『フェイブルマンズ』(The Fabelmans)
『エンパイア・オブ・ライト』(Empire of Light)
監督 スティーヴン・スピルバーグ
監督 サム・メンデス

 映画を重要なモチーフにした作品が目に付く今年のアカデミー賞ノミネート作品二作を続けて観てきた。僕の好みは、断然『エンパイア・オブ・ライト』なのだが、同作のノミネートは撮影賞のみで、『フェイブルマンズ』のほうは作品賞をはじめとする計7部門のノミネートだ。二週間前に観たバビロンは、1926年から1932年のズバリ映画業界を舞台にした作品だったが、こちらのノミネートは3部門だった。

 先に観たのは、『フェイブルマンズ』。スピルバーグが少年期にどういう渾名で揶揄われたのか知らないが、フェイブルマンを“ベーグル”マンなどと囃し立てられていたサミュエル・フェイブルマン(ガブリエル・ラベル)の一家の物語だ。幾人かの映友を含む十代の時分に映画製作を“趣味”以上のものとして手掛けたことのある人には、さぞかし堪らなく琴線に触れてくる映画だろうことが容易に察せられる作品だと思う。

 サミーが六歳にして初めての映画『地上最大のショウ』['52]と出会い、『激突!』ならぬ“衝突”に魅せられ、映画小僧となって製作に夢中になり、遂には映画製作を生業として志すに至るまでの自伝的ドラマだし、場面演出の技量の確かさには屈指のものがあるスピルバーグだから、観ていて飽きないのは間違いない。だが僕は、三十七年前にカラー・パープルを観たときに感じた物足りなさに近いものを覚えた。

 また、いくつか腑に落ちないこともあって、普通に“サミー”と呼ばれることに抵抗していなかったサミュエルが、プロムの夜に思い余って結婚まで申し込んでしまうモニカ(クロエ・イースト)がサミーと呼ぶと、いちいち“サム”と訂正を入れるのは何故かとか、母親(祖母)を亡くして失意にある母(ミシェル・ウィリアムズ)を慰めるために、予定していた映画撮影の計画を追いやって、ヘッドライトの灯のなかで母が踊ったときのキャンプの8ミリの編集を行うよう父(ポール・ダノ)から頼まれ、編集機をプレゼントされていたと思うのに、アリゾナからカリフォルニアに転居して得たガールフレンドのモニカを自宅に招いた会食の席にいた老婦人は誰なのかとか、ローガンやチャドとの関係を含め、妙に釈然としないものがいろいろと残った。

 映画というものは、時に人を慰め、愉しませ、時に驚かし、感心させるばかりか、覆われていた真実を暴き立てたり、実物とは異なる偶像化を果たしたりもする、なかなかに手強く、怖いものであることも描き出していたようには思う。

 それにしても、数あるジョン・フォード監督の作品のなかから、敢えて劇中映写まで行なう作品として選ばれたものがリバティ・バランスを射った男だったことの示唆しているものは何だったのだろう。また、フォード監督(デイヴィッド・リンチ)に敢えて勇気ある追跡監督 ヘンリー・ハサウェイ)のルースター・コグバーンを彷彿させるような黒い眼帯を施していたのは何故だろうと思ったりしたが、あれがまさに晩年のフォード監督の姿だと教えてくれた方がいた。「白内障か何かか、強烈な撮影ライトの影響でみなさん目をやられる」のだそうだ。

 また、どうもピンと来ないフェイブルマン夫妻だったことも気になったが、寄せられたコメントによれば、本作の製作はスピルバーグが両親の他界を待って行ったものだとのこと。離婚した両親に対して愛情も屈託も抱いていればこそ、そして、何より映画というものが覆われていた真実を暴き立てたり、実物とは異なる偶像化を果たしたりもする、なかなかに手強く、怖いものであることを知ればこそ、両親にローガンやチャドの思いを与えたくはなかったのだろう。そして、たとえ両親が他界しても、そのあたりについて自身が抱えているものまで他界するわけではないので、こういう描き方になったのかもしれないという気がした。だが、夫妻の間に深く入り込んでいたベニー(セス・ローゲン)の描き方は、なかなかよかったように思う。


