『青春残酷物語』['60]
『青葉繁れる』['74]
監督・脚本 大島渚
監督 岡本喜八

 六十年代を舞台にしたオリジナル脚本作品と五十年代を舞台にした原作を七十年代に映画化した作品のカップリングによって、“映画に映し出された青春の放埓”を観ながら、改めて戦後昭和の時代は遠くなっていることを感じた。両作とも積年の宿題映画だったのだが、先に観た大島監督の名高い劇映画第二作には、これが『青春残酷物語』かと、六十年余りの時を経て観ても今なお鮮烈な画面に、大いに感心した。

 雑多な新聞紙面を並べたタイトルバックで始まり、韓国での四月革命、日本での60年安保といった若者を中心とする社会運動としての闘争が映し出されていた。僕が二歳のときで、東京のタクシーの初乗り料金が70円の時代だ。後の学生運動の成れの果てを知る者からすれば、ブントの時代には何処かピュアな眩しさのようなものを感じるところがあるのだが、当然ながら同時代において若者たちが放射していたエネルギーは、無目的な放埓さに溢れているわけだ。学生運動を恋愛とのアナロジーで描いているところに才気を感じる。

 二十歳前後の大学生の清(川津祐介)と女子高生の真琴(桑野みゆき)の無軌道ながら打算のない直情そのものの恋愛が、三十前後と思しき町医者の秋本(渡辺文雄)と真琴の姉由紀(久我美子)の直情を貫けずに破れていった恋愛と社会運動や、学生運動の波に乗っただけのデモ参加の陰で女学生を食い物にしている伊藤(田中晋二)、贅沢品の車と金で若い娘をたぶらかそうとする紳士然とした中年男たち、娘の家庭教師の清に溺れている中年女性(氏家慎子)との対置のなかで活写されていた。清と真琴の無軌道な直情に任せた暴走への羨望が由紀を通じて描かれると同時に、二人に訪れる結末が60年安保以降の学生運動が辿った道を予見していて御見事だった。

 特典画像にあったシネマ紀行が1997年と1960年を対照させていて面白く、三十七年後の大島が、自作について「若者の怒り」を描いたと言っていたのが興味深かった。映画に宿っていた若者のエネルギーは、そのように単純なものではなかったように思われるが、大島渚自身がそのように評することにも納得感がある。映画製作当時、大島はちょうど秋本と由紀の年頃だったわけで、清と真琴に向ける二人の眼差しに、大島が60年安保に向けていた心情が投影されているような気がしていたからだ。インテリ風のヤクザ(佐藤慶)は、もう一人の秋本なのだろう。劇映画デビュー作愛と希望の街も素晴らしくて、心打たれる点では本作以上だったように思うが、鮮烈さでは本作のほうが優っているような気がした。ある意味、同じようにも見える無軌道な青春を描いた'56年の太陽の季節との違いが際立ち、若い頃の大島渚は凄いなと改めて思った。


 翌日に観た『青葉繁れる』の原作者である井上ひさしは、僕が大学に進学して文芸サークルに入った半世紀近く前の新歓コンパで新入生が自己紹介をさせられた際に、贔屓の作家名を挙げるよう求められて応えた作家だが、他の新入生たちが大江健三郎だの梶井基次郎だの埴谷雄高だのと答えていたなかで、彼の名を挙げて最も好きな作品は『モッキンポット師の後始末』だと言って失笑を買ったことにほくそ笑んだ覚えがある。秋吉久美子も好みだし、監督の岡本喜八も愛好する作り手なので、かねてより観たかった映画化作品だ。

