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『わらの犬』(Straw Dogs)['71] | |||||
監督 サム・ペキンパー
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ペキンパー作品は、『昼下りの決斗』['62]、『ワイルド・バンチ』['69]、『砂漠の流れ者』['70]、『ゲッタウェイ』['72]、『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』['73]、『ガルシアの首』['74]、『戦争のはらわた』「'77」と観ているなか、長年の宿題作だった本作をようやく片付けた。 オープニングからずっと漂う不穏な空気が只ならぬ作品だった。そして、イギリスの田舎の村が舞台だとは思いがけず、かなり驚いた。作中の台詞にもあったように、暴力に満ちたアメリカから逃げてきたはずが、より陰湿な暴力に満ちた村でとんでもない事態に陥っていくインテリ・アメリカンのデイヴィッド・サムナー(ダスティン・ホフマン)を描いて噂に違わぬ強烈なイメージ喚起力には感心したものの、あまり味のよくない映画だったような気がする。 冒頭の犬をいらう子供たちとエイミー(スーザン・ジョージ)の服地の下に浮き出た乳首で始まった本作に描かれていたのが、理性を欠いて狂った人間の怖さとタチの悪さだったからだろう。それらを最もよく煽るものとして強調されていたのが銃と酒と性欲だったように思う。本作から五十年を経て、銃や酒の規制どころか、ますます人間から理性を奪い狂わせる多種多様のものが開発されている。最後にデイヴィッドが「僕もだ」と相槌を漏らしていた、「帰り道がわからない」という知的障碍者ヘンリー(デヴィッド・ワーナー)の呟きが印象深い。まさにその言葉が今や全人類の嘆きになっているように感じられる、現代という時代のことを思ったりした。 これがかの名高いレイプシーンかと思いながら観た場面よりもインパクトがあったのは、サムナー夫妻が牧師夫妻の主催する親睦会に招待されて参加した場面だった。明るい賑わいのパーティーの際中にエイミーの脳裏に暴力的に湧き上がっていたレイプシーンのフラッシュバックを観ながら、こういう形で苛まれるものなのだと感じられた生々しさが痛烈だった。また、今回の宿題映画解消に一役買ってくれた映友が再見して「中学の頃封切で観てて、トラウマ的に記憶に残る作品でした。しばらくソフトが出なかったので、余計に募ったのでしょうね。陰鬱な田舎の描写が強烈でした。スーザンのレイプシーンと、ダスティンの狩シーンのカットバックが強烈でした」と記していたように、もはやチャーリー(デル・ヘニー)たちの獲物でしかなくなっているエイミーと、鳥撃ちをしている場合ではないデイヴィッドが狩りをしている姿を交互に映し出していた場面も、なかなかインパクトのある編集だったように思う。 また、別の映友は「これ、小学生の時に水曜ロードショーで観て以来、未見です。なんだかもう、とにかく不快で不快で。タチの悪いチンピラに延々絡まれているような気分になりましたね。再見する勇気の湧かない映画のひとつです。」と記していたのだが、誰も彼もが全くろくでなしのオンパレードで、それも道理だと思った。DVDの特典映像には、エイミーを演じたスーザンの三十年後のインタビューが付いていた。そのなかで五十路になった彼女が、昔馴染みの元恋人であるチャーリーのレイプに抵抗しながらも、性感を覚えるに至って自ら求めてしまうエイミーの心境について語っていたが、二十年前(2002年)のこのインタビューは、今だと炎上に晒されるのだろうなと思った。 | |||||
by ヤマ '21. 9.21. DVD観賞 | |||||
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