『決斗!一対三』(The Lawless Breed)['52]
『リバティ・バランスを射った男』(The Man Who Shot Liberty Valance)['62]
『オクラホマ・キッド』(The Oklahoma Kid)['39]
監督 ラオール・ウォルシュ
監督 ジョン・フォード
監督 ロイド・ベーコン

 評価は読者次第だと語るウェス(ロック・ハドソン)による自伝の形を採った“悪名高き無法者ジョン・ウェス・ハーディンの半生”を描いた『決斗!一対三』を観ながら、本作は秘話として史実をなぞるのではなく、作中のハーディンを通じて、「更生」について描いているような気がした。そして、ウエスの変化のみならず、彼の妻となったロージー(ジュリー・アダムス)の変化を観ることで、人の生き様を形作るのは性根以上に環境であり、なかんずく人との関係性だと思った。そういう意味では、まさしく環境としての世間というものの与える影響には大きなものがあるというわけだ。ハーディにおける無法をブリード【増殖】していったのは、彼自身の性質以上に、聖職にある威圧的な父親(ジョン・マッキンタイア)との関係や、彼の行状を面白おかしく煽り立て囃し立てる世間の声だったような気がする。

 それにしても、1894年に十六年の服役を経て釈放されたのであれば、1953年生まれだということなら二十五歳で収監されて四十一歳で出所してきたことになるが、どちらの時点においても、えらく老けている感じが強かった。テキサスレンジャーが州を越境して逮捕しに来た時点で、ロージーとの六年余りの逃亡生活を経たうえでの牧場主になっていたわけだから、ウェスがジェーン(メアリー・キャッスル)との結婚を果たそうとしていたのは、何歳の時だったことになるのだろう。十代半ばだとすれば、十年くらい勘定がズレている感じのウェス・ハーディンの半生だった。

 また、いったいどこが「決斗!一対三」だというような物語だった気がする。そして、あれはもしやリー・ヴァン・クリーフではなかろうかと思ったら、やはりそうだったことが目を惹いた。


 翌日に観た『リバティ・バランスを射った男』は、想いを寄せる馴染みの女性ハリー(ヴェラ・マイルズ)に向けて「怒った顔が綺麗だ」などという、いかにもマッチョな台詞を繰り返す男の役柄が実によく似合うジョン・ウェインの演じた早撃ちのトム・ドニフォンの物語だったように思う。トムは、酔った勢いでとはいえ、恋に破れて自宅に火を放ち死に掛けるような女々しい男なのだが、悪名高き無法者リバティ・バランス(リー・マーヴィン)を射った男として名を上げていき、遂には上院議員から副大統領候補にまで至ったランスことランサム・スタッダード(ジェームズ・ステュアート)の影で生涯、余計なことを口にはしなかった点では、なかなかの好漢でもあったという話だった。

 「教育こそ法と秩序の基盤だ」と識字学級を開き、銃ではなく法による支配を説くような法律家ランスを、新時代に必要な男として最初に政治の世界に送り出す推薦人に自分がなったことと、ランスの妻になったハリーへの変わらぬ想いから、自身の矜持として秘め続けた“砂漠に咲く花”のような男だったということなのだろう。銃ならぬ棘を全身にまといながら可憐な花を咲かせるカクタス・ローズという名のサボテンこそは、トム・ドニフォンという人物に他ならないわけで、ハリーによる献花がうまく利いていたように思う。筋立て的な運びとしては、リバティ・バランスを射った男と称されたランスの話ながら、そういう意味では、実際にリバティ・バランスを射った男トムの物語になっていたということだ。

 また、奇しくも前日に観た『決斗!一対三』同様に、伝説的に人々に語られる人物の秘話を当事者が回顧的に語る物語であり、同じようにリー・ヴァン・クリーフが敵役側の子分格で登場していたことも目を惹いた。そして、これは以前から感じていることだが、ジェームズ・ステュアートは、ふとしたときの表情が小林桂樹に似ていると改めて思った。それにしても、何ゆえに作り手は、バランスにリバティという名を付けたのだろう。


 三日目に観た『オクラホマ・キッド』は、前日に観た『リバティ・バランスを射った男』に描かれていた「銃か法か」の物語に通じる対照が興味深い作品だった。

 第二次大戦後となる前世紀後半の'62年作品のほうでは、銃ではなく法による支配を説くような法律家ランスを、新時代に必要な男として描いていたが、戦前の'39年作品となる本作では、名うてのガンマンながら遥かなる大地へ['92]にも描かれていた“オクラホマのランドラッシュ”に対して、先住民からの強奪に加担したくないと批判的だったオクラホマ・キッドことジム・キンケイド(ジェームズ・キャグニー)が、ハードウィック判事(ドナルド・クリスプ)を頼りとしながらも、最後には法よりも銃を頼みとするに至る物語になっていた。時代性を感じつつも、今なお進まぬアメリカの銃規制問題の根っこを観るような気がした。そして、及び腰のジムに対して、その真情を察しつつ半ば強引に彼を手中に収めるジェーン・ハードウィック(ローズマリー・レイン)として、非常に自己決定力の高い女性像を造形していた点に、大いに進歩的なものを感じた。

 先住民の土地を奪う入植拡大に当初は批判的だったとクレジットされていたクリーブランド大統領が選挙民に押される形で発した大統領令によって、政府のカネで土地がもらえるってことだ!と叫んでいた男たちの野心を煽ったことになる様子を映し出していたオープニングがなかなか効いていて、物語後半で、タルサの顔役となったウィップ・マッコード(ハンフリー・ボガート)が町の人々を煽り立てて暴徒に政敵ジョン・キンケイド(ヒュー・サザーン)を縛り首にさせてしまう場面と被さってくる形になっていた。のぼせあがって熱狂に駆られた群衆ほどタチの悪いものはないというわけだ。

 それにしても、小狡く悪辣なマッコードを演じていたボギーは、四十歳頃だと本当に悪党面だったのだなと妙に可笑しかった。キャグニーとボガートの二人が出ている未見の宿題映画『汚れた顔の天使』['38]を俄然、観たい気持ちが湧いてきた。また、前日、ジェームズ・スチュアートに小林桂樹を想起したように、本作の小柄でちょこまか動き回り、折々に愛嬌を見せるジェームズ・キャグニーには濱田岳を想起して、可笑しく思った。
by ヤマ

'22. 1. 4. BSプレミアム録画
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