『バビロン』(Babylon)
監督・脚本 デイミアン・チャゼル

 バビロンと題されると、どこか退廃と堕落のイメージが喚起されるようなところがあるが、1926年に始まる本作は、世界恐慌前のバブル期を謳歌し、時代の先端がモラル革命をアピールしていたジャズエイジの混沌と退廃を映し出していた。1925年に発表された(岩波文庫『夢小説・闇への闘争 他一編』池内紀による解説P328)シュニッツラーによる『夢小説』を原作とするキューブリック監督のアイズ・ワイド・シャット['99]に描き出された猥雑パーティ以上の乱痴気ぶりを露わにした、実にパワフルで長々とした序章には圧倒されたものの、象のひり出す大量の糞を浴びる場面や、乱交パーティでの小水プレイの果てにオーバードーズで落命する女優の姿などというものを、多額の製作費を投じていることを露わにした贅沢な画面のなかで観る空疎感に繋げてしまうような、何とも言えない味の悪さが漂っている作品だったように思う。

 面白かったのは、文字や言葉ではよく見聞しているトーキー時代到来による映画製作現場の激変ぶりが詳細に描出されていた点で、ルース監督(オリヴィア・ハミルトン)の元、サイレント時代の撮影では闊達自在の見事な演技で撮影現場を制していたネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)が、トーキー撮影になって監督ではなく録音係から頻繁に駄目出しをされるようになって苛立っている対照が印象深かった。

 マーゴット・ロビーが、まさに今が盛りの圧巻のオーラを放っていて、なかなか見事だった。確か1932年に三十四歳で亡くなるまでの六年間のネリーを演じていたけれど、平たい胸と謗られようが、ゲロを吐こうが、酒や薬に酩酊しようが、ここぞの身のこなしや表情の圧倒的な魅力に惚れ惚れとしてしまった。マニーことマヌエル・トレス(ディエゴ・カルバ)が惑わされるのも無理からぬものがあるように思う。そして、ギャングのボス、ジェームズ・マッケイを演じていたトビー・マグワイアの不気味さも印象に残った。

 だが、ラ・ラ・ランドの二番煎じとしか思えないようなジャスティン・ハーウィッツのスコアには時代性を無視した安直さを覚え、興醒めだったし、最後の最後はセッションの二番煎じのように、大音量のドラミングの音で煙に巻くような終え方をされて、大いに興を削がれたような気がする。
by ヤマ

'23. 2.27. TOHOシネマズ2



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