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苗字が漢字からできたのではない意外な根拠
 苗字が漢字からできたとすれば当然好みの漢字が選ばれると考えられます。また文字数も少ない方がすっきりして使いやすいと思われます。

 次表が上位50位の漢字(上位10000位までの苗字の延べ軒数順)です。

田藤山野川本村中井木小佐原大松高谷岡上島橋崎口石西
吉林沢森内鈴宮下渡部伊平坂辺尾三長永岩水池加福竹久

■苗字順位と漢字順位
 苗字順位と漢字順位を並べて見ました。ざっと眺めてそれなりに納得できる苗字もありますが佐藤さん、鈴木さん、高橋さんなどは意外な感があります。

苗字順位 漢字順位
1 佐藤 12 2
2 鈴木 31 10
3 高橋 16 21
4 田中 1 8
5 伊藤 36 2
6 山本 3 6
7 渡辺 34 39
8 中村 8 7
9 小林 11 27
10 加藤 47 2

■一字苗字
 こちらも最上位の苗字もありますが、よく使われている漢字の一字苗字がことごとく低くなっています。

1位 2位 3位 4位 5位以下
4 田中 11 吉田 12 山田 8578
1 佐藤 5 伊藤 10 加藤 1361
6 山本 12 山田 14 山口 4101
51 中野 53 小野 74 大野 9143
27 石川 32 小川 34 長谷川 5580
9 小林 19 273 若林 415 林田 541 平林
22 61 森田 141 森本 197 大森 246 森下
47 藤原 52 原田 62 83 菅原 143 石原
117 192 伊東 850 東海林 857 坂東 1050 安東
127 204 関口 250 関根 633 関谷 676 小関
128 532 辻本 1025 辻村 1234 辻井 1511 辻田
159 267 堀内 315 堀田 338 堀江 436 堀川
191 925 南部 1063 南雲 1566 阿南 2008 南川
33 岡田 49 岡本 140 松岡 150 吉岡 200
100 大西 114 西田 115 西川 134 中西 228 西

    この両者の結果から見ても「苗字は漢字からできたのではない」ということがわかります。
なぜ意味を読取れない苗字が多いか

 現代の私たちは苗字に使われている漢字から意味を読取ろうと考えます。至極当然ですが、すんなり意味が理解できる苗字もあれば、漢字そのものの意味は把めるが苗字としては首をかしげるもの、意味そのものがまったくわからないものと様々と思われます。なぜ、そうなるのでしょうか。答えは簡単です。漢字からスタートしたのではないからです。

 苗字は縄文時代後期(紀元前20世紀頃)に誕生したと考えています。当然この時代には漢字どころか文字はありません。
苗字は人々の間の話し言葉の上、すなわち読みの世界で育まれていきます。二千年強の1~6世紀になって漢字が伝来し、漢字化された苗字が誕生します。
 伝来した漢字には古音という音読みしかありませんので、漢字を合わせれば読みが、読みを合わせれば漢字がおかしくなってしまいます。「田」を例にすれば読みは【でん】で【た】とは読めません。
 そこで主に二つの工夫がなされます。一つは「訓読み」で日本流の読み(【た】)をくっ付け、もう一つは「万葉仮名」で【た】と発音する場合に「田」を表記した。万葉仮名は万葉集に多く使用されているのでそう呼ばれ、平仮名や片仮名のもとになっていますが、現代の私たちにも違和感はないと思います。つまり「当て字」です。

 そして話し言葉上(読み)の苗字は「訓読み」「万葉仮名」や「音読み」によって漢字化された苗字に変身します。ところが【あ】の読みを持つ漢字は208種、【い】では347種(いずれも新旧字体を含む)ありますので、各地方・各人によって様々な漢字が当てられます。その結果、意味のわかるものもあれば、まったく意味が攫めない苗字も登場することになります。

 それでは読みだけに着目すればよいかというと漢字化された苗字から新しい読みが生まれ、漢字化と読みが繰り返されていると考えられるため、漢字・読みの両方から総合的に考える必要があります。
日本最古の全国戸籍

 『正倉院文書』と呼ばれる古文書に日本最古の全国戸籍が記載されています。
 『正倉院文書』は東大寺正倉院に保管されていた文書で、当時は紙が貴重だったため、裏面を再利用しており、天保(1836)七年に穂井田忠友が、この裏面から8世紀前半の戸籍調査の断片を発見し整理しました。これが『大日本古文書』(東京大学史料編纂所蔵)としてまとめられています。
 この史料から大宝二(702)年~天平五(733)年の延べ25箇所(陸奥~九州)、442氏族、5864名の苗字を収集しました。
歴史人口学の鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』によると西暦725年の日本全国の推計人口は4,512(千人)で5864名は0.13%に相当します。 現代の人口に換算すれば15万人程度の規模になりますのでかなりの情報量と言えます。

 この5864名の中には367名( 6.3% )の苗字のない人があります。奴婢と呼ばれる人々や記載位置から生れて間もない子なとで、いずれの場合も戸(世帯)の単位には苗字があります。必要な時には戸(世帯)の苗字を名乗ればよいので、実質的には保有していることになります。
 また763名( 13.0% )は戸籍調査の際、臨時につけられたとされる「族」がついた苗字ですが、「大伴部族」の一人を除いて他の762人には姓(かばね)がついており、当時の姓(八色の姓)は朝廷から賜うものであり、住民が望む姓(かばね)が得られなかったので妥協策として「族」をつけたものと考えられます。
 現代の私達が考えるような「庶民には苗字が与えられなかった」というようなレベルとはほど遠いことがおわかり頂けると思います。
 残りの4734名( 80.7% )には全て苗字があり、前二者と総合すると総ての戸(世帯)に苗字があります。

