卑弥呼の時代に畿内では?
トップ | 邪馬台国は何処? | 畿内では | 弥生人はいつどこから来た | DNAからみた日本人 | マシンビジョンの基礎知識 | “生体肝移植をうけて” |
---|
畿内では-トップ | |||||
上陸地が、唐津から博多に変り、魏の使者のルートが明快になり、 邪馬台国の所在地は、筑紫平野の朝倉市(甘木)に確定。 従って、畿内邪馬台国説など、は成り立たないことになるが、 日本各地の、考古学の発掘成果などから、興味深い事実が判って来た。 畿内には、巨大前方後円墳か築造され、立派な建造物も発掘され、 そこに、大きな時代の動きが有ったことは明らか。 その後も、大和朝廷が、そこに存在し、引き続き機能している。 考古学の成果をベースに、古事記・日本書紀等の文献史料を読み直して 「卑弥呼が居た時代に、畿内で何が起きていたのか」を探求開始する。 この探求と論証は、未だ完成していないが、皆様に報告する価値があると 考え、お知らせします。賛否など、ご意見を承りたい。 |
卑弥呼が九州にいた時代に、外の地域では、どんな事がおきていたのだろうか?
出雲では、大和では、中部東海、関東では? 箸墓古墳を卑弥呼の墓とする説も多かったが、この初期の巨大な前方後円墳は誰の墓だったのか?
これらの疑問は、邪馬台国の所在地以上に、日本人にとって、日本文化の発祥の地で有るだけに、気になる処。
どんなアプローチで、解明できるのか、記紀の現状理解する内容を確認しておき、次ペイジ以降、その解明内容を記して行く。
|
初期の日本について書かれた部分で、島々と数々の神々が生れた後のこと、大和政権が確立するまでの古事記・日本書紀に搭乗する主な人物の系統図と話の展開を図示してみると下記のようになる。
天之岩屋戸に引きこもったアマテラスを、陽気な天のウズメの踊りで引っ張り出した後に、高天原は、悪行を行ったスサノウを追放。そのスサノウとその一族の話が、出雲神話。八俣大蛇や稲羽の白兎なんどの有名な話に、大国主の命が登場する。
広く発展する出雲を不快に思う高天原の神々が、何回か使者を送り、とうとう、大国主命とその息子達に出雲の国譲りを約束させる。
その後の話は、天孫降臨が行われ、木花開耶姫との結婚出産、海彦・山彦の話、神武東遷(征)に繋がる。
今回の研究方法は、従来行われて来た古代史の研究の仕方とは、結果的に、かなり違うやり方になりましたので、
先に、どんな方法をとったのかを、記します。