問題は否定できず、リコールすべきものなのに届け出が遅れていることは遺憾だ」(自動車交通局)として、設計上の欠陥について同社の対応を詳しく調査する。
 同社は、一昨年1月に横浜市でタイヤ脱落で通行人の母子3人が死傷した事故の後、自主対策として同型ハブの無償交換を行っている。これまでに対象車計約7万6000台の約98%の交換を終えている。これまではナットの締め付けが不均等だったり、締め付け過ぎたりしたことでボルトが折れ、タイヤが脱落するとして、「整備の問題」と説明していた。
◆ 三菱自動車のクレーム隠しは、「消費者=お客様は神様です」を無視した経営であり、「利潤追求第一」の経営戦略からも外れている。経営者が「会社の利潤追求」よりも「社内で自分の立場を守ろうとする」姿勢で、「企業利益追求」にも「自分の立場を守る」にも反した結果を生んでしまった。 この企業体質は長い間変わっていなかった。これから変われるのかどうか?厳しい再生への道を歩むことになる。
( 2004年4月19日 TANAKA1942b )
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再度、回転ドアなど最近の話題を
企業・市場・安全性そして消費者
<回転ドア、エスカレータ、エレベータ、シャッターなどの安全性> 「回転ドアの危険性についてマスコミは冷静な報道だった」、と先週には書いた。しかしお役人さんはこの機会を見逃さない。国土交通省と経済産業省は専門家の意見を聞いて安全基準を作るらしい。六本木の事故ではセンサーの設定が変えられていた。安全基準を定めても、それが守られているのかどうか?だれが確認するのか?メーカーか?施設管理者か?守られていなくて事故が起きたら行政の責任はどうなる?「規則だけ作って後は他人任せで良いのか?」と暇な市民が行政側に文句を言う。お役人さんは、これ幸いとばかりさらに細かい規則を作る。 点検記録簿を作成させ、監督官庁の行政官が立ち入り検査する。メーカー、施設管理会社はお役人さんの顔色を伺うようになり、退職したお役人さんを役員に迎えるようになる。ここに天下り先が一つ確保されたことになる。
 ところで事故は回転ドアだけだろうか?最近は速度の速いエスカレータも登場した。お年寄りには利用しにくい。一般人が便利になるのと引き替えに弱者への配慮が薄れていく。エスカレータ、エレベータの安全性についても検討されることになる。タイマー作動によるシャッターもだ。こうした動きに対して市民からの反対運動は起きない。むしろその動きの速度を早める傾向にあり、役所へのエールを送ることになる。それが役人の天下り先確保につながるとしても、それを非難することはない。
 メーカー、施設管理会社はどのように考えるだろうか?細かい規則がなければメーカーは独自に安全基準を作らなければならない。もしも基準内であっても、事故が起きたら全面的にメーカーの責任になる。その保障金額と企業イメージのダウンは大きい。しかし行政の細かい規則があれば、それに従えばいい。それで事故が起きたら「私たちは国の基準を守っています。それでも事故が起きたなら、その基準が間違っていたのであって、国に責任はあっても私たちメーカーにはありません」と言える。メーカーとしては国が基準を作ってくれた方がいい。護送船団方式はこうして誕生する。
 細かい安全基準ができると、製品は販売される前に国の審査を受けることになる。十分な審査が行われる、ということは、新製品が販売されるよりもずっと前から世間で知られる事になる。メーカーは常にアンテナを張っていて、他社が安全審査を受けるとすぐに類似製品を作る。新商品を開発しても、安全基準をクリアしていよいよ販売、となるとすぐに他社が類似商品を販売する。せっかく開発投資して新しい商品を開発してもすぐに他社に真似られてしまう。他社が追いつくまでに独占的な利益を得ようとしても出来ない。そうなると新商品への開発投資にブレーキがかかる。マイクロソフトがヨーロッパで経験したことが一般的になる。 これで、「先に豊になれる者から豊になる」社会ではなく、「棲み分け」と「共生」がキーワードの社会になる、と喜ぶ人が出る。「乏しきを憂えず、等しからざるを嘆き悲しむ」社会になる。
