『ゆれる』['06]
監督・脚本 西川美和

 三年前の再見以来となる三度目の観賞である。猛(オダギリ・ジョー)の心を揺らした、父勇(伊武雅刀)の洩らした智恵ちゃんは、お前と同じで呑めないほうで、ビール一杯で…によって“猛が抱えていた疑心の火薬”を暴発させた兄稔(香川照之)の面会室での怒りの悪態と、稔の掛けた智恵ちゃん、あれでなかなかしつこいだろう?への弟の反応によって“稔が抱えていた疑心の火薬”を爆発させた検事(木村祐一)の質問膣内から微量の精液が検出されております。前夜に性交渉があったと思われますが、貴方は、恋人の存在を知っていましたかという確証の威力に、智恵子の母のあの子は、殺されるようなことを何かしたのでしょうか?が、改めて刺さってきた。

 初見時の映画日誌むろん悪とか何とかではなく、自分が転嫁できることでもないけれど、あのとき、智恵子が断ってくれてたらとの想いが猛に訪れなかったとは思えない。高いところも揺れるところも苦手な兄が、なぜあの吊り橋を渡ったんだろうと思いを巡らせていた猛が智恵子と兄との間にそういうことを考えてもおかしくはないような気がすると綴ったように、猛がシャワーを浴びながら、事件前夜の智恵子(真木よう子)との激しい交わりを思い出して嘔吐までしてしまうのは、そういうことなのだろうと改めて思った。

 そして、五年前に原作小説を読んだとき“稔の落涙”が映画ではどうなっていたか観直してみたい気がした。と記した部分について、再見時に映画では深々と下げた頭は映しながらも、顔は見せていなかった。と綴っている場面での稔の見えない表情に、涙どころか鬼の形相を感じて、恐れ入ってしまった。被告人席からでは見えない傍聴人のほうに向き直ったのは、検事の言葉を聴いた猛がどんな顔をしているか確かめずにいられなかったからであり、敢えて添えた恋人がいらしたのならば、その人に対しても、取り返しのつかない御迷惑をおかけしました……本当に、あの、申し訳ございません……との言葉こそは、弟を思い切り刺し貫く刃として当てつけたものだったのだろうという気がした。

 稔に揺らされた猛から揺らされたことで、早川兄弟の両方ともを逆上させるほどに揺らし、三十路を待たずして死んでいったことになる智恵子は、いったい何をしたのだろうと思うと、何とも哀しく怖い物語だ。

 観た人の受け取りとして、初見時の談義の時から僕の気になっている、稔と智恵子の間での性交渉の有無、刑期を終えた稔がバスに乗ったか否か、については、十四年前の四十代が中心の時と替わって、六十代が中心になっても、同様だった。前者については、無と観る者が多く、後者については、乗らないと観る者が多かった。だが、家のしがらみから解き放たれたかったと観る向きよりは、前科を抱えて田舎町へは戻れないと観る人が多かったように思う。

 最も興味深かった意見は、「どうにも話に無理があり、不自然さが気に障って、つまらなかった」という率直な感想だった。兄弟の相克と葛藤を描き、炙り出すための設えとはいえ、運びと設定に無理と図式的対照が目に付くということなら確かにその通りなのだが、逆に自分はそのことがさほど気にならなかったのは何故だろうと、新鮮な刺激だった。おそらく設えを設えとして了解していたからなのだろう。言わば、プロレスについて「あれは八百長であって真剣勝負ではない」という意見をプロレス愛好者が聞いたときに思うであろう、了解感と違和感に近いものがあるように感じられて、非常に新鮮だった。プロレスラーに求める“真剣”というものが、愛好者と非愛好者では根本的に違っているということと似ているように思った。

 また、初見時の談義で話題になった稔が猛に「智恵子を奪われた」と明言したり、智恵子の死が猛の安堵に繋がる面を挑発としてであれ、恨み言としてであれ、面会室で稔が指摘していたのかどうかについては、やはり「そう言えば」という感じで思い当たるには至りませんと返していたとおり、稔の言葉にはされていなかったが、なんでお前ばっかりなんだよ!との恨み言はあり、検事の与えた確証によって点火された逆上が暴走させた挑発に際しては、何にでも細やかによく気の付く稔らしい周到さが、張り巡らされていたように思う。


by ヤマ

'20.12.28. あいあいビル2F



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