『ゆれる』を読んで
西川美和 著<ポプラ社 単行本>


 九年前に映画を観たときにHPに開設してあった掲示板で談義が空前の盛り上がりを見せた作品のノベライズ作品を読んだ。日誌の最初のほうに記した僕には、兄稔(香川照之)の殺人を弟猛(オダギリ・ジョー)が目撃していたというのが事の真相だったように思えたとの部分については、同じ2006年6月に映画公開に先駆けて発行された小説でも明らかにされていなかった。

 第二章 川端智恵子のかたりでは「もうやめてよ!触らないでよ!」との智恵子の叫びに、一旦すうっと軽くなった肩に置かれた稔の腕の力が無我夢中で吠え散らかした私の顔を見つめた稔さんの表情から、強張った感じが潮のように引いていきました。そしてその驢馬のような大きな瞳に、深い、深い闇が広がっていきました。その光る闇の中には、獣のような私の姿が映っていました。とうとう起こしてしまった。今まで誰も、決して開けたことのなかった重たい扉の鍵を、私が粉々に叩き壊してしまった。肩に当てられた指に、再びじんわりと力がこもってくるのがわかりました。(P61)と事故ではないことが明示されている一方で、第七章 早川猛のかたりでは肩ではなく腕に対して空を掻く智恵子の白い腕を、日に焼けた兄の手がぎゅっと掴んだ。智恵子の身体はすでに橋の外にこぼれていた。兄の腕をぎゅっと握り返した智恵子の腕が、ゆっくりと、ゆっくりと、沈んでいった。そして二人の指先はかすめ合い、橋の上には、兄が一人、残された。小さなどんぐりが転んだ時のように、ひざまずき、まるでこの世の終わりのように、むせび泣いていた(P203)と記される場面が映画と同様に、母の遺したフィルムに映し出される蓮美渓谷での一家団欒の様子を七年後に観るなかで湧いてきたイメージとして現れる。第五章 早川猛のかたりでは俺は、何も知らないんだ。兄が智恵子を突き落したのなんて、見ていない。二人が吊り橋を渡っていたことすら気付かなかった。兄は何もしていない。智恵子は、勝手に滑り落ちたんだ。兄は、何もしていない。俺たち二人は、智恵子の無事を祈って、今すぐに警察を呼んで、この事情を話すんだ。逃げ隠れなんてしちゃいけない。事故に遭遇した人間として振舞えばいい、それだけだ。(P146)となっていた。

 小説を構成する各章の全てが主要人物による「かたり」として綴られ、「語り」とも「騙り」とも読めるところがミソだ。人の証言、人の記憶ほど当てにならないものはないことも確かだし、他方で、人の肉声ほどに事実の形象を超えた真実に迫るものがないのも確かだ。すべからく世界とはそうしたものであると知るべきだとかねがね思っている。その地平に立ったうえでこそ、事実の検証が意味を持ってくるのだという気がする。その“人のかたり”としては、猛が最も多く第一章、第五章、第七章を数えた。あとは各人一章づつで、智恵子が第二章、勇が第三章、修が第四章、稔が第六章、岡島洋平が第七章となっている。

 そして小説では、日誌に綴った“「舌出せよ」などと言いながら激しく絡み合った智恵子と猛の濃厚なセックスシーン”は登場せず、直接的には、猛のかたりのなかでどうでもいいこととわかっていたのに、それでも俺は、智恵子を誘った。難なく智恵子は応じ、何ということもなかった。思わず、しまった、と舌打ちをしていた。もう終わったその時にだ。俺が離れようとすると、背中に回っていた智恵子の手に僅かに力が込められた。身体を抱きしめて、髪をなでて、笑いかけてやったりした。そんなことは、なんの難しいこともないのだ。(P30)という形で出てくるだけだった。

 談義で話題になった猛の写真集については、智恵子のかたりのなかで洋平君が興味を持って、あれこれ稔さんに猛君のことを聞くのを耳の端っこで盗み聞きして、こっそり街中の大きな本屋さんに出かけて、「早川猛」と銘打たれた写真集を買い込んだりしました。…猛君の撮ったものを見ると、…胸の中がひりひりと熱くなるのでした。 写真というものはいいものだと思いました。撮る人は見えず、語らず、見ている私を見ることはなく、それでもその人の辿る風景を、永久の静止画で胸に抱くことが出来るのです。 私はやはり、もう二度と猛君に会いたくありませんでした。(P49~P50)という形で出てくる。

 もうひとつ談義で焦点となった智恵子と稔の関係については、智恵子のかたりのなかで、稔と猛の母親が存命で体を壊した時分に世話をすることもある内に、ぼんやりと、私、このお家に入るのかな、と思うようになりました。稔さんは本当にいい人です。向こうももちろんそのつもりでいるのだと思います。けれど稔さんは、今まで一度だって私に変なプレッシャーをかけたこともないし、いやらしいことを言ったりもしない。私の気持ちがそうなるのを、ただ温かく待ってくれているようでした。私の祖父はもともと、祖母が戦争で亡くした夫の弟だったのだそうです。子供の頃にそれを聞かされた時、そんなことってあるものなのか、とまるで信じられなかったけれど、今ではそれほど不思議なこととも思わなくなりました。稔さんは本当にいい人です。私、きっと幸せにしてもらえるんだと思う。…そんな折、母が再婚をしました。(P46~P47)とあるものの、母親の再婚を機に一人で暮らし始めてからの出来事は、かたられていないし、わずか6頁しかない稔のかたりには、智恵子のことは何も出て来ずに、また、彼の計算高さのようなものも露とも窺われなかった。また、稔の割烹着姿の件については、誰のかたりにも出て来なかったように思う。

