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高知の映画百年を顧みて | ||||||||||||||||||||||||||||
機関紙「ぱん・ふぉーかす」第94号('96. 1.23.)掲載 [発行:高知映画鑑賞会] | ||||||||||||||||||||||||||||
昨年は、映画百年ということで例年になく、TVや雑誌、新聞などで映画に関するさまざまな企画を目にしたが、それらの中で高知でおこなわれたものについてまとめて振り返ってみたい。 別表を一覧するとよく判るのだが、高知でも年間を通して、大小さまざまな映画百年と名付けられた企画がおこなわれている。地方都市としては、かなり充実していたのではなかろうか。 特に、年度始め四月と年末十二月の二つの無声映画の上映企画が印象深い。春の「シネ・フェスタ高知」では、映画史の原点とも言うべき記念碑的な作品に合わせて、高知で書いた台本を高知の弁士が高知の楽団の演奏と共に披露するという画期的な企画であったにもかかわらず、二百人にも届かない観客しか来ていなかったのが、いかにも残念であった。年末の「メリエス映画祭」に弁士として来高したマリー・エレーヌさんは、曾祖父メリエスの作品上映には注文の多い方でありながらも、春の高知での上映会には強い関心を示し、是非観てみたかったと話していたそうだ。 彼女が弁士を務めた「メリエス映画祭」は、全国でも高知のほかには、東京・大阪・名古屋の三大都市でしか実施されないビッグイベントだった。非常に貴重なメリエス作品が一挙に八十本、当時さながらに毎秒十八コマで、即興ピアノの生演奏と共に上映された。そして、メリエスが既に著名な特撮映画の始祖というだけではなく、劇映画・再現ニュース・SF・ファンタジー・コメディなど、あらゆるジャンルにわたる制作を手掛けており、まさしく“映画の父”と呼ばれるにふさわしいことを目の当たりにしてくれた。この「メリエス映画祭」が二日間で千人以上もの観客を集めたことは、喜ばしい限りだが、それに比べて春の「シネ・フェスタ高知」の観客動員のあまりの少なさを思うとき、ある種の羨望と共に広報宣伝の威力と重要さを再認識させられた気がする。 他には、シネマLTGがフランス映画に絞って精力的な連続上映をおこなう中で、新作旧作/ヌーベルバーグの巨匠/劇映画とドキュメンタリー映画といった、作品選定の目配りのよさを際立たせていたことや高知キネ旬友の会が東西2名作上映会としたときに、今をときめく台湾映画の新作と日米英の俳優が競演したハリウッドの旧作が並んだことが印象に残っている。 また、六回目の開催となる「高知シネマ・フェスティバル」が映画百年に際して初めて迎えた批評家ではないゲストが、前年のキネ旬ベストワン監督だったことも、高知の自主上映においては記念碑的な出来事となったと言えるかもしれない。さらには、地域に根ざした活動の中から、映画にまつわる記事が単発ではなく連載という形で新聞紙上に取り上げられたことも特筆しておいてよいのではなかろうか。 これらを通して思うのは、むずかしいことかもしれないが、映画への注目が昨年一年に留まらず、昨年を契機に“始まる”ことへの期待であった。
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by ヤマ '96. 1.23. 高知映画鑑賞会機関紙「ぱん・ふぉーかす」第94号 | ||||||||||||||||||||||||||||
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