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『鉄道員』(Il Ferroviere)['56]
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監督 ピエトロ・ジェルミ
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十年前に、TOHOシネマズの午前十時の映画祭で観て以来の再見だ。今のような分断化の時代にこそ、噛み締めるべき作品だと思った。当時、もう勝ち組・負け組などという荒んだ言葉が人口に膾炙するに至っていたように思うが、まだ自嘲気味に使われていて、今ほどの格差社会としての階層意識にまでは拡がっていなかったような気がする。十年前に観たときのメモには、以下のように綴られていた。 「きちんと観たのは、初めてだ。名作の誉れの高さだけのことはある。スト破りの後、出入りできなくなっていたウーゴの店を幼いサンドロに導かれるようにしてアンドレア(ピエトロ・ジェルミ)が訪ねて行って迎え入れられた場面がよかったなー。リヴェラーニ(サロ・ウルツィ)のような得難い友人を持っていればこそ、この日があり、最後のクリスマスの夜があるわけで、組合などというものも、やはりフェローシップの部分を抜きにして連帯など有り得ない気がする。 最後のクリスマスの夜は、アンドレア以上に彼の妻サラ(ルイザ・デラ・ノーチェ)の嬉しそうな顔が沁みてきた。いい奥さんだ。「話をしないのが一番いけないんだ」との彼女の言は、家族問題に関する不変の真理なのだろうなー。 あの耳に覚えのあるサントラ盤の音楽に残っている台詞を僕は作品タイトルから勝手に駅構内に響くサンドリーノの声だろうと思っていたが、朝の通学時の路上で「急げ、マルコッチ」とサンドリーノが声を掛けられているラストシーンのものだったことが判明。」 先ごろ観たばかりの『慕情』['55]や『愛情物語』['56]と同様に、本作もまた、音楽【カルロ・ルスティケッリ】が映画の名を高めている一作だと思う。また、今回、久しぶりに再見して、列車の疾走感が殊のほか強調されているように感じられたことが印象深かった。幼いサンドリーノ(エドアルド・ネヴォラ)の走っている姿で始まり終わる映画であることとも相まって、人生は思いのほか早く過ぎ去っていくことをアンドレア・マルコッチの死とともに描いているように感じたのは、僕自身が老年の域に入ってきたからなのかもしれない。 推薦テクスト:「映画ありき」より https://yurikoariki.web.fc2.com/ilferroviere.html | |||||
by ヤマ '20.11.17. BSプレミアム録画 | |||||
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