『ハスラー2』(The Color of Money)['86]
監督 マーティン・スコセッシ

 三十四年前に『殺したい女』との二本立てで観て以来の再見だ。永の付き合いらしいジャネル(ヘレン・シェイヴァー)から最後に「信念のあるあなたが好き」と言われて「信念か…」と呟いていた、かつて豪速エディとの異名を取りながらもハスラーを辞めて二十五年にもなるエディ・フェルソン(ポール・ニューマン)の胸の内に去来していたものに味があった。

 一流になるには、頭と腕が必要だと若き手練れのヴィンセント・ロウリア(トム・クルーズ)に説きながら、なんのことはない、アモス(フォレスト・ウィテカー)にも、ヴィンセントにも、呆気なく裏をかかれていたエディは、二十五年前の前作ハスラー['61]で、バート(ジョージ・C・スコット)ともどもサラ(パイパー・ローリー)の捨て身の策略に嵌って出し抜かれていたエディそのままだった気がする。

 ある意味、そういう素地の部分での人の好さというか甘さがあればこそ、同質のものを嗅ぎ取ったヴィンセントに自身を見出して入れ込んだような気がしないでもない。ろくでなしの元男が強盗してきてカルメン(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)に与えたネックレスを自分の母親の盗まれたものだとは思いも掛けずに、むしろ似ている装身具を身に着けていることに運命的な縁を感じ取っていたと思しきヴィンセントなれば、エディの世知に辛い教えよりも、純な功名心のほうが勝ってしまうのだろう。そんなヴィンセントが、まるでカムバックしたエディの鼻をへし折るように、彼に愛用のバラブシュカのキューを仕舞わせ、準決勝を棄権させた“名よりカネを稼ぎ取る策略”にまんまとエディを嵌めたわけだが、その意図はどこのところにあったのだろう。

 エディの忠告に従わないで、数千ドルは稼げたはずのカモたちを前にしてほんの150ドルの賭け金とけちなプライドを守る自己満足を優先させてしまうヴィンセントに“ハスラー修行”をさせていたエディに対して、己がプライドや自負を売り渡すのはそう易いことではなく、カネさえ得られれば了解できるというものではないからこそ“ハスラー”なのだということを思い出させる結果になっていたように思うが、もとよりヴィンセントにはそこまでの思いはなく、もっとシンプルに“己がプライドを否定されたことへの意趣返し”のようなものだった気がした。

 しかし、妙に肚に入ってこないようなところがあって反芻しているうちに、ヴィンセントの素地に想いが及び、エディからの“短期間でも濃縮されたハスラー修行”により、負けず嫌いの人好しヴィンセントが己が負けを高く売ることに長けた賭博師に成長したのだということを師たるエディに見せて認めてもらいたいという純な思いから仕掛けたことのような気がしてきた。エディから受けた濃密なハスラー修行により短期間で賭博師としての腕を上げつつも、いかな濃密な修行であれ、短期間で損なわれるような素地ではないと捉えるほうが、四半世紀経とうとも変わらぬ“出し抜かれエディ”の後継者たるヴィンセントに相応しいと思うようになった。

 前作『ハスラー』の場外戦たる心理戦の観応えからすると、本作に描かれた心理戦は真っ当な分だけ見劣りを免れないように思うけれども、対人ギャンブルの真骨頂が心理戦にあるということについては、前作同様に的を外さずに捉えていたような気がする。サラのような哀切はなかったけれども、カルメンも訳ありの複雑さを含んだ人物造形だったし、演じたメアリー・エリザベス・マストラントニオがなかなか魅力的だった。

by ヤマ

'21. 1.26. BSプレミアム録画



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