 早々に「あら?『青葉繁れる』ってこんな話だっけ?」と思ったのだが、書棚にある大学時分に読んだ文庫本をざっと眺めると確かにそうだった。オープニングは、稔(丹波義隆)による、東大生や慶大生、帯広畜産大生になって女の子を押し倒す妄想話【文春文庫P5~P12】だし、デコ(伊藤敏孝)の二女高演劇部たん瘤(笠井香里)への強姦未遂について、チョロ松校長(ハナ肇)がひょこひょこ山へ行き、行ったら当然起るであろうことが起っただけなのに、乱暴されたとわめく、これはじつに卑怯ですなぁP158】と言う場面もきちんとあった。続くもう立派な大人でしょう。その気になれば子どもが生める年齢でねぇの…もしも子どもだとすれば、先生、あなたが子ども扱いしているだけじゃありませんか。たとえば海水着がそうですな。そんなもので防ぐことばかり教えるのはどうかと思いますぞ…いざとなった場合はそれで防げる、だから安心、安心だからちょっと男の子の誘いに乗ってみようかしら、こうなるわけですな。それよりはむしろ、いざとなったら防げない、行くについてはすべてを引っかぶらなくちゃならない、だが自分にすべてを引っかぶるだけの覚悟があるか、あるなら行くべし、ないならよすべし。これが本筋ではねぇんでしょうかね。斎藤先生、股の間におしめをつけているのは赤ん坊だけだっぺとの校長の弁が直ちに通用するわけではないのは今に限らず当時とてそうだったのだろうが、大事な要点の示唆された含蓄があるように思う。また、東京からの転校生俊介(草刈正雄)がおう、俊介、おめぇいま言葉、訛ってたっちゃとジャナリ(粕谷正治)に指摘されておれもとうとう田舎っぺかと言う場面【P210】が最後に出て来る点も同じだった。原作小説にあった軽妙さが映画化作品ではギャグ風になっているのは、文字と実写で異なってくるニュアンスのような気がする。

 課題作としてカップリングされた『青春残酷物語』から十四年、同じく無軌道なる性春を描いていても、かなりテイストが異なるのは、時代の差というよりは、作り手の個性の差異によるものだろうという気がする。本作は、映画作品こそシャロン・ケリーの映画の看板が掛かる七十年代だけれども、原作小説の舞台は、五十年代【P13】だ。少なくとも僕が十代を過ごした七十年代までは、若気の至りとしての無軌道がまだ容認されていたような実感が僕のなかにはあるけれども、今はすっかり無くなってしまっているような気がする。

 校則強化や厳罰主義の社会的蔓延、少年法改正論議などを経て、社会がどんどん不寛容になってき、窮屈になっている気がしてならない。そのような社会への順応を求められる今の若者たちに、『青春残酷物語』や『青葉繁れる』を観て、部分的にであれ、共感を覚えるようなメンタリティは最早なくなっているのではないかという思いを抱かされた。

 高校時分の新聞部の先輩が、若山ひろ子(秋吉久美子)の原作モデルは若尾文子だと教えてくれ、若尾文子は否定しているようですので、若尾文子が通っていた女子高の隣の高校にいた井上ひさしたちが勝手に騒いでいただけかもしれませんが。仙台にいたのは疎開していたらしいです。仙台の女子高を突然中退していなくなり、井上ひさしたちはがっくりしていたところ、何年かのちに映画「十代の性典」の中に彼女を見つけて驚いた、というようなことが原作に書いてあったような。原作よんだのはもう45年ほど前のことですので、かなり怪しいですが。とコメントしていたが、確かに原作小説にはそれは『十代のあやまち』という映画のポスターで、十人の十代女優が一挙にデビューする性典映画の決定版!と惹句は説明していた。若山ひろ子は若山浩子と改名していたが、モナリザのような頬笑みは、前とすこしも変わっていない。P210~P211】と記されている。最終頁だ。若尾文子は『十代の性典』に出演したのがデビュー作ではないようだが、当然にして『十代のあやまち』なる作品はなく、そこは小説的潤色ということだろう。それにしても、よく覚えているものだと、その若尾文子のベテランファンぶりに感心した。


 合評会では、両作とも初見なのは僕だけだったが、青春の放埓を描いてタッチのまるで異なるどちらの作をより支持するかで意見が分かれた。ただ一人『青葉繁れる』のほうを選択した主宰者は、原作自体が青春のバイブルであると同時に、三度目の観賞で観るたび毎に自分のなかでの評価が上がってきたことに感心したらしい。

