ぶらり散歩、山本良三の水彩画 富士を中心に



IMGP0501kakou.jpg富士 水彩 38×28cm  1998年 (T氏蔵)IMGP0499kakou.jpg富士と雲 水彩 38×28cm  1998年甲斐駒kakou.jpg甲斐駒 水彩 55×38cm 1998年IMGP0500kakou.jpg山中湖 水彩 38×28cm 1998年
IMGP0498kakou.jpg富士(朝霧高原で) 水彩 28×38cm  1999年IMGP0494kakou.jpg富士 鉛筆 31×40cm  1991年IMGP0556.JPG富士 水彩 28×38cm  IMGP0496kakou.jpg富士 水彩 28×38cm  1998年
IMGP0495kakou.jpgヨットの女性 水彩 28×38cm  1997年IMGP0497kakou.jpg山中湖畔から 水彩 19×33cm  1997年IMGP0492kakou.jpg夜叉神峠の秋 水彩 28×38cm  1995年IMGP0491kakou.jpg八ヶ岳 水彩 28×38cm  1995年







近所の女子大生が卒業し、もう使わないのでと、その親から原付をもらった。
 トコトコと写生をしながら、気がつくと山中湖に立っていた。富士と湖を描き終え、眼前の山と見くらべて愕然とした。自分の絵のひ弱さに泣きたくなった。
 そこから格闘が始まった。原付で回を重ねる時は途中でパンク、ガス欠、エンストなど道中で色々あった。自動車にしてからも、よく出かけた。
 ある日、スッキリ見えていたので鉛筆で描きだしたら、10分位で雲に隠れ、何時間も、湖と雲だけを描いていた。帰る寸前に数分間頂上が、見えたので必死で描いた。その絵は今までにない迫力があった。
 しかし、それは見かけの関係とは懸け離れた虚構であった。
 もともと絵は、平面という虚構だから、創り出すことが不可欠だと感動しながら実感した瞬間であった。身近なものを描く場合もすべて同じだ。今まで分かっているつもりでいたことも、自分の身につけるには葛藤が必要だ。
 よく会っている絵描きに、富士を描いているのを話したのは、描き始めてから10年以上も後になってからだ。それまでは自分の非力が悔しくて話せなかったのだ。(2010年6月)