『バリー・リンドン』(Barry Lyndon)['75]
監督 スタンリー・キューブリック

 プロローグ場面の決闘で父親を亡くしたレイモンド・バリー(ライアン・オニール)が、最後に義理の息子ブリンドン卿から挑まれた決闘で片足とリンドン家を失う波乱万丈の大河ドラマを三十四年ぶりに再見した。当時も面白く観たような覚えがあるが、当時以上にいろいろ触発を受けたように思う。バリーが全く悪党には映って来なかったことに感慨を覚えた。

 原初的に軍隊というものは住民から収奪を行う暴力組織でしかないことを僕に強く印象づけたのは、バリーが「ありとあらゆる不正と非道をやった」との独白をしていた本作だったような覚えがあるが、本作当時は当然にして観ることの叶わなかった『フルメタル・ジャケット』['87]の原点だったのかもしれないと思った。

 通常の大河ドラマなら、バリーの喜怒哀楽が多くの人との関わりのなかで描かれ、観客のなかにエモーショナルな情動を誘うに相違ないのだが、キューブリックは確信的にそれを排して、まさに泰西名画の風景画を切り取ったように美しい画面に写し取っているのと同じような透徹した画家の目のような眼差しでバリーの人生を写し取っている気がした。善とか悪とかを超えたところから人の営みを“写生”した絵画ならぬ映画なのだろう。

 この日の映画観賞後に、年若い女性が「本当に最悪の男でしたね」と言っていたが、従姉のノラの悪戯心に翻弄されて培われたと思しき女性観と、クイン大尉から学んだカネと地位の力、軍隊経験と賭博生活で培われた処世観でもって世を渡ることになった青年バリーは、僕の目には、決して悪党でも卑劣でもないように思えて仕方がなかった。むしろ彼の意志なり能力といったものとは無縁に、ただひたすら幸運と悲運に流されていたような気がする。

 レディ・リンドン(マリサ・ベレンソン)との結婚を手に入れた時点で農民出身のバリーが有頂天になって全能感の赴くままに思い上がった行動に走るのは、その来し方からすれば、然もあらんと思われる範囲内にあり、二年も経たないうちに妻に「悪かった」と謝ってからの夫婦関係は、妻に我慢だけを強いるようなものではなく、そう悪いものではなかった気がしてならず、ブライアンへの子煩悩ぶりから推測できる平凡人感のほうが印象深かった。愛息の義兄になるブリンドンとの関係が上手くいっていないのは明らかだったが、これはむしろそうなるほうがありがちなことのように思えた。

 ブリンドンに対する鞭打ちによる虐待という話も出たが、ひたすら打ちのめすのではなく決まって六回で留めて尻を打つのは、ある意味、イギリスの伝統的な教育方法として普通に認知されていたものだと思う。とはいえ、ブリンドンのほうには義父への恨みが募り蓄積されるのも道理で、たとえ夜遊び女遊びについての義父の謝罪を母が受け入れ赦したとしても、そのことを知る手立てはブリンドンにはないだろう。また、義父が亡父サー・チャールズの資産を食い潰しているとの思いが湧くのも道理で、それが義父バリーの母からの「自らの爵位を得よ」との指示によるものであったことや、リンドン家の資産を食い潰しにかかっているのは、バリー以上に、亡父サー・チャールズの友人たちであったことも知る由がなかろうとは思う。

 そうして遺恨と敵意を募らせていたブリンドンから決闘を求められて応じたとき、愛息ブライアンを事故で亡くし、失意に沈んでいたバリーが彼への発砲をためらっていた姿には、ブライアンが生まれて間もない頃、妻に「悪かった」と謝っていた言葉が口先だけのものではなかったことが偲ばれた。

 茶話会で主催の牧師から感想を求められ、かつて観たときよりもっと面白かったと告げ、第一部で、軍隊というもののろくでもなさを描き、第二部で、貴族社会というもののろくでもなさを透徹した人間観・社会観で描き、情緒への訴求を排していることが再見してみてよく判ったと話したのだが、遠い日の記憶では、かつては社会観よりも、バリーの人生のほうにより強く目が向いていたような気がする。

 今回も、観終えて強く残ったのは、人生に対する無常観のようなものではあったのだが、最後の場面が、ブリンドンがレイモンド・バリー母子追放の際に約した終生年金500ギニーの1789年分の支払いに対するレディ・リンドンのサインだったことがそのことをよく示していたように思うとも話した。アイルランドに追放された母子のイギリス貴族社会における話なのに敢えて、貴族社会終焉を告げる市民革命勃興の象徴とも言うべきフランス革命の年を映画の最後に持ってきていたからだ。

 バリーにとっての悲劇は、イギリス追放などではなく、自分が買ってやった馬のせいで息子を亡くしたことに尽きるわけだが、その馬を買うのに、80ギニーを要したことからすれば、500ギニーなら今で言えば、車6台分の年金ということになる。少なからぬ金額だ。ろくでもない貴族社会ではあるのだが、決闘で命を奪おうとまでした義父相手にも相応の年金を支払ったうえで追放する感覚は、現代の冷酷社会ではすっかり失われているような気がする。
by ヤマ

'19. 9.29. 高知伊勢崎キリスト教会



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