| |||||
『魚影の群れ』['83] | |||||
監督 相米慎二 | |||||
三年前に観た『翔んだカップル オリジナル版』['83]の日誌に「相米監督作品は遺作の『風花』を含めて8作品観ているが、…気に入っているのは、『夏の庭』『お引越し』『台風クラブ』『魚影の群れ』だ」と記している本作を、公開時以来となる四十年ぶりに再見した。 先ごろ『関の彌太ッぺ』['63]を合評会の課題作として再見した際に「当時、二十歳過ぎの十朱幸代…の思わぬ不人気というか小夜を演じさせて不適格との意見がけっこうあって、適役とした者が一人もいなかったのが妙に可笑しかった」ことから、彼女の熱演が印象深く残っている二十年後の本作を観てみたくなってもいたからだ。 漁師としての腕は立つが、陸に上がると“手が早い”乱暴者の小浜房次郎(緒形拳)の元を五歳の娘トキ子を置いて逃げ出して二十年と言っていたから、二十五歳のトキ子(夏目雅子)を二十歳で産んだとしても四十路半ばになるわけで、実年齢を少々上回ったアヤの窶れと荒みの影に射す純真を演じてなかなかのものがあったように思う。夏目雅子同様にお嬢様育ちである素地が、役柄に対して“らしからぬ異彩”を放つ存在としての説得力を与えているような気がした。 朝靄の掛かる浜辺の長回しから始まった本作は、執拗なまでに“得意の長回し”が現われ、大間とは仲の悪い伊布の港町でアヤを房次郎が追う再会場面などは、些かあざとく小五月蠅い気がしてならなかったが、両女優のみならず、トキ子と所帯を持ちたくて陸奥のコーヒー屋を畳み、大間で漁師になった依田俊一を演じた佐藤浩市も合わせた両男優の存在に力があって、やはり観応えがあった。 四人が四人とも、いかにも不器用でタフな人物造形が施されていたように思うが、未読の原作小説でのアヤの描き方がどうだったのか気になったのは、折しも『ふたりで終わらせる』を観たばかりで、根は悪くなくともカッとなると手の出る夫と、娘は連れずに別れたアヤの、言わばリリーとジェニーの中間のような選択が、決して彼女に幸いをもたらしたようには映ってこない作品だったからかもしれない。 すると映友が「後年の十朱幸代はいいと思います。日活時代の若い頃はあんまりなんですが。『花いちもんめ』『魚影の群れ』『櫂』なんかはいいですよね? これらは全部東映になるのか。それにしても緒形拳にぎっちり「犯されるちや」☺」と寄せてくれた。その三作は共に観ているが、確かに二年前の合評会課題作だった『櫂』での「岩伍(緒形拳)に伍して頑と怯まず、意地を貫き通した喜和を演じた十朱幸代を観ながら、一番の代表作のように感じた」ものだった。『櫂』は、そのときが初見だったが、『螢川』の千代もなかなか好かったように思う。 それはともかく、『櫂』でも本作でも、彼女の演じた女性は犯されていたわけではないように思った。少なくとも本作のアヤの場合、二十年ぶりの再会の後の夜、第三登喜丸を訪ねて行って、抱いてと迫ったのはアヤのほうだった。映友によれば“十朱幸代の「処女性」”ゆえにそう見えたのかもしれないと記憶を辿っていたが、彼女が濡れ場を演じたのは本作以降のことだから、四十路を越してからのこととなるわけで、そう思わせる十朱幸代のお嬢様体質というのは大したものだと驚いた。『極道の妻たちⅡ』での濡れ場の相手は、村上弘明だったと伝えると、「そしたら極妻1、2は必見やね。」とのことだった。 | |||||
by ヤマ '24.12. 3. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画 | |||||
ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―
|