 興味深かったのは、たん瘤を卑怯だと言った校長に憤慨したという女性メンバーが『青春残酷物語』については大島の中でも好きな作品だと言っていたことだ。前々回の課題作浮草中村鴈治郎が女を叩くのはヤだ。アホとか言って何度も罵るのもいただけない。杉村春子が酒をつけたりと、やたら世話を焼く姿もいただけない。昔のダンナ然としたオッサンだなぁ、と不愉快。として断罪していたのに、真琴を平手打ちするばかりか、泳げないと訴えて木場に浮かぶ大木に伸ばす手を足で払ったうえでじゃあ、なんでここに来たんだよとチョロ松校長の台詞を想起させるような暴言を吐いたうえで殆ど強姦に等しい形の強要をして交わった清に対して嫌いじゃないのね?嫌いでしたんじゃないのよねと縋っていく女性像を造形していた本作を容認するどころか、積極的に支持していた。金満社長の堀尾(二本柳寛)と寝たと真琴から告げられてまたもや平手打ちを加えていた清だったが、川津祐介だったらかまわないけれど、中村鴈治郎だと駄目なのかと訊ねた僕にかなり丁寧に両者の違いについて説明してくれたのだが、まるで腑に落ちてこなくて実に面白かった。

 映画のなかで造形されていた女性像ということでは、真琴ばかりか、妹に触発されて昔の恋人を訪ね、秋本から離れて中年男に流れた理由を安定と言われて首肯しつつ安定は得られなかったと答え、会社の上司と思しき男との不倫関係に嵌っていた由紀にしても、財力で若い燕を繋ぎ止めようとする中年女性にしても、『青春残酷物語』のほうが主体性や自立とは掛け離れた男性依存タイプの女性像であって、『青葉繁れる』でチョロ松校長との不倫関係にありながらも依存心などまるで見せていなかった俊介の姉多香子(十朱幸代)や斉藤先生(辻伊万里)、ハツ子(鶴間エリ)のほうが余程、男性依存とは縁遠かった気がするだけに不思議でならなかった。しかもチョロ松校長が問うた完遂だったか未遂だったかで言えば、完遂して誑し込んだとも言える『青春残酷物語』と未遂に終わった『青葉繁れる』では、前者のほうがより反発があって然るべきだと思った。

 ところで、僕があら?『青葉繁れる』ってこんな話だっけ?と思って原作にまで当たる気になったのは、たん瘤を卑怯呼ばわりまでしたうえで、海水着のうえに下着の重ね着をして身を守ることを教える斎藤先生への異議申し立てに、なんだか自衛隊への暗喩があるような気がして、脚本にも名を連ねる岡本喜八が潤色したのではないかと思ったからだった。普通には被害者と目される女性のほうに「卑怯」と言ってフックを掛け、身を守ることへの覚悟を問い質す言葉の強さのなかに意図的なものを感じ、日本のいちばん長い日肉弾激動の昭和史 沖縄決戦などをものしている岡本喜八らしいと思ったのだが、実のところは原作どおりだった。井上ひさしも「九条の会」の呼び掛け人に名を連ねていた人物なので納得しつつも、学生時分に読んだときの記憶には、そのような政治性がいささかも残っていなかったので驚いたというような話をすると、あの海水着は、そのように読み取るところなのかと感心された。原作小説で稔たちが入学した昭和二十五年の春P13】と明記された1950年は、マッカーサーの指令により警察予備隊が組織された日本の再軍備が始まった年だ。だが、本作自体は、政治を扱った作品ではなく青春の性事を描いた作品だと思うから、海水着に自衛隊を想起すべき作品とまでは思わない。

 ただ性事作品のなかに政治的メッセージが込められているようにも読めるところが面白かった。その観点から言えば、『青春残酷物語』のほうは、政治の季節に材を得ながら、ひたすら性事によって青春を描いているところが、ある意味、対照的で興味深く、課題作としてなかなか見事なカップリングだったと思う。メンバーのなかからも『青春残酷物語』とのカップリングで観たからこそ、より興味深く観ることができたという声が上がっていた。原作小説の書かれた1973年に何があったのか思い当たるものが浮かばないが、気になるところだ。

