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『パリの恋人』(Funny Face)['57]
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監督 スタンリー・ドーネン
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劇場以上にマスク必着の徹底に律儀なホール上映で仕方なく観賞を見送る映画があれこれと増えてくると、あれを観逃したのだからもうこれはいいかと、すっかり足を運ぶのが億劫になってきた。“マスク着用以外の飛沫感染防止策をいっさい考慮しようとしない頑なさ”と“会話をするわけでもない空間”との落差の余りの大きさに辟易として、すっかり嫌気のさす場所になってしまった。どうせ観る作品には事欠かないのだから、自宅で宿題映画を片付けるほうに気持ちが向いてきたわけだ。 折しもオードリーのファンの先輩映友がフィギュアを製作してご満悦のところに「あのフィギュア、似てます?(笑) むしろ一番下にあった昔のやつのほうが似てる気がしましたが。」などと送ったら、マリリンのほうが好きだとかねてより対抗している僕に「なんていうことを言うのだ! 似ています。 マリリンと違ってファーニ―フェイスは印象が違うのです。」と返してきたので、そのファニー・フェイスが原題となっている映画を観ることにしてみた。実は初見の作品である。 今ならセクハラ以外の何物でもなさそうな行きずりキスでよろめく、割と無責任なジョー(オードリー・ヘップバーン)にしても、傍若無人を絵にかいたようなファッション誌編集長マギー(ケイ・トンプソン)やら、調子のいい写真家ディック(フレッド・アステア)にしても、筋立て同様に、キャラクター造形に魅力が乏しく、いささか御粗末な映画のように思うけれども、それらを補って余りあるオードリー・ヘップバーンの魅力に驚かされた。当時、二十代後半の若く溌溂として切れのあるダンスも見事だったが、何と言ってもフィギュアにはない“表情の魅力”が格別だった。ダンスには、バレエで鍛えられたものが窺えたが、表情の魅力は、やはり天性のものだと思う。 王女を演じた『ローマの休日』['53]で見せていた“エレガントで且つキュート”などというのは、なかなか真似のできない代物だという気がする。それをファニー・フェイスと評するのは筋違いだと思うけれども、要は、澄ました美人の古典的ビューティとは違う魅力ということなのだろう。『アンネの日記』への出演を拒んだというエピソードには、彼女自身の戦争体験が影響を及ぼしていたそうだが、真摯な生き方を全うした女優だったように思う。恵まれた天性にのみ頼っていたわけではない芯の強さが若い時分から窺える気がした。 また、アメリカがパリに憧れの眼差しを送っていた'50年代、パリと言えば、オルリー空港だったことを何十年ぶりかで思い出した気がした。もうすっかりシャルル・ド・ゴール空港のほうが名が通っているように思う。旧作を観ると、こういった気づきを得られるところが愉しい。それにしても、名優とされるフレッド・アステアは、いったいどこがいいのだろう。そう数多く観ているわけではないけれども、いまだ彼をいいと思った映画が僕には一本もないような気がする。 | |||||
by ヤマ '20.11.16. BSプレミアム録画 | |||||
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