独断的JAZZ批評 351.




BRAD MEHLDAU
演奏スタイルの云々以前の問題として、どの曲も面白くないというのが、このアルバムの不出来に繋がっていると思うのだ
"HOUSE ON HILL"
BRAD MEHLDAU(p), LARRY GRENADIER(b), JORGE ROSSY(ds)
2002年10月(
@Eのみ2005年3月) スタジオ録音 (NONESUCH 7559-79911-2)

実は、このアルバム、MEHLDAUの最新録音盤ではない
ドラムスにJORGE ROSSYを加えた最後の録音だそうで"ANYTHING GOES"(JAZZ批評 181.)と同時期の録音だ
@Eの2曲は"DAY IS DONE"(JAZZ批評 301.)の前日に録音されている
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MEHLDAUの今度のアルバムは全曲、オリジナルで占められている。中でも、僕の興味は
@Eの録音日にあった。この2曲の録音日は2005年3月12日とある。前述したように、"DAY IS DONE"の録音日が1日後の3月13日(1曲のみ14日)。たった1日の間にあった音楽の質の変化に強い興味をそそられた。この1日の間にドラマーがJORGE ROSSYからJEFF BALLARDに代わった。そのこととこの大きな音楽の変化の間には何がしかの因果関係があるように思った。従って、@E以外の2002年録音チューンにはあまり興味は湧かなかった。(事実、今回のオリジナル集、全9曲はあまり面白くない)
たった1日における音楽の変化がいかなるものか知りたいと思った。ひたすら、この2曲と"DAY IS DONE"の全10曲を聴き比べてみた。
これは聴き比べてもらえば分かることだが、12日と13日では演奏のスタイルがまるで違う。即ち、ROSSYがBALLARDに代わり、"DAY IS DONE"では演奏スタイルがシンプルで明快になった。難解さが姿を消したといっても良い。屈折したMEHLDAUの感情表現がよりストレートになっている。その分、リスナーには聴き易くなったと思う。こね回したような表現がすっきりストレートになった。
この"HOUSE ON HILL"には「難解さ」や「分かり辛さ」がある。例えば、初期のアルバム"THE ART OF TRIO VOLUME THREE"(JAZZ批評 2.)や"ELEGIAC CYCLE"(JAZZ批評 278.)の美しさや瑞々しさはないし、かと言って、"SOLO PIANO LIVE IN TOKYO"(JAZZ批評 219.)のような巨大なエネルギーの放射があるわけでもない。
ドラーマーが代わった1日で、これほどの変化が自然発生的に起きるのであろうか?それとも、意図的に、ドラマー交代のタイミングを見計らってコンセプトを変えたのであろうか?
僕は後者であると推測しているが・・・。


@"AUGUST ENDING" 
A"HOUSE ON HILL" 
B"BEALTINE" 
C"BOOMER" 
D"BACKYARD
" 
E"FEAR AND TREMBLING" 
F"EMBERS" 
G"HAPPY TUNE" 
H"WAITING FOR EDEN" 
ベースとピアノがユニゾンで定型パターンを繰り返す。ユーモアを含んだ演奏。このアルバムのベストはこれかな

今回のアルバムは全てMEHLDAUのオリジナルで占められている。
僕の結論としては、演奏スタイルの云々以前の問題として、どの曲も面白くないというのが、このアルバムの不出来に繋がっていると思うのだ。例えば、同様に全てオリジナルで占めたソロ・アルバム"ELEGIAC CYCLE"(JAZZ批評 278.)は、全ての曲が瑞々しさ、艶っぽさ、美しさに溢れ、加えて、歌心溢れる演奏で僕らを魅了したものだが、このアルバムにはそれがない。
「良いテーマに、良いアドリブあり」と僕はいつも思っているのだが、肝心要のテーマが面白くなくては、いかにMEHLDAUと言えども良いアルバムになりえないと思った。更には「無機的な」印象すら感じさせてしまうのだ。
余談だが、僕はこのジャケットデザインがすこぶる気に入っている。内容が伴わないのが残念でならない。   (2006.07.08)