 '52年から'64年に渡る映画小僧サミーのビルドゥングスを描いた『フェイブルマンズ』に続いて、建築の道を目指した大学進学に躓いて映画館エンパイア劇場で働き始めて出会った人々や体験を通じ、元GFルビー(クリスタル・クラーク)からは「明るくなった」と言われ、母デリア(ターニャ・ムーディ)からは人生を知ったのよ、大人になったと言われる成長を得たスティーヴ(マイケル・ウォード)の、'80年から'81年にかけた若者の通過儀礼を描いた『エンパイア・オブ・ライト』を観た。

 ちょうど僕自身が東京から郷里に戻って就職をし、映画を精力的に観始めた時期と重なり、また、学生時分までと違って同年同質ではない人達との出会いのほうが多くなって、数々の刺激を得た時期とも重なっていて、なかなか感慨深く観た。

 母子家庭の英国在住トリニダード・トバゴ人スティーヴがエンパイア劇場に勤め始めたときに掛かっていた『ブルース・ブラザーズ』['80]と『オール・ザット・ジャズ』['79]のうち、後者は観ているけれども、前者は未だ宿題映画のままで、中高年女性のフロア主任ヒラリー・スモール(オリビア・コールマン)が珍しい遺失物と問われて遺体三体を見つけたと言っていた『トランザム7000』['77]も未見なのだが、『炎のランナー』['81]は、僕には珍しくも三ヶ月の間に二度観ている映画だ。劇中に出てくるスキンヘッズとサッチャーのおかげで荒んだ時代になったというような台詞の後でエンパイア劇場に掛かっていた映画『レイジング・ブル』['80]は観ているが、怒れる雄牛との題名が暗示していたかのように、とりわけ有色人種を念頭に“白人の仕事を奪う移民排斥”を訴えるデモから暴動に至る場面が現れていた。そのことからすれば、映写技師のノーマン(トビー・ジョーンズ)にヒラリーが頼んで、お任せで見せてもらっていた『チャンス』['79]にも重要な意味付けがあるのだろうが、同作に至っては、まるで知らない映画だっただけに、宿題映画にしたくなった。

 映画館の支配人エリス(コリン・ファース)は、困ったエロ親父だったが、スタッフたちは、排斥運動に走る失業者とは対照的に、ノーマン映写技師に限らず、篤実なニール(トム・ブルック)にしても、パンク気取りのジャニーン(ハナー・オンスロー)にしても、働く仲間同士に対する温情が真っ直ぐで、さすが労働組合発祥の国だけのことはあると思った。それと同時に、恋愛対象における人種偏見や年齢差別の無さを印象づける設えにしていることが目を惹いた。ノーマンの忠告によって、大怪我で入院中のスティーヴを見舞いに来たヒラリーに、息子の心情を伝えるデリアの臨み方に感心しつつ、本作は、寛容と不寛容、受容と忍耐を通じて、人の品位について描いた作品でもあるような気がした。僕の琴線に触れてくる主題だ。

 ヘイトクライムに係る部分を描いたうえでのヒラリーとスティーヴとするか否かの違いは大きく、加えていわゆるメンヘラなどという言葉で括られる人々に向ける眼差しにも言及しているところが目を惹いた。父親からの虐待受けてヒラリーが心の病を抱えるようになったことを偲ばせる“砂の城を興奮して崩している姿”を呆然と見ていたスティーヴの場面がとても利いていて、あなたがスティーヴとビーチに行った方ですよね?と敢えてビーチに言及したうえで息子はあなたに会いたがっていると伝えていたデリアの台詞が重要だと思う。

 年越し花火を一緒に観て、思わず口づけてしまったスティーヴとの出会いによって、映画を観ることへの道を開かれたヒラリーが、今なお存命なら九十歳近くになっていると見込まれるが、その後、どんな映画を観てきているのだろうか。商品には手を出さない主義だったヒラリーはそうではなくなったわけだが、映画にまつわる仕事をしていても、興行として携わっている人々のなかには、観賞を楽しみ味わうために映画を観る習慣を持ってはいない人が少なからずいるらしい。何とも勿体ないことだ。タイトルの「光の帝国」というのは、まさに映画のことを指しているのだろう。大英帝国ならぬ“大映帝国”ともいうべき映画世界の壮観をイメージしているような気がした。
by ヤマ

'23. 3.11. TOHOシネマズ2
'23. 3.12. TOHOシネマズ2



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