『沖縄スパイ戦史』
監督 三上智恵&大矢英代

 韓国映画シルミド['03]の映画日誌に思うに、およそ人間の歴史のなかで、国家と国民との関係において、軍隊が国民を守るという機能を果たし得たことがあったのだろうか。大いに疑問がある。支配者の権力や大金持ちの権益を守ることはあっても、そのために真っ先に犠牲を強いられるのは常に敵国民以上に自国民であったような気がすると綴ったのは十五年前のことで、六年前に人間の條件全六部を観たときも古今東西において共通する「軍隊は軍隊のために戦うのであって、決して自国民を守ったりしない」ということが、本作でも痛烈に描かれていたと記しているのだが、劇映画で思うそれとは比較にならないインパクトで、ドキュメンタリー映画は、その苛烈さを突き付けてくる。これだけ繰り返し繰り返し訴えかけられても、なぜ事態は向かうべきところへ進んで行かないのだろうと改めて悲しくなってくる。

 大日本帝国時代の「国体護持」や今の日本国の「国防」でさえ、実は方便でしかなく、軍備というのは、政治的にも経済的にも利権でしかないのだが、まさにそれが確固たる利権であるがゆえに強固に守られているように思う。

 本作が凄いのは、軍が守ろうとするのは、軍律であって国ですらないことを国会図書館や防衛省といったまさに本丸の開示資料によって、示していることだ。大日本帝国時の軍律と今の軍律に、軍律自体は何ら変わりがないことを明確に示し、大日本帝国時の軍律の元に何が行なわれたのかを、護郷隊結成から75年を経てしまったなかで、今となればこれ以上は望めないほどのエビデンスで以て明らかにしていた。

 確かに、少年兵たちだからこそ、今なおからくも幾人も生存しているわけだ。今の危うい状況を目の当たりにすれば、戦後生きながらえつつも口を閉ざしていた旧日本軍兵士のうち重い口を開いたであろう人々は、少なからずいたはずなのだが、実際の戦闘経験を持って今なお語れる人々となれば、かつての少年兵くらいしか残っていないわけで、その証言をきちんと記録したのは、たいへん重要なことだ。気になりながら未見のまま来ている『海軍特別年少兵』['72](今井正監督)のモデルになったような年少兵の声をいま集めている作り手はいるのだろうか。

 そのうえで、僕が最も驚き、感慨深かったことは、少年兵たちを組織し、訓練し、作戦行動に従事させ、ときに処刑も行ったらしき青年将校たちをかつての少年兵たちの多くが今なお慕い、戦後も交流を持っていたという事実だった。陸軍中野学校を卒業したエリートだったそうだが、22歳とか24歳とかの若さゆえにある意味、純粋で清廉な人格と胆力の元に任務に就いていればこそのものだったろうと思うと、尚更に軍律とか軍隊組織といったものの罪深さが沁みてくる。

 波照間島の住民を西表島に強制移住させて島民の三分の一をマラリアで死なせたとの陸軍中野学校出身の工作員が戦後、沖縄に寄り付くことがなかったのは、本作が窺わせていたように、護郷隊を率いた村上大尉や岩波大尉とは違う人物だったからかもしれないけれども、場合によっては、彼のほうが島民始末というより過酷な軍命を負っていたからであって、マレーの虎に由来していると思しき「山下虎雄」との偽名を使っていたという酒井工作員の任務に村上大尉や岩波大尉が就いていれば、やはり同じことになっているに違いないのだ。

 軍命・軍律が至上のものとなってくる組織の危険性は、それを発するのが常に、護るべき既得権益と面子を獲得している上層部であるからだ。彼らが得てして「国体護持」や「国防」の名の下に、その既得権益や面子を守ろうとするのは、軍隊に限らず、そういう意味では、シビリアンコントロールなどといったところで、文民だって同じことだ。軍人以上に文民のほうがタチが悪いことも往々にしてありがちなことだから、文民を上位に置けばいいというものではない。『シルミド』で軍司令部の高官の発した権力を持つ者が自分の意志で発したものが国家命令だ。との傲岸不遜極まりない言葉は、何も軍人だけの専売特許ではない。

 だから、軍人が文民より危ういのは、その資質ゆえのことではなく、単純に“武装”しているからに他ならない。そして、南西諸島に拡げて武器庫を作るというのは攻撃目標となる覚悟を持つことだとの本作の指摘は、まさに正鵠を射たものだと思うが、それは沖縄諸島を含んだ南西諸島に限った話ではなく、軍隊そのものについて言えるということだ。集団的自衛権などというものは、まさにそういう意味合いしか持っていない気がして仕方がない。国として、リスクに見合うリターンがあるとはとても思えない。兵器産業に加担している企業の株を保有している政治家とか、国民ではなく己が権力の安全をアメリカに保障してもらいたい連中を除いて。

 それにしても、波照間島のみならず石垣島ほかにも下されたとの強制移住には驚いた。本土で行われていた疎開とは似て非なるもので、島民の牛馬を接収して軍の食糧調達に充てるためのものだったようだ。それによって島民の三分の一が死んだ事件というのは、前日に再見した判決、ふたつの希望に描かれていたダムール虐殺事件にも重なってくるものがあるように感じた。中東のレバノンに暮らすトニーが抱えていた苦衷を、沖縄の人々は、抱えているわけだ。




参照テクスト:三上監督のリツイート
参照テクスト:大矢監督のリツイート
参照テクスト:三上智恵 著 『証言 沖縄スパイ戦史』読書感想
by ヤマ

'19. 6.22. 自由民権記念館ホール



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