 この戸籍を作った理由として『日本書紀』(670年)に「戸籍を造り、盗賊や浮浪を防止する」とありますが、真の目的は徴税・徴兵(出典不明)だったようです。 為政者にとっても全員に苗字がなければ都合が悪い訳です。

                       ※苗字の内容については別の機会に紹介します。

★八世紀前半の総ての戸(世帯)に苗字があります。

苗字の誕生は四千年前

 8世紀前半の総ての戸(世帯)に苗字があったということは、誕生はそれ以前ということになります。 当然のことながら史料等は存在しませんが、漢字が伝来する前から苗字が存在した動かぬ根拠が存在します。
 漢字伝来は1~6世紀と考えていますが、伝来当初は漢字の字体そのもの、古音と呼ばれる音読みと漢文の組立て方程度であったと考えられますが、現代には訓読み、万葉仮名、国字、国訓なども伝わっています。

 訓読みは漢字の意味と読みが日本では異なる場合、その意味を表す読みを取り入れたもの。「田【た】」「山【やま】」など。
 万葉仮名は漢字の意味はまったく無視して原則一字一音で読みを示すもの。万葉集で多く使用されたので、そう呼ばれます。また、これらから平仮名や片仮名が生まれたと言われています。
 国字は日本で創られた漢字。「峠【とうげ】」「榊【さかき】」「畑【はたけ】」「辻【つじ】」など。
国訓は二つの意味があり、一つは訓読みで、もう一方は漢字の意味を離れて読みを与えるもの。「鮎」は中国では【なまず】ですが、日本では【あゆ】。

 これらが存在するということは日本固有の読みが漢字伝来以前から存在したことを示しています。日本固有のものとは一部の生活様式や動植物の名称と地名・人名(苗字/名前)などと考えられます。
 苗字が漢字伝来以前から存在したかどうかは議論の余地がありますが、8世紀前半に総ての戸(世帯)に存在し、数百年で劇的に変化があったとは考え難く、ここでは漢字伝来以前から存在したとして話を進めます。

 ここから先は当然史料等はありませんが「苗字の必要性」の観点から考えて見ます。 丹羽基二さんの『姓氏の語源』を参考にさせて頂きました。苗字と同時に地名や名前も一緒に考えます。

 まず、一人だけで生活している場合を考えると、苗字や名前は必要ありませんが、地名については固有名詞の必要はありませんが、どこにどんな動植物が多い等を識別する必要はあります。
 二人になると、苗字はまだ必要ありませんが、名前については相手と自分を示すことが必要になります。しかしまだ、「自分」と「貴方」などで表現でき、固有名詞までは必要ありません。地名については、それぞれの頭の中で描いている場所のイメージが完全に一致しているとは考えられないので、二人の間で共有できる固有名詞が必要になります。
即ち、地名は二人から必要です。

 三人になると、名前も三人の誰から見ても「貴方」が二人になりますので、それぞれの名前が必要になります。即ち、名前は三人から必要です。

 しかし、まだ苗字は必要ありません。苗字が必要となるのは生活集団内に同じ名前が現れ始める頃と考えられます。即ち一つの集団では同じ名前にならないように調整できますが、集団人員が多くなり(数十人)、異なる名前を付けていくことが難しくなったり、いくつかの集団が同一地域で生活を始めると他集団との間の調整は難しく、同じ名前が現れ始めます。となると名前とは別にその人が属する集団名を表す必要が生じ、これが苗字の始まりになったものと思われます。集団の単位は家族・住居・地域等様々なものが考えられ、苗字もこれらを意識して考えられたものと思われます。

 これらから苗字の始まりは生活集団が数十人を越えるレベルと考えられ、移動しながらの狩猟生活ではこのレベルを越えることは難しいと考えられ、農耕により定住・大規模な集団生活を始めた縄文時代後期か弥生時代(紀元前20~同前8世紀頃)と考えます。
 現代からはおよそ四千年前ということになります。

 名前や集団内の地名やについてはそれ以前からあったものと考えます。

 なお、名前は一代限りなのでそのままですが、地名については同一狩猟集団内で共通でも、同一場所を訪れた時代の異なる他の集団に地名を継承できたとは考え難いので(つまり集団毎に独自に命名)、現代に通じる(固定化した)地名という意味では人々が定住を始めた、即ち苗字と同じ時期と考えられます。 ※地名と苗字の関わりについては別の機会に紹介します。

 ということは漢字が伝来する二千年も前から、現代からは四千年前から苗字や地名があったということで話し言葉(=読み)からスタートし、その後(二千年後)に漢字が当てはめられたと考えられます。
 苗字の意味をその漢字から読み取ることが難しい場合があるのはこのためと思われます。

★苗字は四千年前に誕生しました。
★(現代に残る)地名も同時期に誕生しました。
★苗字は集団生活の必要上から生まれたもので全員が保有し、
  身分上下等での有無の違いはありません。
★苗字や地名は話し言葉で誕生し、
  二千年後に漢字が当てはめられました。

