「炎」146×336cm 油彩 2007年 「跡」45×73cm 油彩 1982年
私・良三は太平洋戦争開戦の年に生まれた。4才の時、秋葉原からすぐの御徒町で空襲をうけ、周囲はすべて灰になった。「今、生きているのが不思議なくらいだ。奇跡だ。」と、後に母親は何度も語った。しかし、私はどうした事か、まったく記憶がない。3才上の長兄は「お前は眠っていた(気絶していた)のだろう」と云う。火の手や逃げたことなどの記憶は何もないのだが、何だか漠然としたゆがんだ馬の形だけがまつわりついている。どうしてか、わからなかった。絵の同僚がバイトをしていた品川の屠殺場で天に四肢を突き上げた多くの牛の死体を見たとき強い衝撃をうけた。るいるいと横たわる人間の死体よりも、足を上に突き上げた死んだ馬車馬のほうが強烈で、その残像が焼きついたのかも知れないと思った。
焼け跡の東京では6人の家族は生きられないので田舎に帰ることにしたが、父の郷里の高知は沖縄の次に危ないとの役所の知人の情報で、母の里の愛媛に帰ることになったようだ。新居浜の片田舎のプラットホームに降りて、女の駅員に迎えられた時からは、はっきりと覚えており、山の上から見た住友の大工場の空襲による炎や黒い煙も目に焼きついている。しかし、東京の戦災の記憶は馬の残像以外は何もない。思い出せないから恐さをおそれず青雲のこころざしをもって上京したし、東京大空襲についても余計にこだわる気持ちが強いのかもしれない。(2010年5月)