 こうした社会は外部からみると異様な社会なのだが、どっぷり浸かっている人には居心地のいい社会のようだ。中にいる人は外へ出ようとしない。談合が日常茶飯事の土木・建設業界、独特の「永田町の論理」で守られている社会、「素人さんには手を出さない」が不文律の怖いお兄さんたちの社会、「結果が出るのは何年も先のことだから」と成果主義を嫌う教育産業業界、本業よりも「多面的機能」で補助金を稼ぐ農業、外国資本を嫌うマスコミ業界。 この社会では個人は組織で守られ「自己責任」との言葉を嫌う。かつてイザヤ・ベンダサンは「日本では、水と空気と安全はタダだと思われている」と言った、水と空気がタダでないことは理解され始めたが、「安全」はマダマダだ。だから日本の安全を守る「自衛隊に税金を使うことには反対」との主張や、日本を守ってくれる「アメリカ軍に税金を使うな」になり、 当然安全保障のアウトソーシングである「在日国連平和維持軍」▲などは検討の対象外になる。 海外旅行をするとき、予防接種をするし、保険もかける、暑さ寒さの用意もするし、常用の薬を持っていくこともあり、危険な所へ行くときはそれなりの用心のために経費を使う。憲法9条という「言葉」が日本の安全を保障するとの主張からは、「安全」が「水」や「空気」と同じように「タダではない」、との発想は生まれないのだろう。
◆ 森ビルは設置されている15基の回転ドアを運転中止すると報じられた。森ビルとしてはいろいろ言い訳もしたいところだろうが、ここは大人しく嵐の過ぎ去るのを待って、それまで頭を低くしているのが賢明な経営戦略なのだろう。
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<ダイムラー、三菱自工への支援中止> 独自動車大手ダイムラークライスラーは22日深夜(日本時間23日早朝)、経営再建中の三菱自動車の増資計画に参加せず、今後新たな金融支援もしないことを決めた、との声明を発表した。ロイター通信は、ダイムラーが現在保有している三菱自の株式(発行済み株式の約37%)をすべて売却し、三菱自の支援から撤退することになると報じた。これで経営陣が打ち出していた支援方針の対し、株主などから強い批判が出ており、方針を転換したとみられる。三菱自の債権計画はダイムラーの表明で白紙になり、抜本的な見直しを迫られることになった。 (「朝日新聞」2004年4月23日夕刊 から)
 先週三菱自動車を取り上げたが、漏れていた出来事があったので、ポイントだけもう一度取り上げてみよう。
1992(H 4)年 6月、熊本市内で三菱パジェロが追突事故を起こす。
1996(H 8)年 三菱自動車北米向上でセクハラ事件起きる。
1997(H 9)年 総会屋への利益供与事件起きる。
2000(H12)年 ダイムラークライスラーと提携
2000(H12)年 7月、クレーム隠し発覚す
2001(H13)年 3月決算で2,700億円の赤字
2002(H14)年 ロルフ・エクロート社長就任
2003(H15)年 1月、トラック部門の「三菱ふそうトラック・バス株式会社」独立。ヴィルフリート・ポート社長就任。
2003(H15)年 3月、神奈川県警が脱輪事故に関して、三菱自動車と三菱ふそうを家宅捜索。
2004(H16)年 3月、三菱ふそうトラック・バスが国土交通省にリコール(無料回収・修理)を届け出ることを表明した。
2004(H16)年 3月決算で720億円の赤字
◆ 日産はカルロス・ゴーンの大胆な改革で生き返った。かつてマツダは間接部門、製造部門の人員をセールス部門にまわした。間接部門の経費節減と「お客様は神様です」を体験する良い機会だった。そしてその経験が生かされて、ヒット商品「ファミリア」が誕生した。
 三菱はこの経営危機をどのように乗り切るだろうか?当てにしていたダイムラー・クライスラーからの資金がなくなる。リストラを進めるにも先立つものは「資金」。さぁここで三菱マンの意地の見せ所。マイナス要因はいっぱいある。それでもいろんな要因を生かすも殺すも、社員次第。いろんな苦しい状況を乗り越えてきた企業はたくさんある。 生き返るかどうか、は三菱の社員次第だと思う。プロジェクトXに取り上げられるような社員が出てくることを期待しよう。
