笠沙の町名の由来となった「阿多の笠沙の岬」は古事記や日本書記に出てくる地名で、現在の笠沙半島を指すと考えられています。
古事記・日本書記によりますと、ニニギノミコトはある時に笠沙の御前(ミサキ)で麗しき美人に出会い、その名を尋ねると大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘で神阿多都姫(カミアタツヒメ)、またの名を木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)と云い、この姫を妃に迎えることになります。
やがて二人の間には三人の皇子が誕生し、長子は火照命(ホテリノミコト)と云い隼人の阿多君の祖となり、末子は火遠理命(ホオリノミコト)、またの名を天津火高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)と云い天皇家の祖となったと伝えられており、ここ宮ノ山は皇孫発祥の大ロマンの可能性を秘めた実に神聖で由緒ある地とされています。
また、南さつまには、木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)をはじめ、海幸彦・山幸彦(ウミサチヒコ・ヤマサチヒコ)の生誕を伝える伝承の地もあります。
焼酎づくり技術集団として知られる黒瀬杜氏。 この黒瀬杜氏の伝統技術を文化的遺産として、現代に保存・継承していくために「杜氏の里 笠沙」が設立されました。 全国の焼酎やさまざまな酒器などが展示され、手造り焼酎の工場や、パネルや映像により杜氏の歴史や仕事を学ぶことが出来ます。 また、ここで造られた焼酎は、ここでしか販売していません。 もちろん「焼酎ダイニングバー黒瀬」には、この手の焼酎も揃っております。(画像は、杜氏の里 笠沙に掲載されている焼酎がやって来た道です。)
幾度の失敗にもめげず、苦労して盲目となりながらも、天平勝宝5年(西暦753年)12月20日、聖武天皇の招きによって、我が国律宗の始祖、唐僧鑑真が6回目にようやく成功しました。 日本上陸の第一歩をしるされた地に、鑑真記念館を建てて鑑真の偉大な事業や功績と、その生涯を詳しく伝えています。 この地は海幸・山幸の神代の時代から、現在まで史跡に富んだ風光明媚なところです。
近くには、日英合作映画 「007は二度死ぬ」の映画ロケの記念碑があります。
一昨年、近くの大浦町の河原に『コウノトリ』が飛来! 兵庫県豊岡市から飛来した個体とのことで、たまたま居合わせた知人が望遠レンズでパチリ。
素晴らしい画像が送られて来ましたので、掲載させて頂きました。
ふる里は、かくも豊かな自然環境に恵まれております。 是非とも、黒瀬杜氏のふる里、南さつまへお越しください。 黒瀬に集う仲間が、南さつまをご紹介してくれます。
学ぶ、遊ぶ、食べる、泊まる
たっぷり、のんびり、楽しめる滞在型宿泊施設
美しい海と自然あふれる半島を舞台に多目的体験型施設として、いろいろな自然体験を実感出来ます。
館内には半島の自然と漁業の伝統が学べる「海と魚のギャラリー」、笠沙出身のヨットマン達の冒険航海の記録などを集めた「ヨットのメモリアルホール」が有ります。
また「ネイチャーギャラリー」では、半島周辺のクジラやイルカの生態を映像で紹介、ワークショップ「海の工房」では、造船作業や各種のアート制作が体験出来ます。
この4つのフロアーを中心にお食事処、生産直売のえびす市場、ショップ&レンタルコーナー、総合案内、全室海が望めるメゾネットタイプの客室、展望風呂などが完備されています。
建物の周囲はボートハウス、潮風をあびながら階段が続くフィッシャーマンズデッキがあり、ここではさまざまなイベントや野外コンサートなどが開催されます。 海を舞台に各種体験クルーズの基地となる冒険桟橋も有ります。
以下は、笠沙恵比寿の全景と、名物の『いせえび海鮮丼』です。
また以下は、東シナ海に沈む素晴らしい夕陽の眺め、笠沙恵比寿で楽しめる「釣り」、「シーカヤッキング」のひとコマです。
史跡・景観に恵まれ、食の豊かな、体験ツーリズムを楽しめる笠沙恵比寿へ、是非ともお越しください。