地名と苗字の関係 -双子の兄弟-
 地名と苗字の関係は苗字研究の第一人者・丹羽基二さんの「日本人の苗字の8割から8割5分は地名から来ている」に代表されるように、苗字の大部分は地名から誕生したと考える方が主流を占めています(以下、地名姓と略します)。
 言わば地名が親で、苗字は子の「親子の関係」と考えられますが、当方は「双子の兄弟の関係」と考えています。
 以下に両者の関係を考えて見たいと思います。

【A】同じ名称の地名が存在する苗字
 同じ名称の地名が存在する苗字は82%で、丹羽基二さんの想定されている範囲内でした。歴史地名等を考慮すれば更に上昇すると考えられます。
 また、前回調査(別掲)では69%でしたが、前回は同じ読みのできる苗字も併せて調査しており、相対的に稀少姓が多くなり、合致度が低下したものと考えます。
 なお、説明の必要はないと思われますが、これはあくまでも地名と苗字に同じ名称が存在することを示しているに過ぎません。
【B】同じ名称の地名と苗字が存在する場合
 地名にはいくつかの階層がありますので便宜上、次のようにグループ分けし、同一苗字の一番近くの方がどの階層に住んでおられるかを調査しました。

   ①全国   ②都道府県   ③市区町村
   ④大字(旧町村名を含む) ⑤小字(旧大字名を含む)

 なお東京23区はそれぞれを市町村と同様に、他の政令指定都市の区は区名が該当苗字でない限り考慮していません。
 また同じ階層の表記が連なる場合はその分の階層数をプラスして集計しました。
 「同一地域内」は説明の必要がないでしょうが、同一名称の地域内にその苗字の方が居住しておられ、
 「1階層上」は隣街・村に居られ、「2階層上」はちょっと離れた地域に居られると言ったイメージです。

 非常に興味深い結果が得られています。
 まず、該当地域に居住の方の比率は市町村で50%あるものの、大字で14%、小字では2%、全体で10%と比率が低く、かつ地域面積に関係しているようです。
 地名から苗字が生まれたのであれば比率そのものがより高く、かつ面積の大小にはあまり影響を受けないと考えられますので、少なくとも地名から苗字が生まれたとは考えられません。発祥に関して地名と苗字はそれぞれ独立した(対等)関係と考えます。

 次に更に興味深いのは各グループの累計が50%に達するレベルが市町村は同一地域内と1階層上との間で同一地域(市町村)の境界線上で、大字は1階層上(市町村)、小字も2階層上(市町村)といずれの場合も市町村の階層になっています。

 現在の日本の国土は37.8万k㎡、市区町村数1753で、平均216k㎡、一市区町村は半径8kmの円で近似できますので、地名と苗字は8km前後離れて存在していることになります。
 同一区域内に住んでおられる方も偶々8kmより手前に住んでおられ、地域内に入っているという印象を受けます。

 一方、8km前後の階層に集中しており、それを越えたレベルでは急速に落ち込んでいます。
 ただしこれは一番近く住んでおられる方を対象したものなので、決してそれより遠くに住んでおられないという意味ではありません。

 地名と苗字に8km前後の距離が意識されていることは確実です。これらから該当地域では地名・苗字となった名称への関心度が高いと考えられます。

 これらの事柄から、
   特定の名称に関心の高い地域において、
   複数の戸(所帯)が関係する場合は地名に、 一軒のみの場合は苗字になり、
   両者は一定距離をおいて成立した と推論されます。
地名有無 苗字数
地名あり 84 82%
地名なし 18 18%
合計 102 100%
苗字存在 市町村 大字 小字 合計
同一地域内 3 50% 18 14% 2 2% 23 10%
1階層上 3 50% 70 55% 8 9% 81 36%
2階層上 37 29% 40 42% 77 34%
3階層上 2 2% 42 44% 44 19%
4階層上 3 3% 3 1%
合計 6 100% 127 100% 95 100% 228 100%
 以上を整理して見ますと

 ◆同一名称の地名と苗字は苗字側から見て82%存在します。
 ◆地名(中心)と(一番近い)苗字は8km前後の距離をおいて存在しています。
 ◆そのため地域内に同一苗字の方が居住しておられる割合は、
   地域が広い市町村では50%、大字で18%、小字では2%と少なくなっています。

 これは地域面積に関係していることを示しているに過ぎず、もし地名を苗字にしたとすれば地域面積に関係なく、同一苗字の方が存在すると考えられますので、地名と苗字の成立はそれぞれ独立した対等の関係と考えます。

 また両者が8km前後離れて存在することから、両者の存在は互いに意識されており、
 ◆特定の名称に関心の高い地域において、
 ◇複数の戸(所帯)が関係する場合は地名に、
 ◇一軒のみの場合は苗字になったものと考えます。

田中さんと中田さん 由来は同じ?

 田中さんと中田さんのように前後の漢字を入替えた苗字は多く存在しますが、由来は同じなのでしょうか、違うのでしょうか。

 出発点が同じでその後に何かの事情で入れ替わったとすれば、由来は同じと考えていいと思われますので、その点について考えて見たいと思います。

 当方で集めた184,525種の苗字のうち、二文字の苗字143,788種について前後を入替えた苗字が存在するかどうかを調査したところ、26%の37,350種に入替苗字が存在しました。
 数そのものは驚くべきものですが、率では三割に満たず、漢字の入替ではないようです。

