『バルカン超特急』(The Lady Vanishes)['38]
『海外特派員』(Foreign Correspondent)['40]
監督 アルフレッド・ヒッチコック

 イギリスで『バルカン超特急』が撮られた1938年と言えば、英仏が堪忍袋の緒を切って宣戦布告をする前年の対独宥和政策の限界点とも言うべきミュンヘン会談が行われた年で、チェンバレン英首相の毀誉褒貶を後々まで招いているほどに微妙な時期だったわけだが、架空の国バンドリカに寄せた本作での対独意識は、当時としては強硬派であり、作中で英国人気質として揶揄されていた部分からすると、チェンバレンの宥和政策を事なかれ主義の弱腰外交とする立場にあった作品だと感じた。既婚者同士の秘密裡の逢引旅行を楽しんでいた最中に騒動に巻き込まれて落命する意気地のない非戦主義者トッドハンター弁護士こそは、当時、チェンバレン首相を皮肉ったものだったに違いない。

 そういう点での興味深さを除くと、後の洗練されたヒッチコック作品からすると、なんともごちゃごちゃしていてスマートさを欠いた映画だと思ったが、八十年以上も前に、ギルバート(マイケル・レッドグレイヴ)が疾走する特急列車の車外に出て、隣の客室に行こうと窓伝いに移動しているときに反対車線から爆走してくる列車とすれ違う場面を映し出し、驚きのスリリングさで現出させていたことには唸らされた。その前から映し出されていた疾走する列車の捉え方にも只ならぬものはあったが、この擦れ違い場面は実に見事で、当時、劇場では悲鳴が上がったのではないかと思う。

 登場人物の誰も彼もが妙におかしな人物ばかりで、敵味方を撹乱するべく使命を負っているスパイや本作の立役者ギルバートやアイリス(マーガレット・ロックウッド)のみならず、医師・弁護士・奇術師からホテルの従業員に至るまで、妙に何を考えているのか得体の知れないヘンな人ばかりだったような気がする。それにしても、あの落下してきていたと思しき“紫の鞄”とやらには、何が入っていて、どうなったのだろう。


 アメリカ映画『海外特派員』のほうは、同じ監督による、同じような時期の、同じように欧州でのスパイと世界大戦を背景にした作品ながら、イギリス映画『バルカン超特急』に比べて格段に語り口が洗練され、見せ場満載の流石のエンターテイメントに仕上がっていて、大いに感心した。『バルカン超特急』と違って開戦翌年の作品であり、遠慮なくヒトラーの名も出てくるし、「HOTEL EUROPE」のネオンの一部が落下して「HOT EUROPE」となってはいても、アメリカがまだ参戦していない時点での映画だったから、最後にアメリカを希望の灯と謳い上げ、その国歌が流れる作品だったことに驚いた。戦意高揚ではなく、参戦称揚だったわけだ。そういう意味では、イギリス映画からアメリカ映画に転じても両作は、立ち位置の相通じる作品だと言える気がする。

 それにしても、導入部のテンポの良さに感心していたら、雨の屋外階段での暗殺場面から、戦前映画とは思えないかなり現代的なカーチェイス、風車小屋の高低差のある込み入った造りを活かした巧みなカメラ移動があり、ホテルの外壁をつたうアクションやら、スパイ・サスペンス、ラブ・ストーリーに加え、パニック映画の先駆けのような飛行機撃墜の特撮が見事な脱出劇までありながら、『バルカン超特急』のようなごちゃごちゃ感が微塵もなく目を奪われることに、すっかり感嘆させられた。戦後、アメリカ映画が世界を席巻し、圧倒的な影響力を持つのも道理だと思った。

 そして、特派員記者のハントリー・ハバーストックことジョン・ジョーンズ(ジョエル・マクリー)に一目惚れしてしまう才媛キャロル・フィッシャーを演じたラレイン・デイがなかなか魅力的で、他の作品も観てみたいと思った。




*『海外特派員』
推薦テクスト:「虚実日誌」より
https://13374.diarynote.jp/201101092337535635/
by ヤマ

'20.12.21. BSプレミアム録画
'20.12.30. BSプレミアム録画



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