富士 38×28cm 水彩 2001年
美術大学を卒業し、働きながら貯金と調査と計画と決断をして、娘はヨーロッパのパブリック・アートを主に学びたいと半年間の予定で旅に出た。
主要な市街にはインターネット・カフェなるものがあるらしく、毎日のように行き先や予定をメールで母親に送ってきた。長男がメールのやり取りをすべてやってくれた。私は脳天気に、絵を描くだけの毎日だった。
母親の方は後で聞くと娘がその日に旅をしている国の特徴や街の概要、美術館、公園や、図書館やネットで知りえる文化情報などを娘の行動に合せ調べ、体験をともにしようと、毎日、必死だったようだ。
フランスから始まった旅の1ヶ月位経った頃だ。バルセロナのモンジュイックの丘の日曜日、ミサなどの生活習慣の日本との違いもあってか、公園の人出は少なかった。ガウディーの建築などを見た後、公園の散歩中に、数人の男に後ろから襲われ、財布・カメラ・コンパス・時計・6ヶ国語会話の本などの入った小さなリュックを強奪された。後を追っかけたが、取り返せなかった。
パスポートやクレジットカードや一定の現金も宿においてあったのが幸いだった。
電話口の娘の声は震えていた。母親から電話を代わった自分もまよった。しかし、電話では「芸術には魔性の要素も必要だ。ドロドロした体験も大事だ・・・」のような話をした。娘の旅をここでやめたくないとの強い意志で、旅は続行することになったが、盗まれた品物には日本でしか手に入らない物があった。母親はそれらを調達して、スイスのバーゼル中央郵便局で受け渡す手配をした。
しかし、いざ娘がそこへ行ったところ、物は届いていなかった。母親の執念だろう。駅の近くの郵便局にもいったらどうかと提案した。そこでやっと受け取れた。危ない綱渡りだった。