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<植草先生は損得勘定を科学するのが苦手?> 警視庁は12日までに、女子高校生のスカートの中をのぞこうとしたとして、東京都迷惑防止条例違反の現行犯で東京都港区、早稲田大大学院教授植草一秀容疑者(43)を逮捕した。調べでは、植草容疑者は8日、JR品川駅のエスカレーターで、前にいた女子高校生(15)のスカートの中を、持っていた手鏡でのぞき見ようとした疑い。植草容疑者は、経済評論家としてテレビ番組に出演し活躍している。 [共同通信社:2004年04月12日 12時46分]
 駅のエスカレーターで女子高生のスカートの中をのぞいたとして逮捕された早稲田大学大学院教授の植草一秀容疑者(43)が調べに対し、「のぞきはしていない」と容疑を否認していることが14日、分かった。逮捕直後は容疑を認めたとされていた。 (時事通信) [4月14日19時2分更新]
◆ このホームページでは本来「感情」の問題である「倫理」問題を、損得「勘定」の問題に置き換えて「経済学」の手法で問題を消去しようと試みてきた。 それは新たな行動を起こすとき「機会費用」を計算する、ということだ。その行為から生じる「利益」と「機会費用X見つかる確率」とのバランスを計算することだ。「経済学とは損得勘定を科学する学問である」との考え方に立つと、植草容疑者は損得勘定を科学するのが苦手のようで、経済学的な考え方は不得意なようだ。一度容疑を認めておきながら、後にそれを否認すると、今後の裁判もマスコミの話題になり、人々の記憶から忘れ去られることがない。 森ビルは早く回転ドアの件をマスコミに忘れさせようとして、稼働中の回転ドアを運転停止にした。少しでもマスコミの話題にならないように工夫している。世間=お客様=神様から悪い印象は忘れて貰おうとしている。それだけ「お客様は神様です」を意識していることであり、市場を意識している。植草容疑者はこれからも度々マスコミに登場するに違いない。損得勘定から言えば、早いとこ問題を終結させて世間の話題にならないようにするのが得策なのに、損得勘定を計算できていない。
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<解放された3人の人質は、一言国民に挨拶すればよかった> 「この通り無事に帰ってまいりました。皆様にご心配をかけ、申し訳ありません。そして温かい支援と、政府関係者の皆様のご尽力に感謝いたします。なにぶんにも大きなショックから立ち直れずにいますので、今日のところはご挨拶だけにさせていただきます」とでも記者会見で言えば、「自己責任」の追求も薄らいだだろうに。帰国した時点でどうしたら得か?損か?損得勘定を科学すべきであった。 そして「ご心配をかけましたが、放映された映像では脅迫されているように写っていましたが、あれは犯人グループから演技するように言われたのであって、命の心配はありませんでした」とも報告するとよかった。
 世間の噂や、僻みや、非難や、無責任な主張も含めた世論に対して、自分の立場を守るにはどうしたらいいか?ちょうど市場で消費者の信頼を得るにはどうしたらいいのか?と同じ様なことだ。そうした損得勘定を計算できるかどうか?人質になった3人は計算できていない。一人前の社会人なら分かりそうなことなのに、社会性という点では未だ半人前だ。そして嫌米感情と反政府姿勢から「自己責任」を嫌う一部の人たちがいて、そうした社会的に未熟な読者をターゲットにした新聞も健在で、あるいはそこでは記者も、商売上で書いているのではなくて、本当に社会性が未熟なのかも知れない。 世間から、市場からどのように見られているのか?それに対してどのような態度をとるのが自分にとって得なのか?こうしたゲームが苦手な人がいる。ゲームの理論が経済学では主要な手法になりつつあるのに、経済学で生計を立てている植草容疑者も苦手のようだ。基本戦略の一つに「なるべくリスクの少ない戦略を採用する」がある。ここで取り上げた中では森ビルが賢い戦略をとっている。
( 2004年4月26日 TANAKA1942b )