『勇気ある追跡』(True Grit)['69]
『三人の名付親』(3 Godfathers)['48]
監督 ヘンリー・ハサウェイ
監督 ジョン・フォード

 西部の荒くれ男を演じるジョン・ウェインが、ミドルティーンの少女マティを抱きかかえて懸命に走る『勇気ある追跡』と、赤ん坊を抱きかかえて渇きに耐えながら延々と歩く『三人の名付親』という、異色のウエスタンを続けて観た。ちょうど十年前に観たトゥルー・グリット['10]の最初の映画化作品である前者は、公開から十年後の '79年の僕が21歳の時に観て以来だから、四十二年ぶりの再見となる。後者に至っては、ローティーンの時分にTV放映で観て、活劇だとばかり思っていた西部劇らしからぬ異色ぶりが印象深く残り、ずっと再見したいと思いつつも、半世紀ものあいだ宿題のままになっていた作品だ。

 先に観た『勇気ある追跡』では、いかにも有り得ないようなネッド(ロバート・デュバル)一味四人とはみ出し連邦保安官ルースター・コグバーン(ジョン・ウェイン)の騎馬戦のみならず、かなり無理筋な展開に、129分は些か長過ぎて、ぐっと引き締まっていたコーエン兄弟版のほうが、ラストの顛末も含めて、僕の好みだと改めて思った。

 キム・ダービーが演じていた少女マティ・ロスよりも、ヘイリー・スタインフェルドの演じていたマティのほうが、よりトゥルー・グリットの輝きを放っていたように思うし、追跡以上に感動的だったルースターの“勇気ある搬送”の観応えもリメイク版のほうが勝っていたような気がしてならない。

 それでも、胸元近くまで深く水に浸かりながら、馬に乗って川を渡るマティの無謀さを観て、ルースターがテキサスレンジャーのラビーフ(グレン・キャンベル)に「昔の俺を見るようだ」とほほ笑んだ場面は、なかなか良かった。リメイク版でこのシーンは、どのように描かれていたのか観直してみたいと思った。

 翌日観た『三人の名付親』は、これほど宗教色が強かったのかと些か驚くほどだったが、この“西部劇らしからぬ観念性と宗教色”は、やはり大いなる特徴だと思った。加えて、いかにも戦後間もない時期の映画らしく、次代を担う赤ん坊の存在が、社会的にも非常に望まれ歓迎された時代だったのだろうと改めて思った。

 タイトルに反して名付けをしたのは、三人のならず者ではなくて、実母だったことにも驚いたのだが、ボブことロバート・ハイタワー(ジョン・ウェイン)にしても、アビリーン・キッドとの異名を持つ御尋ね者のビルことウィリアム・カーニー(ハリー・ケリー Jr.)にしても、ピートことペドロ・エンカランシオン・アランゴ(ペドロ・アルメンダリス)にしても、厩ならぬ砂漠の嵐に荒れた幌馬車のなかで気丈な出産を遂げた聖母マリアのごとき女性の偉業に打たれたということなのだろう。

 彼女が末期に遺した「この子を助けて」との声に約した後に与えられた試練に三人が耐え、鍛え上げられていく姿も良かったが、ピートの音読する育児書に従い、生後間もない赤ん坊の背にべったりグリースを塗りつけながら、三人で挙げていた大笑いが最も印象深かった。やはり幼子の存在がもたらす笑いに勝る福音はないという気がする。キッドの歌う“ララバイ”に感じ入るボブの姿も心に残った。

 序盤で繰り広げられた馬に乗って逃げる三人を追う馬車の場面での疾走感の見事さや砂漠に舞う砂塵を捉え、風紋を映し出す画面の魅力にも感心した。見掛けに寄らず切れ者のバック保安官(ワード・ボンド)が序盤で呟いていたとおりになった、ビー・スィート対ママデュークのチェス対決は、おそらく、追跡劇や親権争いといった二人の他の勝負と同様に、かなり拮抗していたに違いない。

by ヤマ

'21. 1.21. BSプレミアム録画
'21. 1.22. BSプレミアム録画



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