 『苗字の誕生は四千年前』でも示しましたように苗字や地名は漢字伝来の前に二千年の話し言葉のみの時代がありますので、読みで考えてみます。

 と言っても読みを収録したデータはないので、前述の漢字苗字と漢字かなのデータを組合せて使用します。

 漢字苗字184,525種の文字数は一文字が2,371種、二文字が143,788種、三文字が37,413種、四文字が953種で、平均が2.20文字となります。
  ※NET上には五文字の苗字も見掛けますが、自身で実存が確認できませんので収録しておりません。
 それぞれの文字数から先頭が45%、二文字目以降が55%になります。

 苗字に使用されている各漢字が何文字目に使用されているか調査しました。使用漢字数は4,390でした。
 全ての読みについて考えるのは大変なので、【い】の例を示しますと

 【い】と読める漢字は万葉仮名の読みも含めて347あります。 (一部表示できない漢字を削除しています)

【い】一上云五井亥以伊会似位佗?侈依倚倭偉入内冶凍?出函凾??医十卯印去?台合?告???唯??噫因囲圍??坐?埋?壬壱壹夘?夷?妃委姨威娃??子家容寘寢射尉居??已?市帷幃幾府庵??彙?彜彝往徃??忌怡恚?惟?愈意慰懿?????指掎揖撝?斐斑施?易??曰會李???椅??檍欹??比気氣汜?泉洟?活?渭????炊炒為焉煎?熔熨熬爲?猗猪???生畏異痊痍?痿瘉??療癒相?眤瞋瞶矣??祖祝禁?移稜?糸納維??緯縊?羡肄肥胃胆??膽臺??苡???莞菴萎葦?蔚??藺?蛇???蝟???行衛衣??要角言?詑詒???諱謂?譱?豬??貽????逝逶逸道違遺郁?醫?????鋳鎔?鑄?陀?隶隸集?靉韋???頤??風飯飴餒餧?饐馬???魚??鮪??鰄?????猪逸

 この中で使用頻度の高い漢字40種の回数と先頭位置の比率を示したのが下表です。
 全てが【い】と読むとは限らないのですが可能性があるものと考えて頂き、該当漢字全体の先頭位置の比率は44%でした。全苗字の比率が45%ですので、高い一致度を示しています。すなわち、かなり高い確率で「読みの段階で入替があった」と言えます。

 更に、先頭比率で分類して見ますと、各漢字にはそれぞれ収まりのいい位置が存在するようで、「上伊一五」などが先頭に、「井内出子家」などが後方に多く使用されています。
 先頭の漢字が多くなっています(一文字当りの使用頻度は低くなります)が、これは全体でも同じで後方主力の漢字が使用頻度の上位を占めています。 田(6046回: 17%)、野(4291回: 16%)、谷(3766回: 19%)、川(3340回: 23%)などです。
先頭主力 両方 後方主力
使用 先頭 使用 先頭 使用 先頭
2313 56 706 44 3121 29
1101 74 560 46 1775 23
929 71 345 46 1082 31
758 73 249 44 948 8
696 59 101 49 939 25
680 57 839 31
467 63 559 24
429 61 558 37
339 77 361 31
326 83 185 36
147 83 122 26
127 80 87 31
122 63 74 34
92 64 69 35
86 77
84 57
73 52
61 77
39 79
32 63
12 75 21593 44


 以上で文字のない話し言葉のみの時代に苗字の前後入替が行われていたことが理解頂けたと思いますが、それではなぜそういうことが行われたのでしょうか。
 古代には単語の間に【の】をはさんで発音していました(例:柿本;かきのもと)。地名では全国にこの名残がありますが、苗字にも「ノ」「之」が多く使用されています(例:竹之内さん, 堀之内さん)。また【の】以外にも【つ】「ツ・津」や【に】「二・ニ・似」【か】「家」などがあります。記録ができないため、短い文節の集合体で記憶し、順序までは問題にならなかったのだと思われます。

 前後入替の苗字も併せて後世に伝わり、漢字伝来後に様々な漢字で置き換えられていったと考えます。

 従って田中さんと中田さんの由来が一緒なのはもちろんのこと、【たなか】【なかた】さんと読める多くの苗字も由来は一緒と考えます。
派生苗字?? 親子vs兄弟

 派生苗字とはその名の通り、別の苗字から派生した苗字を言います。一般には同じ読みができる苗字群があると一番多数の苗字以外の苗字をそう呼ぶことが多く、一番多数の苗字から他の苗字が生まれた、すなわち親子の関係にあるという訳です。
 はたしてそうでしょうか。

 『苗字の誕生は四千年前』でも述べておりますように、苗字は四千年前に話し言葉で誕生し、二千数百年後の漢字伝来によって様々な漢字が当てられ、現代の私たちが使用している苗字に至ったものと考えています。すなわち兄弟の関係と考えています。

 苗字の分布を見た場合、派生苗字であれば発祥源が何箇所もいうのは考え難く、一箇所から移動・分散する(ピークが一箇所)と考えられ、各所で自然発祥したものであればピークが複数箇所になるはずです。

 電子電話帳での都道府県別に見た掲載数ですが、どの苗字もピークが何箇所もあるのがお解り頂けると思います。あえて言うなら小積さんのピークが一箇所とも見えますが、他の苗字と地域を分担していると考えれば理解できます。

