『愛の新世界』['94]
監督 高橋伴明

 七年前に観た夢売るふたり['12]での玲子が印象深かった鈴木砂羽とハッシュ!['01]で強い印象を残している片岡礼子がデビュー作『二十歳の微熱』に続いて出演した本作は、公開当時から気になっていたものの、当地での上映がなく、ずっと観る機会を得ていなかったものだ。

 奇しくも先ごろ白石和彌監督の『牝猫』['16]を観たときにリブートのほうではないロマポ時代なら、雅子も、結依も、里枝も、猫の名のとおり、ある種の自由の体現者として描かれているはずなのだが、平成末にあっては、生き辛さと閉塞感のほうが強く残る描かれ方をしているように感じた。と記したように、ロマンポルノを謳いながら、昭和の匂いが漂ってこない白石作品という、少々意表を衝かれた映画だったことからすれば、既にバブルが崩壊した後の平成六年作品ながら、'70年代の日活ロマンポルノに描かれたタフでパワフルな女性像が描き出されていて、ある種、爽快だった。

 象徴的なのは、山崎ハコの歌う今夜は踊ろうのなかを夜明けに向かって二人で駆け出していく中盤の場面だったと思う。 こういうテイストの映画は、もう出てこないのではないかと思わせてくれたのは、ちょうど【ロマンポルノリブートプロジェクト】なるものの作品を観たことが影響を及ぼしているのかもしれない。

 製作時から四半世紀も経って観てみると、物語もさることながら、劇団員の自分には芝居の勉強にもなると言いながらSMクラブの女王様を仕事にしているレイを演じた鈴木砂羽や、医者の卵から弁護士の卵へと乗り換えながら玉の輿を狙いつつホテトル嬢を仕事にしているアユミを演じた片岡礼子に留まらない、さまざまな役者陣の多彩さが目を惹いた。

 杉本彩が花と蛇['04]に出演する十年前にSMクラブのマダム役を演じていたり、レイの劇団仲間を松尾スズキや宮藤官九郎、阿部サダヲらが演じていて、やたら詳しく小劇場事情を描いているのが地のままを感じさせて妙に可笑しく、いわゆる“変態”と呼ばれる嗜好を見せていたさまざまな客を演じていた下元史郎や萩原流行、大杉漣、田口トモロヲらが目を惹き、映画作品と共に話題になった荒木経惟の写真や出演などにも、当時の風俗を感じさせる時代性が確かに宿っていたように思う。とりわけヤクザ幹部のマゾヒスト澤登を演じた萩原流行がなかなか強烈で、劇団公演の本番を終えて「ちょっと待った!」と声を掛けたレイとの場面がなかなか良かった。

 また、危ない客に当たった緊急連絡に気づいて動転し店長に「あゆみちゃんがナポリタンなんです」と電話していたさくら(中島陽子)が、後にレイから性病感染を告げられ、「ナポリタン!」と呟くのを観て、上田慎一郎ショートムービーコレクションで観て妙に可笑しかったナポリタン['16]は、本作から着想しているのではないかという気がした。

 そして、地元の劇団公演の観劇に足を運ぶ機会が多くなっている僕には、レイとあゆみが星降る街角をデュエットし、コンドーム風船を吹き上げる打ち上げ兼快気祝のバカ騒ぎ場面や「祭りが終わった!」とのレイの呟きが味わい深く、今度は車で♪今夜は踊ろう♪の曲のなかで海に向かった二人の無軌道ぶりに遠い日の若気の至りの幾つかを呼び起こされ、感慨深かった。

 冷やかしでSMクラブに入ってきた能書き男をレイ・スペシャルで調教し終えて咲かせていた大輪の向日葵を、オープニングと共に最後でも咲かせていたレイの「明日からまた祭りの準備が始まる。明日から、また超オモシロイに決まってる!」との力強い言葉に快哉を挙げた。エンドロールと共に流れる♪私が生まれた日♪を聴きながら、人が生まれたからには得るべき“生の実感”というものについての映画だったのかなと思ったりした。
by ヤマ

'19. 9.29. Netflix配信動画



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