『性盗ねずみ小僧』['72]
『嗚呼!!花の応援団』['76]
『博多っ子純情』['78]
監督 曾根中生

 最初に観た『性盗ねずみ小僧』は、先ごろ江戸艶笑夜話 蛸と赤貝'74](監督 藤浦敦)を観て、名前にしか覚えのなかった小川節子【お艶】の役名どおりの綺麗で色香の漂う面立ちと身体に観惚れたと記していたら、ロマポ監督なら曽根中生が一番だと思っているという映友が早速に貸してくれたものだ。これを機に『嗚呼!!花の応援団』['76]、『博多っ子純情』['78]を順次、片付けていくことにしようと思って取り組んだ。

 オープニングクレジットに脚本:長谷川和彦とあったので、どんな型破りをしているのかと思いきや、緋桜の金助こと遠山金四郎(森竜二)が、兄貴と慕い、義賊になるよう勧めた大蛇の次郎吉(五條博)を夜這い強盗から鼠小僧に仕立て上げた挙句に捕縛して、己が出世の道具に使おうとするなどという禁断の話だった。

 禁断と言えば更に、幼い時分に別れたまま知らずに湯女と客として出会って交わった兄妹が、すっかり惚れ合って、兄妹であることが判明してもなお離れ難くて所帯を持つばかりか、子も為し歓び合うという型破りを見せていた。恋女房が探し求めた妹だったなんざ今どき浪曲にもねぇ泣ける話だとの次郎吉の台詞はなかなか鮮烈だったが、次郎吉と夕顔ことおみつ(小川節子)の心情の掘り下げが不十分なまま、金助から次郎吉に心を移すばかりか、兄であることが判明しても、怯みつつ離れられないおみつの覚悟が、些か濡れ場に頼り過ぎている憾みがあるものの、それに耐え得る小川節子の肢体だったようには思う。

 青地の敷物の上で水色の腰巻一つで金四郎と絡む場面で強調されていた上半身も、次郎吉が幸せになろう、おみつ。腹の中の赤ん坊と三人でなと言いながら交わる最後の濡れ場で強調されていた下半身も、見事な肉感を湛えていた気がする。ただ、出番が些か遅く、序章で姿を見せてからは、本編半ば過ぎまで出し惜しみしていたのは、少々遣り過ぎではないかと恨めしかった。

 それにしても、遠山金四郎景元が、金さんではなくなっている姿を露わにする場面には驚いた。この桜吹雪が目に入らぬか!の逆手を取っていて恐れ入った。また、貴乃花が横綱昇進時の口上に使って知られるようになったと記憶する「不惜身命」が緋桜の金助の彫り物になっていたことにも意表を突かれた。二十年くらい先駆けていたのではなかろうか。もう少し脚本を練り込めば、傑作になっただろうにと、妙に勿体ない気がしてならなかった。

 だが、遠山の金さんはパシリのろくでなしだし、近親相姦の先を描いているわけだし、世の中よくするためには、泥棒が権力階層を襲うべしと言っているのだから、当時は「ロマンポルノって凄いことやるんだなぁ」と驚かれたことだろう。たくさんのサプライズがあってよかった。「性盗ねずみ小僧 VS 政盗水野忠邦」とも言うべき作品になっていたように思う。

 また、今にも臭ってきそうな“ほうじ茶”とか、丁稚時代の次郎吉の吹出物など、なかなか画面の造りが丁寧で感心した。僕が観た最初の曾根監督作品は、'79年の『嗚呼!!花の応援団 役者やのォー で、その後、『天使のはらわた 赤い教室“BLOW THE NIGHT!” 夜をぶっとばせ』『唐獅子株式会社』㊙女郎市場『元祖大四畳半大物語』悪魔の部屋を観ているが、特に意識したことがなかったので、今回は、『㊙女郎市場』の日誌に女郎に売られながらも予期せぬ椿事によって処女のままで居続けるという破天荒な筋立てで、遊廓を牛が駆け抜けたり、音楽の使い方にもどこかとぼけた味があって、全般的にアナーキーな香りの漂うと記した部分以上に、絵作りに留意して観てみようと思った。