 すなわち話し言葉では同じ苗字であったものが、異なる漢字が当てはめられ別個の苗字になったと考えます。

 ただし、漢字化された苗字がその一族にとって、現代に至るまで同じ漢字であったかどうかは定かではありません。漢字化されたといっても、漢字の読み書きができるのは一部の人に限られ、かつ記録に残すための紙の確保も容易でなく、実際は口伝にたよるしか手段がありません。従って地域や時代の筆記者によって同じ苗字でも様々に筆記され、同じ読みの苗字を行ったり来たりしていたのではないかと考えられます。
 この状態は明治まで続き、明治新姓で固定されるはずなのですが、明治時代には出版社の活字が12万種もあっという説もあり、かなり緩やかだったようです。従って、本格的に固定化されたのは戦後と考えたほうがよさそうです。
  
【こずみ・こづみ】 【あずみ】 【あらい】 【みなき・みなぎ】
古住 小澄 古積 小積 安積 安住 新井 荒井 新居 荒居 水木 皆木 水城 南木 南城
1 北海道 5 10 14 109 586 1019 139 102 29 8 19 4
2 青森県 1 1 4 43 58 250 1 1
3 岩手県 4 26 71 14 6
4 宮城県 5 58 38 248 91 383 3 16 1 38
5 秋田県 4 21 45 36
6 山形県 1 22 682 1
7 福島県 1 3 24 7 121 553 1 1
8 茨城県 6 5 828 1143 9 2 8 4 2 3 14
9 栃木県 1 3 1 1145 1481 3 73 4 1 96 4
10 群馬県 1 1 4 5831 823 48 13 2 1
11 埼玉県 1 6 12 20 11479 2474 47 37 24 12 6 17 6
12 千葉県 2 13 18 1310 1546 42 30 19 8 4 10 8
13 東京都 6 3 7 27 31 3505 2721 81 35 65 13 24 16 11
14 神奈川県 2 1 22 34 2259 2296 51 17 39 59 15 6 6
15 新潟県 3 7 253 558 71 9 2
16 富山県 1 2 202 472 2 84 5 1
17 石川県 1 98 330 6
18 福井県 66 237 2 2 2
19 山梨県 131 281 4 17 2
20 長野県 10 1 1188 1580 7 2 4 3 13 1
21 岐阜県 15 389 314 5 2 15 2 6
22 静岡県 5 1 595 319 13 4 8 5 4 2 18
23 愛知県 10 11 7 589 500 45 18 24 6 3 5 1
24 三重県 1 6 1 136 90 30 3 1 4
25 滋賀県 5 1 130 69 14 26 4 4 2 4
26 京都府 1 25 8 551 214 32 6 17 5 3
27 大阪府 9 84 12 845 442 251 5 34 57 1 13 1
28 兵庫県 7 2 1 279 9 642 261 216 1 23 62 1 45 8
29 奈良県 8 1 150 92 26 9 5 6 7
30 和歌山県 9 1 82 30 6 3 8 2 14 3
31 鳥取県 2 5 47 69 28 5 4 2 1 4
32 島根県 3 2 3 74 14 1 20
33 岡山県 1 90 64 29 1 179 1
34 広島県 1 14 2 325 111 46 36 4 8 1
35 山口県 1 1 124 41 8 50 1 3 4
36 徳島県 9 3 2 71 88 783 3 4
37 香川県 1 32 148 113 2 1 17
38 愛媛県 42 125 39 73 2
39 高知県 46 19 18 5 1
40 福岡県 4 2 12 217 97 31 1 7 2 234
41 佐賀県 1 6 21 3 1 10
42 長崎県 87 19 2 2 1 3
43 熊本県 8 26 20 74 17 2
44 大分県 1 1 37 34 5 3 4 2
45 宮崎県 1 22 25 2 6 4
46 鹿児島県 1 3 19 14 5 1
47 沖縄県 22 2 3
65 61 81 19 642 603 34632 21990 2182 294 1013 541 363 327 149
苗字発祥パターン

 苗字発祥には二つのパターンが考えられます。というより二つしか思いつきません。

【A】自然発祥
 生活に根ざして、全国各地で同じ頃に自然に命名された苗字です。
 上表の全てのご苗字がこのパターンです。更には現在までに1000を越える苗字分布を調査しましたが一つの例外を除いて総ての苗字がこのパターンに属します。このパターンの特徴は複数の多い地域が存在すること、またこれらの地域が広範囲にわたっていることなとがあげれます。
 発祥時期は何回も述べていますが、四千年前の縄文時代後期と考えています。離れた地域で同じ頃に同じ苗字が発祥するのは不思議な気もしますが、苗字のかなりの部分は自然地形に根ざしたものなので、広いといっても日本の地形は全国どちらでも似通っているため、このようになったと思われます。
 なお当然その時代には漢字等の文字はありませんので、話し言葉上の苗字で、全国で数百程度と考えています。
 この数百の話し言葉の苗字に漢字伝来によって様々な漢字が当てられ、現代の私たちが見る十数万種(漢字ベース)の苗字に膨らんでいったと考えます。

【B】発祥源からの移住・文化移動
 何らかの事象で発祥し、その発祥源から人々の移住や文化的移動(人々の移住はないが伝え聞いた話等で命名した場合等)によって周辺に広がっていった苗字。
 このパターンは結構ありそうですが、現在までに確認できた純粋なものは当方の苗字「新免」のみです。 下図のように距離に応じて多さが変化しています。

 当方は自身の苗字調査からスタートしたので、このパターンが多いだろうと思いつくまま著名な伝承のあるものや漢数字が使われた苗字など数百種レベルで調べて見たのですが該当するものはありませんでした。
 漢数字が使われている苗字に関しては詳しくは別の機会に紹介しますが、数字としてではなく読みとして使われているためですが、伝承については次項で紹介します。

