『スウィング・キッズ』(Swing Kids)['18]
監督 カン・ヒョンチョル

 なかなかパワフルで且つメッセージ性の強いエンタメ仕様に大いに感心した。実に全く「クソ、イデオロギー」だと僕も思う。台詞にもあったように共産主義だろうが資本主義だろうが、人を殺し、国を分ける思想が馬鹿げているのだが、巨済島捕虜収容所のロバート所長にしても、黒幕の北鮮軍幹部サムシクにしても、純粋にイデオロギーを信奉しているのではなく、己が地位保全のための権力行使の方便にしている有体が痛烈だった。しかし、末端は確実にそれによって翻弄され、殺戮さえ受けるわけだ。権力構造というものの致命的欠陥はそこにあるからこそ、強権主義なるものは芽を摘んでおかないと忽ち酷いことになってしまう。

 物事は、徹底なんぞを企図したら、ろくでもないことにしかならないとしたものだ。僕は、「断固」だとか「徹底」といった言葉自体に内在されている暴力性に気持ちの悪いものを感じて仕方がないほうだから、いま終盤にきているNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』でも言及していた“強い力ではなく、しぶとい力”でダンスチームにジャクソン軍曹(ジャレッド・グライムス)を呼び戻し、ロ・ギス(D.O.)を立ち返らせていた“強権とは非なる音楽と踊りの力”のほうを支持している。

 反芻するほどに志の高さを感じるエンタメ作品で、オープニングで使われていた朝鮮戦争時の記録映像は本物のような気がするが、記録映像というものは編集とナレーションのつけ方によってどうにでもなることを所長の台詞を介して明言していたことに感心した。これから始まる本編での「巨済島捕虜収容所で起こったこと」の真実は、一片の映画作品などによって判じることではなくて、きちんと資料に当たり、たとえ記録であっても鵜呑みすることなく検証すべきものであるということをある種、挑発的とも言えるほどに、フィクショナルに描き出していた気がしてくる本編だった。寄せ集めのダンスチームの破格の潜在能力もさることながら、率いる黒人軍曹の名をM.ジャクソンなんぞにしていることからも、そこは確信的なものだというふうに感じた。

 場面場面によってコメディ調にしたり、シリアスドラマに仕立てたり、ミュージカル風にしてみたり、スペクタル映画的な演出を施したりと、破調と言えば破調に他ならないのだけれども、映画に宿っているパワーと前面に出しているメッセージ性に些かのブレもないから、呆気に取られながらも不満には繋がらなかったような気がする。

 むかし観たホワイトナイツ['85]のミハイル・バリシニコフとグレゴリー・ハインズのダンス対決を想起するような北鮮軍捕虜ロ・ギスとジャクソン軍曹の対決やピッチ・パーフェクト['12]のリフ・オフ対決を想起させるようなチーム・パフォーマンス対決が目を惹き、国もイデオロギーも人種も性差も越境できる“音楽と踊りの力”を観るのが愉しかった。そう言えば、と邦画でも水谷豊が監督した『TAP-The Last Show-』['17]という映画を観たことも思い出した。音楽と踊りがさまざまなものを越境させていた本作は、映画としてジャンルを越境させたスタイルを貫徹していたわけだ。まったく見事なものだ。




推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/groups/826339410798977/posts/3375716095861283/
by ヤマ

'21. 9.23. ムービープラス録画



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