 そして、逮捕された秋本が清に言う俺達の青春の敗北が、君たちの歪んだあり方の原因になっているとの台詞に大島渚の心情が詰まっているとの意見が寄せられたが、'47年のマッカーサーによる2.1ゼネスト中止令から始まった逆コースのなか、戦後の学生運動で初の死者を出したとされる1952年の血のメーデー事件あたりが、社会変革の理想に青春を燃やして挫折した秋本たちの携わっていた学生運動なのだろう。

 また、医学書に掲載された女性器の図版を観た稔がこれは女の顔だと言う場面に、そういう見方も確かにあるかもしれないが、図版で初めて観た高校生の言うことではない気がして原作小説に当たったら、その通りだったという話をしたら、同書を青春のバイブルだと宣う映友が、コマ送りしたらきちんと写真で写っていると教えてくれ、サブリミナルを狙ったのだろうかねと言っていた。だが、サブリミナル効果に世間の注目が集まったのは、'90年代になってからだったような気がする。チラッと映るだけで視認できない場面だったが、本作と同年に公開された『エクソシスト』['73]にそれが使われているという話も仄聞した覚えがあるので、すかさず取り入れたのかもしれない。

 それにしても、女性器が象徴的な意味合いではなく視覚的に顔に見えるというのはどういうことかと思った部分は、これは大口を開いている女の顔らしいぞ、と稔は思った。縮毛が天に向って一本残らず逆立っているのは、怒髪天を衝くというやつで、女はなにかで多分腹を立てているところにちがいない。縮毛の下は、狭いが出っ張った額をはさんで、すぐ大きな三角形の鼻につながっている。真っ黒な三角鼻だ。鼻の先に小さなぽっちがあるが、これは御出来かなんかだろう。御出来の下はとても大きく開かれた口だ。口の奥に黒々と喉の穴が覗いていた。P23】という稔の主観描写がされたうえで、よく見ると図版の各所にも番号が振ってあった。図版の番号と述語のそれを照合すると、さっき稔が頭髪部と思ったところは恥丘というところらしかった。そして、狭いが出っ張った額が前陰唇交連というなにやら難しげな個所で、真っ黒な三角鼻が陰核包皮なるもので、鼻の先のぽっちが陰核亀頭という男にもありそうなもので、黒々とした喉の穴が膣口というえもいわれぬものであるらしかった。P24~P25】と詳述され、どうだ、これが敵の正体なんだぜ男の一生はこれとの戦だっぺよどうも詳し過ぎて戦意が湧かねぇな。おれにはどうしてもこれがあれだとは思えねぇべおれは二重丸に縦に棒一本突っ通した、この絵の方が、やる気が出るなという映画にも出てきた台詞が続いていた。やる気はともかく、大学に入学して上京したばかりの十代時分に、郷里の同窓生である浪人生の下宿の小部屋にて、当時ストリップ小屋に足繁く通い始めた同級生をからかって浪人生だった同窓生が女のあそこはどうなっちゅうと問うたところ、生真面目な彼がその形状について熱心に説明しながらもなかなか要領を得ず、浪人生がようわからんき、ちょっと描いてみてくれんかと言うとけっこう一人ひとり違うちゅうきねぇと言いながらそれらしきデッサンをしたことに爆笑し、なんかごちゃごちゃしちゅうにゃあ、俺はてっきりこんながかと思いよったと件の“二重丸に縦に棒一本突っ通した絵”を描いて見せたところ人間の身体がこんなに幾何学的になっちゅうはずがないやいかと答えたので、大爆笑した半世紀近く前のことを懐かしく思い出した。

 後に医者になった浪人生が既に開業医になっていた時分に、ふとした話から「一生の宝にする」と言っていたあの紙片はどうなったか訊ねたところ、後の話のタネにしばらく大事に持っていたが、引っ越しを重ねているうちに行方不明になっているとのことだったように思う。残念至極だ。




*『青葉繁れる』
推薦テクスト:「八木勝二Facebook」より
https://www.facebook.com/katsuji.yagi/posts/pfbid02VpKXn5beTiKVRT8y
X3idXb78NWkYaMS4CXMbbRUw3bq11zTBff8vAe4kpc7E9n86l

by ヤマ

'23.11. 7,8. DVD観賞



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