【C】第一次発祥:A 第二次発祥:B
 各地で自然発祥していた苗字が、何かをきっかけに一地域から他地域に伝播したもので、巨大姓の多くはこのパターンと考えられます。
佐藤さんと鈴木さんの例で見てみると、両苗字とも全都道府県に居住されていますが、佐藤さんでは東北地方を中心とした東日本が、鈴木さんでは三重県から東北地方までの太平洋地域が特に多くなっています。
 佐藤さんでは佐野あるいは佐渡の藤原氏が佐藤さんと名乗り、鈴木さんは熊野神社から信仰と農業指導のために出発されたとされており、多い地域と一致しています。
 従って、人数的には移住・移動の影響が大ですが、自然発祥は四千年前で移住・移動はそれより二千数百年後のことですから、苗字としては自然発祥と考えられます。
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【たいなかむら】

 苗字のほとんどが四千年前の縄文時代後期にできたと述べているのは、恐らく当方だけと思われますが、丹羽基二さんが昭和56年に著述されている『姓氏の語源』に興味深い一文があります。

 田中さんの紹介の項に「農民ははじめ、水さえ手に入れば、やや乾いた日当たりのよい丘陵に居を構えたろう。 耕作をするたんぼは丘を下り、湿地帯の川り付近に多くあった。 しかし、たんぼがいそがしくなれば、そこに小屋をつくり、休息もするし、寝泊りもする。 家に帰れば家居(いえい)であるが、たんぼで泊まれば田居(たい)だ。 ほったて小屋の田居が多くでき、田居中(たいなか)のことばもできた。 田居中とは、すでに、たんぼが小屋で満たされた形態に付けられた呼称である。 のち、田居中は田中に略された」とあり、別項に「田居中が村となり、中村となった」とあります。

 連続すれば田居中村(たいなかむら)ですが、これは丹羽さんの想像で書かれたものでしょうか、一部は補われた部分があるにしても創造できる内容ではないと思われ、そのほとんどは古くからの伝承ではないでしょうか。
 伝承とすれば、すごいことで稲作が始まって間のない頃、すなわち四千年前の縄文時代後期から伝承されていることになります。

 田居中村(たいなかむら)を4分割(た/い/なか/むら)して組合せると「たい」「たなか」「たむら」「いなか」「いむら」「なかむら」や「たいなか」が得られ、前述した前後入替も含めて代表例を下表に示します。あくまでも代表例に過ぎませんし、【た】と読める漢字だけでも200を越えるものが存在するため、この事象に関係するご苗字がどの程度存在するかは想像がつきません。

【た】丹仔他?任但低佗侈侘俛??党冊册?????勝北?原反向?咜咤咫?哮唾???垂?埀?堪?多夛大天太奓?女??妥??它??屋岔帖度建当?惰?憚??手????捶?撓?断斷朶?柁???植楕楽?樂樔樹橢?檀?殄殊池汰沱?沸泰海淡溜滴潴澑瀦炊点為焚????球田當?発發矯?祝禁種立竪???経絶綏經?耐舵茶荼薫藤蛇?裁製??託詑詫誑誰謖豎?起足????躱?????達鄲??鉈??長閇閉闌?陀?陏隆隋?頽食馬?駄駝?騨高髙????鴕點黨?龍?(232) 一部表示できない漢字を削除しています。

 更には「いなか」「いむら」「なかむら」は共通で、「○いなか」以外には見当たりませんが、「○い」「○なか」「○むら」と「い○」「なか○」「むら○」が存在する漢字の苗字群は数多く認められます。ざっと確認しただけでも200程度の漢字が該当し、新旧字体を考慮しても100程度が残ります。ただ、同じ意味を示していると考えられる漢字が多く含まれており、山家川原岡沢森林浦浜など十数箇所程度に集約できるのではないかと思われます。

 農作業をされる方が田に住まれたように、それぞれの作業に応じて山川沢森林浦浜に住まれたものと思われます。は作業場所は別なところにあっても従来の場所(家居)に住まれた方と思われます。同じ意味で井家などが使用されています。

 これらの漢字苗字には、前述しましたように「○いなか」は見あたらないため、田よりは誕生がすこし後でしょうが、と言っても四千年前の話なので、表現上は同じく四千年前となります。

 なお、これらの居住地を示すご苗字が苗字全体の半分程度を占めると考えており、苗字の二本柱の一角を占めるものです。

 ちなみに、田中さん・中村さん・田村さん・中田さん・村田さんなどは表中にありますが、【いた】から伊藤さん・伊東さん・伊豆さんもその仲間です。田には【た・とう】、藤も【とう・た】の読みがあり、東豆も【とう】の読みがあります。伊豆半島と地名の伊東は同じ意味で、伊藤さんと伊東さんも同じ語源(居田)であることがわかります。 また田舎井戸と言った表現もここから生まれました。
 たい  たなか たむら いなか いむら なかむら
田井 田中 田村 井中 井村 中村
田居 田仲 多村 伊中 伊村 仲村
多井 多中 田邨 田舎 居村 中邑
井田 中田 村田 中井 村井 村中
居田 仲田 邑田 中居 村居 村仲
伊田 中多 邨田 仲井 邑井 邑中
たいなか
田井中 平中
泰中 多井中
対中 鯛中
中井田 仲代
中新井田 中台
中平 中代
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神との関わり

 三田さん・三島さん・三河さんの「三」は数字の「3」を示しているのでしょうか。ここまで読んで頂いた方に改めて確認する必要もありませんが、この「三」は敬称の「御」と考えられます。