 小説版で最も興味深かったのは、映画作品ではほとんど描かれなかった川端智恵子のかたりがあったことだ。猛のかたりに俺が兄をここへ連れて車から降りた時、智恵子は俺に気付いても、愛想笑い一つよこさなかった。すぐに飼い慣らされた小型犬みたいに、兄にまとわりついて面倒ごとの助けを求めていた。今だって、ぴったりと寄り添って、ぱりっとした様子で、しゃんしゃんと言葉滑らかに受け応えをしている。兄にはすっかり緊張を緩めて、自分から冗談まで言って兄を笑わせたりして。俺の知っている臆病で不器用な子と違う。 鈍感女。兄貴の顔を見てみろよ。お前がそうやって、息のかかるくらいの距離で身体を寄せて、目の前のその男に夜毎どんな夢を見られているか。 それとも、俺に対する当てつけか。復讐か。(P28)と映っていたことと呼応するように、お客がてこでも動かない、と私が電話で言ったこと、あれはうそです。 法事でお酒を飲まされた稔さんを乗せて、まんまと昼間の大きな車が現れました。 私は稔さんを送ってよこした弟の方にはほんのかたちだけ他人行儀な会釈をしておくと、すぐさま稔さんにいつもよりもくっついて、とびきりの愛想を振りました。稔さんになら、わがままも言える。泣き言も言える。自分が何をしたいかも、はっきり言える。あなたに言えなかったことを、何でも言える。そんな風に、お芝居をしました。事務所のガラス越しに、猛君が私たちを見ていることを、はっきりと意識していました。 これが、どうして猛君が私を誘ってきたかのからくりです。(P51~P52)と明言していた。

 そして、猛のかたりにおいて、セックスのあと「猛君、あした行くの? 蓮美渓谷」 ここに来るまでの車の中では、きっちりと敬語を崩そうとしなかったのに。俺の名前なんか、口にはしなかったのに。 「ねえ行こうよ。その方が、変に思われないと思う」 全く言うとおりだ。そうするべきだと思った。けれど、彼女が俺に対して共犯者のような連帯感を向けてくることが、たまらなく苛立たしかった。 「稔さん、ものすごく張り切っちゃってた」 くすくすと智恵子は笑った。兄のことを笑うその表情が、恐ろしく醜かった。(P31)という形で“女性の残酷さ”というものを露呈させていたことに関しても、私は、早川稔という人には、もう昨夜のことなんて、ばれていると思う。…血の繋がった弟でも、気付かないものなんだろうか。稔さんて、皆が思っているほど正直じゃない。あの人は、ちょっと鈍いくらいに思われているけど、鈍いんじゃない。鈍いふりをするのが、天才的に巧いのです。私はそれに気が付いています。隣にいる人間の押し殺した感情に気が付いてしまったら、その感情の上に被せられたどんな振る舞いも、ただただいびつで、気味が悪いものでしかないということを、私は母との暮らしでよく知っています。私の目には、凍るような水の中に太ももまで浸かってはしゃぐ稔さんの奇妙な行動は、私たちへの嫉妬に狂った上での自傷行為のようにしか見えませんでした。(P54~P55)と明言していた。兄弟の母親が亡くなる前からガソリンスタンドに勤めていて、母親の再婚を機に一人暮らしを始めるまでは「本当にいい人…私、きっと幸せにしてもらえるんだと思う」と感じていた稔に対し、ここまで立ち入った思いを抱くようになるうえでは、相当に踏み込んだ関係への進展なしには考えにくいような気がした。

 稔とは、いったい如何なる人物だったのか。改めて思いを巡らせるなかで、検察官から「死因に関係する諸々とは別に、膣内から微量の精液が検出されております。これが射出されたのが、事件の前日あたりだろうと。…つまり彼女は事件前日に被告人以外の男性と性交渉を持ったのだろう、と。被告人、聞きますが、あなたはこの相手の存在には気付いていましたか」と問われ「恋人がいらしたのならば、その人に対しても、取り返しのつかない御迷惑をおかけしました……本当に、あの、申し訳ございません……」と答えた(猛のかたり 第五章)後に現れた兄はそのまま言葉を留め、いつまでもいつまでも頭を低く落としたまま、直らなかった。伏せられた顔のあたりから、光る粒がひとすじ、真っ直ぐに床に落ちるのが見えた。(P180)と記されている“稔の落涙”が映画ではどうなっていたか観直してみたい気がした。

 そして、談義でも焦点の当たっていた「稔はバスに乗ったか乗らないか」については、小説の最後の2行に大きな荷物を抱えた兄は、弟に微笑みかけたように見えた。 そして息をつく間もなく、徐行して兄の前に止まるバスが、兄弟の間を遮ってしまった。(P220)とあるのみだった。

by ヤマ

'15. 8. 5. ポプラ社 単行本



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