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『巴里の屋根の下』(Sous Les Toits De Paris)['30] 『八十日間世界一周』(Around the World In Eighty Days)['56] | |||||
監督 ルネ・クレール 監督 マイケル・アンダーソン | |||||
過日観た『慕情』『愛情物語』に続き、映画音楽のよく知られた旧作二本を観た。 名高いタイトル曲の歌声で始まる『巴里の屋根の下』は、団鬼六の小説『往きて還らず』のなかで、同曲が印象深い使われ方をしているのを読んでとりわけ気になっていた未見作だったのだが、九十年前の映画とは思えない滑らかでスケール感のある撮影が目を惹いたオープニングとエンディングを飾る“巴里の屋根の下”の映像に惹かれはしたものの、『往きて還らず』とはまた違う意味での人物関係の珍妙さがどうにも腑に落ちず、あまり響いてこなかった。 あのスリとアルベール(アルベール・プレジャン)たちの関係は何だったのだろう。また、ポーラ(ポーラ・イレリ)とフレド(ガストン・モド)の元々の関係、フレド、アルベール、ルイ(エドモン・T・グレヴィル)と渡り歩いていたと思しきポーラの思惑も何とも掴み難かったように思う。『往きて還らず』の八重子が、戦時下に滝川大尉、中村中尉、横沢少尉と渡り歩いた果てに慰安婦として売春宿ひょうたん亭で働くことを自ら求めるようになるのとは、全く趣が違っていたように思う。 後から観たヴィクター・ヤングの名曲で知られる『八十日間世界一周』は、奇しくも数日前に観たばかりの『ハスラー2』での数千ドルどころか、1872年当時の2万ポンドもの大金を賭けた大博奕の話だった。前振りに原作者であるジュール・ヴェルヌの驚くべき先見性についての解説があるばかりか、映画百年の年に「シネ・フェスタ高知」と「ジョルジュ・メリエス映画祭」で観て以来となる『月世界旅行』[1902年]を五分間にも渡って引用紹介していたことに驚いたが、その悠揚さそのままの運びで、八十日間とは言わないけれど三時間近い長尺で綴る堂々たる大作だった。 大博奕を打つくせに矢鱈とパンクチュアルで几帳面な、歯に衣着せぬ英国紳士のフォッグ氏(デヴィッド・ニーヴン)が、執事に雇い入れたばかりの身のこなしが軽く機転の利くパスパルトゥー(カンティンフラス)を連れて世界一周の旅に出るわけだが、立ち寄った土地土地で繰り広げられる人海の凄さに本作のエキストラは総勢で何人に及んだのだろうと呆気に取られた。乗り物も実に多彩で、本編開始早々に登場する変形自転車や巴里で手に入れた気球に始まり、帆船、蒸気船、汽車、幌汽車、象、人力車、馬車、馬車ならぬ駝鳥車といろいろ出てくる。基本的に話の運びは無茶苦茶で、もっともらしいドラマよりも世界各国の珍しい事物を見せてやろうとする見世物映画だったように思う。 立ち寄った国々で印象深かったのは、圧巻のフラメンコをたっぷりと見せてくれ、鮮やかな牛捌きの闘牛を披露してくれたスペインと、牛繋がりとなるインドでのカーリーの秘儀、そこで出会ったアウダ姫(シャーリー・マクレーン)を伴って続けた旅の終盤、牛繋がりで言えば、バッファローが怒涛の疾走を繰り広げるアメリカ、そして、ヴェルヌが芸者ガールに執心でもしていたのか「横浜の芸者は一見の価値あり」との台詞もあって、何故かクローズアップされていた日本だった。芸者ガール、富士、大仏が三大名物だったのかと偲びつつ、ちょんまげと散切り頭の混在する明治五年の日本を描いて、実に珍妙なる“東西合同大歌舞伎”と題されたサーカスを、スペインの闘牛、インドの秘密結社による奇祭に並ぶものとして置いてあることが目を惹いた。そして、アメリカでこれらの奇祭に当たるものが“選挙”であるとしていたことに感心した。 インドではパスパルトゥーの活躍によってアウダ姫を生きながらの火葬から救い出し、アメリカではパスパルトゥーをスー族による火刑から助け出したフォッグ氏が、80日間の冒険によって気難しい偏屈者から、情にも果断にも手厚いものを見せる好漢になっていることを鮮やかに映し出していた、燃料切れの蒸気船を買い取って船上の燃やせるものを全て燃やしてゴールを目指す場面が気に入っている。 *『八十日間世界一周』 推薦テクスト:「虚実日誌」より https://13374.diarynote.jp/200803171334300000/ | |||||
by ヤマ '21. 1.24. BSプレミアム録画 '21. 1.30. BSプレミアム録画 | |||||
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