 この「御」自体は184,525種の苗字の中で358回(0.2%)登場するだけの漢字ですが、縄文時代には文字(漢字)はなく、話し言葉上で存在した「御」の意味合いが他の漢字に変換されていったと考えられます。

 「御」は【う,お(,おう,おお),おおん,おき,おさ,おさめる,おや,おん,ぎょ(,きょ,きよ),ご(,ごう,ごお,こ,こう,こお),のり,み,みつ】の読みがあり、代表的なものでは「木」「大」「小」「少」「尾」「三」「古」「戸」「横」「奥」「生」「有」「羽」「宇」「後」「高」「長」「永」「見」「丘」「岡」「江」「荒」「子」「広」「太」「多」「合」「海」「工」「口」「五」「向」「末」「恩」「音」などですが、全容は確認できておりませんが、184,525種苗字に使用されている4390種の漢字の過半数を占めるのではないかと考えています。

 更には【おそなえ】【おいわい】【おまつり】を示す漢字も多く存在します。

  【おそなえ(御供)】では     「奥」「極」「国」「区」「九」「久」「口」「京」などが、
  【おいわい(御祝・御賀)】では 「祝」「賀」「加」「家」「岩」「岩井」「石」などが、
  【おまつり(御祭)】では     「松」「細」「西」「斎」「妻」「柴」などがあります。

 【おそなえ】をして、【おいわい】や【おまつり】をして豊作を神に感謝し、一緒に喜びを分かち合った。
 その後、 【お】の部分と【そなえ】【いわい】【まつり】の部分がそれぞれ単独でも使用され、特に【お】は同じ意味の様々な言葉に展開され、またあらゆるものと組み合わされることによって最も多く使われています。

 日本人は信仰心が薄いなどと言われることがありますが、日本人は身の回りにある全てのものを神として崇め感謝しつつ暮らして来ました。そのことが苗字になり子孫に受け継がれています。考え方は様々でしょうが、日本人の信仰心も捨てたものではないと思います。

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日本の苗字のルーツ

 日本の苗字のルーツと考えられるものに辿りつきました。その流れを紹介します。

 最初に二つお断りしておきます。
★神や神社がベースになっていますが、特定の宗教や団体を示しているものではありません。
★説明の中に漢字を併用しておりますが、意味合いの変化等をわかり易くするためで、
  漢字伝来(1~6世紀)までは文字はありませんので、実際は話し言葉のみです。


 縄文時代後期(紀元前20世紀頃)、それまで数十人単位で移動しながら狩猟生活を送ってきた人々が、稲作技術を得て定住を始めます。生活集団が数百人単位に増えていきます。集団内に同じ名前が現れ始めます。その人々を識別する何かが必要です。苗字の出番です。

(1)苗字をグループ分けして、グループ間の前後関係を見ると、【おかみ】【おそなえ】【おいわい】【おまつり】が最初と考えられます。これらが単独で使用されたり、他と組合せて使用されたりします。 (例:小岩井さん,奥田さん)

 苗字は他の人から見て覚え易い必要があり、自然地形ではないかと考えていたのですが、神との関わりを示すものでした。集落で共通の神への役割分担を示すものと考えられ、苗字としての機能と分担も同時に解決できます。

(2)その内に【お】の部分と【かみ】【そなえ】【いわい】【まつり】の部分がそれぞれ単独でも使用され、特に【お】は同じ意味の様々な言葉に展開され、またあらゆるものと組み合わされることによって最も多く使われています。 (例:太田さん,西さん)

(3)これらの中から【おんた→たい(田居)】【おんいえ→いえい(家居)】が独立して【たいなかむら(田居中村)】と呼ばれるようになり、【たい】【たなか】【たむら】【いなか】【いむら】【なかむら】【たいなか】が誕生します。 (例:田中さん,田村さん)

 ここからは住居と仕事場の関係を表したものです。

(4)その後、様々な【◎いなかむら】が登場し、【◎い】【◎なか】【◎むら】が誕生します。 (例:河合さん,川村さん)

 最初は田と同時期と考えたのですが【たいなか】は存在するのですが、【◎いなか】はどれも見当たりませんので、田が出来た後に他の【◎いなかむら】ができたと結論付けました。

 これら(1)~(4)の基本形に対して多くの(A)前後の入替や(B)同じ意味の言葉への置換が存在します。
             (例:たい A;井田さん,B;伊藤さん)

 これらを総合して、話し言葉の苗字として数百種が存在し、漢字伝来(1~6世紀)によって各所で様々な漢字が割り当てられ、現在見るような十数万種(当方は漢字ベースで17万種と考えています)の苗字になったと考えています。



 予想以上にシンプルに表すことができたので、逆に不安になり上位30位のご苗字について確認を行ったところ、全てが上図の範囲で説明できました。これだけで済むとは思えませんが大筋では間違っていないようです。