 四年後の『嗚呼!!花の応援団』は、オープニングクレジットに田中陽造脚本と示されたことから、原作漫画からして、『㊙女郎市場』と同じくアナーキーさが前面に出て来るのかと思いきや、漫画ほどにも破壊的で出鱈目ではなく、軍歌を放吟し、目下の者にヤクザまがいの凄み言葉を弄する応援団カルチャーの負の側面ばかりが目立つような運びになっていたのが残念だった。父親の妾で青田赤道(今井均)が想いを寄せる新子(宮下順子)が登場して話らしい話が進み始めるまでの南河内大学応援団の描出部分が肌に合わず、笑うよりも縦社会アレルギーのほうが僕のなかで前面に出てきてしまった。

 富山(香田修)が娼婦の初江(水原ゆう紀)にエールを送る場面は好かったけれども、せっかくの水原ゆう紀なのに、もう少し登場場面が欲しかったように思う。今井均の演じる青田赤道は、原作漫画ほどにはブッ飛んでいなかったけれども、ペーソスを感じさせてそれなりによく演じているような気がした。

 また、特典映像に監督インタビューが収録されていて、なぜ映画監督を辞めて臼杵市に移住したのかを語っていた部分が本編以上に興味深く、その原因の一つとなったらしい『フライング飛翔』'88]を観てみたくなった。


 最後に観たのが『博多っ子純情』だ。先ごろ観た青葉繁れる'74]を彷彿させる女のあそこ、知っとぉやで始まった『博多っ子純情』の主人公である六平は、二年後の土佐の一本釣り'80]の純平を想起させるところのあるキャラクターだ。原作漫画のほうは、『土佐の一本釣り』が先行しているようだが、相通じるような男気を主軸にした、まだまだ大らかな時代の男の子の成長譚が描かれていて、微笑ましくも懐かしかった。

 スナックバーで中学生に大人たちがビールを注ぎ、父親(小池朝雄)が六平(光石研)を大人になったと認めて注ぐのが日本酒だったり、銭湯で父親に連れられた幼女が男湯の湯船を跨ぎ遊ぶ場面やら、今だと顰蹙を買いそうな場面がぞろぞろ出てきていたけれど、なかなかユーモラスで味のある映画だったように思う。思えば、僕が子どもの時分に「ビールらぁ酒じゃない」と親戚の伯父さんから注がれたのは、小学校も低学年の時分だったような覚えがある。僕が苦いと顔をしかめたのを見て笑って喜ぶのが酒席の座興だった気がする。

 喧嘩は強くないけれど、心持ちは強くて逃げを打つことや、ぶったところのない六平は、自分にも他人にも素直で余計なことを言わない、なかなか“よか男”の子だった。だから、小柳類子(松本ちえこ)から慕われ、隣家の憧れの女子高生の青葉(立花美英【中村れい子】)にも優しくされるし、近所の床屋の娘(伊佐山ひろ子)から誘惑されたりするのだろう。三中の無法松こと富田の人物造形や描き方にもそれが現われていたような気がする。

 それにしても、劇中に出てきた成人映画館の番組が日活ロマンポルノではなく、大蔵映画(『バイク姐ちゃん 性乱大暴走』『絶倫性遊戯』『成熟娘 性の楽園』学生700円、婦人800円)だったことが目を惹いたが、そうか、本作は松竹映画だったかと思い当たった。折々に挟まれ掲示された博多弁【くらさるう=殴られる】【しらしい=鬱陶しい】【ふたんぬる=愚図】【しきりきらん=出来ないッ!】【えずい=怖い】のうち、殴るを「くらす」、ゾッとする・不快を「えずい」というのは、今は知らないが、僕が六平の年頃には土佐でも使っていた言葉だ。また、桂米丸や桂歌丸が出演していることも目を惹き、『性盗ねずみ小僧』も噺家の出演が目立っていたことを想起した。
by ヤマ

'23.12. 8,9,10. DVD観賞



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