No 苗字 基本形 前後入替 同意置換 変化
1 佐藤 まつり◎ - 祭田→佐田→佐藤
2 鈴木 いむら 居村→村居→両居→両木→鈴木
3 高橋 お◎ - 御畑→高畑→高端→高橋
4 田中 たなか - - 田中
5 伊藤 たい 田居→居田→伊田→伊藤
6 山本 お◎ 御山→山御→山下→山本
7 渡辺 おいわい◎ - 御賀田→渡賀田→渡片→渡辺
8 中村 なかむら - - 中村
9 小林 お◎ - 御囃子→御林→小林
10 加藤 いわい◎ - 賀田→加田→加藤
おいわい 御賀→賀御→加御→加太→加田→加藤
11 吉田 お◎ - 御田→葦田→吉田
12 山田 かみ◎ - 神田→山田
13 佐々木 お◎ - 御(御供)→御(佐供)→御咲→御佐木→佐々木
14 山口 お◎ 御山→山御→山口
15 松本 おまつり 御祭→祭御→祭下→松下→松本
16 井上 かみ◎ 神居→居神→井神→井上
17 木村 いむら - 居村→戸村→木村
18 斎藤 おまつり 御祭→祭御→斎御→斎多→斎田→斎藤
19 お◎ - 御囃子→御林→小林→林
20 清水 お◎ - 御水→生水→清水
お◎ 御居→居御→居水→清水
21 山崎 おそなえ◎ 御供山→山御供→山佐供→山前→山崎
22 お◎ - - 御森→森
23 阿部 おいわい◎ - 御賀田→阿賀田→阿片→阿辺→阿部
24 池田 いえい◎ 家居田→居家田→池田
25 橋本 お◎ 御畑→畑御→端御→橋御→橋下→橋本
26 山下 お◎ 御山→山御→山下
27 石川 いわい◎ - 祝川→岩川→石川
28 中島 たなか - 田中→中田→中島
29 前田 おそなえ◎ - 御供田→佐供田→前田
30 藤田 お◎ - 御田→多田→田田→藤田


*
言葉の前後入替

 「田中さんと中田さん 由来は同じ?」で言葉の前後入替は漢字のない時代、話し言葉だけの時代に主として発生したと述べたつもりですが説明不足でピンと来られない方が多いと思われますので、改めて考えて見ます。

 話し言葉のみの世界、即ち頭の記憶のみに頼る世界です。

 現代の私たちは数字を「XX,XXX,XXX」と、電話番号では「【045】XXX-XXXX」「045-XXX-XXXX」「0120-XXX-XXX」などと「【】」「-」「,」などの記号を挿んで表現する場合が多いですが、このように短く区切っていなくて、数字が10桁も連続していると覚える気力すら出て来ません。自身の感覚では3~4桁が限度のようです。

 私たちの先祖は単語の間に【】【】【】【】をはさんで発音していました。柿本【かきもと】や竹内さん・堀内さん、漢字に取り込まれている例では井上【いうえ】さん・木下【きした】さんなどが著名です。

 話し言葉(会話)では【たなか】さん・【なかた】さんと発音し、脳内では【た】【なか】と間の【の】を省いて記憶して、この【の】をはさんでそれぞれの文節を短くすることによって記憶を容易にしていたと考えます。

 前後の入替がどうして起こるかですが、Aさんの脳内では①【た】②【なか】の順序で記憶されているとします。Bさんとの会話で【た】をなかなか思い出せず【なか】【た】の順序で話した場合、Bさんの脳内に「【なか】【た】=【た】【なか】」が記憶されていれば、【たなか】さんのことと認識されますが、その情報がなければ新しい苗字{①【なか】②【た】}さんとして記憶されます。

 この前後入替は頻度としては少なくとも四千年の間、総ての日本人が行ってきた膨大な回数の結果なので、全てのご苗字(読み)に入替が認められます。
 当然のことながら両者の由来は同じです。

同じ意味の言葉の置換

 「同じ意味の言葉の置換え」、例えば【やま】=【さん】=【せん】などが文字(漢字)のない時代に相互に変換されて使用されていたと考えられます。現代の私たちから見れば「山」という漢字を思い浮かべて至極普通に理解できますが、この「山」の字がない時代です。

 なお、【やま】は訓読みで日本古来のものだが、【さん】【せん】は音読みで漢字と共に大陸から伝わったものなので、漢字伝来以降だろうと思われる方も多いでしょうが、内陸部に「船舟」を用いたご苗字が見受けられます。山の名称にも用いられています。江戸時代ぐらいなると河川に船や筏などが往来したものと思われますが、縄文時代には考えにくく、「山」をイメージした【やま】から【せん】と呼ばれ、漢字伝来後に「船舟」や「仙」の字が当てられたのではないかと思われます。
 別の見方をしますと日本人の先祖のほとんどは縄文時代から弥生時代にかけて大陸から移ってきたと言われており、当然ながら生活様式なども一緒にもたらされたと考えられるため、音読みに分類される【さん】【せん】なども漢字伝来(1~6世紀頃)のはるか以前から日本国内に存在したのではないかと思われます。

 脳内でどう記憶されているのかよくわかりませんが、【やま】を頭の中にイメージすると最初にNHKの『坂の上の雲』のエンディンク映像が、次いで富士山の静止画像が浮かび、続いて「山」の字や【さん】【せん】などの言葉が浮かびました。
 恐らく脳内には様々な情報がそれぞれにいくつかの検索キイワードを持って蓄積され、外から検索指示があると該当するものを印象が強い順に呼び出しているものと思われます。

 文字のない時代ですので、当然漢字は記憶されていませんが、ある人が山を見て【せん】と呼べば、それを聞いていた人の脳には【やま】=【せん】と記憶されます。これらを繰り返して【やま】=【さん】=【せん】が人々に浸透して、【やま】と喋ろうと思っているのに【せん】と言ってしまい、聞き手は【せん】と記憶するような場合が存在したのではないかと思われます。


 
 
 
 
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